(台中 16日 中央社)日本統治時代に台中の水利事業に貢献し、“白冷シュウの父”と呼ばれた磯田謙雄(のりお)技師をしのび、台中市新社区の記念公園内に技師のブロンズ像が建立され15日除幕式が行われた。(シュウ=土へんに川)
磯田技師は烏山頭ダム(台南市)を建設した八田与一技師と同じ金沢の出身。台湾では日本時代、台湾製糖業拡大の必要性からサトウキビの苗を育てる大南蔗苗養成所が作られ、磯田技師に灌漑設備の建設が命じられて1928(昭和3)年着工、1932年に白冷シュウが完成した。逆サイフォンの原理を利用した農業用の水路で新社、東勢、石岡など各地で生活用水や灌漑用水の重要な供給源となり人々に“命の水”をもたらすと称えられ、磯田技師は“白冷シュウの父”と呼ばれた。
磯田技師の新社地方に対する多大な貢献に対し、台中水利局では白冷シュウ故事牆園区(ストーリー・パーク)に磯田技師の像を建立、15日の除幕式には徐中雄・台中市副市長や磯田技師の長女、松任谷良子さんが出席した。謝棟リョウさんが制作した磯田技師のブロンズ像は石造りの椅子に座り東洋一のサイフォン装置と呼ばれる施設を仰ぎ見ているもので、その偉大さがうかがい知れる。(リョウ=木へんに梁)
磯田技師の長女、松任谷良子さんは昔台風が来た時、白冷シュウの工事を心配した父が彼女と母を家に残して用水路を見に出かけた嵐の日のことが忘れられないと語り、父があの世からこの記念像を見守っているに違いないと語った。
(写真提供:台中市政府)
(陳静萍/編集:谷口一康)