徳洲会理事長退任:病院「政治利用」に憤り
毎日新聞 2013年10月08日 12時13分(最終更新 10月08日 13時01分)
初めての病院開設から40年。「徳洲会」グループを66病院、職員2万7000人を擁する巨大医療組織に育て上げた徳田虎雄理事長(75)が8日、退任を表明した。昨年の衆院選での選挙違反容疑事件を巡り、東京地検特捜部が強制捜査に乗り出して半月余り。浮かび上がる病院の「政治利用」に憤った全国の病院長らが突きつけた退陣勧告に、身を引く決断を迫られた。【山田奈緒、近松仁太郎】
「私の最後の願いは、離島・僻地(へきち)医療をはじめ全国各地で患者様中心の医療、福祉介護を実践すること。私個人や家族のことではない」。この日、東京都千代田区の徳洲会東京本部で開かれた記者会見に、徳田氏は姿を見せず、代わりに公表した「声明文」に自らの思いを乗せた。声明文は、各系列病院にも8日朝までにファクスされた。
東北地方の病院長は「選挙に駆り出された職員には、とかげのしっぽ切りのように責任を押しつけられる不安が広がっていた。混乱が続く中、退任しか方法はなかった。強いリーダーシップのある理事長の穴を誰が埋めるのか不安は大きいが、現場は患者さんのために医療に取り組むしかない」と話した。東日本の別の病院長は「退任は遅すぎたが評価したい。徳洲会が変わるには、一族が支配する組織を改革する必要がある」と指摘した。
地元からは惜しむ声も聞かれる。無医地区だった奄美群島の加計呂麻(かけろま)島に徳洲会が開いた診療所の事務長を務めた松林家福(いえよし)さん(71)は「医者のいない苦しみに耳を傾け、医療環境を整えてくれた理事長への感謝は忘れない」と話す。衆院議員時代の秘書も務めた松林さんは「どんな場所にも医療を提供するという理念は、理事長のバイタリティーがあればこそ。徳洲会は理念を消さずに受け継いでいってほしい」と話した。
会見で一般社団法人徳洲会の鈴木隆夫理事長は、今後の徳田氏の関与を問われると「誰もなし得なかった実績があり、助言をいただくことになるかもしれない」と絞り出した。
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徳田氏は1973年、第1号となる「徳田病院」を大阪府松原市に開設。その後全国に拡大し、86年には地元の鹿児島・徳之島に念願の病院を開いた。離島や僻地での医療展開に力を注ぎ、「年中無休・24時間オープン」を理念に据えた。幼くして病気の弟が、診察を受けられず息を引き取った経験が原動力となったとされる。