「黒色火薬」としても知られる火薬の歴史は9世紀の中国までさかのぼり、不老不死の薬を探し求めていた錬金術師によって発明されたと考えられている(もちろん火薬は不老不死の薬ではない)。硫黄、木炭、そして硝酸カリウムの混合物である火薬は、火にさらされると素早く燃焼し、銃火器や花火の推進力として利用できるほど多量のガスと固形物を排出する。中国人はこの火薬を使って初期の爆弾やロケット弾を作り出し、モンゴルからの侵略者に対して使用したが、モンゴルが中国を侵略してしまうと、今度はモンゴル人が他国への侵略のために使用した。
12世紀前半が終わるまでにはアラブ世界が火薬の知識を習得した。ある歴史文献によれば、紀元1260年のアイン・ジャールートの戦いで、マムルークが歴史上最初の大砲をモンゴル軍に対して使用したとされるが、これはしばしば議論の対象となっている。14世紀のアラブの写本には最初の手銃が登場する。
12世紀半ばまでにはヨーロッパも火薬の知識を手に入れ、その品質を高めた。火薬に液体を加えることでより大きい粒子を作り出し、安定性を向上させたのだ。
19世紀に無煙火薬が発明されるまで黒色火薬は大砲や銃火器に使われ続けたものの、新しい火薬は燃焼時の排出物も煙の量もずっと少なく、従来の黒色火薬に勝っていた。