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> 2013-07-24 18:54:49
ブラジル訪問:「神が与える希望と驚きと喜びを生きる」教皇、アパレシーダ聖母巡礼聖堂でミサ
ブラジル訪問中の教皇フランシスコは、現地時間24日午前、アパレシーダに巡礼。聖母巡礼聖堂でミサを捧げられた。
アパレシーダは、サンパウロ州東部にある重要な巡礼地。「アパレシーダの聖母」は、ブラジルの保護者としてカトリック信者たちの心のよりどころになっており、毎年700万人の巡礼者が同地を訪れる。
アパレシーダの聖母巡礼地としての歴史は、18世紀初頭のエピソードに起源を発している。1717年のある日、3人の漁師がパライーバ川で漁をしていた。その日はまったくの不漁であったが、辛抱強く網を投げると頭のない小さな聖母像が引き上げられた。彼らが次に網を打つと聖母の頭が見つかり、さらに3度目の網を入れると大量の魚がかかっていた。
漁師の一人フェリペ・ペドローソがこの聖母像を家に持ち帰ると、近所の者たちが像の前でロザリオを唱えるようになった。聖母の取次ぎによる様々な恵みが次第に伝えられ、アパレシーダ(現われた)の聖母への信心はブラジル各地に広がっていった。
1734年、この地に礼拝堂が建てられ、1834年に旧聖堂の建設が開始された。1929年、アパレシーダの聖母は教皇ピオ11世より「ブラジルの女王・保護者」と宣言された。1955年、新聖堂の建設が始まり、教皇ヨハネ・パウロ2世は1980年のブラジル訪問でこれを祝別。1984年、アパレシーダの聖堂は国の聖地として宣言された。
24日早朝、教皇フランシスコは、悪天候のためにまず飛行機でリオデジャネイロからサン・ジョゼまで移動され、そこからヘリコプターでアパレシーダに向かわれた。
アパレシーダもこの日あいにくの雨となったが、2万人の巡礼者が集い、教皇の訪問を朝早くから待った。
教皇は巡礼聖堂到着後、アパレシーダの聖母像が保管される部屋を訪れ、聖母像を見つめながら長い間祈られていた。この後、教皇はブラジル国民と世界青年の日大会に参加する若者たちをアパレシーダの聖母の保護に委ねる祈りを唱えられた。
教皇フランシスコは、聖堂内で行われたミサの説教で、コンクラーベで教皇に選出された翌日、ローマの聖マリア大聖堂に赴き、ご自身の任務を聖母に託されたことを思い起こしながら、アパレシーダでは世界青年の日リオ大会とラテンアメリカの人々の生活を見守ってくださるよう聖母に願いたいと思ったと、巡礼の目的を話された。
また、教皇は2007年にここアパレシーダで開催された第5回ラテンアメリカ・カリブ司教協議会総会で、キリストの弟子・宣教者であることをテーマに話し合った思い出に触れられた。
こうした中で教皇は世界青年の日大会のために来たここブラジルで、聖母の家の扉を叩き、司牧者や両親、教育者らがより正義・連帯・兄弟愛のある国と世界をつくるための価値感を若者に伝えることができるよう助けを祈りたいと述べられた。
そして、そのために皆が努力すべきこととして、
1.「希望を保つ:神はいつも共に歩いてくださり、決してわたしたちを見棄てることがないということを知る」
2.「神の働きに驚く心を持つ:この巡礼聖堂の歴史が示すように、神はその働きを通してわたしたちに驚きを与えられる。神に信頼し、神の愛が与える驚きを受け入れよう」
3.「喜びのうちに生きる:キリスト者は悲観的であってはならない。キリストを本当に愛し、キリストがいかにわたしたちを愛しておられるかを知るならば、わたしたちの心は喜びで燃え上がる」
という、3つの課題を教皇は挙げられた。
ミサの終わりに教皇は巡礼聖堂のバルコニーから、聖母像を手に人々に祝福を与えられた。そして、アパレシーダの聖母発見から300周年を迎える2017年にこの地に戻りたいと話された。
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