特報 へこたれない人々
特報 水俣病など『疫学』調査 津田敏秀さん(51) 癒着が公害生んだ 官僚の意医学者が汲む 浮かんだ構図
窓から明るい日が差し込む岡山大大学院(岡山市)環境学研究科の研究室。同大学院教授の津田敏秀(51)は、パソコン画面にインフルエンザ治療薬「タミフル」の添付文書を映しだし、こう問い掛けた。
「ここに異常行動と、その基になる幻覚、妄想が『起きることがある』とはっきり書いてあるのを、ご存じでしたか」
十代の少年二人がタミフル服用後、家から飛び出すなど異常行動の末に事故死したと報告されたのは、二〇〇五年十一月。同月、米国食品医薬品局もタミフル服用後の日本の子ども十二人の死亡事例を公表したが、厚生労働省は服用との因果関係を否定した。
だが〇七年二月にも、服用した女子中学生らがマンションから転落死する事故が続き、翌月、厚労省は十代患者への投与を原則禁止にした。
同年十二月、厚労省研究班は「異常行動はタミフルを服用しないインフルエンザ患者にも出る恐れがある」と発表。その後も「非服用者と発生率に差はない」との調査結果を出した。
しかし、津田は「飲むと異常行動が多発するというデータしかなく、どの医学書にもインフルエンザで異常行動が起きるとは書いてない。なのに、どうしてそんな調査結果を出すのか」と疑問を投げ掛け、こう指摘する。
「異常行動が表れ始めたのは、タミフルが発売された二〇〇〇年代以降。それも当時、世界消費の七割強を占めた日本でばかりだ」
「添付文書に注意表示があるのに副作用と認めず、因果関係を否定しつつ十代へ投与を禁じ…論理に一貫性がなく行き当たりばったり」と、国の薬事政策の矛盾も突く。
矛盾はなぜ、生まれるのか。わが国に「市販後の医薬品の副作用を調査する仕組みがないから」だ。さらに、津田が問題視するのは、薬害や公害などの問題への対応が「官僚任せ」なことだ。
「官僚は数年で異動し、知識の蓄積がない。だが、多くの学者がそんな官僚の意を汲(く)み、医学的に誤りのある調査結果を出している」
津田が専門とする「疫学」は現地調査から得たデータを科学的、論理的に整理して統計解析を行う学問。薬害や公害の認定に不可欠で、これまで数々の公害裁判で意見書を作り、証人台に立ってきた。水俣病やディーゼル排ガス、アスベスト(石綿)、廃プラスチック…。
津田は知る人ぞ知る「公害学者」なのだ。
裁判を重ねて見えてくるのは、タミフルの問題と同じく、公害を「役所と学者の癒着が生み出す」構図。中でも「公害の原点」といわれる水俣病の発生から認定を求める訴訟までの経緯からは、その構図が鮮明に浮かび上がるという。
水俣病は、熊本県水俣市の水俣湾で、化学工業会社「チッソ」が垂れ流した工場排水が魚介類を汚染。汚染された魚や貝を食べた住民に四肢の感覚や運動、言語などさまざまな障害が生じた中毒性の神経疾患だ。
患者の発見は一九五六年五月一日とされる。「だが、それから医学者は…」と津田は言葉に力を込めた。「何をしてきたのか知ってほしい」
対策先延ばし 『経済的』損失
水俣病の病因物質を工場排水中の有機水銀と突き止めるまでに三年がかかった。しかし津田が調べると、最初の発見から半年後の十一月に、熊本大医学部研究班が「一種の中毒症で原因は水俣湾の魚介類の摂取である」と県に報告していた。
「原因食物は早い段階でわかっていた。通常の食中毒と同じ対応をし、摂取を禁じていれば、大量の患者が発生することはなかったはずだ」。津田の言葉が熱を帯びる。
だが命にかかわる情報は住民に伝えられず漁は続き、患者の発生は拡大。工場排水は六八年まで流され続けた。「医学者は病因物質は何かの議論を重ね、国や県は対策を遅らせた。『病因物質が判明していない』ことはしばしば、対策を先延ばしする理由に使われた」
津田は臆(おく)せず、水俣病の患者認定における医学者の「罪」も告発する。
関連症状が出た人は約三万人と推計されるが、実際の認定患者は約二千三百人にすぎない。
医学者中心に進められた認定作業では、認定申請を棄却した患者を「広汎性脳障害」や「頸椎(けいつい)症」と診断した。「広汎性脳障害は、知覚神経中枢を中心に脳に広く障害を起こす水俣病の症状そのもの。両手両足に感覚障害を起こす頸椎症などなく、医学的なおかしさがまかり通っている」
国は七七年、認定基準を改定したが「より複雑な新基準を作成し、認定への道を険しくしたのも医学者だ」。その国や県に協力的な主張や研究をした彼らはその後、公的研究機関のトップなどの役職に就いたという。
こうした事実を明らかにしていく津田は時に、「患者の味方」と呼ばれる。ところが、活動の座標軸は意外にも「経済的合理性」なのだという。
「初期に適切な対応を取るのと、患者を大量に出して多額の医療費や訴訟費をかけるのと、社会の経済損失が大きいのはどちらか」
兵庫県で衣料品の卸業を営む家に生まれた。「経済」的な思考は「商売人のせがれですから」と飄々(ひょうひょう)と語る。医学部への進学も「きちんと稼いでいける職業に」という父の勧めがきっかけだ。
八五年、岡山大医学部を卒業後、津田は臨床医として大分県の診療所や病院で働く。転機は、宮崎県高千穂町の土呂久(とろく)鉱山のヒ素鉱害事件。六二年に閉山されたが、大正時代から農薬や毒ガスの原料になる亜ヒ酸の製造が続けられた影響で、住民らにヒ素中毒患者が発生。その中に、津田の病院に受診に来た患者がいた。
当時、事件は係争中だった。ヒ素と患者の肺がんなどの症状の因果関係が争点になる中、被告の鉱山会社は「たばこが原因の可能性がある」と主張していた。
「因果関係を明らかにするには疫学が必要」と感じた津田は、臨床を離れて再び、母校へ。「英語の教科書や論文を読みあさり、かつてない猛勉強をして」疫学者に転身。その後、各地の公害調査に携わってきた。
七〇年代に疫学が発達した欧米と異なり、日本ではまだ疫学者が少ない。だが、「役所と学者の癒着の構図を放置すれば、薬害や公害は繰り返される」。そんな危機感と信念が、津田を突き動かしている。 (本文敬称略、岩岡千景)
つだ・としひで 1958年、兵庫県姫路市生まれ。岡山大医学部卒。臨床医を務め、90年から岡山大医学部助手。講師などを経て、現在、岡山大大学院教授。疫学者。著書に「医学者は公害事件で何をしてきたのか」(岩波書店)など。
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