コラムニスト 天野祐吉さん死去10月21日 13時24分
CMの批評やテレビのコメンテーターとして知られたコラムニストの天野祐吉さんが、20日、間質性肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。
80歳でした。
天野さんは東京都の出身で、劇団員や出版社の勤務を経て、昭和36年から7年間広告代理店でPR誌の編集を担当しました。
昭和45年に独立して「マドラ出版」を設立し、昭和54年に創刊した雑誌「広告批評」は、広告をその時代の文化として捉える編集方針で幅広い読者を獲得しました。
また、CMを中心にマスコミを対象にした評論やコラムを執筆し、「テレビは嘘が嫌い」や「CM文化論」などの著書を出版しました。
天野さんは、テレビやラジオのコメンテーターとしても活躍し、分かりやすい表現と鋭い分析力で親しまれました。
NHKでは「ふるさと日本のことば」などの番組に出演し、日本語のおもしろさや大切さを紹介したほか、平成10年からは放送用語委員会の委員を務めていました。
平成17年にはNHK放送文化賞を受賞しています。
天野さんは、中学、高校時代を過ごした愛媛県で、松山市立子規記念博物館の名誉館長を務め、先月は松山市で開かれた正岡子規の俳句について考えるシンポジウムに参加し、元気な姿を見せていました。
しかし今月15日に入院し、20日に亡くなったということです。
葬儀は本人の希望で行わないということです。
田原総一朗さん「希少な人亡くなった」
民放の報道番組で共演するなど、長年、公私ともに天野さんと交流のあったジャーナリストの田原総一朗さんは、NHKの電話取材に対し、「ここ数年はお会いしていませんでしたが、先週、天野さんが連載している新聞のコラムを目にしたばかりだったので、亡くなったと聞いてとてもびっくりしました。天野さんはラジカルな思想を持っているにもかかわらずそれを絶対に表に出さず、普通の感覚を大事にしながら広告だけでなく、社会問題についても冷静に批評し続けていました」と振り返りました。
そのうえで、「天野さんの最もすごいところは、批評家としてどんなときもユーモアたっぷりに軽妙な語り口で表現し続けたということです。こんな希少な人が亡くなったことは本当に残念です」と死を悼んでいました。
「ユーモアある正岡子規を発信」
天野祐吉さんが館長を務め、今は名誉館長になっている松山市立子規記念博物館には、20日の午後、関係者から天野さんが亡くなったことが知らされました。
天野さんの後任の館長の竹田美喜さんは「亡くなったと聞いてことばを失った。天野さんはユーモアのある正岡子規を広く市民に伝え、愛される子規を目指していた」と話しました。
天野さんは、中学・高校時代を過ごした愛媛が生んだ俳人、子規のユーモアある人間性や俳句を多くの人に知ってもらいたいと活動し、博物館の壁には、天野さんが毎月1つ選んで筆ペンで書いた子規の俳句を拡大したものが飾られています。
竹田館長は「天野さんは、子どもから大人まで明るくユーモアのある子規像を分かりやすく伝えたいと考えていた。博物館をそうした発信場所にしたのが天野さんの功績だと思う。今後も天野さんの思いを引き継いで博物館を発展させていきたい」と話しました。
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