さて、過去記事(末尾参照)と
前記事に続き、佐藤順一氏の「半減期」講演問題です。
彼があのような説明をしいる理由として挙げているひとつに、前記事で紹介した(1)「半減期そのものの概念を説明するため」ということに加えて、
(2)「半減期が長い方が危険と思っている人の誤解を解くため」
ということがあります。
今回の記事では(2)の「半減期が長い方が危険と思っている人の誤解を解くため」に、本当にあのような説明が必要なのか?そしてそれは適切なのか?
ということを論じます。
「『半減期が長い方が危険』ということが必ずしも正しくはない」ことを理解してもらうためには、科学的・論理的に考えてふたつの方法がありえます。
それは
(A)「半減期」と「怖さ」に直接的な関係が必ずしもないということを示す
(B)「半減期は長いがあまり怖くない」例を例示する
本来、少なくともこの片方、できれば両方を示すことが必要でしょう。しかし佐藤氏の説明はどうでしょう。
まず、(A)として適切かを考えましょう。
そもそも、「怖いかどうか」は、当初からこちらが指摘しているように、まず第一義的には放射線の種類・エネルギーと量によりますし、そして次にそれが体内に取り込まれるかどうか、さらに取り込まれた後の動態がどうなるか、ということによります。
直接的な関係が無いということを示したいならば、まずはこのことを示すべきであり、また、それで十分です。
その上で、一定の量があってさらに体内に一定の影響があるとしたら、「半減期が長い」方が、環境にも生体にも当然「怖い」ものになります。
しかし、佐藤氏の説明は半減期の説明の中で「怖さ」を取り上げる際、放射線の量やエネルギーの問題を関連して取り上げておらず(「ちょっと極端な例」という言い方で断っているのみ。そのおかしさも前記事で指摘済み)、後述するように単純に個数を同じ条件にして1個1個の確率的挙動を示して「気にしなくていい」などと言っているのですから、残念ながら(A)の説明としては成り立ちません。
では(B)「半減期は長いが怖くはない」の例示になっているでしょうか?
「10個なら2万4千年経ってようやく5個」と示すことによって「気にしなくていい」と展開していますが、そうした結論になっている理由は、「半減期の長さ」と言うよりは、むしろ「個数の少なさ」によるものと言えます。
前記事でも指摘している通り、現実の放射能汚染を問題にする時は原子の1個とか10個とかいうレベルの話ではないのですから、非常に大きい集団から検出される放射能を議論するとすれば、ここで上げられている内容は、科学的事実であったとしても(B)の例示としては不適切です。
蛇足ですが、もし(B)の例示なら、カリウム40(半減期12億年以上)でも持ち出すべきだったでしょうね(もちろん、カリウム40の影響については議論がありますが)。
現実に、セシウムやプルトニウムは長期の汚染や管理の困難さがあげられる典型的な放射性物質でもありますから、それらの「1個1個の原子核の挙動」に注目することによっていったい何をどう理解してもらおうとしているのか、そもそも疑問です。
したがって、(B)としても不適切なのです。
つまり、佐藤氏の説明は
「半減期そのものの概念」
としても
「半減期が長ければ危険」
を反証する物としても
全くなっていない、
と言えるのです。
「それでも科学的事実としてそういう見方もできる」という「言い訳」はもはや通用しません。
なぜなら、彼(ら)は、この半減期の説明の理由を「半減期そのものの概念」「半減期が長い時件と言う誤解を解くため」と明言しており、「科学的事実」や1個1個の原子の挙動」という「見方」を単純に紹介したものでなないことを自ら言ってしまっているからです。
つまり、彼らにとっての最後の言い訳の道を自ら閉ざしてしまっており、どのようなことを言ってももはや言い繕うことはできないのです。
ここまででもすでに十二分と言えますが、さらにひとつ。
彼は「半減期が長い」方が「ゆっくりと放射線を出す」(から「気にしなくていい」)としていますが、
彼が持ち出している説明の前提は、「個数が同じ」という仮定です。
しかし、この前提を「同じ個数」ではなく「同じ放射能量」だとしたら、
どうでしょう?
同じ放射能量なら、
「半減期の短いものは早く消失」(彼の言葉を借りれば『気にしなくていい』)
「半減期の長いものは消失まで長くかかる」(彼の言葉を借りれば『気にする必要がある』)
と、彼の示す方向とはまったく逆に導かれます。
「同じ放射能量なら」という別の前提(その方が現実を理解するのに適している)もその結論も一切示さず、前提を「同じ個数」(しかも極めて少ない個数)としなければ成り立たない説明の、その「前提」の意義や意味を説明することなく、単に1個1個の挙動とその「見方」を示して、いったい何の目的が達せられるのでしょう。「半減期の説明」にも、「半減期が長いと怖い」への反証にもならないことも、そして「科学的事実として示した」という言い訳も成り立たないことは、上に示した通りです。
こちらは至極まっとうであたりまえの指摘をしているだけなのです。
で、こういうことを書くと「中山の批判は悪意」とか、「(中山氏の方が)非科学的」「あなたのは科学ではなく『印象』に過ぎない」などと非難されています。「印象」ではなく、きちんと論じていることはお分かり頂けると思います。
しかし、彼らからは、科学的見地からの具体的な反証はないのです。
この記事の最後にひとこと。
以前のブログでも書きましたが、佐藤氏が危険性を過剰に煽る言説に対して憤りを持っている事は理解するし、福島に残る選択をした人たちを守ろうとする気持ちには共感もできます。しかし、彼の半減期をめぐる説明と、中山の批判に対する非難は、「危険性を過剰に煽る」人々の論理とほとんど同じレベルになってしまっている、ということを指摘しておきたいと思います。
これまでの記事も参照ください。
※今回の一連の記事「佐藤順一氏の『半減期』問題、あらためて」関連リンク
<<その1
<<その2
その3(今回)
※過去の関連記事
http://green.ap.teacup.com/nakayama/616.html
http://green.ap.teacup.com/nakayama/619.html
http://green.ap.teacup.com/nakayama/624.html

6