喝
もう3月…。なんだか息つく間もなくここまで来てしまった。
先週、仕事で大穴を空ける寸前のミスをしてしまった。
済んでのところで、九死に一生を得た感じの命拾いをしたけれど、事の大きさを後から思って身がすくんだ。
そのことで、わかったことがある。
もうすっかり立ち直って、気持ちも新たに生活をリスタートさせた、と思ってきたけれど、それがまちがいだった、ってこと。
どこかで、嫌々仕事をし、というか、仕事をさせられているような気持ちでおり、自分の手掛けたものの精度を客観的に検証する目は閉じていた。ザルのような、目の粗い、いいかげんな仕上がりにしかなっていなかった。
そんなつもりがなかったのに、最後でガツンと現実をつきつけられて、我ながら、そのお粗末さに愕然とした。
愕然としたことで、頭のなかにずっとかかっていた靄のようなものの存在に気がついた。
うすらぼんやりと、重々しく雲が垂れこめた曇天のような状態が、ずっと続いていたみたいだ。クリアなつもりが、注意力も意欲も散漫だったということに気づかされた。
仕事に身も気も入っていなかった、ということを、結果が示している。
自覚がなかったのだから、もっとたちが悪い。
ショック療法、というわけではないが、仕切り直さないと、と本気で思った。
仕事の良しあしや、やりがいや価値や、そんなものを云々する前に、職業人として、職責を全うする、という最低限のことができなければ、どんなことに手をつけても無駄。
こんな結果がなければ覚醒しない自分というのも情けない話だけれど、寝惚けている場合ではなかったのだった。
やるなら、ちゃんとやる。やらないなら、一切やらない。
そのくらいけじめをつけなければ、代償はもらいうけてはいけなかった。
いまは大佳境だけれど、ひとけりついたら、チームのみんなに不徳を詫びて、そして、これまでの無自覚だが長く深かった「引きこもり」の終わりを告げて、心機一転、プロとしての仕事に戻る約束をしようと思う。
結局、ここまでに1年もかかってしまった。
去年の今ごろの苦しさを思えば、はるかに時間が経っているような、あっという間のできごとだったような、不思議な時間の感覚。
今は、出歩くときに、母の写真をまた持ち歩くようになったけれど、もう涙が出ることはない。苦しかった日々が、少し遠くに感じるようになった分だけ、母と話したことがらや、手に残っているからだの感触が鮮やかに思い出せるようになっている。ずっと娘に戻ってしまっていた私が、こんどは再び母親に戻ったような、大人に戻ったような、そんな感じ。
自分が身をおいていた世界が反転したような、そんな変な感じだ。
今は、私がおかあさん。今を生きているひとりのおとな。子を育て、自分も必死に生きていかなければならないおとな。
だからもう一度、褌を締め直して、頑張らなきゃ。生きていく私は、もっと責任を持って、前を向いて、へりくだらず、卑下もせず、でも惰性に生きることのないように強くならないと。
今度の「難」は、呆けつづけた私への、天からの喝だと思って受け止めようと思う。
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わかるなぁ。
その気持ち。
投稿: じゃりんこ | 2010年3月19日 (金) 15時06分
こんにちは。その後、お元気ですか?
お互い、がんばっていきましょう。
投稿: むこうだ | 2010年3月28日 (日) 23時51分