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七つの罪と、四つの終わり
第十話
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「改造を受けるのは……私じゃダメなの?」
ベルゼブブと有利に渡り合うため、ルシファーはクラィにある機能を移植したいと言う。だがそれなら私でも構わないはず。少し前まで私は自分のことを人間だと思い込んでいたけれど――今はこの体がドールであることを知っている。
しかしモニタに映し出されたルシファーは首を横に振った。
「すまないが、ミリィの体は特別製だ。オリジナルセブンを含めたドールたちとは、規格が違いすぎる。だから私の機能を移植することはできない」
「そんな……」
呆然とする私の肩に、クラィがそっと手を置いた。
「ありがと、ミリィ。気持ちだけ受け取っておくわ。ルシファー、今すぐ始めてちょうだい!」
覚悟を決めた表情で、クラィは告げる。
「――分かった」
ルシファーも真面目な顔で頷いた。部屋にあったもう一つの施術台が、低い駆動音を響かせて起動する。
「姐さん……」
この時ばかりはラダーも心配そうな表情を浮かべていた。
レヴィの治療と並行し、クラィの改造が始まる。
「もう、そんな顔をしないでよ。あたしは別に嫌じゃないの。だってこれで――あたしはただのワーカーじゃなくなるんだから」
施術台の上に寝転んだクラィは、いつも通りの強気な笑みを浮かべたのだった。
およそ三十分後――私たちのいるメンテナンス施設は、大勢のドールに包囲された。
私は足が震えるのを堪えながら、施設の入口に立ち塞がる。
ドールの軍勢は何故か敷地内に入って来ず、私のことを遠巻きに眺めていた。
彼らを率いる魔王――〝暴食〟のベルゼブブだけが、その巨体を揺らし、大地に重い足音を響かせながら近づいてくる。
ベルゼブブは他のドールと比べて、圧倒的に〝異質〟だった。
私の三倍以上はある身長に、肥え太った体。体重は十倍以上あるかもしれない。こんな大きさと体型のドールを見るのは初めてで、私は圧倒される。
「げはははは――やっと、やっとだ……ついにこの時がきた」
口元から下卑た笑いと涎を垂れ流し、瞳に飢えた光を宿らせ、私に近づいてくるベルゼブブ。
怖い。今すぐ逃げ出したい。
でも、背を向けるわけにはいかなかった。レヴィの修理はまだ終わっていない。それまで何とかして時間を稼がなければ。私と――クラィで。
先ほど改造が完了したクラィが、事前の作戦通りに行動してくれるのを信じて、一歩前へ足を踏み出す。
それを見たベルゼブブの配下が、武器を手に前へ飛び出してきた。
「ベルゼブブ様、ここはまず私にお任せを!」
「……邪魔するな」
だがベルゼブブはその巨腕を伸ばして、配下のドールを摘み上げる。
「え……? な、何を――」
「ちと質は悪そうだが……前菜代わりだ」
不機嫌そうに呟きながら大きく口を開くベルゼブブ。耳の近くまで裂けた口腔が、ドールを呑み込んでいく。
「や、やめっ……ああっ……ぎゃああああああああああああああああっ、い、嫌だ! た、食べな、い、で――」
バキボギ、ゴギ――。
砕かれ、咀嚼され、嚥下される。悲鳴は途切れ、ベルゼブブの口からボロボロと彼の体を形作っていた部品と、オイルが零れ落ちた。
「あ、あ……」
その光景に膝が震える。目の前で行われたことが、すぐには理解できなかった。
「さて、次はメインディッシュだ」
口元に付いたオイルを拭い、ベルゼブブは再び私に迫ってくる。
そこでようやく悟る。彼は、私を喰らいに来たのだと。
「ずっと、ずっと、喰いたかったんだ……柔らかそうな肌、折れそうなほど細い手足、白い首筋……いつ見ても涎が止まらなかった……人間だった頃に喰えなかったのは、本当に残念だった……とても、とても、残念だったんだ」
ベルゼブブは目を血走らせ、私に迫る。
「私を食べて……どうするの? ドールなんだから、電気だけでも生きていけるんじゃないの?」
震える声で、私は問う。人間に似せて作られたドールには食べ物をエネルギーに変える機能もあるが、それは非常に効率が悪い。電力を直接取り込むのが普通だと、以前第七層で私は知った。なのに……どうして彼はそんなにも食べようとするのか。
「どうする、だと? げはは――意味などない。喰いたいから喰う。美味そうだから腹が鳴る。ただそれだけだ」
それ以上会話をするつもりもないらしく、ベルゼブブは獰猛な笑みを浮かべながら地を蹴った。
「っ――」
あの巨体からは想像もできない速度で、突進してくるベルゼブブ。
食欲だけに支配された狂獣の眼光に、本能的な恐怖が湧き上がる。
だが、立ち竦んではいけない。私がやるべきことは時間稼ぎ。まずは十分にベルゼブブの注意を引きつけた後、ひたすら回避に徹するのだ。
脳裏にルシファーの言葉が過ぎる。彼は作戦を立てている時に、こう言った。
『ミリィの体は戦いに適しているとは言い難いな。有機素体を採用した分、再生力は高いが……防御力は低く、高い馬力も出せないだろう。だが基本的な運動性能自体は低くない。今は人間としての〝常識〟が無意識にリミッターを掛けているのだろうが、意識してそれを外せば――』
――攻撃を躱すぐらいのことは、きっとできる!
恐怖心を押さえつけ、ベルゼブブから目を逸らさずにタイミングを計る。
風を裂き、巨大な腕が伸びてきた。
――今!
私を捕えようと大きく広げられたベルゼブブの五指。その指先から、私は寸前のところで逃れる。
空振ったベルゼブブの腕は、そのまま地面に突き刺さり、土煙を巻き上げた。
「……いけないなぁ。メインディッシュが逃げちゃあ、いけない」
ゆらりと身を起こし、平坦な声で呟くベルゼブブ。
「私は……食べ物じゃない」
「いや、食べ物さ。俺より弱いものは、全て食糧。弱肉強食という言葉を知っているか? 弱者は強者の餌になるって意味だ」
自らが強者であることを微塵も疑わぬ顔で、ベルゼブブは告げる。
「だったら……あなたに私を食べる資格はないよ。私はあなたより――強いから」
ベルゼブブを挑発するため、私はあえて神経を逆なでする台詞を選んだ。
ピクリと彼の眉が動き、唇の端が引きつる。
「……ほざけ。人間だからというだけで、無条件に偉ぶれた昔とは違う。今のお前は、俺より弱い、ただのドールだ」
両腕を広げた格好でベルゼブブは再び私に飛び掛かってきた。
私はそれを紙一重で躱し続ける。思った以上に体は軽く動いてくれた。だがそれでもベルゼブブを引き離せるほどではない。確実に私は逃げ場を奪われ、壁際に追い詰められてしまう。
「前も後ろも行き止まり……さて、そろそろ皿に乗る時間だな」
舌なめずりをして、ベルゼブブは私に両腕を伸ばす。けれど私は精一杯強がって、口元に笑みを浮かべた。
「ううん、前と後ろがダメでも――まだ、上がある!」
私はそう言って、右手を掲げる。クラィを信じて、天に腕を伸ばす。
地面に影が落ちた。その影はあっという間に大きくなり、私の右手を力強い金属の手が握りしめる。
「な――」
ベルゼブブは頭上から舞い降りた者を見て、呆気に取られた表情を浮かべた。
私の手を掴んだのは、黒い翼を背に生やしたクラィ。大きな黒翼を羽ばたかせ、クラィは私を天へと導く。
あっという間に地上が遠ざかり、ベルゼブブの姿が小さくなった。
これがクラィに移植されたルシファーの力。誰よりも傲慢な彼が望んだ、天からの視点。
「ミリィ、大丈夫だった?」
クラィは私を片腕で抱え上げ、心配そうに問いかけてくる。
「うん、平気。でもよかった……ホントに飛べたんだ」
私が答えると、クラィは苦笑を浮かべた。
「まあぶっつけ本番だったからね。コツを掴むまで少し時間が掛かったけど、もう大丈夫――あたしはこの翼を使いこなせる。誰もあたしのいる場所には届かない!」
高揚した様子で叫ぶクラィ。
「で、でも逃げてるだけじゃダメだよ? 私たちはレヴィの修理が終わるまで、時間を稼がなきゃいけないんだから」
「分かってるわ。まずはあのデカブツを施設から引き離して――ルシファーに教えられた場所まで誘導する」
「うん……行こう、クラィ」
私が頷くと、クラィは地上へと急降下し、ベルゼブブの頭上を横切る。
「喰えるものなら喰ってみなさい! この肥満魔王!」
「――貴様ぁっ!」
クラィの挑発に乗り、ベルゼブブは私を抱えて飛ぶクラィを追ってくる。
邪魔する壁を砕き、建物をなぎ倒し、一直線に突進してくるベルゼブブ。
そのパワーと体の頑丈さは常軌を逸していた。けれどその巨体故に彼は飛ぶ機能までは有していないらしい。ベルゼブブは背に蠅の羽根を模したマントを羽織っていたが、それはあくまで装飾品のようだ。
「見えた――あの建物ね!」
クラィは目的の場所を見つけたらしく、進路を微調整する。
風が強くて、私は薄目を開けることしかできない。行く手にあるのは、赤い屋根が目印の大きな工場だ。
ルシファーによると、資材の廃棄と再処理施設だという。中にあるのは――巨大な溶鉱炉。
「自分から溶けた鉄の中に突っ込むといいわ!」
クラィはそう言いながら工場の上を通り過ぎる。そして追ってきたベルゼブブは、それまでと同様に施設の壁を壊し、工場の中へと突進した。
彼の成した破壊が連鎖し、天井が崩れ落ちる。その下に熱く煮えたぎった溶鉱炉が見えた。
スピードを殺し切れず、その中へと落ちていくベルゼブブ。赤く輝く熔鉄の中へ、彼の姿は呑み込まれる。
「やった!」
クラィは歓声を上げる。けれど私は、気を緩める気にはなれなかった。
「クラィ、早くレヴィのところへ戻ろう。ルシファーも言ってたじゃない。もし作戦が成功したとしても、ベルゼブブを倒し切るのは難しいだろうって」
「そうは言うけど、いくらなんでも溶鉱炉の中に落ちたら――」
苦笑いを浮かべて言うクラィだったが、途中で表情が引きつる。
熱く煮えたぎった溶鉱炉の中で、何か動くものがいた。赤い鉄を滴らせながらも、溶鉱炉の壁に近づく大きな姿。
「嘘……でしょ。これで壊れないなんて……いったいどんな体してるのよ」
「急ごう、クラィ」
「ええ――分かったわ」
真面目な顔で頷き、クラィは翼を羽ばたかせる。風に乗り、メンテナンス施設へと戻ると――思いがけない光景が待っていた。
倒れ伏すたくさんのドールたち。
ベルゼブブに率いられていた軍勢が……壊滅している。
山積みになったドールたちを踏みしめているのは、フリルの付いた可愛らしい衣装を纏う少女のドール。
「レヴィ!」
私は彼女の名前を呼ぶ。するとレヴィは視線を上げ、優雅に微笑んだ。
クラィに抱えられて地上へ降りると、私は彼女の元に駆け寄る。
「よかった! 直ったんだね!」
「ええ――おかげさまで。事情はルシファーから聞きましたわ。わたくしのために……本当にありがとう……ミリィ」
レヴィは礼を言うと、私をぎゅっと抱きしめた。
そして私の肩越しに、クラィを見る。
「あなたにも一応感謝してあげます。わたくしのミリィを、ここまで守ってくれたのですからね」
「――全く、相変わらずね。言っておくけどミリィはあんたのじゃないから」
不機嫌そうな口調で釘を刺すクラィ。
「姐さん、すごかったっす! 最高にカッコよかったっすよ! まさに黒き堕天使っすね!」
そこにラダーが駆け寄ってきて、私たちの周りを走り回りながらクラィを褒めた。
「く、黒き堕天使って……そんな恥ずかしい呼び方止めて!」
顔を赤くしてクラィは叫ぶ。
「そうっすか? ボクのオリジナルは自分のことをそう呼んでたみたいっすけど」
「……あんな変態と一緒にしないで」
「まあとにかく、その翼は姐さんが付けてる方が似合うっすよ! おっさんに翼が付いてても誰得って感じっすからね!」
「あんた……自分のオリジナルを、よくおっさん呼ばわりできるわね」
呆れた口調でクラィは言い、深々と息を吐く。
それを見ていたレヴィは私から体を離し、代わりに手を強く握った。
「ミリィ、あんな漫才コンビは放っておいて、早くわたくしと逃げましょう」
だがクラィはその発言を聞き逃さず、素早くツッコむ。
「誰が漫才コンビよ! 言っておくけど……第一層へ行くにはあたしの翼が必要なんだから!」
「……仕方ありませんわね。でしたら早く運んでくださいな」
「こいつ……途中で落としてやろうかしら」
ぶつぶつと不穏な事を呟きながらも、クラィは両手でそれぞれ私とレヴィを抱えた。
最後にラダーが私の肩に飛び乗ってくる。
「――ルシファーに挨拶しなくていいのかな」
私はメンテナンス施設に視線を向けて呟いた。
「大丈夫っすよ! オリジナルはまだボクの中にいるっすから。尻尾をコンピュータに接続すれば、またいつでも出て来れるっす」
ラダーの言葉に、私は安堵の息を吐く。
ちょっと変な人だったけど……父親代わりだったという彼と、これでお別れするのは少し寂しく思っていたので安心した。
ドォォォォォォン――!
遠くで爆発のような大きな音が鳴り響いた。ベルゼブブが溶鉱炉から這い出てきたのかもしれない。急がなければ。
「行くわよ――!」
私の腰を強く抱き、クラィは翼で風を巻き起こす。
ふわりと体が浮き上がり、私たちは宙の住人となった。
第二層の天井――巨大な複数の照明が煌々と輝く中へと、私たちは昇る。
天井には飛行可能なルシファーだけが使えた秘密の通路があるらしい。
そこを目指してクラィは飛ぶ。
「あそこっす! 照明の傍――大きな配管が剥き出しになっているところに第一層への抜け道があるっす!」
ラダーが細かい場所を指示し、私たちは太いパイプの裏にある秘密の通路へと降り立った。
捻じれたパイプがまるで螺旋階段ように上まで続いている。ここを登って行けば、第一層に行けるのだろう。
ごくりと唾を呑み込む。ずっと目指してきたソラが、あと少しのところにある。
第一層を抜けたところには、いったい何があるのか。ソラは、どんなものなのだろうか……。
「――ねえ、ミリィ」
物思いに沈んでいると、レヴィが少し不安そうな表情で私の名前を呼んだ。
「何?」
「この先には――第一層の魔王、サタンがいますわ。あなたは彼の事を何か憶えていまして?」
「ううん……何となくレヴィのことだけは少し思い出せた気はするんだけど、他は全然。でも、私にとって兄みたいな存在のドールだったってことは、ベルから聞いた」
私の返事を聞くと、レヴィはさらに表情を曇らせる。
「そう……だとしたら、ミリィでもサタンが変わった理由を突き止めるのは無理かもしれませんわね」
「変わった……?」
「ええ、今のサタンはミリィが人間だった頃の彼とはまるで別人ですわ。どうして彼がルシファーを破壊し、戦闘用マシンの量産に動いたのか……誰もその理由を知りません」
少し寂しげな表情で呟くレヴィ。どうやらかつてのレヴィとサタンは、それほど悪い関係ではなかったらしい。
「何か……あったのかな?」
「いえ――わたくしの知る限りでは、何も。本当に何一つ、思い当たることがないんです。だからこそ、わたくしは彼が恐ろしいですわ」
両腕を抱き、レヴィは微かに体を震わせる。
そんな彼女に私は――。
→ サタンがどんなドールだったのか、もっと詳しく聞いてみる。
→ サタンとはできるだけ関わらずに地上を目指そうと提案する。
→ 頑張ってサタンのことを思い出そうと努力してみる。
投票画面へ移動します。(投票期間:公開日から3日間)
http://www.wotaku.jp/vote/7tsumi/
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籠村コウ 著
イラスト ゆく
企画 こたつねこ
配信 みらい図書館/ゆるヲタ.jp
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この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
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