ゲームマスタリングの方法

ゲームマスタリングの方法


Table of Contents

はじめに
本書の対象
ゲームシステム
ゲームシステムと世界設定
ヒーロー指向とリアル指向
サプリメント
自作ゲームシステム
結局どれがいいか?
世界設定
世界設定とは何か
世界観の食い違い
自作の世界設定
史実とシナリオの矛盾
世界設定は重要である
プレイ
ゲームマスターがすること
ゲームマスター補佐
プレイヤーとの相談
ルールの適用
オープンダイス
探し物
ゲームオーバー
PCの死亡
時間制限
時間の経過
TRPGにおける倫理
倫理の問題
悪党の倫理観
戦争の倫理観
赤十字の倫理観
ヒーローの倫理観
殺人の禁止
降伏と捕虜
宝箱の扱い
シーフの扱い
倫理の実践
ロールプレイ
ゲームシステムに関する情報
別行動PCの情報
知性の少ないPC
科学知識
まとめ
さいごに

はじめに

はじめに

テーブルトークRPG(以下TRPGと略)をやっていて一番問題になるのがゲームマスターです。ゲームマスターがいないとゲームが成立しないにも関らず、なかなかやる人がいないものです。そしてゲームの内容はゲームマスターのさじ加減一つで何とでもなってしまうのです。ここではTRPGを面白いゲームにするための私なりの方法論を書きたいと思います。

なお、TRPGにおいて私は「考える」という要素を重要視しています。プレイヤーにあれこれ考えてもらってこそ面白さが出ると思っています。だから、中には自分のやりたいスタイルではなくて不満に思うプレイヤーも出ることでしょう。そういう意味でここで書いた方法論は人を選びます。それに注意して下さい。ここで書いた事は絶対ではなく、「こういう方針でやれば私は面白くなると思う」と言っているにすぎないのですから。

本書の対象

本書はTRPGのプレイヤーを何回かやってみてこれからゲームマスターもやってみようと思っている人、あるいはゲームマスターを何回かやってみたけどどうもうまくできないと思っている人のために書かれています。だから「TRPGって何だ?」という説明はしません。数ある他の参考書をお読み下さい。

TRPGを知らない人はいきなりゲームマスターをやる前に何度か他のゲームマスターの元でプレイヤーをやる事を強くお勧めします。どうやったらTRPGを体験できるかという事と、果たして体験できたとしてそれは本当にTRPGなのか?というのはまた難しい問題なのですがここでは触れないことにします。その手の議論は「ロールプレイ」と「なりきり」ロールプレイとは何かに書きました。

世界設定

世界設定

さて、ゲームシステムが決まったら次はどの世界を冒険するかについて考えます。ただ、多くの場合ゲームシステムを選んだ段階で一意に決まってしまうでしょう。ここでは世界設定についての注意点について述べます。

世界設定とは何か

さて、世界設定とは何でしょう。TRPGを買えば「ワールドガイド」というような名前の章があり、そこには大陸の地図や王国や街の様子などが書かれています。つまりはその世界はどういう所なのかが書いてあるのが世界設定です。ここに書いてある世界をPC達は冒険するわけです。

TRPGにおいてはゲームシステムも世界設定も同じ「ルール」です。ゲームシステムに書かれたルールは地球上どこでも(たまに地球でなかったりもしますが)同じように通用するのに対して、世界設定はそうではないというだけです。そしてその目的も同じで、PC達の行動に対する結果を示すものです。「剣で切りつけた。ダメージは?」という時にはゲームシステムを参照し、「酒場で隣の男に声をかけた。どういう反応をする?」という時には世界設定を参照するのです。

世界設定というと往々にして世界地図や大陸といったマクロ面が注目されますが、街の地図やそこに住む人々といったミクロな面もまた重要です。大陸をまたにかけた冒険の旅であればマクロ面が重要ですし、街の中だけで完結するような話では大陸の地図なんかより街の人々の方が重要です。

ゲームマスターはゲームシステムと世界設定の二つを基にしてPC達の行うすべての行為の判定をしなくてはなりません。例えPCがどんな突拍子のない行動をしてもです。これは難しい作業にも思えますが、実際のところはその世界の常識がわかっていればそんなに困難な作業ではありません。「この世界でこんな事をしたらいったいどうなるだろう?」と想像してみて下さい。そしてその程度や確率など数値的な面をゲームシステムや世界設定で補って下さい。結局のところ、それがゲームマスターがゲーム中にするすべてです。

世界観の食い違い

世界設定は結局のところ「その世界の常識」です。そして、常識というのは往々にして各人で食い違っているものです。それがゲームマスターとプレイヤーの間でトラブルを生じさせます。

例えば「中世ヨーロッパ」のイメージ自体が人によって違うでしょう。ある人は立派な城に住まうきらびやかな騎士などが活躍した栄光の時代を思い浮かべるかもしれませんが、実際には「暗黒時代」とも称されるように、当時最先端だったアラビアや中国に比べてずっと科学的文化的に遅れた地域だったのです。「中世ヨーロッパ的ファンタジー世界」をやる時に、「立派な城と騎士」のイメージを持っている人と「暗黒時代」のイメージを持っている人とでは当然様々な面で食い違いが出てきます。

こういう事を無くし、ゲームの対象となる世界について皆同じ認識を持ってもらうのが世界設定の役割です。世界設定はゲームマスターの頭の中にあるだけではだめで、プレイヤー全員の頭の中にも同じものがないといけません。

この点で小説を基にした世界設定は有利です。この問題を「小説を読んでね」で解決することができるからです。そしてその小説が面白ければゲームの楽しみも増します。だからできるだけ小説を基にした世界でゲームをすることをお勧めします。ただその場合は小説が既に完結しているものがいいでしょう。自分達のプレイと矛盾する内容の事が小説の最新刊に書かれると困りますから。

自作の世界設定

ここで一つ注意しておきましょう。自分で世界設定を作ろうとしてはいけません。これは素人には手に負えない大事業だからです。ルールに付属のものを使うか別売のサプリメントを買うようにしましょう。少なくとも既存の小説から設定を借りてくるようにしましょう。

ファンタジー小説などを読んでいると、自分もこうした異世界を構築したいと思う人もいるでしょう。自分で独自の世界でのファンタジー小説を書いた事がある人もいるかもしれません。しかし、小説ですらこうした試みは大変な仕事ですが、TRPGではさらに大変なのです。

理由は簡単です。小説と違って「都合の悪い事には触れない」ということができないからです。その世界についてプレイヤーから何を聞かれてもちゃんと答えられるようでないといけませんし、それに矛盾があってはいけないのです。これがどのくらい大変な事なのかわからない人は「指輪物語」の追補編を見てみて下さい。これだけ膨大な設定が必要なのです(そしてこれはほんの一部なのです)。あなたにはそれをする自信がありますか?

そして世界設定を自作してはいけない一番の理由は、それが無駄な努力であるという事です。ゲームマスターが創造力をはたらかせるべきなのは世界設定ではなくシナリオなのです。

史実とシナリオの矛盾

ほとんどの世界設定では、その世界の年表や主な王国の歴代の王様などが書かれています。ここで一つ疑問に思うことがあります。「PC達が歴史を書き換えるような大事業を成し遂げたらどうするのだろう?」と[5]。例えばPC達が悪の帝国を倒して統一王国の王様になってしまったら、年表に書いてあるような出来事は起こらなくなってしまいます。この問題は特に小説の世界を借りてきた世界設定で起きます。その世界においては、世界を救ったヒーローはPC達ではなく小説の主人公なのですから[6]。

これに対しては2通りの解答があります。一つ目の答えは「そんな大それたシナリオは作らないようにしよう」というものですがそれはおいといて、二つ目の解答は「自分の都合がいいように手直ししてかまわない」というものです。この世界はあなたの世界なのですからあなたが好きなように手直しすればいいのです。もし小説を読んだプレイヤーが文句を言ったら「パラレルワールドです」と言えばいいだけの話です。

TRPGは小説の世界をなぞるのが目的なのではなく、小説の世界を使うと便利だから借りてきたというだけなのです。だから自分の使い易いように変えてしまってかまわないのです。

世界設定は重要である

世界設定はゲームシステムと並んで、ある意味ではゲームシステムより重要な要素です。なぜならゲームシステムはその場で「サイコロを2個振って○○以上が出たら成功にしよう」と勝手に決められるのに対し、王国の政治体制や街の地図をとっさに用意するのはとてもできないからです。

世界設定はそういう意味で非常に重要ですからできるだけ既成のものを買ってきましょう。「自分だけのオリジナル世界」というのは魅力的ですがその労力は報われません。一から作る代わりに既製品をあちこち改造しましょう。それが言うなれば「自分だけのオリジナル世界」なのです。



[5] これは多くの人が世界設定を自作したがる理由でもあります。自分で一から年表を作ってしまえばこういった問題も起きませんから。

[6] 例えば「指輪物語」ではPC達がサウロンを葬るようなシナリオはできないわけです。この世界でサウロンを葬るのは例の旅の仲間なのですから。

プレイ

プレイ

さて、ゲームシステムと世界設定と来たら次はプレイについて話をしましょう。「あれ?次はシナリオでは?」と疑問に思うかもしれませんが、シナリオは既成のものを買ってきて下さい。自分でシナリオを作るのは既成シナリオでうまくマスターができるようになってからで十分です。ここではゲームマスターがプレイ中に使えるワザをトピック的に述べることにします。

ゲームマスターがすること

プレイ中にゲームマスターがすることは単純です。プレイヤーの行動宣言を聞いて、「その結果どうなったか」を決めるというものです。「熊に向かって剣を振った。どうなった?」とか「酒場で見知らぬ老人に酒をおごってやった。どうなった?」とか「屋敷の二階の開いている窓から侵入しようとした。どうなった?」といったようにです。

その時プレイヤーを含めて周りがどんな状況にあるかという事はシナリオに書いてあります。どんな状況にあるのかが把握できていれば、PCがある行動をした場合にどんな結果になりそうかはすぐ予想がつくでしょう。剣を振ったら熊に当たるか空振りになるか勢い余って剣が手からすっぽ抜けるかのどれかだろうし、屋敷の窓から侵入しようとしたら音もなく侵入できるかガチャンと音を立てて住人に気づかれるかのどちらかでしょう。結果がどうなりそうかが予測できたら、次にいくつかの可能性があるうちのどれが起こったのかを判定をします。

判定の仕方はルールブックやシナリオに書いてあります。剣を振った場合はどうやって判定するか、窓からこっそり侵入した時はどうやって判定するか、などです。ルールブックの該当する項目を探してその指示に従いましょう。もし「老人に酒をおごってやるとどうなるか?」というように判定の仕方がルールブックに書いてなかった場合には、似た判定(「好感度チェック」のように)を流用してアドリブで判定ルールを作ってください。

NPCとの会話の内容など、ダイスで判定するのではない場合もあります。この場合は「このNPCはこんな事を言われたらどう対応するだろうか」と考えてみて下さい。そして判断に迷ったらいくつかの候補の中からダイスを振って決めて下さい。

世間では「ゲームマスターは難しい」と思われています。確かにプレイヤーより難しいのは確かですが、その難しさのほとんどは「シナリオを自作しなくてはならない」というところから来るものです。そしてシナリオは本当は自作しなくても買ってこればすむものなのです。隅々まできちんと書かれた「本物の」シナリオを買ってきてそれでゲームマスターをやれば、これがそんなに難しくない作業だということがわかるでしょう。

ゲームマスター補佐

あなたがよっぽど頭の回転が速いのでない限り、ゲームを始める前にプレイヤーの中から「ゲームマスター補佐」を任命して下さい。ルールに熟知した慣れたプレイヤーが望ましいです。

補佐の役はルールブックを読んで判定する役です。「あれ?それはゲームマスターの役割じゃないの?」という人がいるかもしれません。本当はそうです。しかしゲームマスターはただでさえ忙しいのですから暇そうなプレイヤーに仕事を一部任せてしまいましょう。

例えばあるキャラクターが壁を飛び越えようとしたとしましょう。この時はプレイヤーがダイスを振って出た目を言い、あなたがルールブックのチャートを引いて成功したかどうかを告げるのが本来のやり方です。しかしその代わりにこう言うのです。「この壁は1.5mで難易度は+10だよ。さあ、判定して。」これでチャートを探して判定する仕事はプレイヤーがやってくれることになります。

もし必要なチャートがゲームマスター用のルールに書いてあっても、それを見せてしまってかまいません。プレイヤーがゲームマスター用のルールを知っていたところで、それはプレイの助けにはなっても妨げになることはありません。「敵モンスターの強さがわかってしまうと困るんじゃないか?」と思う人がいるかもしれませんが、ルールブックに書いてあるモンスターをそのまま出すから悪いのであって、少々ステータスをいじってアレンジすればいいのです。それに経験のあるプレイヤーならたいていのTRPGのゲームマスターセクションは読んだことがあるものです。

やってみればわかると思いますが、ゲームマスターがとても忙しいのに対して、プレイヤーは案外暇で放っておくと雑談や居眠りを始めます。そうならないためにも仕事はできるだけプレイヤーにやってもらいましょう。

プレイヤーとの相談

ゲーム中にわからない事やどうしようか迷う事があったら遠慮なくプレイヤーと相談しましょう。「うーん、幅跳びで5mの溝を越えるのってどのくらいの難易度だと思う?」といったようにです。こうやって一般的な事実をどう処理するかを相談してもゲーム上の支障は全くありません。もしかしたら自分の都合のいい意見を主張するプレイヤーもいるかもしれませんが、その時は自分の常識も加味して自分で判断すればいいだけの話です。

逆に、プレイヤーの抗議も素直に受け入れましょう。例えば「幅跳びで5mの溝か……成功確率10%でロールしてみて」とゲームマスターが言ったとき、「おいおい、5mと言えば中学生でも陸上部員なら跳べる距離だぞ。そんなに低いわけはないだろう。」とプレイヤーの誰かが言うかもしれません。もし「中学生でも5mくらい跳べる」というのが本当だったとしたら、身のこなしの軽いシーフだったら当然跳べてもよさそうな距離です。他人の意見を聞いてこの成功確率はやっぱり間違いだと思ったなら、ためらわずに訂正して下さい。全員が納得できる判定をすることができます。

判断に迷う事を素直にプレイヤーに相談することで、ゲームマスターの孤独感や重圧を柔らげることができます。判定に困ったら「この場合どう判定したらいいと思う?」、NPCのリアクションに困ったら「こんな場合どうリアクションすると思う?」と聞いてみましょう。そしてプレイヤーの意見をもとに自分で判断して下さい。もちろんプレイヤーの意見をそのまま受け入れなければならないわけではありません。

ルールの適用

上の話はルールが書いてなくて自分で判定をしなければいけない場面ですが、逆にルールのせいで困るという場面もあります。例えば多くのゲームでは疲れの影響をルール化していません。ルールに書いていなければ、千匹のオークを相手に何十時間と戦っていられるのでしょうか?

ちゃんとしたルールにはかっこ書きで「その他ボーナス/ペナルティはGM判断で加える」と書いてあるはずです。ルールを杓子定規に適用した結果があまりにも非常識だったら、GM判断でボーナスやペナルティを加えてください。これはルールを無視することではありません。

そもそもルールとは何のためにあるのでしょう?ルールはGMの判定を手助けするためにあります。「剣のダメージはいくつにしよう」「走る速度はいくつにしよう」といちいちGMが判定に迷わなくてもいいようにするためのものです。たまに「ルールに書いてある事と違う」と抗議するプレイヤーもいますが、絶対なのはルールではなく世界法則です。「この世界でこんな事をしたらこうなるだろう」というのが世界法則であり、これを判定するのがGMの役割です。ルールはこれを手助けしているだけなのです。

ルールの欠陥をついた行動はGM裁量でペナルティやボーナスを加えることで防ぐことができます。本当は「ルールの欠陥」という言葉は正しくありません。ルールはある典型的な状況で判定を簡単にするための情報でしかないのですから。ルールがそのまま適用できない状況だってたくさんあるのです。

オープンダイス

普通はゲームマスターがダイスを振る時は出た目がプレイヤーにわからないように隠して振ります。それに対してプレイヤーに見えるようにダイスを振るのを通称オープンダイスと言います。結論から言うと一部の例外を除いてオープンダイスをお勧めします。

オープンダイスの欠点は、出た目がプレイヤーに見えることで成功率がだいたいわかってしまうことです。例えば2d6で10が出たのに敵の攻撃が命中しなければ、プレイヤー達は敵の攻撃はほとんど当たらないと判断できてしまうことになります。しかし、相手の一撃が当たらなかった時、それがきわどくかわしたのかそれとも余裕でかわしたのかは現実ならだいたいわかるでしょう。つまりダイスの目を見せることはより現実に近づけることでもあります。どうしてもダイスの目を知られると困る場合だけ隠せばいいのです。そして経験上そんな場合は多くありません。

オープンダイスの欠点の一つとして、敵側のクリティカルヒットのような都合の悪い目が出ると困るというのを挙げる人もいます。しかしそれは間違っています。PCが死んでしまうような目を振ってしまったからといってそれを無視するのは立派なイカサマであり、そんなイカサマばかりしたら何のためにダイスを振っているのだかわからなくなってしまいます。どんな理由であれゲームでイカサマはするべきではありません。

逆にオープンダイスにする利点としてゲームマスターの負担が減るという事が挙げられます。判定をプレイヤーにやってもらうのです。例えば戦闘の時には敵の攻撃ボーナスと防御ボーナスもオープンにしてしまうのです。そうすればあなたはダイスを振ってHPをメモするだけですみます。あなたは敵全員を一手に引き受けなければならないのでその仕事は大変なはずですから、できるだけ仕事は他の人にやってもらいましょう。

あまりにもそれはあからさま過ぎると思ったら、攻撃の時にはダイスだけ振って「攻撃ボーナスがいくつ以上だったら当たりをか教えて」とプレイヤーに逆算してもらいましょう。そうすれば自分は数字の比較だけで済みます。そしてそのうちだんだんと明らかな当たり/外れが多くなり判定の手間が減ってきます。現実にあてはめてみると、戦っているうちにだんだん敵の強さの見当がついてきたということに相当します。妥当な線ではないでしょうか?

探し物

初心者が対応を間違えやすいのが探し物についてのルールです。例えば部屋に何か手がかりになるものがないかどうか探す、といった場合です。シナリオに例えば「たんすの裏に鍵が落ちている。見つかる確率は50%」と書いてあったとして、どう判定すればいいのでしょう?

部屋の探し方には2通りあります。何を探すのかを指定するやり方とどこを探すのかを指定するやり方です。「漠然と何かないかを探す」という行動宣言を見かけることがありますが、実際問題としてこんないい加減なやり方で隠された物品が見つかってしまっては面白味が半減します。だからここでは考えないこととします。

探し物をする時はできるだけ探す対象物をはっきりしてもらいましょう。部屋に何かが落ちているとしたらどういうものがありそうなのかをプレイヤーに考えてもらうわけです。ここで「鍵が落ちていないかどうか探す」とプレイヤーが宣言した時、ダイスを振って50%の確率で見つかるようにすればいいわけです。

対象物を指定するやり方に比べて、場所を指定して探すやり方には欠点があります。それはゲームマスターが場面を描写する時に探すべき場所がバレてしまうというものです。ゲームマスターが「この部屋には机と本棚が並んでいてその隣にベッドがあるよ」と部屋を描写したら、この部屋に何かがあるとしたら机と本棚とベッドのうちのどこかにあることになります。プレイヤーはきっと「机」と「本棚」と「ベッド」を探すと言い出すでしょう。その結果隠された物品が唐突に発見できてしまうことになります。これはちょっと変ではありませんか?かといって、いきなり「鍵は実は本棚の横に無造作に置いてあるかばんの中にありました」というのも変です。やはり場所を指定して探すというやり方自体に問題があります。

というわけで、探し物をする場合にはまず何を探すのか宣言してもらい、その上でもし指定したいのなら「どこを探すか」を宣言してもらいましょう。そして探す対象物が当たった場合には指定の確率で判定を行い、探す場所も当たったら確率を上げて下さい。つまり「鍵を探す」という宣言なら50%で判定を行い、「鍵は普通たんすの裏なんかに落ちてるものじゃないかなー。そう思ってたんすの裏で鍵を探します」と宣言なら成功率を80%くらいにする、というものです。

見つかったかどうかを判定するダイスをオープンで振るかクローズで振るかというのはまた問題です。オープンで振って高い目が出たのに見つからなかった場合、ここには鍵はないに違いないとプレイヤーは判断できてしまうからです[7]。しかし、これについてはある意味それでいいと言えるかもしれません。高い目が出たということは、PCが効率よくしらみ潰しに探すことができた事を意味します。徹底的に調べたということはPCにはなんとなくわかるはずです。

プレイヤーが探し物をする場合には、必ず回数制限をつけるか不利な条件をつけましょう。例えば「探し物1つにつき10分かかる。1時間経って何もなかったらPCはあきらめるよ」といったようにです。プレイヤーは落ちている物の推測を6回言えるわけです。最初に条件を明言するのがミソです。そうするとプレイヤーは何を探せばいいのかを優先順位をつけて考えることができるからです。探すことによるデメリットがないと、プレイヤーは何かが見つかるまで当てずっぽうでどんどん品物の名前を言い続けるでしょう。

探し物が見つからなかった場合、単に「見つからなかった」と言うのもいいですが、シナリオとは関係のないダミーの物品を出すのもいいでしょう。「折れたペンが見つかった」「エイミーという名前が書かれたメモが見つかった」といったようにです。そうするとプレイヤーを一層困惑させる事ができます。その際、ダミーの物だからといってにやにや顔でいてはいけません。できるだけ思わせぶりに。

ゲームオーバー

最近のコンピュータRPGに慣れた人によく考えて欲しいのが、プレイヤー側が負ける条件の問題です。プレイヤー側の勝利というのはつまりボスを倒したり依頼を達成したりすることですが、ではプレイヤー側の敗北というのは何でしょう?本来のRPGでは全滅=ゲームオーバーですが、PCが全滅しても教会かどこかからゾンビのように復活するようなゲームもあります。

とにかく、ゲームオーバーの条件をきっちりと決めて下さい。PCが一人でも死んだら負けとか、あるいは制限時間以内に依頼が達成できなければ負けとか。その条件はゲームの開始前に明確にプレイヤーに告げ、そしてもしゲーム中にその条件が満たされてしまったらきっぱりとプレイヤー側の負けを宣言しそこでゲームを終了させましょう。例えシナリオが途中であっても。

ゲームオーバーの定義をきちんとしないと、プレイヤーは勝つまで延々とプレイを続けます。そして「時間を費やしさえすれば誰でも勝てる」という結果になってしまいます。これでは勝利のありがたみも薄れてしまうでしょう。負けるかもしれない戦いに勝つからこそ意味があるのです。誰でも勝てるような戦いをやる意味なんてあるでしょうか?

PC達があちらの戦いで負け、こちらのイベントでどじを踏み……とミスを繰り返していくと、そのうちPC達が八方ふさがりの状況に追い込まれてしまうことがあります。「もはや打つ手がない」という状況です。この状態になるとプレイヤーは意気消沈し、ゲームへの興味が急速に薄れてきてしまいます。そしてこんな状況に陥るとゲームマスターはどうしていいのかわからなくなってしまいます。

この状態は、他のゲームで言えばもう勝つ見込みのない状態に相当します。将棋でいえば飛車も角も相手に取られてしまった状態、シューティングゲームで言えば難しい面で死んでしまってパワーアップが全部なくなってしまった状態、大戦略で言えば戦車ユニットが破壊され、敵に周りを取り囲まれてしまった状態です。普通のゲームならこんな状態になったらプレイヤーは投了します。しかしなぜかTRPGだけは「ゲームマスターがなんとかしてくれる」と思ってしまい、そして実際になんとかしてしまうマスターが多いのです。TRPGだけを例外にしてはいけません。

こんな場合になってしまったら、ゲームオーバーを宣言してゲームはそこで終わりにすべきです。ただ突然敗北を通告をするのはいくらなんでも唐突ですから、事前に「こういう場面になってしまったらプレイヤーの敗北でゲームは終わり」と明確に宣言しておきましょう。「○○の時までに事件を解決できなかったら終了」と時間制限を設けておくのが一番わかりやすいゲームオーバーの条件です。

一番大事な事は、「負け」があることをプレイヤーに自覚してもらうことと、プレイヤーを負かすのを恐れないことです。そして、プレイヤーが負けたらそこでゲームは終わりにしましょう。

PCの死亡

「ゲームオーバー」というとすぐ思いつくのが「PCが死亡する」という事態です。まず、上で言ったように「PCが死亡しない」というのはあってはならないことだということを繰り返し述べておきます。プレイヤーが致命的なミスを犯したらPCは死ぬのです。ゴブリンの会心の一撃を受けたらPCは死ぬのです。PCが死なないのだったら戦闘なんてやる意味がありません。

ただここで一つ問題があります。運が悪ければPCはすぐ死んでしまうということです。せっかくやる気まんまんで始めたのに、開始そうそう洞窟コウモリのクリティカルヒットで死んでしまってはい終わりでは不満に思うのは当然のことです。ましてや全滅してしまったらどうしましょう?

もし全滅してしまったのが開始直後なら、前回のプレイは忘れてやり直すという手もあります。中盤で死んでしまったのならそこで終わって別のゲームをやるという選択肢もあります。もちろん終盤だったら「残念だったね」で終わるという手もあります。

こうした問題は別にTRPGに限った事ではありません。将棋だってうまい人同士なら時間がかかるけど力の差がありすぎるとすぐ勝負がついてしまいます。重量級と呼ばれるボードゲーム(Titanなど)でもゲーム後すぐに滅ぼされて勝負がついてしまったりします。こうしたゲームではどんなに早く勝負がついてもそのゲームは終わりにして次のゲームをやります。TRPGも例外ではありません。早く終わってしまって時間が余ったら次のゲームをやればいいのです。

ゲームマスターによっては全滅しても何らかの助け舟を用意する場合もあります。例えば味方の騎士団が助けに来てくれた、というようにです。しかしこれを多用すると「PCが全滅してもきっとゲームマスターがなんとかしてくれる」というプレイヤーの甘えにつながります。もしこれをやるとしたら少なくとも特別措置であることを強く主張して下さい。

もしかしたらこの特別措置の回数を規定したくなるかもしれません。例えば「1回だけは騎士団が助けに来てくれる」とか。しかしこれを明言してしまうと、プレイヤーはこれを前提として行動してしまいます。「どうせ1回は騎士団が助けに来てくれるからいいや」と無謀な敵陣突入を始めてしまうかもしれません。だから特別措置は無いことを前提にして、どうしても困る場合だけつけて下さい。あくまで「特別」なのですから。

全滅ではなく死んだ人が一部だけだったとしたら3つの選択肢があります。「ゲームから抜けてもらう」「キャラクターを作り直す」「死んだ人を復活させる」という3つです。本当は一番目の選択肢が推奨なのですが、これは場の事情によってできない場合がありますので、その場合は作り直しか復活かのどちらかになります。この場合はゲーム進行上の大きなデメリットを与えて下さい。例えば時間制限があるならPCの死亡のために何日かが過ぎたことにします。これによって任務の達成はより困難になるのです。

「1人でもPCが死んだら任務は失敗とする」という条件を付ける方法も考えられます。一人だけ死ぬとその人だけする事がなくなったりキャラを作る必要が出てくるという問題が生じるので、いっそのことゲーム自体を終了させてしまおうという考え方です。仲間の死に対して連帯責任を負わせるという意味ではこの方法もアリでしょう。

PCが死んだらそこで(少なくともそのPCを担当している)プレイヤーはゲームから脱落させるのが理想ですが、そうは言っていられない事情もありますので、そういう場合にはPC全体に大きなペナルティを与えて下さい。安易に助けてはいけません。

時間制限

今までに何度か例に出しましたが、ゲームに時間制限を設けるというのはいい方法です。これはゲーム中の時間であることもありますし現実のプレイ時間のこともあります。

任務に時間制限を設けないと緊張感がなくなります。例えば戦闘の途中で傷ついたらすぐ撤退して休息する、なんていうやる気のないサラリーマンのようなPCになってしまいます。時間制限があればそういうのんびりした事をやってはいられず、きちんと戦略を練らなくてはならなくなります。だから時間制限をつけましょう。

時間制限をつけた場合はすべてのペナルティを時間に置き換えてもいいでしょう。PCが死亡した場合は復活させるのに○日、王様を怒らせた場合は次に会ってくれるまでに○日、といったようにです。そしてゲームオーバーの条件はただ一つ「○日経って事件が解決できなかったらプレイヤーの負け」とするのです。こうするとプレイヤー達は今どのくらいまずい状況にあるのかがすぐわかります。

こうやってすべてのペナルティを時間に置き換えると一ついいことがあります。突然のゲームオーバーがなくなることです。少なくとも制限時間になるまではゲームが続きます。プレイヤーがよっぽどヘマばかりするのでない限り、「ゲームをした」と思えるだけの時間はプレイできるでしょう。そしてプレイヤー達も条件が最初からわかっているだけに納得がいきます。

時間の経過

ゲームをやってみるとゲーム内の時間と実時間はひどくアンバランスな事に気がつくはずです。戦闘中ではゲーム内で1ラウンド(多くのゲームでは10秒)の処理をするのに何分もかかったりしますし、逆に何事もなくゲーム内時間の一ヶ月が一瞬で過ぎてしまうこともあります。こうしたプレイ時間とゲーム内時間の極端なアンバランスさが時としてトラブルのもとになることがあります。

ゲーム内時間に比べて実時間の方が長くなる例として、一瞬のうちに決断を迫られる緊迫した場面が挙げられます。「建物の陰に隠れて様子をうかがっていたら敵に見つかった! どうする!?」といった場合です。ここで一目散に逃げ出すか剣を抜いて踊りかかるかは重要な決断です。こんな時にプレイヤー全員であれこれ議論を始めてしまうことがあります。本来であればあれこれ考えている暇なんてないはずなのですが。

私はこうした議論はある程度大目に見ていいと思います。なんてったってゲームなのですから。こうした決断を考えるのがRPGの醍醐味なのです。だからPCは一瞬のうちに判断を迫られたはずだからというだけの理由でいたずらに急がせる事は避けるべきです。しかし重要な決断になればなるほど議論は単なる時間のばしになってしまいがちです。「下手の考え休むに似たり」で単にどっちにするかを決めかねているという状況になってしまうと、時間ばかりが過ぎて皆いやになってしまいます。

こういった場合にはあらかじめ考慮時間を決めておくとよいでしょう。例えば1ラウンドの行動を決めるのに使える実時間は最大2分、といったようにです。ゲーム内時間に比例してではなく一つの決断に対して使える実時間を決めておくというのもいいでしょう。一つの決断にあまり時間をかけすぎるとゲームがだれてきてしまいますから。しかしこの場合は切羽詰まった状況でない時に時間をとってあれこれプレイヤー間で論議する事を許可すべきでしょう。

逆に、ゲーム内時間の方が長くなってしまってトラブルを引き起こすこともあります。例えば「PCは10年間苦役につきました」といったように、プレイヤーは宣言するだけでPCに何をさせることもできてしまうからです。月や年単位の長い時間を一言の宣言で終わらせてしまうと、その間の年月の重みというものが感じられなくなってしまいます。

結論を言うと、プレイ中に長いスパンの時間の経過があってはいけません。月単位のゲーム内時間の経過は前の冒険が終わってから次の冒険が始まる前に済ませてください。いったん冒険が始まったらゲーム内時間での一日一日を大切にしなくてはいけません。一言で済ませられる時間の経過は長くて一日でしょう。



[7] クローズで振るデメリットは、ゲームマスターが面倒だという事です。そして実際のところ、一人一人スキルボーナスを聞いてダイスを振って判定して……というのは非常に面倒ですからできれば避けたいところです。

TRPGにおける倫理

TRPGにおける倫理

固いタイトルをつけましたが内容も重いです。ここでは、TRPGにおける倫理面の問題について話したいと思います。倫理面とは要するに「人を殺していいのか?」とか「正義のための戦争はあるのか?」といった事です。TRPGのほとんどはこういった問題を抱えているのに、皆無視して済ませているようです。

こうした問題について、この際だからちょっと考えてみましょう。

倫理の問題

コンピュータRPGに慣れてしまっていると、敵を見ると剣で殴りつけたくのもわかります。しかし本当に殴ってしまっていいのでしょうか?あるいは敵の一人を捕まえて情報を聞き出そうとしたとします。拷問しますか?そしてその後は?生かしておくと厄介ですよ。

ここでプレイヤー間で意見の相違が出ます。「生かしておいて我々の得になることはない。殺してしまえ。」という意見と「いや、やっぱり人殺しはいけない」という意見です。後者の意見に肩入れしたい心情にはなりますが、キャラクターが一番有利になる行動は前者なのです。だから純粋にゲームとして見ると敵は殺してしまう方がいいのです。そこがどうも気になる「倫理面の問題」です。

一貫性がないのがもっと問題です。コンピュータRPGだと、ムービーの出る所では敵の誰かさんに情けをかけるのに、フィールドで遭遇したなんとかナイトを情け容赦なくぼこぼこに殴りつけるような例がいくつもあります。戦闘それ自体が非人道的ともいえる行為ですから、TRPGはまさに非人道的行いの宝庫といえましょう。「ゲームなんだから細かいことは気にしない」で済ませてしまう人が多いですが、この矛盾はそこかしこで問題になります。ちゃんと考えておくべきです。

「非人道的な行いはするな」と言いたいのではありません。このゲームではどこからがやってはいけない事なのかをはっきりさせておく必要があるということです。以下にいくつかのプランを挙げますから、自分たちのやる世界はどれに当てはまるのかをはっきりさせておきましょう。

なお、ここでいう倫理観は多少の例外はありますが世界全体に通用する事柄です。つまり、PC達も街の人達も敵もほぼ同様に考えているということです。もしPC達が敵を殺すのに少しも抵抗を感じないとしたら、同様に敵もPC達を殺すのに少しも抵抗を感じないでしょう。

悪党の倫理観

「自分の目的のためなら人殺しなど何とも思わない」というのが悪党の倫理観です。最もダーティーな倫理観と言えるでしょう。現実世界ではあまり適用して欲しくはないですが、ゲームの世界ならこれもOKです。

ただ、こうした倫理観を持っている場合はPC達は民衆に好かれるヒーローではなく、逆に民衆に嫌われる存在になります。PC達がどんな崇高な目的を持って邪悪な組織と戦っていようと街の人からは悪党たちの内部抗争に見えます。PC達は歴史の表舞台に立つことはできないでしょう。

注意して欲しいのは、この倫理観を適用するなら敵側もNPCもまたそう思っているということです。PCがNPCを見殺しにしたり自分の都合で殺したりする事が許される代わりに、NPC側も自分の利益のためにPCを平気で殺そうとします。つまりPCが不条理に突然死する事が増えるということです。

もちろん好みの問題ですが、この倫理観はお勧めしません。プレイの幅が狭まってしまいますし、なによりPCの突然死が多くなりますのでトラブルのもとです。しかしそうした裏世界で遊びたいのならこの倫理観を適用するのもいいでしょう。

戦争の倫理観

「敵は殺しても構わない」という倫理観をここでは「戦争の倫理観」と呼んでおきましょう。この倫理観で一番問題となるのは「敵」の定義です。

一番簡単なのが敵としてオークやゴブリンを出す事です。オークやゴブリンは敵だから殺しても構わないが人間やエルフやドワーフは殺してはいけない、とするのです。あるいは人間やエルフでも蛮族とかダークエルフは敵だと定義してしまうこともあります。こういう場合には皮膚の色が違うとか顔つきが違うとか、見ただけでわかる特徴を持たせるべきです[8]。重要なのは、見かけだけで敵かどうかを判別できるようにすることです。

○○王国は敵だからそこの住人は全員殺してもかまわないと定義する場合もあります。「○○王国の住人」を「悪の組織○○の構成員」に置換することもできるでしょう。どちらにしろ明確な基準です。こうした基準を設けることでプレイヤーはあれこれ悩まずに戦闘をすることができます。

これらはすさんだ倫理観にも見えますが、実際に第二次世界大戦中に各地で行われた事です。戦争状態にあればこうした倫理観も正当なものとして受け入れられるということです。そしてこれは一旦受け入れてしまいさえすれば明確な基準です。

赤十字の倫理観

「兵士同士は殺し合うが非戦闘員は傷つけない」という倫理観をここでは便宜的に「赤十字の倫理観」と呼ぶことにしましょう。非武装状態の人は狙わないということです。

この倫理観は割とすんなり受け入れやすいものではないでしょうか?しかし一つ問題があります。非戦闘員の定義があいまいなことです。兵舎で兵士たちの食事をつくっているまかないのおばさんはどっちでしょう?あるいは兵士たちが酒場で飲んだくれている時はどっちにあたるのでしょう?

結局のところ、この倫理観はグレーゾーンがどうしても出てきてしまうせいでごく限られた条件下でしか適用できないのが難点です。しかし場面を戦場とそうでない場面にはっきりとわけることができるのなら、「戦場で武器を持っている人間は殺していいがそれ以外はだめ」というように明確な基準をつくることができます。そしてその場合には戦場以外で戦うような場面を作ってはいけません。

ヒーローの倫理観

「悪い奴は殺してもかまわない」というのがヒーローの倫理観です。ヒロイックファンタジーをやりたい場合にはこの倫理観が一番しっくりくるでしょう。しかしこの倫理観は「悪い奴かどうかは誰が判断するの?」という所に大きな問題があります。

この倫理観を適用すると、自分に都合の悪い奴を全員悪と決めつけがちになってしまいます[9]。そうすると前述の「悪党の倫理観」になってしまいます。ヒーローと悪党は紙一重なのです。さて、キャラクター達はどっちでしょう?

ヒーローより悪党の倫理観の方がキャラクターにとって都合がいいという事が問題をややこしくしています。RPGというのはつまるところキャラクターにとって有利な行動を考えるゲームですから、いくらヒーローの倫理観を標傍していてもどうしても悪党のそれになってしまうのです。ヒーローが自分勝手な正義を振りかざして都合の悪い人間をどんどん抹殺していく、というのはある意味現代社会の縮図を見ているようでもありますがあまり気持ちのいいものではありません。

結論として、この倫理観は適用しないことをお勧めします。どうしても適用したいのなら、問題が発生した時にその都度「こいつは悪い奴かどうか」を「ゲームマスターを含めて」話し合って下さい。そして全員で「こいつは悪い奴だ」と納得できてはじめて殺してもいいことにして下さい。

殺人の禁止

「人は殺してはいけません。しかし動物はかまいません」という倫理観を適用することもできます。この倫理観は戦争状態にない今の日本人には妥当なものですが、できるシナリオの種類が限られてしまうという欠点があります。人間相手の戦闘ができないのですから。

その結果として、戦闘といえば洞窟コウモリや熊や闇のモンスターやゾンビなどが相手になります。ここにオークやゴブリンなどの知的生物も含めることにしてもいいでしょう。とにかく相手は人間じゃないのだから殺してもいい、というのです。

このようにファンタジー世界なら殺人を禁止しても他に戦う相手はいくらでもいるわけです。だから敵側に人間を出しさえしなければこの倫理観を適用しても十分ゲームになります。

また、街を探索して情報を集める事がメインの非戦闘系のシナリオでもこの倫理観を適用できます。この場合、戦闘は起きないかもしれませんし、例え起きてもお互い死ぬまでやり合うことはありません。武器は剣や弓ではなく素手やビール瓶であり、HPの何分の一かが減らされた時点で勝負がついたことにします。

降伏と捕虜

相手を殺す事がその世界の倫理観に違反する場合は、殺す代わりに捕虜にするという選択肢をとる事ができます。それは敵もPCも同様です。殺されそうになったら武装放棄して泣いて許しを請うというルールを徹底すれば、倫理観の問題を起こさずに戦闘をすることができます。

この場合に問題となるのが捕虜の扱いですが、一番簡単な解決法は牢屋や捕虜収容所を用意してそこに送ることです。これでPC達は自分たちが倒した敵に後々までわずらわされずに済みます。いったん捕虜になった敵はPC達に従順で言われた事は素直に聞くことにして、決して反抗したり逃げ出したりはしないようにして下さい。もし捕虜が何かの隙に逃げ出すような事があったら、PC達はやっぱり殺しておけばよかったと思うかもしれません。実際の人質事件でわかるように、丸腰の捕虜が逃げ出すなんて普通できないことです。

逆にPC達が戦闘に負けて捕虜になったら、閉じ込められた先に協力者がいたり何か特別な用意がない限り死亡相当の扱いにして下さい。逃げ出すことができるはずもない牢屋でずっと暮らす場面をゲームでやっても何も面白くはありませんから。かといってとっさに脱出シナリオを用意するのはもっとよくないことです。なぜなら「戦闘に負けてもゲームマスターはちゃんと脱出できる術を用意してくれている」という認識になってしまい、戦闘の重要性が薄れてきてしまうからです。

もし捕虜になったのがPCの一部だけだったとしたら、残りのPCが救出に向かうという事は考えられます。しかしそれは実際には困難な事です。全員で立ち向かっても負けた相手に一部だけでどう立ち向かえというのでしょう?それに救出劇の間ずっと一部のプレイヤーが暇になってしまいます。PC達が「救出に向かおう」という気運になったとしたら、キャラの作り直しも提案してみて、どっちがいいかを当のプレイヤーに決めさせて下さい。もしこのあたりが問題になるようでしたら、PCは敵を殺してはいけないが敵の方はPCをあっさりと殺すことにしてもかまいません。敵はPCより倫理観に欠ける悪人であってもいいのです。

宝箱の扱い

殺人の話とはまた違う話ですが、宝箱の扱いもよく問題になる話です。つまり「宝箱の中身は勝手に自分のものにしてしまっていいのだろうか?」という問題です。これも各人によって解釈が異なる可能性があるので事前にはっきりしておきましょう。

人の家のたんすを勝手に漁ってアイテムを持っていってしまうのが泥棒である事は誰もが認める事でしょう。ただそれが悪の魔法使いの棲み家だった場合はどうなるでしょうか?あるいはそれが盗賊団の本拠で、そこにあるアイテムが盗品だったとしたら?色々な設定が考えられますが、ここでは私が妥当だと思う一つの案を示します。

まず、もはや誰も持ち主のいない場所にある物は発見者のものにしてしまっていいでしょう。古城や洞窟で見つけた財宝のことです。同様に宝物をモンスターが守っていた場合にもモンスターは人ではなく所有権は生まれませんから同様に発見者のものです。攻撃対象が悪の帝国や蛮族などのいわゆる「敵」であった場合も同様で、PC達が属する国の法律の適用範囲外にしてよいでしょう。「敵」は所有権を主張することができず、そのためPC達がその財産を奪っても問題はありません。

しかし、もし冒険となる舞台の城に所有者がいたらどうなるでしょう?例えば城がモンスターに占拠されてしまったというような場合です。この場合は城の中の財宝は城の所有者のものですから、PCが勝手に拾っていく事は泥棒行為です。城の持ち主が許可しない限りはPCは報酬だけで満足すべきです。盗賊の寝ぐらを襲う場合も同じで、そこにある財宝はもともとは盗品であり正当な持ち主がいます。財宝はいったん国が預かり、PC達には報酬という形でその一部を分配するのがいいのではないでしょうか。

とにかく宝物の持ち主の扱いは単なる決めの問題です。でも事前に決めておくか、最悪でもその場で確認するようにしましょう。問題になりそうなら、宝箱の中身は全部PCのものにして、その分宝箱の中身や報酬を減らすという解決方法、あるいは逆に宝物を出さずにすべて報酬だけにするという方法もあります。

シーフの扱い

シーフはたいていのファンタジーRPGで職業として存在し、戦士と並んでメジャーな存在です。おそらくPCのうちの誰か一人はシーフでしょう。しかしシーフといえばすなわち「盗賊」です。そんな奴がPCの中にいていいのでしょうか?

シーフが「盗賊」であることを認めてしまうと、シーフのPCは悪いことを好き勝手やり始めます。人の家のたんすを勝手に漁ってお金を持っていくのは悪い事であって本来やってはいけない事なのですが、シーフなら「俺は盗賊だからそもそもこれが本職なんだ」と堂々と泥棒をやるかもしれません。他のPCが皆法律を守らなければいけない中でシーフだけは何をやってもいいのでしょうか?どうも何かひっかかります。

ゲームによってはシーフを「忍びの者」とちょっと苦しい訳をしているものがあります。私はこの方が妥当だと思います。シーフという職業は(空想化されていない)忍者にあたる職業です。その能力は例えば「敵の城に忍び込んで密書を盗んでこい」という命令を実行するために使うのであって、雑貨屋の売上金を盗むために使うのではありません。西洋でも同じような役割の人はきっといたことでしょう。

あるいは泥棒稼業から足を洗ったことにしてもいいでしょう。昔は悪いこともしたけれどそこで得た能力を正しい方向に使うというのです。遺跡や古城の盗掘専門という設定も考えられます。盗掘というと聞こえは悪いですが、「文化財は国のもの」という概念がない世界では誰のものでもない放棄された宝物を勝手に持っていっても誰もとがめはしません。

とにかく、PCは例えシーフであっても窃盗などの犯罪を許してはいけません。警告を無視してPCが犯罪を犯したら警察機構がPCを捕まえに動くことにして下さい。もちろんそこでPCが抵抗して警察部隊を切り殺そうものならPC達は極悪犯として全国に指名手配されるのです。もしプレイヤーが「シーフが盗みをするのは自然なことじゃないか」と言ったら「警察が泥棒を捕まえるのも自然なことじゃないか」と反論しましょう。本当にPCの身になって考えれば、冒険者というまともな(?)収入源を得た今となっては泥棒などという危い橋をわざわざ渡るわけはありません。

倫理の実践

倫理観の問題はその世界設定と密接に関係しますからゲームマスターが決める事です。どうするのかを事前に考えてそれをプレイヤーに知らせてあげて下さい。どういう倫理観を持つのかはある意味個人の自由ではあるのですが、それはほとんどは社会のありようが決めるものです。だから倫理観はルールとして扱い、それから逸脱するような行為は許さないようにして下さい。例えば今の日本では人殺しは悪いことだという倫理観があります。今の日本の社会がいくら「どう行動しようと自由」だからといって、普通の人がいきなり無差別殺人を始めるなんて考えられられない事でしょう。だから倫理観は強制的に押しつけて下さい。注意しても逸脱が激しいプレイヤーは警察が捕まえるなどのペナルティを与えて下さい。

PCをどう動かすかはプレイヤーの自由です。しかし倫理観というのはそのキャラクターにあらかじめ備わったものであり、一種のルールです。プレイヤーはルールに違反するようにPCを動かすことはできません。ただ、ルールであるからには明確でなくてはなりません。どこからが倫理にもとる行為なのかをはっきり言えるようにしましょう。



[8] 人種差別的ではありますが、ゲームの都合上仕方のないことです。

[9] まるでどこかの国の事を言っているようですが。

さいごに

さいごに

TRPGでゲームマスターをやる上で問題になるような事とその解決方法をいろいろ述べてきました。これがゲームマスターをやる人のお役に立てれば幸いです。もし「こんな場合どうしたらいいと思います?」という質問や意見がありましたらどしどしお寄せ下さい。

この文書であえて書かなかった事が一つあります。それは「シナリオの作り方」です。これに対する私の意見は何度も書いたように「既成のものを買ってきましょう」ということです。シナリオは自分で作らなければいけないものではありません。

「ゲームマスターをする」という行為を例えば「ボードゲームを遊ぶ」という行為に例えると、「シナリオを作る」という行為は「自作のボードゲームを作る」という行為にあたります。「ゲームを作る」という行為は「ゲームを遊ぶ」というのとは別種の楽しみですし、ただゲームを遊びたい人に「ゲームを作れ」と強制するのは間違っていると思います。そしてゲームデザインをするにはTRPGに限らず色々なジャンルのゲームの経験が必要になります。そういう経験のない人がゲームデザインをするとどうしようもなくつまらないクソゲーが出来上がります。そういうクソゲーをプレイして「やっぱりTRPGはつまらない」という印象を持ってもらいたくないのです。

何回かTRPGをプレイヤーとして参加してみて面白いと感じたなら、ぜひゲームマスターもやってみて下さい。決して難しい作業ではありませんし別の楽しみが見つかることと思います。