黒澤公人の国際基督 教大学 大百科事典(私家版)

黒澤公人の国際基督教大学大百科事典(私家版)

国際基督教大学 大百科事典(私家版)

ICUが日本で初めて(または、それと同等程度初期)にやったこと。

(個人の知識は知れているので、間違いのあるかも)


What's New

交換留学 50年前に実施 (大 学教育部会 伊藤先生の発言より)

 UC EAP(Education Abroad Program)の開始は50年前,1962年にフランスのボルドー大学が最初の協定校でした。アメリカではそのころから交換留学が盛んになり,ヨーロッ パ中心の東海岸の大学と違い、太平洋側のカリフォルニア大学は、第2協定校を日本のICUにしました。おそらく、このような規模の交換留学制度は、日本 で、そしてアジアでも初めてだったと思われます。






[4年制教養学部] 4年制教養学部大学としては、日本で最初。
           大学は、ある専門家(医者や弁護士とか)を育てるために存在していたのに対して
           ICUは、人間を育てることを、日本で最初に宣言したといっても、過言ではないだろう。
           人間を育てること、産み出すこと、それが、リベラルアーツである。

[入試]

学習能力考査 この呼称も珍しいかもしれませんね。ICUで学ぶ力があるかどうかを調べる試験 (1992年入学案内より)

英語の聴解力試験 (昔は、non_japの先生が各教室を廻って、読んだそうです。)

マークシートによる採点 これも早かったようです。国による共通試験が始まるま で、マークの読み取りミスがないか、採点係は、コンピュータ読み取り結果と、マー キングの誤記入か夜なべして見較べていました。

入試自体も独特特ですね。 昔は2日間、みっちりありました。

[3学期制、9月入学] これも独特ですね。

入学事務室という部署を作ったのもICUが最初だそうです。

授業登録回数も1学期あたり、3回(学期前事前登録、学期開始登録、定員調整等に再登録)あるので、年9回の登録をするもは、ICUだけかも。現在 は、オンライン登録方式が導入されている。海外でも例がないんじゃないかしら。

入学式、卒業式も2回ずつあるわけですし、とんでもなく、いろいろな事務手続きの煩雑は日本一かもしれませんね。(教務課のみなさん、ご苦労様で す。)

[卒業式にガウン]
この習慣も、国内の大学ではほとんど見かけませんね。
どうして、この制度になったのかは、わかりませんが。
3月の卒業式は、ガウンでもいいけど、6月の卒業式はちょっと、暑そうですね.


[LL教室]

言語学教育のため、ソニーが当時、非常に高価だったテープレコーダーを寄付してくれ たのは、有名は話ですね。英語教育に使われたのはもちろんですが、外国人のための日本語教育、同時通訳などの育成にも力を発揮した。

[教会][1954]
[パイプオルガン][1970 オーストリア リーガー社製]
立派なパイプオルガンがあります。当時としては、日本でも、有数の規模をほこりました。
海外からパイプオルガン職人が、来て組み立てたそうです。

大学には、小型のパイプオルガンもあり、オルガンを習うこともできます。
ICU卒業生の中には、プロの音楽家になった方も多くいます。



[D館 学生会館][1958]
オーディトリアムを持つ会館は、当時、日本で初めての学生会館だと言われています。
オーディトリアムでは、演劇などの発表も行うこともでき、卒業後、演劇関係の仕事をされている人もいます。


[図書館]
[1960,1972,2000]

明日の図書館を目指して、基本設計を、プリンストン大学図書館を設計したオコナー氏が行い,その案を基に、レイモンド氏が建設設計を行いました。
全面開架、キャレルという概念も、織り込まれました。
その当時、日本でほとんど考えられなかった、職員のためのラウンジも作られました。
建設当初(1960)から増築を前提に作られ、1972年に増築を行いました.

昭和33年(1958年) 日本で最初の女性大学図書館長の誕生(高橋たね氏)

1960年建設の図書館の空調設備で給気口が天井、排気口が柱内という構造の採用は日本で初めてと言われている.


全面開架制度 いまや当たり前に見えるこの制度、大学図書館としてICUがやり始 めたことによって大きなインパクトがあったのです。

キャレル、リザーブブックなどの当時は、非常に斬新な概念の導入でした。

ブックディテクション 盗難防止装置の導入の早かったですね。これによって、自由 に荷物をもって出入り可能になりました。昔は、カバンの持ち込みは出来ませんでし た。

1960年代に雑誌リストをコンピュータで打ち出したという記録もありますよ。当時 は、アルファベット大文字のみ。だから、和雑誌はローマ字表記だったんですよ。

洋書の目録に外国の書誌ユーティリティー(UTLAS)を利用し始めたのも、日本では初めてでし た。

入館機にフラッパー式(JRの自動改札方式を採用)の導入も当時はめずらしかった ですね。(苦労もありました。)

Z39.50技術を利用した目録作業を本格利用したのも、ICU図書館が初めてですね。

新図書館の建設に自動化書庫の導入も予定されていますが、これも、日本で大学図書館ではじめてです。。

内村鑑三記念文庫
 内村鑑三の絵が、アーマストカレッジ図書館の貴重書ルームに展示されている。日本では、多少知られた内村鑑三だが、尼-マストでは、誰も知らないよう だった。(日本に買い取ることはできないでしょうか?)
アーマストは、クラーク博士の勤められていた大学。
教会ホールには、新島譲の絵画があり、それは、よく知られていた。(1993年10月訪問)


[学園紛争
]

機動隊が最初に突入した大学はICUだそうです。
なんでも一番がいいというわけでは、ないとは思いますが。

[ICU] という略号の大学

国際基督教大学という名称よりICUという名称の方が一般化しているくらいですが、このようなやり方は、たいへんめずらしいことですね。特に、50 年前は。

最近 慶応藤沢もSFCというような略しかたをします。かなり、ICUを研究してSFCの構想を練ったのではないかとも、言われています。(そう言 うのは、ICU関係者の意見だという見方もありますが。)

最近目にする 3文字の略称(必ずしも大学全体では指し示すのはなく、限られたキャンパスを指すことが多い。)

SFC  Shounan Fujisawa Campus

BKC   Biwako Kusatsu Campus (立命館大学)




まあ、なんと、ICU で見つけた SFC  それは、 学生教師会議の略でした。 (国際基督教大学要覧 1953―1955 p.8 より)
これを知ったら、慶應は、なんとおもうかな。でも、略字ですから、慶應のSFCも、学生、先生の共同体意味も、既に内包しているかもしれませんね。

 [学内を走るバス]

 むかしは、バスはICU正門、教会前ロータリー、そして、グランドの脇を通って、裏門へ抜けていたそうです。(6/15/1999 prof Duke. スライド説明より)

 [ICU農場]

 アメリカから牛を送っていただき、ICU牛乳の生産していました。

 豚やニワトリも飼っていたそうです。(6/15/1999 prof Duke. スライドより。)

 [ICU 縄文遺跡]

 野川を中心にたくさんの縄文遺跡が発掘されています。今は、埋め戻されて、野川公園になったりしています。

 [本館]

 創立当初は、建物は本館一つだったので、なんでも、なんでもかんでも本館の中にありました。図書館、食堂もあったそうです。
中島飛行機の研究所を、そのまま、大学の建物にしました。

[ICU高校][1978]
帰国子女の教育を目指して、開学された。その当時、帰国子女を対象にした高校はほとんどなく、画期的な高校の誕生であった。

[コンピュータ]
IBM1160,IBM370
いまでは、机の上に載るようなコンピュータも当時は、大きなマシンでした。
入学試験のマークシート処理、計量経済学の計算等がなされました。

[理学科]
大学で生物学を学べる数少ない大学。

[NON-JAPの先生が安心して働ける大学]
なかなか、日本では、NON-JAPの方が、医者や弁護士、大学教授が、日本で、働くことは、難しい状況にある。そのような状況を智の鎖国と称する人もい る。
ICUは、そんな日本の中で、珍しい大学である.

[留学]

1953年当時、留学という制度は珍しかった。
大学在学中(3年生)留学をしたのも、日本で最初のケースかも。
(The Weekly Giants no.795 p.7 語学研修所とICUの先駆者たち より)

大学教員が、大学の教員資格をそのままにして、大学の経費で留学するということも
非常に珍しいことだった。
現絹川学長も、ICUに任用されて、講師という身分の時代に、大学が留学の手配をして
留学したという経験がある。非常に異例ことずくめの中、留学できたと語っている。
折に触れて語っているが、例えば、 大学礼拝説教集 5(2001,2002年度)
私はどのようにしてキリストを信じるようになったか P5-9



きっと他にも山ほどたくさんあるんだけど、知らないだけなんです。

それらの出来事が、日本や世界にどのような影響を与えたのか知る由もありません が。



アラカルト

昔は国際基督教大学憲法があったそうです。現在の大学の寄付行為の基になっているそうです。

牧場があり、牛がいたそうです。国際基督教大学牛乳が近隣に配達されていたそうです。

ゴルフ場のありました。今は、野川公園になっています。

野川公園には、たくさんの縄文遺跡があります。

学長の名称。 初代湯浅八郎先生は、総長と呼ばれました。

(湯浅八郎先生の経歴は記念館にあります。)

一畳庵 ICUにあるお茶室です。お茶室のあるなんてユニークな大学ですね。

平和記念 図書館入り口スロープ脇には平和記念の石碑があります。

(裏には、秩父宮妃殿下、理事長、評議員会議長、総長、園丁 の名前が刻まれています。 園丁さんの名前が刻まれているところがICUらしいです ね。)

秩父宮妃殿下(名誉評議委員)はよく、ICUを訪れていてくださったそうです。

ICUの宝ものはなんだと思いますか。ICU創立に関わって下さった方々の名前を納めたカードだそうです。

アメリカでは、募金をしてくださった人々の名前を大きな巻物に記名してくださいました。

明石基金 明石さんと言えば、国連で大活躍をされました。若いころ書かれた 岩波新書 国連の著作権料がICUに寄贈され、図書購入資金に当てられていま した。

 50周年記念事業はスタートし、21世紀に向けて、新たな挑戦が始まります。そして、募金活動の開始されるということです。新しい 第二の宝が生 まれることになります。第二の宝をどのように育てていくのでしょうか?

ICUの創立には、当時の日銀総裁がご尽力下さいました。

当時の天皇陛下もICUの創立に多額の寄付をくださったそうですよ。

図書館の建設には、ロックフェラー三世氏の多額の寄付が寄せられたので、できたそうです。1972年の拡張にはソックマン記念企画委員会によって拡 張されました。

図書館新館はミルドレッド トップ オスマー氏の遺産の一部を建設資金に頂きました。そして、その名を館名になりました。

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ICU人名録(ICUになんらかのかかわりのあった人たち。実はたくさんで、書ききれないけど。)

(記念物、逸話から)(記念樹なら数え切れない)

昭和天皇 国際基督教大学の建設のために多額の寄付をしてくださいました。

一万田日銀総裁  当時日限総裁であった一万田氏のご尽力で、国内で多くの寄付をしてくださいました.
 全国規模でおこなってくださったので、現学生のお祖父さん、お祖母さんが、寄付をしてくださっているかもしれませんね。
 それほど,日本国中隅々まで、募金活動が展開されました。


速見日銀総裁 ICUの理事の一人でもありましたが、日銀総裁を歴任されました。。

平和の鐘 一万田氏の平和の響きのする鐘を付けたいと希望されていたようです。
 それに向けて、大口先生の提案で、Freinds of ICUに準備基金が積み立てられています。そういえば、国連にも、日本スタイルの 鐘がありますね。あんな感じの鐘なのでしょうか?

秩父宮妃殿下 (平和記念の石碑) 図書館入り口脇にあります。

Duke 先生の6/15/1999のスライドショウに、ICUによくおいでになっていた様子が紹介されていました。


ダグラス、マックアーサー   在米日本国際基督教大学財団 米国募金委員会 名誉会長 (1953大学要覧 p44より)

ロックフェラー三世  (図書館建設基金)

ロックフェラー四世 現在上院議員 (1957年から3年間ICUで学ぶ)
Duke 先生のスライドで、勉強されている姿を拝見しました。(6/15/1999)

ソックマン(図書館増築委員会)

ルースミラー女史(本部棟前石碑)ICUの誕生を武蔵野に奇跡が起きたと表現されたそうです。(ワイナントさんの女史の追悼文より)

マクリーン(正門入り口石碑)ICU創立当時には桜は植えられていなかったんですね。

湯浅八郎(湯浅八郎記念館) 湯浅先生の民芸コレクションが有名ですね。

明日の大学
受験生はゲストである。
ヒマラヤインスピレーション
若者にまぼろしを  (注:まぼろしは、ビジョンの意味)

山本忠興 初代理事長
       設立準備時代の募金の中心的な役割を果たした。
       建学前に、亡くなられた。

黒澤酉蔵 (雪印乳業、酪農学園創立)1953年当時 ICU理事

片山哲 (1955年評議員 衆議院、元総理大臣)

シーベリー(チャペル)

ディッフェンドルファー(記念館)

シブレーハウス  (JICUFのメンバーの名前にちなむ)

カナダハウス(カナダ合同教会の資金で建設された。)


創立の秘話たくさんありますね。多くの人の願いによって生まれた 民衆立大学 または、国民立大学 そんな名前がふさわしいかもしれませんね。

たくさんのありがとうを込めて、誰かに何かを伝えたい。

もし。この4年間で、自らの人生の方向を見いだしたとしたら、あなたの中に奇跡はおきたかもしれません。奇跡は人知れず訪れます。魚が捕れなかった 漁師の元に、見知らぬ人が声をかけるように。誰にも気付かれず、あなたも知らない内に何か不思議な変化が起こるのかもしれません。

人類の平和を願った人々の声を、今なお、この地で聞き取ることができるのかしれません。

21世紀に向けて、ICUの新たな宝が生まれようとしています。それは、あなたの内に生まれるのかもしれません。


ICUの歴史の語り部が、日本人だけは、ないところが、 非常にユニークといえるかもしれません。

大学の公式創立史も、英語で作成されましたし、6/15/1999の50周年記念教職員祝賀会でも、ICUの歴史を紹介してくださったのは、 Duke先生でした。

ICUは、やっぱり、どこか不思議な大学ですね。その不思議さとユニークさは、そこに関わった人たちの個性、精神故だったのでしょうね。


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