氏名も「呂」と名字だけのものや「白粉」と不完全なもの、カナ書きで漢字不明のものもある。また、同一人物が複数の名前を使い分けているか、調査官が名前を記載ミスしたとみられる部分も存在。大阪、熊本、台湾など戦地ではなく、一般の娼館はあっても慰安所はなかった地域で働いたとの証言まであった。
調査対象の元慰安婦の人選にも疑義が残る。調査には、日本での慰安婦賠償訴訟を起こした原告5人が含まれていたが、訴状と聞き取り調査での証言は必ずしも一致せず二転三転している。
前出の藤井氏は「ずさんな調査報告書で談話を出し、日本と日本人の名誉を汚した河野洋平氏の責任は免れない。取材を拒否しているようだが、逃げずに受けるべきだ。現政府としても、これを放置してはならない。改めて調査委員会を設置して、『河野談話は不正確だった。実態は…だった』という、新しい談話発表に進むべきだ。調査委員会の委員長は女性にして、委員の大半も女性にすべき。世界に向けて真実を発信しなければならない」と語っている。
■河野談話 1993年8月、宮沢喜一内閣の河野洋平官房長官が元慰安婦に心からのおわびと反省の気持ちを表明した談話。慰安婦の募集に関し、強制連行の存在を示す政府資料が国内外で一切見つかっていないにもかかわらず、「官憲等が直接これに加担したこともあった」「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」などと強制性を認定した。閣議決定はされていない。