この男について、説明は不要だろう。80年代後半からX JAPANのリーダーとして数々の金字塔を打ち立てたロックスターにして、世界的に活躍するクラシック・アーティスト。他の追随を許さぬその活動は、まさに日本を代表する、唯一無二の存在だ。意外にもローリングストーン誌初登場となる今回の取材は、おりしも、2020年東京オリンピックの開催が決定した直後。話はおのずと、“日本”を語る内容となった。
(前号のHi STANDARDの表紙を見て)
「ハイスタ、復活したんですか?」
─新曲のリリースはないんですが、震災の後、日本の復興のためにAIR JAMを復活させたんです。交流ってあるんですか?
「昔、一度、一緒に呑んだことがありまして。知り合いがバーをやっていて、そこに連れて行かれた時に、ちょうどハイスタのメンバーも呑んでいて。僕も彼らもかなり酔ってたんで、何を話したか覚えてないんですけどね(笑)。元気そうで何よりです」
─2020年の東京オリンピック開催が決まりました。震災後、ずっと閉塞感が漂う日本でしたが、この報せをYOSHIKIさんはどう感じましたか?
「ひと言で言えば“春が来た”ですね。僕は素晴らしい機会だと思うんです。これからは、世界に向けてさまざまな整備をしていくわけで。震災後の日本が本当の意味で春を迎えられる、とてもいい機会なんじゃないかな」
─その一方で、オリンピックに予算も人手も取られて、被災地の復興が遅れるという懸念の声もあります。僕自身は、被災地にも本当の春が訪れるようなオリンピックにしてほしいなと思います。
「昨日、石巻に行ってきたんですが、おっしゃるとおりだと思いましたね。確かに、東京では盛り上がってるけど……みたいな意見も被災地で聞きました。そういう不安もあると思います。ただ、僕はオリンピックがあることで、逆に被災地の復興も進むと思っています。例えば僕みたいな人間が声をあげて、『オリンピックが来るんだから、日本中を復興させましょうよ』って言っていかないといけないなと、被災地に行って思ったんです。オリンピックは東京だけのことではない。僕は前向きに捉えてますし、前向きにしていくべきです」
─海外に住むYOSHIKIさんから見て、その時に日本はどういう国を目指すべきなのでしょうか。
「そうですね、客観的かどうか自信はないですが、被災地に行って感じたのは、やはり、誰かがいいとか悪いとかということではないということです。そもそも、今回被災地に行ったのは、自分が子供の時に父親を自殺で亡くしているので、被災地の子供たちを励ましに行くことが目的だったんです。保育園、小学校、中学校をまわってきたんですが、それで気づいたのは、子供を励ます先生の存在がいかに大事かということでした。あまりクローズアップされてませんが、先生方がすごく頑張ってるんです。だから、疲れも出てきている。あれから2年半経つじゃないですか。励ます人をも、励ましてあげなきゃいけない。ボランティアの人にも勇気を与えなければいけないと思うんです。みんなが向上していかなきゃいけない。どこか一部分だけが良くなっても、必ずしわ寄せはくるんだということを、昨日、なんとなく体感しました。だから、東京が良くなる=日本が良くなる、でなければいけない。日本が良くなる=世界を見ていかなきゃいけないっていう、そういうことにみんなが気づけばいいな、と思いますね」
─確かに今の日本はいろんな意味で、「木を見て森を見ず」の状況にはありますよね。
「僕も子供の時に父親が亡くなって、自分がすごく不幸で、なんで自分だけにこんなことが起こらなきゃいけないんだって、周りも見えなくなって、どんどんどんどん内向的になっていったんです。昨日、被災地で、ある人の手紙を読んだんですね。自分も助けられた分、10年後に人のことを助けたい。そんなことが書いてあって読んでいて涙が出ちゃったんですけど、結局、僕らが目指す社会ってそういうものだと思うんです。とても客観的に、平和なことを言ってると思われるかもしれないですが、そういうことを被災地に行って学びました。そのためにはまず、自分が強くならなくちゃいけないんです」
─YOSHIKIさん自身が強くなるために、というより、強い存在であり続けるためにはどんなことが必要なのでしょうか。
「誰でも強い面と弱い面を持っていると思うんです。はたから見たら強く見えるのかもしれないですが、僕は常に1%だけでもいいからポジディヴなほうに、強いほうにいようとしているだけ。実際は弱いのかもしれない。ひとりになると、思いっきり落ち込んでしまったりしますからね」
─おっしゃってる感じ、わかります。
「そんなふうに、人生ゲームみたいに山あり谷ありだから、人生は面白いんです。すべてがハッピーだったら、生きていてつまらないじゃないですか(笑)。悲しみがあるから喜びもある。さっきのオリンピックの話じゃないですが、これだけいろんな苦しみがあったわけじゃないですか、日本は。だから、ものすごく大きな喜びが来るんじゃないかなって思うんです」
─確かに。ただ、原発のことはどうでしょう? 大きな喜びを迎えるためには、まだまだ道のりは困難な気がします。
「僕は、原発のことは、福島だけの問題じゃないと思っているんです。これは日本の問題だし、さっき言ったみたいに日本だけじゃなくて、世界の問題です。世界中が協力して、なんとかしなきゃいけない。昨日、石巻に行った時も、みんな頑張ってるんですよ。でも、福島の人たちは頑張るにも頑張れる状況じゃない。そこにいたる以前の問題にまだ直面してるってことを、ずっと考えていました。繰り返しますが、これは世界中が協力して解決しなきゃいけない、地球の問題なんですね」
─YOSHIKIさん個人としては、どんなアクションを?
「僕は基本的にミュージシャンで、ある程度の発言力を持ってると思うので、まずは問題提起をしていかなきゃいけないなと。ただ、問題提起だけではなく、福島はみんなの問題だということを、人々の意識の中に入れていきたい。そのためには、まず僕自身、今やっているチャリティを継続していく。そうやって身を持って、みんなの意識に訴え掛けていきたいです」
─チャリティに関しては、子供たちの支援を中心に、世界中で、しかも随分以前からずっと続けられてますよね。
「はい。チャリティって一時的なものじゃなくて、僕はライフワークだと思ってるんですよ。つまり今後もずっと続けていかなきゃいけない。例えば石巻にしても、友達には、『なんで今ごろ行くの?』って言われたんです。今ごろ行くも何も、復興にはまだまだ時間がかかるわけで。たまたま市長にお会いさせていただいたんですが、『どうですか?』ってきいたら、『メンタル面のダメージもあるので、本当の復興っていうのは10〜20年越しでしょう』とおっしゃっていました。災害や事故が起こった時、人々は一気に報道する。四川(大地震)の時も1年後に行ったんですが、どんどん忘れ去られていくのがわかって。『火事が起きた!』って騒くけど、その焼け残った跡はどうするの?っていう」
─おっしゃる通りです。
「あと僕の中のチャリティの定義って、無理しちゃいけないということなんです。基本的に自分のできるペースで、できる範囲でやっていきたい。あくまでもマイペースで。しかも僕はミュージシャンなので、建物を取り壊すとかではなく、違うことでできることをしたいんです」
─少し話が飛躍してしまうのですが、ここしばらく、我々は経済でしか国際貢献をしてきませんでした。日本は今後、国際社会の中でどのような役割を果たすべきだと思いますか。
「凄い質問ですね(笑)。うまく言葉にできないんですが、日本人の持っている美学があると思うんです。その美学を伝えていくべきなんじゃないかな。もちろん経済的に強いのもいいことですが……。この質問って、なぜ僕が音楽をやっているのか?っていう質問に近いと思うんです」
─と言うと?
「僕は昔、すごく自殺願望が強かったんです。父親を自殺で失っているというのもあって、なんで自分は生きてるんだろう?と、ずっと思っていて。死ぬタイミングをいつも見計らっていた。逆に言うと、死ぬタイミングを見計らっていたので、恐いものがなかったんですよ。僕はそれをポジティヴに捉えていたんです(笑)。そういう美学を日本人は持っている気がするんですね。言葉にするならば、“刹那の美学”。つまり、無常性を前にするとネガティヴは消滅し、ポジティヴが生まれる。そういうことを日本人は世界に伝えていって、素晴らしい世界を築く一部になるべきなんじゃないかなって思っています。日本人の独特の美学が世界で活かされて、誰が誰よりも強いとかではなく、さまざまな人種の良い部分を出し合えるような世界になったらいいなと」
─確かに、そうした日本人の美学が世界に必要とされている気がするし、YOSHIKIさんが音楽をやる理由のひとつが、そうした美学を世界に伝えるためなんですね。
「そうですね。その美学を伝えるためには、僕も含めて強くなければいけないと思っています」
─たとえば僕はロックというものが人の心を強くすると思っているんですが、いかがですか?
「僕は子供の時、暗闇の中を突っ走り、暗闇の中で叫んでいました。ロックに出会う前は、もうどうしていいかわからなかった。ロックに救われたわけです。極端に言うと、僕の負のエネルギーがすべてロックに向かった。その瞬間、すべてがプラスになったわけです。僕、ステージの上でドラムをぶっ壊して破壊するじゃないですか。あんなこと街中でやったら、捕まりますよね(苦笑)。ステージだから叫んだり、壊したり、泣いたり笑ったりできるわけで。そういう場を与えてくれたロックに、僕は救われた。だから、その音楽で人を救っていかなきゃいけないんだ、というのが僕の考えです」
─音楽と言えば、『Yoshiki Classical』がソロアルバムとしては8年ぶりにリリースされました。過去の楽曲が中心のベスト的な内容ですが、新曲も2曲も入っていますし、ジョージ・マーティンとのコラボレーションもあります。ジョージとの作業はいかがでしたか?
「一音楽家として向き合いたかったので、あまりビートルズのことは考えないようにしました。音を出してる時は音がすべてなので、その人の肩書も経歴も関係ないと思うんです。僕だって、X JAPANのYOSHIKIだろうが、ソロのYOSHIKIだろうが、ダメな曲を作ってしまったらダメなわけで。毎回、毎回が勝負だって自分でも思っています」
─なるほど。とはいえ、このアルバムは10カ国のiTunesクラシックチャートで1位となり、あらためて音楽家としての才能を世界に知らしめた結果となっています。今後の音楽活動をどう考えてらっしゃるのでしょうか。
「ロックもクラシックも、世界に向けて頑張っていきたいですね」
─YOSHIKIさんは日本の音楽界の誇りです。今後も明るい話題を期待してます。
「誇りだなんて、そんな。ただ、誇りに思われるよう、頑張らないといけないですね。まだまだいたらないところもありますが、僕は、日本人として、音楽家として、これからも挑戦していきますので、みなさんもそれぞれの立場で同じ気持ちを持って、お互いに頑張れたらいいですね」
─ちなみにYOSHIKIさんの夢ってなんですか?
「自分が“これで死んでもいい”と思える曲を書きたい」
─ということは、まだそこには行きついていないんですか?
「行きついてないんじゃないですかね」
─これだけの名曲を残してきても?
「まだまだです」
─それってどんな音楽なんですかね?
「わからないです。音楽の可能性、力は計り知れないものがあるので。ただ、クラシックの作曲家たちは、何百年も前にそこにある何かをつかんで曲を書いたんだなって、聴くたびに思います。名前を言ったらきりがないですが、チャイコフスキー、ラフマニノフ、ベートーヴェン、モーツァルト、ショパン……なんでこんなにメロディが心に響くんだろうって。もっともっと、人の心をわし掴みにするような曲を書いてみたいですね」
ヨシキ ○作詞・作曲家、ドラマー、ピアニスト。1989年、X JAPANのリーダーとして、アルバム『BLUE BLOOD』でメジャーデビュー。そのヘヴィでクオリティの高いメタルサウンドと強烈なヴィジュアルは日本の音楽シーンを席巻した。ソロでは、「天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典」(99年)、「日本国際博覧会(愛知万博)」(05年)、ゴールデングローブ賞(12年)などの公式曲を手掛ける。最新作は、9月25日にリリースした、8年ぶりのソロアルバム『Yoshiki Classical』。