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寶雲山玉龍寺史

慶安二年(1649) 盤珪禅師、神野村日立の山中に玉龍庵を結ぶ。「玉龍」の名は、赤穂の随?寺にある盤珪の師、雲甫和尚の棲隠所の名に因む。

元禄五年(1692) 日立の領主、尾州藩の石川大和守、盤珪禅師に深く帰依し、山林を寄進して玉龍庵に方丈、庫裏、諸堂を建て盤珪禅師を迎える。結冬安居には宗派を問わず数百人の修行僧、道俗数万人が参集。解制後、玉龍庵を玉龍寺に改める。

盤珪禅師は、玉龍寺に時々来るハンセン病の乞食たちに自鉢で飯を与えていたという。

江戸時代から明治五年学制ができるまで、玉龍寺は神野の寺子屋であり、住職が読み書き算盤を教えていた。

明治六年(1873) 神野村を学区とし、玉龍寺を仮校舎として日盛義校設立。翌年、神野学校と改称。神野学校は明治九年新校舎完成に伴い移転。

第二次世界大戦後に農地解放によって収入が途絶え住職不在となったため、檀家も離れ、零落荒廃する。

平成四年(1992) 宮前心山老師、盤珪禅師開創の玉龍寺が荒廃しているのを悲しみ、修復再興を始める。つづいて墓地や庭の整備、檀徒がないので高齢者と若者(ニート・ひきこもり)のサンガを始める。

平成七年(1995) 玉龍寺落慶

在家僧侶の養成指導を始める。在家僧侶が中人となり、単立化を図る。

平成十七年十一月八日(2005) 頂っていた子供の火遊びから全焼。再建計画中。

平成十九年(2007) 在家僧団結成 宗派離脱 単立法人となる。

宮前心山老師
老師 宮前心山 昭和10年、新潟県生まれ。同志社大学経済学部卒。20代でサラリーマンから脱サラを図って食品卸業・飲食店・鋼材運送業などを経営するがうまくいかず、大きな苦難を経験する。自殺寸前に、ふと読んだ『洗心録』が機縁となって31歳で発心。瑞竜寺の三井大心老師の弟子となる。その後、数々の名僧を生んだ岐阜伊深の正眼寺で梶浦逸外老師に付き13年間修行の後、アメリカ、カナダ、ドイツなどの国々で坐禅指導。廃寺に瀕していた円城寺、玉龍寺を復興。国内外から集まる研修希望者の指導や、「奥飛騨少年の国」「ハートテンプル」などでひきこもりの少年の指導に力を注ぐ。臨済宗妙心寺派で長年の修行を積みながら、宗派仏教に代わる一般人向けの「在家仏教」の必要性を痛感し、独自の方法で根本仏教である無宗派仏教の普及に努めている。現在、玉龍寺管主。著作監修等 『在家僧侶養成講座』 日本カルチャー協会 / 『今すぐ幸福になる方法』展転社 ほか

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