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映画「ローザ・ルクセンブルク」 - 26年後の戦争と暴力の時代
映画『ローザ・ルクセンブルク』を見た。今週末から話題作の『ハンナ・アーレント』が岩波ホールで公開予定で、マルガレーテ・フォン・トロッタ監督・脚本、バルバラ・スコヴァ主演の、同じコンビによる旧作が前座として一週間だけ上映される興行になった。26年前の1987年、同じ岩波ホールで公開され、そのとき見に行ったので、これが二回目になる。予想したとおり、観客はとても多くて、座席はほぼ満席の状態だった。ほとんどの客が私と同じく二度目の観賞で、この映画との再会を待機していたような雰囲気を感じた。新作『ハンナ・アーレント』を見るとなれば、やはり26年前の旧作に心が向かう。この特別企画は事業として正解だ。中高年で埋まった劇場内を見渡しながら、この人たち一人一人の26年前はどうだったのだろうと思い、26年間はどうだったのだろうと考えた。ネットを検索するかぎり、DVDが一般に売られている形跡がない。TUTAYAの宅配レンタルで探すと、「現在、この作品のレンタル用作品は取り扱いがございません」とレスポンスが出る。ホールが満席だったのは、そういう事情もあるのかもしれない。カンヌ映画祭で主演女優賞を取っているくらいだから、それなりに名作のはずなのだが、どうも市場的には芳しくないようだ。一言で言えば、この映画は、一度見た者には忘れられない衝撃的な感銘を残し、ずっと心に尾を引いて残るのだが、見たことのない者には価値を説明しにくい作品なのである。


概要やあらすじを書くと平凡になる。映画をテキストにすると面白い内容にならない。26年前、1987年、時代はバブルへと一直線に突き進んでいた。。明るく眩しく騒々しい時代だった。中島みゆきの1992年の『浅い眠り』の中に、「光あふれる時代の中で何処へはかなく消えて行ったのか」という歌詞があるけれど、この歌詞で中島みゆきが捉えた社会空間だ。「光あふれる時代」の言葉は、ひたすら「暗い」「ダサい」のレッテル貼りをされて世間一般から否定され迫害されてきた中島みゆきによる、バブル崩壊直後の反論と逆襲と皮肉の一言のように私には思えたが、とにかく、当時は何もかもが明るく眩しく陽気で景気がよかった。国鉄民営化が1987年である。電電公社が分割民営化されてNTTになったのが1985年。NTT株が繁盛し、株と土地が高騰し始め、Hanakoと日経トレンディが読まれ、OLたちがAB-ROADを捲って次の休暇の計画を練っていた頃だ。邱永漢が店頭で、海江田万里がテレビで、熱心に財テクのノウハウを説いてくれていた。そんなとき、『ローザ・ルクセンブルク』が岩波ホールで上映された。当時はネットはなかったから、雑誌ぴあで情報を知って見に行った。あのとき、この映画がどんな批評がされたか、論壇でどう評価されたのか、よく覚えていない。「明るい」時代とはまさにコントラストの、「暗い」部類の映画であり、「終わった世界」であり、「過去の物語」であり、日陰者的な存在感だったように記憶する。

今から考えると、当時は、今よりはもっとこの映画を能弁に語ることのできる者がいた。知性と関心を持った者がいて、意味を説くことのできる者がいた。だが、時代の流れや勢いとはあまりに対極の文化性の作品だったため、この映画を饒舌に論じることは忌まれ謹まれたのに違いない。1987年、このときのこの国の時代の空気は、本当に、こういった作品が描いている陰惨な歴史などは、もう忘れてゴミ箱に捨てていいように思われた、と、そう26年前を証言して過言ではない。特に当時の私のような若い人間はそうだった。この映画が、テキストで納得できる説明や紹介にならないのは、ハリウッド映画のような、観客に分かりやすい歴史映画になってないことが理由にある。米国製の歴史映画だと、例えば1982年のウォーレン・ビーティの『REDS』のように、脚本と、セットとエキストラを動員した大型時代ロケの演出で、観客に歴史が分かるように説得をしてくれる。大まかなデッサンを与えて理解を助けてくれる。感情移入できる感動の場面を入れてくれる。ドイツ製のこの映画は、残念ながらそれほど観客にやさしくない。ローザ・ルクセンブルクに即き、その人生を辿ってはいるが、時間軸がランダムに行き来し、時代状況と人間関係の変化の追跡が難しく、歴史がよく分かったという感覚が残らない。実際のところ、とても錯綜した歴史であり、複雑な政治史であり、簡単に教えてくれと注文する方が無理なのだが、それでも、もう少し方法があったのではないかと思うところがある。

歴史作品としてのこの映画の最大の欠落は、やはり、レーニンと1917年のロシア革命を完全に捨象している点だろう。レーニンが登場しない。トロツキーも登場しない。ボリシェヴィキの革命がスクリーンから省略されている。そのことは、26年前にも見て感じたことだったが、今回も不満として率直に述べていいだろう。捨象は一つの方法である。そこに、監督のマルガレーテ・フォン・トロッタの主張もあるのかもしれない。しかし、それはやはり、革命家であり思想家であるローザ・ルクセンブルクの像を説明する上では、根本的なミスを犯していると私は思う。例えば、1907年の第2インターナショナルの第7回シュトゥットガルト大会で、植民地と軍国主義の問題が議論され、そこでレーニンとローザは戦争反対の論陣を張っている。ベルンシュタインを筆頭に、ドイツ社会民主党(SPD)の主流派は、列強による植民地政策を是認する立場に立ち、そのことが後々の自国の戦争を肯定する選択へと繋がり、第2インターナショナルの崩壊へ繋がって行く。時代が帝国主義戦争(第一次大戦)へ向かい、欧州の社会主義政党がマルクスの「プロレタリアートに祖国なし」の原理を裏切って行く過程は、高校の世界史でも教わる通史だし、それと対立した左派の潮流としてレーニンとローザが存在したことも、近現代史では常識の範疇で、社会科学上のベーシックな認識というものだろう。その重要な事実が、この映画では - 私の感想としては作為的意図的に - 強引に削り取られている。

レーニンによるカウツキー批判(「プロレタリア革命と背教者カウツキー」)などは、私が学生の頃は、政治学を学ぶ者にとってはマストの事項で、知らない上級生は演習等の議論で恥をかく問題系だった。レーニンとボリシェヴィキ革命を入れると映画の規模が大きくなり、脚本も面倒になり、制作費用も嵩むから、それを断念してオミットしたのだと、そう解釈することもできるが、何せこの映画にはレーニン役の俳優がおらず、レーニンが一度も出て来ないのである。レーニンを挿入することなく、ローザ・ルクセンブルクを歴史として描くことができるのだろうか。それは、最後のスパルタクス団の蜂起とその失敗の歴史の説明にも関係する。1919年1月、スパルタクス団はなぜ準備もなく無謀な蜂起を決行したのか。それは、言うまでもなく、ロシア革命(1917年11月のボリシェヴィキ革命)という巨大な現実があったからだ。彼らの眼前にその成功があり、革命の爆発と連鎖の期待と気運があり、世界革命の必然性への確信と信念があったからだ。そこを描いてありのまま説明しなければ、「無謀な蜂起」は「無意味で不自然な蜂起」でしかなくなる。映画では、蜂起は唐突なものとして描かれ、ローザにとって不本意なものとして示されていた。ローザの革命戦略は、戦後の日本共産党(宮本路線)の「敵の出方」論の方針に類似していて、選挙を通じて議会で勢力を張って政権を狙いつつ、武装蜂起の革命も選択肢として両方持つというものだ。不本意であったかもしれないが、そこには必然的な状況と空気というものがある。

それに加えて、左派であるスパルタクス団の蜂起がなぜ失敗したのか、呆気なく鎮圧されたかの問題は、ドイツにおけるユダヤ人の問題とも少し関連があるように思われ、そこも映画に描き込んで欲しかったという思いがある。ドイツの保守一般の意識においては、共産主義はユダヤ人の思想と運動であり、ロシア革命(ボリシェヴィキ革命)はユダヤ人の謀略の産物という意識(偏見)が根強い。リープクネヒトもルクゼンブルクもユダヤ人である。トロツキーもユダヤ人。ご本家のマルクスも。ユダヤ人だから「国境を越えたインターナショナリズム」に牽引されるのだと、そういう偏見は説得力を持ちやすいし、ドイツ主義のナショナリズムから浮き、感情的に異端視されやすい。実際のところ、後で勃興するヒトラーのナチズムは、まさに反共反ユダヤのドイツ主義を看板にした。フライコールの1919年の暴力は、後のナチスの残虐そのものだ。そうしたユダヤ人の問題、民族的な差別と偏見の問題、ドイツ人とユダヤ人の重い関係の問題が、ドイツ社会民主党の中でのローザの境遇と立場に微妙に影を落としている、ナショナリズムとインターナショナリズムの間の緊張がある、はずだと私は睨んでいるが、そうした(ユダヤ人問題と共産主義をめぐる)契機が、映画では十分に説明されなかった。欧州の観客にとっては、それは説明不要なイシューなのかもしれない。しかし、ローザの思想と生涯を正面から世界に説明する作品なら、それは落としてはいけないポイントだ。フライコールとエーベルトからすれば、ユダヤ人の陰謀の鎮圧だっただろう。

映画の感想は、正直なところ、26年前とは全く違った。26年前に見たときは、これは遠い過去の歴史の話であり、自分たちの人生や将来とは無関係の世界の話だった。今回、映画に描かれているのは、まさに自分たち自身の身近な問題であり、ひしひしと感じるのは、ひょっとしたら、こんな具合に命を落とす羽目になるかもしれないという恐怖である。戦争が始まるかもしれない、戦争が必ず始まる、戦争が始まったらこうなると、私はオオカミ少年のようにずっと記事で言い続けている。1914年の大戦勃発までのローザ・ルクセンブルクが、まさにそういう警告をずっと発し続けていて、戦争を止めようとして止められず、戦争賛成に流れていく仲間に裏切られ、戦争に反対したことで罪人となって獄に繋がれたのだった。今、本当に眼前の状況はどんどん変わっている。NHKは、秘密保護法を国会で成立させるべく、NW9で世論工作をやっている。朝日は、本当に反対を貫徹する気があるのか分からない。秘密保護法とNSC設置法が戦争準備の法律であることは、少し知識のある者は誰でも判断できることだ。この映画の戦争公債法案である。安倍晋三を批判する者が少なくなった。批判する者が少ないから、支持率が60%超という異常になる。経済政策に関しては、ほとんど誰も批判する者がなく、「アベノミクス」と「成長戦略」への支持は国民のコンセンサスのようになっている。中国と韓国への批判が国内で勢いを増し、安倍政権の右傾化路線を批判する声はなくなった。全てが怒濤のように流れている。

戦争と暴力の時代。ローザ・ルクセンブルクの前に立ち現れた時代が、劇場の外の現実の空間に立ち上がっていて、間もなく自分自身に襲いかかってくるような、そんな不安を持つ。この映画は、ストーリーをテキストで要約しても、その魅力を伝える宣伝にはならない。感動は物語全体にはない。この映画の衝撃はラストシーンの暴力なのだ。戦慄のラストシーンの余韻がずっと残り、その印象が何十年経っても消えない。こうやって殺されたのかと、26年前に見たとき、銃床で頭部を打撃する惨殺シーンに絶句した。今回は、あの場面が出るまでを緊張して待ち、その瞬間が来るのを腹に力を溜めて覚悟していたという感じだった。ネットの情報を見ると、もっと残酷に拷問された挙げ句、銃床で後頭部を打ち砕かれたという説もある。


by thessalonike5 | 2013-10-21 23:30 | Trackback | Comments(1)
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Commented by かまどがま at 2013-10-21 20:09 x
87年の岩波ホールはかなり空席の目立つ中で観た記憶があります。バブルの時代の良かったことは、採算が採れないマニアックな映画や翻訳も豊富に出回ったことでした。

確かに、今年に入ってから、インゲ・ショルの『白バラは散らず』やリリアン・ヘルマン、ベンヤミンなどファシズムに抵抗した人たちの物語を読み返すことが多くなりました。
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