宇宙意識 愛 VOL1
テーマ:ブログ
今日は、一旦、現実視線としてのアダムスキー氏の話から一転して
精神領域でもある想念を意識する話を取り上げます。
短い記事ですが過去の記事の復習の意味込めて
理解の切欠にして頂ければと思います。
今日は創造主の想いを一言で表現したものと言える”愛”に関してです。
これを短い記事で数回に分けて取り上げてみます。
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私達は日常生活の中で日々数多くの人達と接して暮らしています。
その中で私達は人との交流の中で多くの体験をし続けて
多くの人間達と様々な関係を築く事にもなります。
ただ、今の私達は、その人との出会いと言う体験を
正しく生かしているとは言えないのです。
その原因は私達の欠点となっている物であり、
私達は目・耳・鼻・口という心の司る四つの感覚器官を誤って使用していて
その事で他人を正しく認識出来ていない事に由来すると思います。
本来であれば私の従来の主張どおり、
私達は四つの感覚器官を持ってあらゆる現象を正しく認識しなければなりません。
それはそれぞれの感覚器官を持って好き嫌いを作り上げるのではなくて、
それぞれの感覚器官を融合して、対象となるものを正しく理解する事です。
通常、日々の生活の中で私達はその事を実行できず、
何かと好きと嫌いを作り上げては差別や区別の対象とする事もあります。
それが私達、人間同士の間に壁を作り上げ、
その事が時には人間同士の争いを生み出すのだと言う話を
繰り返し触れてきました。
そして本来の私達にとって必要なのは、
好きと嫌いを作り上げる事ではなくて”現象”を正しく理解する事でした。
私達は対象物を、そして他人を正しく見つめる事で
他人との間の正しい調和や信頼関係を作り上げる事もできます。
そしてそれこそが私達が本来持つべき意識であり、
創造主の法を理解しようと勤める人間にとっての大切な意識だと思います。
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そう言えばイエスキリストが触れていた”隣人愛”
あれは、「全ての人間を、ろくに知りもせずに単に無条件に愛しなさい」
と言う意味ではなくて
隣人を正しく見つめて理解する事で他人に対しての思いやりや同情、
更には信頼関係や尊敬などを高め、
結果的には相手を人間として正しく理解した上で
その人間を慈しみなさいと言う意味が含まれているのだと思います。
つまり私達にとって必要なのは分割ではなくて
理解であり調和であると言うこと。
これは私達の元々の理解に其のまま繋がる意識ではないでしょうか。
私達は、イエスキリストが創造主の法を語っていたと言う可能性の一環を
この辺からも感じとる事が出来ると思います。
私達に必要なのは分割・分裂ではなくて調和であり理解である。
そしてそれが創造主の法で言うところの愛へと繋がって行く。
その愛は決して私達が通常語っているような物ではないと言う事を、
私や理解者・兄弟姉妹は理解したいものです。
その事がきっと私達の明日の進化へと繋がる事でしょう。
【貴方に無限なる力の祝福がありますように】
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P.S.
理解者・兄弟姉妹は日々どのように暮らしているのでしょうか?
出来るものなら皆に会って直接話してみたいと思う事もありますが
それもままなりませんね。
ただ、自分としては新しい理解の尺度を手にして、
意識を少しは高い方へと向ける事が出来るようになったかと思っているのですが
私の修行は未だ続いている最中です。
今後は、誤解を招きたくない内容を含む重要な記事以外は
短くコンパクトに纏める事で
多くの方に読んで理解して貰う事を意識してみます。
この事は私が未だに意識改革、精神修行を継続している事とも無縁ではありませんが、
今までの長文に馴染んだ方もその辺はご了承ください。
過去記事で関連している箇所を参照して頂ければと思います。
昔の解釈なので多少の食い違いや
特定の方々に対しての不快な表現はあるかもしれませんが
理解のためには支障はないと考えています。
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11249462489.html
http://ameblo.jp/uruseiblog/entry-11404992582.html
ちなみに私達が意識すべきはやはり自分の想いであり
それが創造主の法を理解するきっかけとなる事を
これからも意識し続けて行きたいです。
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