国民教養革命

国際金権主義打倒!利子奴隷制・金権支配を脱却するものは、自身で培ってきた、自分の頭で考え行動する教養。その教養は、「日本を変える」という国家主義に支えられていなければならない。国権を体現する真の人格・教養を創る「国家教養主義運動」を提唱する。


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   宝塚音楽学校で起きた一連の裁判騒動で、宝塚歌劇団96期生達を誹謗中傷している手合いというのは、一体何の権利があってそんな事をしているのだ。宝塚ファンが多いようだが、そもそもファンたる者が、音楽学校の厳しさを知らないのだから話にならない。
    宝塚の芸を支えるのは音校の軍隊式教育であって、それあればこそ、タカラジェンヌとして花開く土台ができるのである。日常生活の隅々にまで渡る厳しい指導と制約は、それがはたからみて、イジメと映ろうが、レビュー群舞という演劇舞台の中でも、殊更に厳しい集団演舞を志す若者にとっては、必須の事なのである。
    これは、かつて存在した日劇ダンシングチームの養成所や、SKDの松竹音楽舞踊学校、OSKの日本歌劇学校でも同じである。これらのものが厳しさで一頭地を抜きん出ていたのは、舞台上での集団演舞という危険かつ高度な技能を支える技は、厳しさを媒介にした日常生活で培われる事を自覚していたからである。ましてや、ファンの目にさらされているのに、一般人と同じ意識で良い訳ないではないか。
    夢華あみが原告に手渡したメモというのは、部外者が勝手に思うようなキチガイメモではない。伝統的に受け継がれてきた音校ルールを夢華がまとめて、一人になる原告に手渡したものである。
タカラジェンヌとて、普段街を歩く時はできるだけ人目を憚るようにしているものである。
   それをあろう事か、メモ華だの何のと、寄ってたかっての袋叩きなのだから、たまったものでは無い。寮運営の責任者として行動しただけなのに、誹謗中傷罵言を浴びせられ、心痛で早々退団は誠に痛々しい。このような事を許したまま、「厳しさは敵」とばかりに、何でもかんでもイジメという一言で魔女狩り裁判・集中豪雨の如く他人を叩く行為を続けていったら、本当に日本は集団自殺への道まっしぐらである。
96期生という優秀な学年を守り切らない劇団も残念である。このような形で優秀な人材を失う事を残念だと思わないのか。退団者の空波、退団予定の夢華、凰、そして96期生達こそ、今回の一連の騒動の真の被害者である。

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