海外「生まれる国を間違えた」 日本人の独特な美意識に外国人が感心:本当?


父の言葉
日本人が櫻が好きなのは其の散り際が潔いからである。
−− 岡潔

日本人は潔さを愛する国民である。:がんばろう、日本!


みなさん、こんにちは。

「この宇宙は情緒でできている。」

こういったのは、我が国の偉大な数学者、岡潔博士であった。
数学者岡潔思想研究会


岡潔博士の「自然科学観」、「自然科学は間違っている」:いや〜〜、実に鋭い!

岡潔博士は、この宇宙で数学によって表現される世界もあることにはあるが、数学や数式では表せない世界もまた存在する。むしろ、この宇宙の本質はそっちの方にあって、ほとんどは数学では記述できないものなのだ、と考えたのである。

そして、そうしたものを「情緒」だと考えた。

「情緒」の前では、時間も空間も意味はない。だから、この宇宙では、時空間というのは、人間が便宜的に数式や数学に乗せるために使った方便の一種にすぎないよ、と言っていたのである。

言い換えるならば、数学で表わされるものは、何らかの「量的」(距離や重さなど)に表現できる世界であり、数学で表されないもの=「質的」に表現するほかないというような世界も存在するということである。数学で書けた瞬間にそれは「量的世界への射影」に過ぎなくなってしまう、というわけだヨ。

最近、やっと欧米人やこの地球上の他の国々の人たち、や他の民族の人たちにも、ほんのちょっとだけ、我々日本人が伝統的に持っている感性やその感じ方、すなわち、「感性」について分かりつつあるようである。(もちろん、韓国人にはわからない。しかしどうも本国の北朝鮮人には分かるようである。)

外国人のそんな「無謀な」努力を垣間見せてくれるものがあるようなので、それをここにもメモしておこう。以下のものである。
海外「生まれる国を間違えた」 日本人の独特な美意識に外国人が感心



今回の翻訳元は以前にも何度かお世話になったチャンネルなのですが、
この動画では「日本人の美意識」についての私見を披瀝していらっしゃいます。

投稿者さんは冒頭、「美に対する感覚は人それぞれ」とした上で、
「それでも日本人が一般的に持っている美意識がある」として、
上の写真を示し、日本人の感覚を分かりやすく説明されています。

・通常左側の桜が満開に咲いている状態が好まれるだろうが、
 日本人は今にも芽吹きそうな蕾の状態や、散ってしまった状態を好む。

・すべての日本人があからさまな美しさを愛するわけではなく、
 花開く寸前の桜や、散り始めているがそこにわずかに残る花が内包する美など、
 花開き、そして散りゆくまでのプロセスにも美を見出す。

といった点が説明されています。
17文字という短い言葉で構成される俳句の、その奥に存在する美しさにも触れており
(英訳された俳句を見た時、長文になっていたことに驚いた、という点も)、
改めて、秘められた美を愛でる日本人の特性を指摘していらっしゃいます。

Japanese sense of beauty

(この日本女性の英語はかなり上手ですナ。)

■ 日本人の美意識が大好きになりました……。 アメリカ

■ 俺も日本人みたいな美の見出し方をずっとしてたよ。 +6 アメリカ
  
■ 日本人の美意識を説明してくれてありがとう。
  あの写真の中だと、私は右上のものが好きだった。
  今まさに咲こうとしてるところだから。
  ところで、日本の詩で使われる文字が17文字なのは、
  何か特定の理由があってそうしてるのかなぁ? スウェーデン

■ 美というものは、時々目に見えない何かである場合があるんだよね。
  あなたが言ってるとおり、美意識はそれぞれ違うものだと思う。 
  それぞれの母国の文化に対してでさえ、違うだろうね。 グアム

■ 僕が言うのもおこがましいけど、幽玄の美は多くの文化に存在するものだよ。
  特に優れたアートや詩の中によく存在するものだ。
  違うのは、日本人の場合、何百年も前からそこに美を見出してきたってことだろう。
  ゼンや仏教とかが日本人に影響を与えたんだろうと思う。 カナダ  

■ どうもありがとう! 僕は右下の写真を選んだ。
  理由は、あの花が最後まで運命に抗おうとしてるように見えるから。
  単に綺麗とかそういうことじゃなく、不確かな運命を持ってる点にね。
  そういう姿に、詩的な美しさを見出したんだ。 アメリカ

■ 興味深い動画をどうもありがとう!
  今まで考えたこともなかったけど、でもこういった日本人の美意識は理解できる。
  例えばアニメだと、キャラクターは自分たちの感情を隠すよね。 スウェーデン

■ 素晴らしい動画でした :) 
  他の文化が美をどう捉えてるのかを知れるのは本当にクールだよ。 アメリカ

■ 日本人の美意識には、深い哲学的なルーツがあるみたいだね。
  "もののあわれ"と"わびさび"のように、とても興味深い概念だ。 アメリカ

■ 隠れた美を好む文化がある国があることを聞けて嬉しい。
  私の国では大声で話さないとダメだし、いわば演じなければいけないの。
  そうせざるを得ない人って、本当の意味での個性なんてないんだよね。 フランス

■ 今ある姿のその先にある美を愛でるほうが良い。それは私も同意 (^-^)  イギリス  

■ 投稿者さんが言及してる美は、華道の中に見いだせるものと同じだね。
  日本人は、少なくとも日本人のほとんどは、表面的じゃない美が好きだ。
  見た目の美しさじゃなくて、内面的な美しさを気にかけるから。
  アメリカ人は、真っ直ぐな歯並びを大事にするけど、
  日本人からするとそれは別にそんな大したことじゃない。
  見た目の美しさじゃなくて、内面を大事にするんだ。 アメリカ

■ あなただって、美しい。
  口に出すのって、いつでも悪いことってわけじゃないと思うんだ。 +16 イギリス

■ あなたの説明を聞いて、ノウとカブキの事を思った。 
  日本人の伝統的な演劇は、欧米人にとって最も難しい"美"なんだよね。 フランス 

■ スロバキアだと、美しいものはあからさまで、みせびらかすような事が多い。
  今はオーストラリアに住んでるけど、こっちの人も深みにありがたみを見出さないし、
  はっきりと分かりやすい美があればそれでいいって考えだな。 オーストラリア

■ 隠れた美っていうのはつまり、ワビサビのことかな? :) ベルギー

■ この話は本当に興味深かった。あと私も左を選ばなかったから嬉しかった。
  ってことはつまり、私も日本人の感覚にちょっと近いってことね ^^ +3 スペイン

■ 面白くて、凄く惹き込まれる動画でした。
  日本人が美をそういうふうに捉えてるだなんて知らなかった。
  私も日常の中に美を見いだせるように生きていきたい。
  すべての人にそれぞれの美しさがあるんだって分かってよかった :) イギリス

■ 俺は日本人ではないけど、同じような見方をするよ。
  16分の1は日本人なんだ。ほとんどはヨーロッパの血だけど。
  あからさまな美しさはどうも好きになれない。
  やっぱり内に潜む美しさや、型にはまらない美しさが好きだ。 アメリカ  

■ カナダに来てみてよ! こっちの女の人は何でも口に出すよ。
  思ったことは口にして、着たいものを着るようにっていう教育を受けてきてるからさ。
  まぁ俺達もバランスのいい人が好きだけどね。うるさ過ぎず静か過ぎずっていう。
  色んなタイプの人がいるからこそ、この世界は面白いんだと思う! カナダ

■ 日本人の美意識は興味深かった。私は普通に左の写真を選んだよ。 韓国 

■ 多くの欧米人は、完璧な形で表現されている何かを美だと捉える。
  たとえば美しい写真とかアートとかね。
  ちょっとした文化の違いが表れてて面白いね。
  キョウトに行った経験があるから、あなたの説明を理解できて嬉しかった。
  あそこでは様々な形で美しさが立ち現れるんだ。 +5 アメリカ

■ 理解は出来た。だけど俺は、スタイルが良くて綺麗な顔の女性がいい :) マケドニア

■ 日本人の見方は深いな……。
  だから日本ではシャイであることは美徳と見做されるのかな?
  アメリカだと臆病者やシャイな人間は見下げられるから……。
  分かりやすい物事だけが賞賛されるんだよ。軽率な文化だよね。 アメリカ

■ 本当に面白かったし、日本人の内なる美っていうものを理解できた。
  知れば知るほど日本の人たちのことが好きになってくよ。 カナダ

■ WOW 深い。深いね!
  日本の人たちは本当に興味深い美意識を持ってるようだ! +3 アメリカ

■ 3枚の写真を見た時、私は萎れた1枚を一番美しいと思った。
  日本人の、花のどんな姿にも美しさを見出す姿勢は本当に素敵だと思う。 
  これはいつか絶対日本に行ってみないとダメね。 フランス 

■ 「日本人は内なる美を愛する」
  この言葉がもうすでに美しいもんね!!! アメリカ

■ 俺は間違った国に生まれちゃたみたいだ。
  俺の感覚って日本人そのものだもん。 アメリカ    

■ 日本に関する事で、一番好きなのは日本人のこういう面なんだよね。
  1つのセンテンスにも、沢山の意味合いが込められてたり、
  色んな物に直接は見ることが出来ない美しさが隠されてたりするの。 エジプト

■ 日本人の美意識、それ自体も本当に美しいと思う! ホント面白かった! メキシコ

(これについてのコメントも面白い。)


(あ)まあ、この女性の主張は、

「日本人は表に現れた、あからさまな美(obvious beauty)の他に、その背後にある、隠された美(Hidden beauty)を感じ取る。そういう美意識を持っている。」

という主張ですナ。

そして、

「私は見かけはそんなに美しくはありませんが、内面にはそういう美意識を持っていますよ。」

と言っている。

これを聞いていると、

「私も、さ・く・ら、私も好きになってね」

と言っているように聞こえるヨナ。

ところで、上の女性は指輪をしていない。まだ独身らしいですゾ。
こういう賢い女性は、だれか早くゲットしてやれヨ。
もっともご本人は外人さんが好きなんだろうがネ。

(い)さて、この話はこの女性が思っている以上に深い問題につながっている。だから、ついでにここにメモしておこう。

この女性のやっていることを見れば、最初に岡潔博士が

「数学で記述できる世界ばかりがこの世界ではないよ」

と言ったという意味が分かるはずである。この女性は、我々日本人が普通に感じている世界を英語に表現しようとしているわけだが、それが実に難しいかよくわかるからである。

つまり、

「英語(欧米語)で表現できる世界だけが世界ではない」

とこの女性は言わんとしているわけである。事実、そうなのである。「日本人の感性」を英語で表現することは不可能である。外人が自ら日本語を学び、日本で生活していくうちに、自ずと理解できるようになる。そういうものである。

この皮相的な(あるいは、表面的な)解釈と説明の結果、これを聞いていた外人君たちがみな、これまた別の意味で誤解したようである。たぶん、この女性には、自分の説明が誤解を与えたかもしれないということは気づいていないのだろうナア。

(う)情緒というものはこんなに簡単に西洋人が理解できるというようなものではない。実際、岡潔博士は、人生の大半をこの問題の研究にあてたが、

「欧米の全歴史の中で高名な西洋の宗教人から哲学者を含めて、誰一人このレベルにまで来たものがいなかった」

という衝撃的事実を発見したからである。

というのは、西洋人の普通にやること、「〜〜だから、こうだよ」という発想法や頭の使い方(これが数学的表現、つまり、自然を数式で記述することにあたる)では不可能だと考えたからである。

「あるものをある」と”理屈抜き”で認識すること、これができないうちは(つまり、何でも「理屈」ベースで考えるということをしているうちは)、この情緒というものは理解できないと考えたのである。しかしながら、この「理屈抜き」ということは、欧米白人には「理屈なし」と映る。つまり、その瞬間に、それが「無意味なこと」や「ナンセンス」なことと捉えてしまうのである。

太陽がそこにある

という現実、あるいは、

さくらの木がそこにある

という現実は、別に「どうしてそれがそこにあるか」という理屈のあるなしに無関係にすでにそこにあるわけだから、それをそれとしてまずは直感することが必要である。もちろん、理屈はその後いくらでも好き勝手につけることはできる。しかしそれは「一つの解釈」にすぎないわけだから、そうやってしまうと、陳腐な解釈という色をその自然の上に好き勝手に塗りつけただけなんだよ。とまあ、そういうものが岡潔博士が言いたかったことである。

ちょっと前に「自己流の解釈」をつける前に、まず「塗り絵」のように色を付けずにおいておく。その方が見る人にはより本質がわかるというものもあるのである。

(え)さてそこで、結局、なぜ日本人が「さくらの蕾(つぼみ)が好きか?」、「なぜ桜の散り際が好きか?」といえば、「桜の蕾が清らか」だからであったり、「桜の散り際が潔い(いさぎよい)」からである。

言い換えれば、我々日本人は、そこに人間としての本来のあるべき姿やありようを見ているからということなのである。

つまり、日本人は桜を桜という花や植物として見ているのではなく、人間という生き物のあるべき姿を体現している一つの例として見ている、ということなのである。

決して何かそこに「隠されたもの」を見ているのではない。むしろ、非常に明確なものを見ているのである。「人間としての清い生き様や潔い生き様」という、はっきりしたものをそこに(桜の花に)見ているのである。

これが「情緒」と我々が呼ぶものの一つの要素なのである。

とまあ、私はそんなふうに感じるというわけですナ。



おまけ:
とっておき日本:「日本は情緒の国である」、はてさて外人に解るかな?
世界が絶賛する”情緒の曲”「さくらさくら」:外人に「情緒」が理解できるのか?



おまけ2:
ついでにこれもメモしておくと、岡潔の「情緒」観や数学観に関連して、私が非常に興味深く感じるものがある。それは「共感覚」という現象である。

これを普通の「五感」や、意識も含めた「六感」の相互関係の問題にしてしまうと、岡潔がかつて言ったように、問題の本質を見逃してしまうだろう。

私が特に興味を感じるのは、数式や数字に対する共感覚の問題である。先日、どこかの番組で、数字に対する共感覚の持ち主が、脳障害のためにサヴァン症候群になった人のように、とてつもないレベルの記憶や計算ができるという話があった。

共感覚は数式あるいは数字をベース(基調)にして計算を考えるのではない。にも関わらず、数式ベースでは実際上不可能なような大きな数字の計算を瞬時に行える。

はたして、これは何を意味するのだろうか?

つまり、岡潔が言っていたような、「数学に乗せることのできない世界も存在する」ということを垣間見せてくれているのだろうか? そして、むしろ、そっちの方がより本質的なのかもしれないということを示唆しているようにすら見えるのである。

一説によれば、グレイ・エイリアンや、宇宙人の認識法は我々地球人のやるような数学とは異なる認識を使っているらしいという話がある。「共感覚」というものは、どうもそういうふうな、何かもっと広大な認識世界を暗示しているようにみえるというわけである。

89^22を1・5秒で暗算できますか?(89^22=89を22回掛ける)

共感覚の持ち主はそれを実現した。驚くべき「感覚」である。「感覚」や「感性」というものをいかにバカにしてはならないかということの例証だろうナア。





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by kikidoblog | 2013-10-22 08:19 | スピリチュアル

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