2013年10月19日

自分史について(1)


 自分史について(1)
 

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 将来自分の人生を振り返って書きたいと思っています。引退後ではありますが、自叙伝とか立志伝とかのように、他者に書いて頂くような人生でもなかったと思うので、自分で自分の半生を描いてみたい。

 その時にどうしても触れなければならない運動上の恩師がおりますが、その恩師が14日の日に亡くなられた。遺族の方から連絡を受けて火葬する前に手を合わせる機会を頂きました。今夜のそのことに関して書いて見ます。

 563e1ac5bdebcc2f5d9a.jpg篠原節会長です。私はこれまで「会長」としか呼んだことがない。私がまだ22歳の頃だと思いますが、それから篠原会長の弟子として長きに渡って師弟関係にありました。

 この写真は最後に茨城県の支援者の招きで講演会に呼ばれて会長と一緒に講演した時のものです。おそらく日本ではアドルフ・ヒトラーに関しては一番詳しい人物であったと思う。


bb5d25c82c9647ada19f.jpg ヒトラーに関する書物は500冊以上、いやそれ以上に上るのではないか、その蔵書や資料を今後どうするのか?残された遺族の方と近くお会いして尋ねてみることにしたい。

 私が篠原会長と会った頃のことは「自分の昭和史」というエントリーの記事で、既にブログでかつて書いているので、その記事を転載します。
 

18歳から29歳頃までの時代

 私は高校を卒業後直ぐ農業従事者となった。普通であれば就職などで環境が変わって大変なのでしょうが、私の場合などは実家の農業を手伝うだけですから気楽なものでした。

 相変わらずのバイク好きで泊まりがけで遠くまで行くのが唯一の趣味のようなものでしたが、この頃から車の免許も取ったので今度は車を乗り回していた。

 この年、昭和45年(1970)の11月25日に三島由紀夫先生の事件が起きました。この時私はミッパの葉を川で洗って出荷する作業をしていた。当時の楽しみと言えば農作業中にラジオを聴くことぐらいでつけっぱなしでした。

 そこに飛び込んできたニュースでしたが、その時は余り衝撃は受けなかったが、翌日の朝刊には切腹した時に切り落とされたと思われる頭が映る写真が掲載されていた。

 何か胸騒ぎがしたことを今でも覚えています。その翌年にはもう農業を諦めてどこかに就職することにした。その理由は市街化区域に指定され、いずれ住宅開発地域になるので税金も高くなって農業をやれなくなるということで親父にも就職を奨められたからです。

 当時は何処でも働くことは出来ましたが、市役所のバイトがあったのでそこに応募して翌年には正式に公務員の試験を受けて合格し、市の職員となった。

 ここからが私の政治活動の始まりでした。本来なら公務員になれば政治活動は出来なくなります。しかし、それが逆になったのは危機感を抱いたからでした。

 公務員の職場は当時『社会主義協会』という社会党を支持する最左派の革命集団によって支配され、日本を如何に社会主義国にするために革命を起こすかが真剣に論じられていた。

 私は学生時代にヒトラーの英雄伝を読んでいたせいか、左翼マルクス主義者が大嫌いでした。こんな連中に日本の社会を牛耳られてはいけない。その時に心の底から彼らへの恐怖心と憎しみを感じた。

  もういても立ってもいられない毎日でした。本を買い漁り読み始めました。左翼は暴力革命路線を隠して議会制民主主義などと言っていたが、最終的には必ず暴 力革命を訴えてくると思った。だからそれを阻止するには暴力を肯定する政治運動でしか対抗できないと思ったのも事実です。

 早速『ヒトラーナチス研究会』を自分一人で結成し、電柱にビラ貼りを深夜始めました。この頃はもし見つかって逮捕されたら大変ですので深夜か朝の4時頃にやりました。

 当時はガリ版刷りです。ペンキが手につくと落ちなくて苦労しました。今のように手軽にビラが作れる時代ではないので、本当に時間もかかりました。

 正直言ってほとんどビラを見て連絡を寄越す人はいなかった。しかし、ほんの数人ではあったが同志と呼ばれるような若者が集まった。私と同じ年代でした。ところが一人だけ年配者から連絡があった。

 非常に貧しい生活をしている人だった。もう何時壊れてもおかしくないあばら屋に夫婦で住んでいるご老人で、戦前は憲兵をしていたという方だった。実はこの方が歴史に非常に詳しく、また戦前の反ユダヤ運動にも参加しており、その道でも知られた人のようでした。

 この頃「ヒトラーの闘争」という本を書いた長沼博明という方に会いに行きました。この方とお会いしてから『日本学生会議』という団体から機関紙などが届くようになってより政治思想運動に興味を惹かれていった。

 この長沼先生に関して以前ネットで書いていたら、その身内の方から連絡を受けたことがあります。もうお亡くなりになっていました。膨大なヒトラー関連の資料は水害事故かで消失されたと記憶しています。

 私は自民党にもこの頃出入りしていました。当時自民党には各県連には駐在員という方がいた。大学を出たばかりの優秀な方で面倒を見てもらいました。

 当時は田中角栄が総理大臣の時で、列島改造ブームなどと称して非常に景気の良い時代だった。この頃の参院選挙で私は自民党の選挙手伝いもしていた。

 この昭和49年(1974)の参院選挙で糸山英太郎という実業家が全国区に出馬、私はこの人物の選挙を応援することにした。そのご縁で初めて右翼団体を知った。22歳の時でした。

 この右翼団体は『民族思想研究会』という団体で、この会の代表者の篠原節(たかし)氏が実はヒトラーの信奉者だった。運命の悪戯かも知れません。私は会ったその日に会員となりました。

 http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/archives/52477900.html


 篠原会長との出会いからこれまでのことに関しては暇がある時に書いて行きます。将来「自分史」を書くときに篠原会長を抜きには私の人生は語れないからです。遺族の人は誰にも知らせたくないようでした。御本人が葬式もする必要がないとの遺言であったそうです。

 しかし、私としてはブログを読まれている方の中には師弟関係を知る人もいるので、御知らせする意味でも書かせて頂いた。私としてはやはり会長のことに関しては書かないではいられない情感に突き動かされた。

 会長の棺には私との著書「ヒトラー思想の奨め」を遺族の方が持ってきたので、私の手で入れさせていただいた。そして遺体はナチス党の旗、ハーケンクロイツで覆い最後の別れをしました。40年に及ぶ長い間お世話になった会長に感謝の気持ちで一杯でした。

 
 合掌


Posted by the_radical_right at 19:25│Comments(8)TrackBack(0)mixiチェック

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この記事へのコメント

戦後日本で、異常なほど原理主義的な平和運動が隆盛したのも無理ない話で、戦時中に異常経験させられた国民が多すぎたのだよな。

サヨクの巣窟みたいに言われる日弁連も、日弁連会長になった土屋は戦時中、父島人肉食事件で米軍パイロットを食べるために命令で殺した、凄まじい経験があったわけだし

Posted by 戦後日本 at 2013年10月19日 22:10
話変わるけど、瀬戸さんとこって最近やばいよねーw
1000人の反差別デモとかのりこえねっととか立ち上げられちゃったんだもん
もう終わってると思うよ、マジで
Posted by 対固執 at 2013年10月19日 22:30
5
瀬戸さん こんばんは。

恥ずかしながら、篠原節会長の事を知りませんでした。篠原節会長の書籍を読んでみます。。今回のブログ記事を読んで思う事は、年配の方々の中には本当に次世代の若者に尊敬されている方が居ます。瀬戸さんもその一人です。思想信条の違いから瀬戸さんを批判する人間も多いでしょうが、瀬戸さんを尊敬し、愛してる次世代の若者は日本全国に数多く存在します。なぜ60歳を超えた瀬戸さんが次世代の若者に愛されるのか? それは瀬戸さんの思想信条や行動力だけでは無いと確信しています。瀬戸さん自身が先輩方を尊敬し、愛しているからだと思います。私も2年後の平成27年には40歳を迎えます。その時、10代、20代、30代の次世代の後輩達に尊敬される人間でありたいとつくづく感じる次第です。日本民族の縦軸を継承していく事こそが日本国を護って行く事だと確信しています。


「自分史について」エントリー素晴らしいです。次回も楽しみにしています。そして自分自身の中に吸収していきます。

Posted by ガエモン at 2013年10月20日 00:43
2番さん。そんな程度でビクビクするとお考えですか?(笑)私は、朝鮮人や左翼との決着の時を考えてます。所詮は想定内の左翼の行動に過ぎません。終わっているに等しい、虚しい左翼ですな。
Posted by 日本に変態左翼は要らない at 2013年10月20日 00:57
もし、本当に文化というものを理解しているなら、民族や宗教のチャンポンはあり得ないです。商品化された文化や安い人件費の為の移民をもって、世界平和だの人種差別反対を主張する人は、そもそも文化、人間に対する意識が低いと思ってます。
生存を脅かされれば、文化などという撒き餌も馬鹿げたものにしかなりません。
戦争において全く身綺麗な国は無く、ナチスはよくやり玉にあがりますが、一番ホロコーストを犯したのはナチスドイツではありません。
Posted by 九輪塔 at 2013年10月20日 01:01
自分も未熟ながら、篠原会長には色々な事を教えていただきました。篠原会長が居たから、瀬戸さんを知ることが出来ました。謹んで御冥福を御祈り致します。
Posted by 八方睨見 at 2013年10月20日 01:14
拡散希望!

皆さん、いつも護国活動お疲れ様です。情報を提供いたします。是非ご活用ください。

反日ストーカー犯罪者リスト

安江博敬(しばき隊の悪行に触れると過剰に反応する。)
徐洪梁
原田明彦
水野美帆

反日ストーカー犯罪組織 創価学会公明党
Posted by h at 2013年10月20日 04:52
拡散希望!

皆さん、いつも護国活動お疲れ様です。情報を提供いたします。是非ご活用ください。

反日勢力による民族浄化は既に始まっています。
日本人や愛国者を迫害する為に反社会勢力と結託共謀をし、ストーカーを実施している反日組織。

創価学会公明党、暴力団、暴走族、サークルケー、ココストア、エイブル、不二家、三菱電機ビルテクノサービス、
ダイダン、サイバーエージェント、ITpro、ITmedia、ウォールストリートジャーナル、ロイター、三井住友銀行、
YouTube、出前館、ドミノピザ、ピザーラ、マクドナルド、豊田自動織機、JR、郵便局、ヒューマングループ、
資格の大原、白洋社、三菱UFJ銀行、ヤマト運輸

反日勢力に従い、反日活動及び反日工作に協力しない日本人は、チベット人、ウイグル人、
モンゴル人、法輪功のように人種差別をされ迫害されます。そして最後はこの世から消されます。
Posted by h at 2013年10月20日 04:53

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