日記 2013年10月17日〜$月$$日

10月20日 夜

 日曜。実家でやっと落ち着いてきた。Face book 登録中。私には自分にも知らない日程が決まっている。あわてても、あせっても、先にすることを今できるわけではない。古いPCで読めなかったサイト・ブログを読み漁る。

精神世界ランキングのブログをチェック。どこもたいしたことを書いていない。巷にあふれる霊能者達。みんなあぶく。消えてなくなる。

死後を認める者と認めない者の差

 宗教は、今や霊を扱うものだ。霊の真実を記すものが極端に少ない。もうひとつは、人が霊になることを見越して、生き方を示すもの。人間の生き方、霊となる者としての人間の生き方を示す。この違い。それを厳密に明らかにすることが必要だ。

 つまり、死んで終わる者と死後も霊となり生きる者。その違いを。死で終わる時、その生き方を極めると、どうなるか? 死んでも生きる者。それを極めたら、どうなるか?

 永遠に生きる者は、自己の完成=能力の最高を目指す。が、短い一生ではそうはなれない。道半ばで、死が訪れる。霊となり、その後を行う。あの世で成長して、やがては神々(霊界から人間世界や霊社会を管理する者)の一員になる。

 では、死で終わる者は? いかに自分や一族が栄えるか、自分の国が栄えるかが彼の関心となる。肉体は平均90才まではもたない。その中で、自分の欲望を最高に満たす。もしくは、自分の願いを実現する。そに執心することになる。

 実業家が老いて、財産を子孫に残すことに、細心の配慮を尽くす。自分の業績に満足しながら。それが彼の最高の人生(生きた証)だ。ただ物質しか信じないから、自分が築き上げた富・財産など物質的なものの行方にのみ、彼は関心があり、それが彼の最後の仕事となる。そして、彼は死にゼロになる。

彼は死後の準備はしない。彼にとって、死後どうなっているかはどうでもよい事柄だ。彼は無になると信じている。 これは、死後の理解の是非はともかく、彼は最期をよく処した、といえる。

 ただ、実際には、死後があるから、彼ははじめの頃に大きな挫折感を味わう。もちろん、死後の準備をしてきた人と比べてだ。拍子抜けしてしまうだろう。無になった、と覚悟した自分が、違った世界・姿でまだ生きているのだから。肝心のハンディ自体は霊と信じていた人とはない。

なぜなら、巷の死後の知識は、いい加減だからだ。それを信じても実際にあの世にゆくと、役立たない。死んでから覚えても間に合うものも多いからだ。何も知らなくても、あの世では、要領がよい人ほど、その世界の習慣を早く覚え、立ち回ることができる。生前に覚えても、死後に覚えてもあまりかわらない。

 実際、私のみてきた霊たちは、人間世界で優秀な者はあの世でも、才能があり、生きていた頃になしたと同じような偉大なことを行える。あの世の習慣もあっという間に覚えて、どんどんのしあがる。人の世で才能がない者は、あの世でもあまり伸びないし、使えない。生きていた頃に覚えた死後の知識の有無は、まったく関係がない。

その道のエキスパートと比較しては、大差をつけられてもだ。どういう差か? 霊を信じた人は、ずっと霊と交流している。ごくごく一部は。生きながらにして、霊界のことを深く知る。神や守護霊、天国のことも知っている。だから、そんな知識をもっている人とは、違いが生まれる。

 死後、はじめて神様や天国を見た人は、まるで田舎から都会に出て、芸能人を見て、おったまげているような感じだ。初めてみる神様に天国。感動して、涙があふれてとまらない。幽霊(地上の霊)にも、驚く。田舎もの丸出し。それはそれでほほえましい。

 が、大事な差がここに生じている。彼らもいつか天国にゆくと、慣れてしまうから、はじめは田舎者でも、数年も立つと、天国の霊のようなふるまいをする。が、天国にゆくと、はっきりとした差が生じる。唯物論タイプは、天国で高い次元にゆけない。なにしろ、自分の中で神の導きすら感じないほど鈍かったからだ。これは致命的なのだ。

 神や守護霊。それを一生かかっても感じとれない小人物。彼には、この世の繊細な力も区別できない。目に見えない背後の力を推測するような才能はない。表面的な物事しか、彼は采配できない。誰にも明らかで、社会では常識でしかないような物事しか、彼は扱うことができない。

 つまり、彼は先駆的なことに理解ない。また無意識や深遠なる作用も気づくことがない。よって、彼に、実体として存在する理性を認めることはできない。理性を知る人々とは、同じ世界に住むことはできない。彼は、下の世界におしとどめられる。この世で大きな権力と財をもっていたとしても、彼はあの世では、小物なのだ。

 あの世では、多くの計画は上の次元の者が作り、下の次元の者が遂行する。彼は、自らの内にかみの作用を感じ取れるようになるまで、あの世でも下っ端として過ごすことを永遠に行う。

結局、こういう差なのだ。霊を認めないと、霊と交流できるような機械があっても、その恩恵を受けることはない。なぜなら、本人があの世にいる親戚とは語らない。我慢できるか? 生きる楽しみを一つなくしてはないか? 死んだら終わりなら、あの世にいる父母・わが子とも永遠に会えない。悲しくないか?

 

10月18日 夜

実家にて。やっとインスタントコーヒーを買う。コーヒーが飲める。

私が作り上げた地上霊の自治組織は、機能している。そこは、私なしでやっていける。自発的に運営を行う霊が多いから。前と同じように、宇宙人と交流、人への支援は思いつく順に、行う。天国の霊との交流はいつもあるから、特段に強調する事は起きてない。

 私は、前はキング面だった。今は、格下気分(中堅)だ。実家では誰も見上げてくれないから。実際は、絶頂で追い落とされ、山中に追いやられ、身を隠す。再起を狙う者みたいだ。

 私はというと、ブログのデザインを探す。再出発は、なかなかできない。デザインがなかなか決まらない。

10月17日 夜

 近況

実家に引越し。ずっと寝ぼけていた。鈍く、自分のしたいこともはっきりと見えてなかった。が、昨夜、目覚める。正確には、女性霊能者により、楽園次元体をとられていたが、それが昨日戻ってきたということ。それで、自分の感覚がよみがえった。中国帰りでも体験した霊能被害の症状だ。犯人の女霊能者はつきとめて、私には悪さできないようにした。実家でもアカストーカーに苦労している。

 地震予知の環境

 PCはミニノートを借りている。前より多くのことができる。画像も出せる。みれなかったサイトも読める。慣れるまで時間がかかる。ビデオは使えるようになった。それで見逃すアニメは減った。霊能力は一時低下したが、女悪霊能者2名による襲撃が原因と判明。それを封印して、回復する。地震予知はすぐにリカバリーできるだろう。キーボード入力も速くなってきた。

心境

 気分は? 守護霊に違う運命をみせられ、それを信じ込んでいた。それと違い不遇な進路に進んだショックはある。現状不満なのだ。今は、忍従中。池田の人間は氷のように冷たいとは感じる。男性も女性も魅力がない。早く、ここから脱出できるよう予知に精を出す。

 周辺地域は自転車で回った。八尾・東大阪で見かけたストーカーがどこでもいる。元々、川西・池田の連中。見かけるのは当然。ぬけぬけと同じ顔をさらす。彼らは私に素性がばれてもいいらしい。今は、彼らの住所を確認中。

home

inserted by FC2 system