国重文の仏画狙い寺襲う 韓国人窃盗団を逮捕/韓国が日本からの盗品を国宝指定 壱岐の重文経典盗難

2007年02月01日 | 事件 事故
国重文の仏画狙い寺襲う 韓国人窃盗団を逮捕

 国の重要文化財(重文)に指定されている朝鮮半島の高麗時代(九一八−一三九二年)の仏画を盗もうと次々と寺院を襲った韓国人窃盗団の一員が愛知県警に逮捕された。凶器を用意し寺の住人も襲う荒っぽい手口。高麗時代の仏画が高値で取引される韓国に持ち去ろうとしたらしい。県警は既に韓国に逃げたとみられる共犯者二人も同容疑で指名手配した。

 愛知県警国際捜査課と豊川署に強盗致傷の疑いで逮捕されたのは、韓国国籍の無職金在七容疑者(48)。調べでは、金容疑者は仲間三人と共謀。

 二〇〇五年八月三日深夜、愛知県御津町広石の大恩寺に押し入り、庫裏にいた住職の長男=当時(19)=の腹などを包丁で刺して重傷を負わせた疑い。国指定重文「絹本著色王宮曼荼羅(まんだら)図」などを狙ったが、宝物庫のシャッターを開けられず逃走した。

 金在七容疑者は調べに対し、昨秋、福井県敦賀市原の西福寺も襲ったことも認めたため、愛知県警は福井県警と共同捜査を開始。供述などから共犯者を割り出し、福井県警捜査一課と敦賀署は、強盗致傷と窃盗の疑いで在日韓国人の東京都新宿区高田馬場二、無職金鐘浣容疑者(34)の逮捕状を取り、一日にも逮捕する。

 調べでは、金鐘浣容疑者は金在七容疑者、他の仲間二人の計四人で共謀し、〇六年九月二十二日未明、国指定重文「絹本著色観経変相曼荼羅図」などを盗もうと西福寺に侵入。修行僧の男性=当時(46)=をバットで殴るなどして重傷を負わせ、約四十万円と軽トラック一台を盗んだ疑い。仏画のありかは分からなかったという。福井県警は近く、金在七容疑者も西福寺の事件で逮捕する方針。

 金在七容疑者らは犯行前、何度も寺を下見。大恩寺では犯行の十日ほど前、宝物殿の屋根をドリルでくりぬこうとしたが、コンクリート製のため断念した。

 繊細さが美しい高麗時代の仏画は韓国で人気が高い。

 かつて朝鮮半島から日本に渡った作品も多く、韓国では画集やインターネットで日本国内の所蔵先が紹介されているという。

http://www.chunichi.co.jp/00/sya/20070201/eve_____sya_____013.shtml




重文狙い寺襲った韓国人逮捕 愛知 福井の事件も関与か
2007年02月02日09時56分

 国の重要文化財を所蔵していた愛知県御津町の大恩寺で05年8月に住職の長男(当時19)が刺された事件で、同県警が韓国から来日した住所不定、無職金在七容疑者(48)を逮捕していたことがわかった。金容疑者は「文化財は韓国で金になるので、ほかの韓国籍の男3人と一緒に襲った」と供述。県警は身元が分かった2人を指名手配した。金容疑者は強盗致傷と建造物損壊などの罪ですでに起訴されている。

 調べでは、金容疑者は05年7月19日ごろ、国の重文の掛け軸などが保管されていた大恩寺の宝物庫の屋根をドライバーで損壊。同年8月3日には、寺に侵入して長男の両手足を粘着テープで縛り、腹を柳刃包丁で突き刺すなどして約3カ月の重傷を負わせたとされる。宝物庫のシャッターの鍵を開けられず、掛け軸などは無事だった。

 金容疑者は、06年9月に福井県敦賀市の西福寺で男性僧侶(当時46)が襲われて重傷を負い、現金数十万円などが奪われた事件にもかかわったことを認めているといい、福井県警は近く強盗致傷容疑で再逮捕する。

 この事件では、同県警は、別の韓国籍の男3人も関与したとみて捜査。東京都新宿区高田馬場2丁目、無職金鐘浣容疑者(34)を同容疑で1日逮捕した。

http://www.asahi.com/national/update/0202/NGY200702020004.html




背後に盗品転売組織か
重文仏画窃盗

 国重要文化財(重文)に指定されている朝鮮半島の高麗時代(918−1392年)の仏画を盗むため、愛知、福井両県の寺が襲われた事件で、愛知県警国際捜査課と豊川署が強盗致傷容疑で逮捕した韓国国籍の無職金在七容疑者(48)が、兵庫県の寺で盗まれた仏画を寺側に買い戻させる話を持ちかけていたことが分かった。県警は金容疑者の背後に盗品の文化財を転売して稼ぐ組織が存在するとみて調べている。

 兵庫県加古川市の鶴林寺では2002年7月、仏画8幅が盗まれ、03年に韓国国籍の4人が日本と韓国で逮捕された。聖徳太子を描いた作品など7幅は戻ったが、高麗時代の重文「阿弥陀(あみだ)三尊像」は今も行方が分からない。

 愛知県警や寺側によると金容疑者は05年5月に鶴林寺を訪れ、「韓国で見た阿弥陀三尊像の仏画を買ってほしい。韓国で数千万円の値がついている」と買い戻しを持ちかけた。その10日ほど後、寺側がソウルを訪問。ホテルに手ぶらで現れた金容疑者が金だけ要求したため交渉は決裂した。交渉に当たった幹栄盛住職は「話しぶりから、今も仏画が韓国にあるのは間違いないだろう」と話す。

 韓国紙の報道などでは、仏画は鶴林寺から盗まれた後、韓国内で古美術品仲介業者ら6人に転売され、最終的に約4500万円の値が付いたとも言われる。金容疑者は愛知県警の調べに「韓国の賭博場で知り合った男から仏画を売る仲介を頼まれた」と供述している。

http://www.kenmin-fukui.co.jp/00/sya/20070202/mng_____sya_____021.shtml






壱岐・安国寺の寺宝は「韓国の国宝」になっていた!

(週刊新潮10月13日号)

【特別リポート】消えた「重要文化財」を追え!
壱岐・安国寺の寺宝は「韓国の国宝」になっていた!


 ここ数年、西日本を中心に、わが国の重要文化財が盗まれる事件が相次いでいる。しかも、盗品であるにも拘らず韓国の国宝に指定され、博物館で展示されている物まである。ノンフィクションライターの菅野朋子氏が、日本と韓国を舞台とした事件の背後を追い、重文窃盗団の組織や取引内容の詳細をあぶり出した。そして、驚くべき新事実を明らかにする。

 台風14号が近づいていた9月2日。島根県出雲市の古刹・鰐淵寺から、『紙本墨書後醍醐天皇御願文』など国指定の重要文化財(重文)4点を含む、仏画や経典13点が盗まれていることが分かった。

『紙本墨書後醍醐天皇御願文』は、隠岐に流された後醍醐天皇が鰐淵寺の僧に出した直筆の文書である。

 犯人は、収蔵庫の扉の南京錠とシリンダー錠をパールなどで破壊し、収蔵庫に侵入。体温を感知するセンサーも設置されていたが、作動しなかったという。

 鰐淵寺だけではない。重文を狙った窃盗事件はここ数年連続して起きている。

 2002年には、兵庫県加古川市の鶴林寺から国指定の重文『絹本著色阿弥陀仏三尊像』(以下『阿弥陀三尊像』)など8点が盗まれた。

『阿弥陀三尊像』は、阿弥陀如来を中尊として、左右に観音菩薩、勢至菩薩が描かれた高麗仏画だ。

 前年の01年には、愛知県豊田市の隣松寺から阿弥陀如来の極楽浄土の様子を描いた、県指定の重文『絹本著色観経曼荼羅』など7点が窃盗に遭った。これも高麗仏画で、韓国では国宝級といわれている。

 そして、98年には、聖徳太子の御廟がある大阪府太子町の叡福寺からも重文級の高麗仏画『楊柳観音像』を含む仏画32点が盗まれた。

 いずれも、窃盗の手口は鰐淵寺と同じだ。収蔵庫の南京錠をパールなどで壊し、中扉に穴を開けるなどして中に侵入。そして、他のものには目もくれず、目当ての重文だけを持ち去る。周到に準備された犯行といっていい。

 一連の事件をつないでいくと、ある共通点が浮かび上がる。それは、盗品の中に高麗仏画がある点だ。「高麗」にまつわる重文窃盗を遡ると、長崎県壱岐島の寺から国指定の重文経典が盗まれた、94年の事件にたどり着く。

 11年前に盗まれた経典は、どこに消えたのか。行方を追ううちに驚くべき事実に突き当たった。

 壱岐島の名刹・安国寺から国指定の重文『高麗版大般若経』(以下『大般若経』)が盗まれていることが発覚したのは、94年7月23日。

 観光タクシーの運転手が宝財殿の南京錠が壊されていることに気づき通報したが、切断された南京錠は、セロハンテープで留めてあったという。経典が最後に確認されたのは、町の教育委負会が宝財殿に入った同年5月18日で、事件は発覚した日までの約2カ月の問に起きたと推定された。

『大般若経』は、版木に文字を彫り、墨で刷った仏教経典で、全部で600巻ある(一部欠落)。縦25センチ、横15センチの折り本型で、1巻に20枚が折り込まれている。安国寺では、桐の箱に収められ、宝財殿に保管されていた。

 盗まれたのは、所蔵していた591巻中493巻。残りの98巻は、寺院内の宝物展示館で展示していたため無事だった。

 安国寺の大浦宏道住職が言う。

「桐の箱と経典を包んだ風呂敷だけが残されていました。宝財殿には県指定の古書や仏像などもあるのですが、犯人は、それらには一切手をつけていません」

『大般若経』は、朝鮮半島が高麗の時代(918〜1392年)の1010年に版木作りが始められた。安国寺のものは初彫版が作られた時期の「重熙15年(1046年)」の年号が記された貴重なものだった。

 経典がどのような経緯で日本にもたらされたかは不明だが、安国寺には1486年、如円坊という僧によって持込まれたといわれている。朝鮮半島では高麗から李氏朝鮮にかわる14世紀末に儒教が仏教にとって代わり、廃仏気運から多くの経典や仏画が日本に入ってきた経緯がある。

 事件は、一時、犯人が絞られたといわれたが進展はなく、経典の行方も分からないまま時間が過ぎた。
 ところが、その後、驚くべき事実が伝わった。

意外な所有者

 安国寺で事件が起きた翌年の95年3月10日。韓国で、『大般若経』3巻が国の指定文化財・国宝第284号に指定されたのだ。

 指定されたのは、第162巻、第170巻、第463巻の3巻。

 この3巻は、安国寺から盗まれた『大般若経』の中に含まれており、日本の学者たちの問ではすぐに話題になったという。

 日本が動いたのは、2年後の97年。文化庁は、韓国の重文指定一覧『動産文化財指定報告書94−95指定編』を入手し、掲載された写真と保管していた写真とを照合した結果、「一致」と判断。98年2月には、日本の外務省を通じて韓国に調査協力を要請した。

 事態が動くかと思われたが、同年7月までに韓国側から「個人所蔵により要請に応えることは難しい」という回答があり、事態は膠着してしまう。

 そうして、手をこまねいたまま時間は流れ、01年7月23日、事件は遂に時効を迎えた。

 大浦住職が憤る。

「韓国で重文に指定された大般若経は巻物ですが、折り目がみえ、署名のかすれなどもうちのものと酷似している。文化庁にあるネガと重ねて鑑定すれば、すぐに分かることなのです」

 こうした事態を韓国の〝所有者〟は知っているのだろうか。『動産文化財指定報告書』には、所有者は、「申某」とある。さっそく、住所にあるマンションを訪ねたが、申氏は引っ越した後だった。

 韓国の重文窃盗事件に詳しい捜査関係者が言う。

「申は、古美術収集家として知られ、〝江南の申〟といえば重文の仲介業者の間でも有名な人物」

 だが、申氏の行方を追ううちに、重大な事実を突きとめた。

 韓国の国宝となった「大般若経」は、現在、申氏とは全く別の人物が所有していることが判明したのである。

 その人物とは、「韓国を動かすCEO1OO」(朝鮮日報02年1月11日)にも登場したことのある有名な経営者。韓国の高級化粧品会社「コリアナ化粧品」の会長であり、韓国博物館会会長の兪相玉(ユ・サンオク)氏(72)だ。

 兪氏は、芸術品の収集家としても有名で、その数は5000点以上にも上るといわれている。

 彼は、名門・高麗大学を卒業後、東亜製薬に入杜するが、普通ならば定年を考える55歳の時(88年)にコリアナ化粧品を創業した立志伝中の人物である。

『大般若経』は、今年7月末まで2年間ほど、同社が経営する化粧博物館「space*c」に展示されていた。「space*c」の開館時(03年)、彼はこんなことを語っている。

「文化経営なくして、世界企業として成長することはできない。独のウエラは、かつら博物館、日本の資生堂とポーラは化粧博物館を持っている」(東亜日報03年11月13日)

 この博物館開館に当たり、『大般若経』を購入したとも考えられる。

 この兪氏には具体的な話を開こうと何度も取材を申し込んだが、「大変微妙な話で、内容をきちんと把握しないことには取材には応えられない」(コリアナ化粧品広報部)と、結局、取材を受けてはもらえなかった。

 兪氏所有の韓国国宝『大般若経』は、果たして、安国寺と同一のものなのか―。

 だが、韓同で所在が取りざたされた重文は『大般若経』だけではない。鶴林寺から盗まれた『阿弥陀三尊像』が、昨年、韓国の寺で発見されたと報道され、関係者は一時騒然となった。


闇取引の実態

 昨04年10月。首都ソウルで、重文窃盗容疑で霊媒師の金(56)と商売人の黄(54)が、逮捕された。

 金らは、日本に不法滞在していた金の弟(48)と共謀し、98年・叡福寺、01年・隣松寺、02年・鶴林寺に侵入し、重文など計47点、約35億ウォン(約3億5000万円、ソウル地方検察庁鑑定)相当を盗んだと自白。供述から、『阿弥陀三尊像』の他に『絹本著色観経曼荼羅(隣松寺)を含む5点を韓国に持ち込んだことも明らかになった。

 だが、金は、「自分が仕える神が、日本が略奪した我が国の文化財を取り戻せと言った」と囁き、韓国の新間の見出しには、「『愛国者?』日本の寺院から文化財盗んだ窃盗団逮捕」(朝鮮日報)等、〝愛国〟の文字が躍った。

 世論も加勢し、「褒賞金を与えるべきだ」等の声も上がり、ネット上では、愛国か否かで大論争となった。

 存在が確認された高麗仏画は百三十数点あり、うち100点以上が日本にあるといわれている。日本に渡った背景は様々だが、韓国では、秀吉の朝鮮出兵や日本統治時代に略奪されたという認識が根強い。

 だが、愛国心騒動を巻き起こした金らは、盗品をすぐに金銭に替えるなど、愛内心どころか単なるカネ目当てと判明。今年1月には、懲役判決(金は2年、黄は1年)が出た。

『阿弥陀三尊像』は、供述の1カ月後、慶尚北道の寺にあることが分かり、ソウル地検が寺を捜索したが、住職曰く「仏画は盗まれた」後で、結局、行方は分からないままだ。

『阿弥陀三尊像』は02年7月、鶴林寺から盗まれた後すぐ韓国に持ち込まれ、翌8月までに第一の取引が行われていた。

重文窃盗に詳しい韓国の別の捜査関係者が言う。

「重文窃盗は予め転売シナリオができている。〝ナカマ〟と呼ばれる仲介業者は、各々仏画、仏像などの専門に分かれ、物によってルートが決まる。彼らの重文に関する知識は学者並みだ」

『阿弥陀三尊像』は、6人の転売を経て、慶尚北道の寺に渡った。転売額は、約4億〜5億ウォン(約4000万〜5000万円)。金らは、最初の取引で、1億1000万ウォン(約1100万円)を手にしていた。

 果たして、『阿弥陀三尊像』は、見つかったとされる寺から本当になくなったのだろうか。真相を探るべく、寺を訪ねると、傾きそうな平屋の庵から、体格のいい住職が出てきた。もとは、武術をやっていたという。

「預かってくれと言われて預かった。それを倉庫に入れておいたがいつの問にかなくなっていた。盗ったのは頼んだ者だ。捜査が及んだので私に罪をなすりつけようと思ったのだろう」

 預かった巻物は開いてもいないと主張した。前出の捜査関係者が言う。

「転売ルートの殆どがみなグルだ。物を行ったり来たりさせながら時間を見ている。そして頃合いを見計らい金に替えていく」


返還に立ちはだかる壁

 重文売買の場合、中国に持ち込むケースもあるが、重文という性格上、取引先に困り、被害者と取引しようとする窃盗犯もいる。

 実際、鶴林寺では、『阿弥陀三尊像』以外の7点を、取引を持ちかけてきた犯人から直接取り戻している。

 日本語ができない金の弟の代理だという男から電話があったのは、事件発生から4カ月後のこと。男と鶴林寺のやりとりは20回以上に及び、03年3月、東京のホテルの一室で取引に応じたところを隣室で待機していた加古川署員に逮捕された。男の取引提示額は550万円だった。

 男の供述から金の弟も逮捕され、自宅には、叡福寺から盗んだ仏画の掛け軸などが、「取引に失敗して処分に囲ったのか、無惨に切り刻まれてゴミ袋に入れられていた」(捜査関係者)というから愛国心が聞いてあきれる。

 実は、叡福寺から盗まれた高麗仏画『楊柳観音像』も韓国に持ち込まれたといわれている。韓国の高麗仏画研究の第一人者、鄭字澤(チョン・ウテク)・東国大学教授のもとに、『楊柳観音像』についての問い合わせがあったというのだ。

 鄭教授の話。

「〝楊柳観音像は植打ちがあるものなのか。今、韓国にあるのだが〟と言う。私は、〝楊柳観音像は日本にある。韓国にあるはずがない〟と言いました」

 だが、鄭教授は『楊柳観音像』の所在が気になり、叡福寺にすぐ電話を入れた。この電話により窃盗が発覚するのだが、『楊柳観音像』の行方もまた、いまだ分からないままだ。

 韓国文化財庁は、この事態をどう捉えているのか。見解を尋ねると、「大般若経は個人所有であり、また外交問題につながる憂慮があるのでコメントできない。また、阿弥陀三尊像も所在が分からない状況では何も言えない」と、にべもなかったが、日本返還には、もう一つ壁がある。韓国の民法上「善意の取得」が適用され、所有が認められてしまうのだ。

 日本政府はただ傍観するしかないのだろうか。日本の文化庁美術学芸課の話。

「明らかに日本にあったものが韓国にあるわけですから、返還は当然だと思いますが、法的にも手段がなく、最終的には、交渉=外交ルートという方法しかないのが現状なのです」

 ユネスコ条約に則れば返還は可能だが、日本は、02年9月に批准しており、これ以前の重文窃盗品は対象外となってしまう。

「高麗」が結んだ、玄界灘を越えた窃盗劇。盗品の日本返還は、韓国の良心に頼るほか手立てがない、というのが現実だ。

ノンフィクションライター菅野朋子
(週刊新潮 2005年10月13日号)
http://specificasia2.blog12.fc2.com/blog-entry-3944.html




日本で盗まれた高麗仏画が大邱の寺に
2004年10月31日16時53分

 韓国人巫女が日本から盗んで国内に持ち込んだ高麗仏画「阿弥陀三尊像」が、大邱(テグ)のある小寺にあることが検察の捜査によって分かった。

 この仏画は、中国から合法的に持ち込んだものとされており、最終購買者はこれが盗品であることを知らなかったという。 民法では、盗品であることを知らずに(善意)取得した場合「善意取得」(249条)として、購買者の所有権を認めている。

 ソウル中央地検刑事4部が30日に発表した内容によれば、巫女のキム被告(55)は02年7月、日本兵庫県のある寺から鑑定評価額10億ウォン(約1億円)相当の「阿弥陀三尊像」を盗み、ひそかに国内に持ち込んで、1億1000万ウォンで売った疑い。 その後、幾度か転売された後、ある中国同胞が仏画を取得し、さらにこれを国内の事業家が4億ウォンで購入した。 事業家は、これを大邱のある寺に寄贈した。

 中国同胞は「これは北朝鮮にあった高麗仏画だが、中国経由で韓国内に合法的に持ち込まれた」と話している。

 検察は、寺に仏画の提出を要求する予定で、万一寺がこれに応じない場合、押収・捜索して証拠物を確保するという。 しかし、検察関係者は「最終購買者が盗品であったことを知らなかったならば、仏画を日本に返還する義務はない」と話した。 仏画の最終的な処分に関しては、窃盗容疑で逮捕・起訴されているキム被告の裁判で決定される。 裁判所は、善意取得の存否を判断し、仏画の処分について決定を下す。

 善意取得が認められた場合、日本が仏画を取り戻すには、現所有者を相手に返還請求訴訟を提起しなければならない。

http://japanese.joins.com/article/229/57229.html?servcode=400




韓国が日本からの盗品を国宝指定
壱岐の重文経典盗難事件が時効

一九九四年に壱岐芦辺町の安国寺から国の重要文化財「高麗版大般若経」が盗まれた事件は、 二十三日午前零時で七年の時効が成立した。酷似した経典三巻が九五年に韓国で国宝に指定 されたことが判明。外務省が韓国側に調査協力を要請したが、同一物か確認できないまま終結となった。

盗難が発覚したのは九四年七月二十三日。十一世紀初頭に高麗で彫られた版木から刷った初 彫本と、写本の計四百九十三巻が宝財殿からなくなっていた。南京錠を切断して侵入し、経 典だけを持ち去ったとみられ、被害額は数億円。

県警は全国の古物商から情報を募るなどしたが犯人像はつかめないまま。「最後に見てから 盗難に気付くまで二カ月が過ぎており、広範囲な捜査を余儀なくされた」(県警幹部)。 一方、文化庁は韓国が九五年に国宝に指定した経典三巻と、安国寺の初彫本の写真を照合。 染みや汚れ、巻末の署名などが酷似していることが判明し、外務省は九八年二月、韓国側に 調査協力を要請した。

しかし韓国側からは同年七月までに「要請にこたえることは難しい」と回答。外務省北東ア ジア課は「相手の好意に期待するしかなく、限界がある」としている。

朝鮮半島から渡来した文化財については、過去に日本が多数を持ち出した経緯から、韓国側 には複雑な国民感情があるとされる。県も「時効と言っても今は(教科書問題などで)難し い時期。こちらから働き掛けることは難しい」と苦しい立場を強調する。

大浦宏道住職は「経過を全く知らせてもらえず、ちゃんと調べたのか疑いたくなる。時効は 身を切られる思い」と話している。

ttp://www.nagasaki-np.co.jp/news/kako/200107/23.html#09

壱岐・安国寺の寺宝は「韓国の国宝」になっていた!
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/gallery/1128772214/
仏画の掛け軸を盗み韓国で売却、韓国人男で起訴
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/gallery/1097672339/

 【ソウル13日時事】韓国の通信社・聯合ニュースによると、ソウル中央地検は13日、 日本の寺から仏画の掛け軸を盗み、韓国で売却したとして、占師の韓国人男(55)ら2人を特殊窃盗罪で起訴した。
ソース:時事通信社
http://www.jiji.com/cgi-bin/content.cgi?content=041013121711X455&genre=int

「愛国者?」 日本の寺院から文化財盗んだ窃盗団逮捕
『検察関係者』は「現在の占有者が正常な品物だと思い、適当な価格で中間商から購入したことが確認されれば、 民法上、日本に返す義務はない」とした。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/10/13/20041013000087.html





秀吉の碁盤や重文発見・奈良県警、元古物商ら逮捕
2004年4月、大徳寺塔頭から盗まれた豊臣秀吉と徳川家康が対局したと伝えられる碁盤〔共同〕

 奈良県警捜査一課などは3日までに、窃盗などの疑いで大阪市城東区、会社員福田信三容疑者(61)、韓国籍の大阪市西成区、元古物商高成一容疑者(57)ら5人を逮捕、1人を指名手配し、京都市北区の大徳寺で昨年4月、盗まれていた碁盤や火縄銃などを発見、押収した。
 碁盤は金粉で四季の風景を描き、豊臣秀吉と徳川家康が対局に使ったと伝わる品。奈良県吉野町の吉水神社で盗まれた室町時代の鉄製刀つば「鉄鍔(てつつば)」(国の重要文化財)なども見つかった。

 グループは福田容疑者ら2人が盗んだ品を高容疑者らが買い取り、転売するなどしたとみられる。捜査一課などはグループで貴重な文化財を狙って盗み、売りさばいていたとみて追及する。

 碁盤などは高容疑者の自宅や高知市玉水町、ホテル経営斎城直好容疑者(54)=盗品等有償譲り受け容疑で逮捕=のホテルなどで見つかった。

 調べでは、福田容疑者は昨年4月、大徳寺塔頭(たっちゅう)龍源院の展示室に侵入、碁盤や火縄銃など7点を盗むなどした疑い。

 吉水神社は昨年10月、展示していた鉄鍔や蒔絵(まきえ)箱など5点が盗まれた。

■秀吉と家康対局の碁盤盗難・京都の大徳寺

[2005年3月3日/共同]
http://hobby.nikkei.co.jp/igo/topics/2005.cfm?i=2005030304276go
 





仏像やこま犬、博物館へ「避難」
滋賀の社寺、盗難恐れ寄託

 滋賀県内で仏像などの盗難が相次いでいることを受け、ふだん人がいない寺院や神社の関係者が、仏像やこま犬を博物館に預ける動きが出始めている。この3年間で15体の寄託があった。一方、博物館側からは、収蔵スペースを心配する声も上がっている。

 滋賀県文化財保護課によると、県内では2003年度以降、仏像や古文書、こま犬などを狙った盗難事件が把握するだけで約40件発生し、ほとんどが戻っていない。

 県内は教義浸透のため仏教芸術が盛んだった天台宗のおひざ元で、各地に未指定でも価値の高い文化財が多くある。しかし、改宗などに伴い無防備なお堂などに安置されるケースが多く、同課は「窃盗団に狙われやすい条件がある」という。

 「ふだん人が常駐していないので盗難が心配だ」といった理由から、この3年間で、栗東歴史民俗博物館では仏像11体、県立安土城考古博物館はこま犬2体、県立琵琶湖文化館は仏像2体の寄託を受けた。

 一方、栗東歴史民俗博物館は「博物館は安全なので、これからも依頼が増えそうだが、収蔵スペースにも限りがある」と懸念している。県文化財保護課は「機械警備はコストもかかり難しいかもしれないが、盗難に備えて事前に写真を撮って寸法を把握したり、鍵を付けるなどして警戒してほしい」と呼びかけている。

京都新聞電子版
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007010800023&genre=M2&area=S00











刺したのは砂人形…園児刺殺を否認の被告、責任能力焦点に

 滋賀県長浜市で昨年2月、幼稚園児2人を刺殺したとして殺人罪などに問われた中国籍の鄭永善被告(35)は2日、大津地裁(長井秀典裁判長)の初公判で、起訴事実を否認。弁護側も事実関係を争う姿勢を示し「責任能力はない」と述べた。

 鄭被告は罪状認否で「刺したのは砂人形で、人は殺していない。血も声も出ていない。2人は生きている」と述べた。
 鄭被告は捜査段階で容疑を認めたが、争点を整理する公判前の手続きで「犯人ではない」と否認。弁護側は「心神喪失か心神耗弱だった」と主張する方針。

 審理では、責任能力の有無が最大の焦点となり、事実関係の解明が進められる見込み。公判と並行して精神鑑定が実施され、判決は10月16日に言い渡される。

 鄭被告は逮捕後「自分の娘がほかの子となじめず、このままでは駄目になるので殺した」と動機を供述したとされ、検察側は「動機や犯行態様に合理性がある」と、責任能力は十分としている。

 弁護側は、被告が統合失調症で入通院を繰り返していたことを踏まえ「善悪を判断する能力がないか、極めて低い状態だった。供述内容はよく変化し、意思の疎通が困難だ」としている。

 起訴状によると、鄭被告は昨年2月17日朝、市立神照幼稚園まで保護者が送迎するグループ登園中、自分の車に乗せていた武友若奈ちゃんと佐野迅ちゃん=いずれも当時(5)=を包丁で刺して殺害した。

 公判は、予備日を含め計16期日が指定され、約40人を証人尋問。同じ車に乗り合わせ、犯行を目撃したとされる同幼稚園の園児で被告の長女も非公開で尋問する。2?3月に集中審理。精神鑑定の結果は6月末までに提出される。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/crime/37551/



「一生許しません。極刑を望みます」

 滋賀県長浜市で昨年起きた園児刺殺事件で、殺害された武友若奈ちゃんと佐野迅ちゃん(いずれも当時5)の遺族が1日、現在の心境をつづった手記をそれぞれ公表。殺人罪などに問われ、2日に大津地裁で初公判を迎える中国籍の鄭永善被告(35)への怒りと、わが子を突然奪われた悲しみを訴えた。
 遺族は、若奈ちゃんの両親の武友利光さん、美晴さんと、迅ちゃんの両親の佐野正和さん、美代子さん。
 手記に「(子供の)恐怖や痛みを考えると無念で仕方ありません。代わってあげたかった」「わが子を失って深い悲しみに包まれた生活をしています」と、今も癒やされることのない切実な心情を記している。

 「犯人ではない」と起訴事実を否認するとみられる鄭被告に対しては「一生許せません。極刑を望みます」「幼い命を無残に奪い取って無罪になる理由はないはず」と、憤りをぶつけた。
 事件現場に今も献花が絶えないことや、励ましの手紙が寄せられることには感謝の気持ちを表している。
 若奈ちゃんら2人は、鄭被告の長女と一緒に市立幼稚園に通っていた。
 鄭被告は昨年2月17日朝、保護者が交代で園児を送り合うグループ登園で、自分の車に乗せていた若奈ちゃんらの胸や背中を包丁で刺し、殺害したとして起訴された。
[2007年2月1日12時26分]
http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20070201-150117.html


news archives 日本語学校理事長刺殺 遺族が控訴求め嘆願書
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