compound bow
2/
咲に案内されたレストランは、いくらか時間的な余裕をもって動いてきたにも関わらずそこそこに人が入り始めていた。外見はよくある欧風建築というやつで、おしゃれなものにまとまっているが故に没個性的ではある。
「おお、もう人が」
「ホントに流行ってるんすね、ここ」
「そうだね、地元以外からもわざわざ来るくらいさ」
駅から歩いて10分と少しと、立地もそこまで良くはないのだが、客の集まりはいいらしい。
店内に入るとすぐにアルバイトらしい女性に案内され、向かい合う2人がけ、夏ならばオープンテラスにしているのであろう窓側へ腰を落ち着けた。
庭というほd立派なものではないにしろ、芝生と各所の植木は、シンプルながらセンス良くデザインされていると感じる。別段庭に造詣が深いわけでもなんでもない壱だが、見るべきものはあった。
座ると、咲は無表情で、これが例えばユキや若菜、後輩の咲であったりすれば深刻な話でも切り出されそうであるが、彼女の場合はこれがデフォルトである。そんな事を、過去と照らし合わせながら思う。
頬杖をついてじっと壱の顔を見据え、咲は頷いた。
「うん」
「はい」
「良い顔になったよ、やっぱり。さっきも思ったけどな」
「そうですか」
「多分、これが本当の黒沢君なんだろうねえ」
「でしょうかねえ」
「ま、それっぽい話はあとさ。頼もうか」
促され、笑い、メニューを開く。色々と修飾語や形容詞の多い料理名がずらりと並んでいるが、大体は予想がつきそうなので逆に幸いというところだ。咲は既に決めてあるのか、メニューそのものを寄越して、また頬杖で壱を見つめている。
「居心地悪いっす」
「なんでさ、ドキドキしちゃえよ」
「するし、故に居心地悪いんですが」
「だってさあ、いやあもう。ホント久しぶりだな!」
変なテンションだ、と思わないでもないが、自分も似たようなものだと内心の高ぶりを感じながら笑う。
「こうしてると、また昔の事を謝っちまいそうですよ」
「ははは。ま、暫くは仕方ないよ。特に君に対して私は威圧感ある存在だろうし」
「ま、多少は」
「で、決まった?」
「この、フリットってどんな料理っすか?」
「せんめつ」
「飛ばしてるなー桐田先輩」
「このテンションアッパーぶりを許して欲しい。で、フリットな。唐揚げだよ」
「マジすか」
「そこは嘘つかんよ。唐揚げというか、フライ」
「なるほど。唐揚げいいなあ、これにしようかな。咲さんはちなみに何を?」
「あたいはペペロンチーノ」
「チーニって呼ぶとこもありますよね」
「ノは1個、ニが2個だから注意な」
「マジすか」
「ペペロンチーノって唐辛子のことだし」
「すげえ、頭良くなっちゃった……」
「辛くてシンプルで好きなのよね、ペペロン」
「わかります。うーん、そう考えるとあんまり奇をてらったの行かない方がいいかな」
「意外とメニュー決定に時間かける方なんだねえ。ゆっくり決めたらいいと思うけど」
「こういうのでハズレ引くと、もうなんか引きずるじゃないですか。一発目の飯だし」
「わかるとも。さあどうする」
「ペペロン」
「黒沢君可愛いな!」
「なんで!?」
「いや、いいんだ。なんかそう感じただけなんだ」
あらかじめ打ち合わせしてあったかのように、咲との会話はほとんどノンストップで進んでいく。水を飲むタイミングまでお互い同じで、店員に注文を伝える声も同時に出てしまった。そんな事を、揃って笑い、他愛の無さを楽しんでいられる。
やはり、壱にとって桐田咲は特別な存在だった。こうして目の前に彼女を迎え、再び笑いながら話せるようになるなどと、転校した当初は思いもしなかった。それが、咲の大きな許容にも助けられながら、こうしていられる。殆ど奇跡と呼んでいい筈だ。
同じ物を頼んだせいか出てくるのは早かった。
「うお、凄いいい匂いするこれ」
「だろう? さあいただこう」
「いただきます」
フォークを入れる。プレーンなパスタのカラーリングの中に、いくらか焦げ目のついたガーリックに、鮮やかに彩りを添える唐辛子と小松菜。よくあるペペロンチーノと大きく違う点といえば、多少のスープが底にある事だ。
「スープパスタではないんですよね?」
「そうとも。食べてみて、果たして何かわかるかな?」
にこやかに言う咲の言葉にしかめ面をわざと作って、1度器の底をかき混ぜる。最初に感じた匂いの源はここらしい。スプーンを使ってスープをすくって口にするのを、咲はにこにこと笑って見ている。
「どうだね」
「……あ、わかったかも」
「正解は?」
「越後製菓!」
「違う」
「バカな、越後製菓が不正解な筈が……!」
「ヒデキにも勝てないものはあるのよ」
「で、多分オイルサーディンかなって」
「うお、当てやがった」
「親父が好きでよく酒のつまみにしてるんですよ。よく横から手出して食ってました」
「なるほどなあ」
「いや、でもこれは旨いですね」
頷きながら咲もパスタに手をつけ始める。フォークとスプーンを丁寧に使って、巻き取りながら口に運ぶ所作がやけに上品で、意外なものを見るような気分になってしまった。そしてそういう空気を鋭敏に察する女桐田咲。
「なんだその顔は」
「半分ドイツです」
「あしゅら!」
「いや、上品だなって。なんでこの人がそんな事を、って」
「無礼だな君は。いや、食べやすいでしょこれ」
「キイキイ鳴っちゃうんですよ俺、そういうの下手だから」
「なるほど。じゃあやめといてくれ」
「はい」
下らない言葉を交わしながら食事を進め、卑しすぎるほどあっと言う間に食べ終えてしまった。咲の方は流石に壱よりいくらか遅れての完食となったが、ペースは速かったようである。
「うまかったっす」
「うん、美味しかった。2週間ぶりなんだけど、やっぱいいわここ」
「最近出来たんでしたっけ?」
「そうそう。黒沢君が夏に帰省して少し後くらいかな?」
「この辺に置いておくにはもったいない」
「そんな事ないよ、敢えての片田舎さ」
食後のコーヒーを飲み終えると、咲はぐっと両手を絡ませながら背伸びをした。女性のこのポーズを前にして胸に目が行くのは男子たるものにとって仕方の無い事である。
「さて。この後どうしよっか?」
「そうっすねー」
「良かったら、買い物付き合ってくれない? まあ色々と見たい物もあって」
「成る程。勿論いいっすよ」
「よし、行ってみよう」
駅前方面へ戻る。楠白のように大きなデパートや駅ビルオフィスビルが軒を連ねるという程では無いが、それなりに専門店などもあるのがこの片田舎である。
「何を見たいと?」
「服とか細々したものもあるんだけど。メインは楽譜」
「ほう。そういや、音大の女子大生ですもんね」
「そうだぞ。箱入り現役音楽大学声楽科19歳処女、プレミア感あるだろ」
「何言ってんのこいつ……」
「あ、何その顔、気持ちいいな」
「俺本当に咲さんに育てられたんだなってね。思っちゃうよね。哀しみと共に」
「マイサン!」
「股間に触れようとするんじゃない」
「いや、孫か」
「いいんだよそれ別に掘り下げなくて!」
傍目に見なくても頭の悪い2人だろうが、考えてみればずっとこんな仲だったのだから、付き合う、という所まで行かなかったのは不思議と言えば不思議かも知れない。
それは、壱が自分に課していた自制のせいでもあるし、いびつな節度がそうさせた所もある。咲が踏み込んで来なかった理由も、恐らくそれを見て取っての事なのだろう。
冷たい風が吹き、咲が悲鳴をあげて体を寄せてくる。自然に絡められる腕と押しつけられる胸が幸福以外の何物でも無い。
駅から少し歩き、この近所には珍しい3階建ての建物へ。全フロアが楽器店である。この近辺で音楽に携わる人間は、必ずと言っていい程世話になる店だ。3階だけは音楽教室も兼ねており、粘り強く続くバンドブームのお陰かよくギターケースを抱えた若者が入っていくのを見かける。
この日も試奏なのか練習なのか、店内に入るとディストーションの効いた音が微かに届く。
「うむ」
入るなり腕を組み、歩きなれた様子で咲は店内を進む。とりあえず、壱はそれに従う事にした。
楽譜が納められた棚は膨大なスペースで、ギター用、ベース用のTAB譜のものから、各種楽典と並びながら一般的なピアノ用のものが続く。教則本などが各ジャンルの頭にあり、それで種類分けが成されているようだった。
「声楽の楽譜ってどんなんすか?」
「興味あるかい?」
「まあ、今までそれっぽいの見たことないですしね」
「こんなんだ」
言って、咲は適当に取り出した1冊を広げて見せた。メインのボーカルに相当する譜面と、その下に歌詞、更に下には伴奏用らしい2段の譜面で構成されている。
「こんなもんだよ。あんまり取り立てて変わってる所なんて無い」
「ですねえ」
ついでとばかりに壱も色々と楽譜を漁ってみる。大抵演奏したいと思ってみる物については手に入れているので、別の編曲者の手によるものがあるかどうか、という程度の確認だ。
「黒沢君もなんか買う?」
いつの間にか集中して物色していたらしく、気付くと3冊ほどの楽譜を両手で胸に抱えた咲が顔を覗き込んでいた。
「何そのあざといポーズ」
「そんなつもりじゃ……!」
「いや、可愛いっすね。俺は買いませんぜ」
「そうか。可愛いだけは何度も言っていいぞ。じゃ、あたいはこれ会計してくらあ」
「はいよ」
什器の間を通っていくと、すぐに咲の頭は見えなくなる。
ふと携帯電話を確認すると、15時を回る少し前だった。そろそろ彼女が腹を空かせる頃だろうと考えて、近場の喫茶店を思い浮かべてみる。
会計を終えて戻って来ると、無表情に咲は頷いた。
「お腹空きました」
「そうかね」
「なんか食いませんか?」
「いいとも」
そのぐらいの気は使ってみる。使ってみた事を咲は感じたかも知れないが、それはそれで良かった。
よくある喫茶店に腰を落ち着けた。夏に1度帰省して最初に入ったのと同じ店である。
「結構いい時間になってやんのね」
「かなり悩んでましたもんね咲さん」
「だねえ。ごめんね」
「いやいや。なんて曲ですか?」
「なんと尊大な習性だろう」
「え」
「というタイトルである」
「ビビったわ」
「私を死なせて」
「歌曲ってそんなんばっかっすか?」
「和訳するとなんかこう、ストレートになるね」
買ったばかりの楽譜を開き、ぱらぱらとページをめくりながら、咲は言う。
「クラシック……でいいんですかね、そういうの?」
「ミュージカル用だよ。私がやってるのもそれだし」
「咲さんミュージカル歌手になるんですか?」
「なったらカッコイイよなあ」
「確かに。目指してるんでしょう?」
言うと、咲はちょっと首を傾げて、笑った。曖昧な仕草は彼女にはあまり見られないもので、壱はちょっと意外な気がする。
「中々ね。これで競争率の激しい世界よ」
「なんとなく選ばれし者! って感じですもんね、ああいうの」
「色々と前提条件もあるしね。時に黒沢君は?」
「俺はまあ……このまま高校出たらレーベル入りします」
「マジ羨ましい」
「でしょう」
「才能あったもんな、初めて会った時から」
「人よりはあるんでしょうね、多分」
シン・ド・アリッサへ籍を置く事については、既に社長である楡原薫子との間で契約が交わされている。高校を出たら、その日からスタジオで演奏に携わる事になるだろう。
だが実際には、年始に本社へ向かい現場に入る事になっている。薫子の口添えの元、とにかくやらせてみようという事らしかった。
そんな程度を話すと、咲は嬉しそうに笑う。
「順調だね」
「お陰様です。いや、これは本当に」
「私は何もしてないんだよ。そりゃ、多少煽ったりはしたかも知れないけどね」
「それがですよ」
あまり重ねて礼を言われて咲もやり辛いのか、苦笑いをして卓の上に置いた壱の指を揉み始めた。照れ隠しらしいその仕草が、壱にはなんとも言えなかった。
「ねえ咲さん」
「うん?」
弄ばれていた指を握り返し、なるべく自分も照れ隠しにならないよう咲の目を見据え、壱はせりあがって来たものを抑え込まずに続けた。
「俺と付き合って下さい」
「……」
「咲さん」
再度声をかけると、咲は合っていた視線をゆっくりと真横に外す。その顔は初めて見るほどに真っ赤になってしまっている。
「いや、やめて……うわあ叫びたいこれ」
そして俯いて肩を震わせ始める咲である。
「ちょっと! 真面目にやってみたらこれか!?」
「ち、違うんだ。違うの。うん、ごめん、手だけ離して」
言われるままに手の力を緩めると、咲は胸の前で指先を暖めるように動かした。それから、長い息を3つ数えた所で、椅子に座り直す。
作ったのではないのであろう笑顔を、真っ直ぐに向けてくれた。
「うん、喜んで」
「ありがとうございます……これ1ターン前にやって欲しかったんすけど……」
「解らんかなあ壱ちゃん、私のこの嬉しさが。バカっぽい事ばっか言ってるから仕方ないけどさあ」
口元をこれまでに無いくらい緩めながら、咲はなんとか真面目な顔を作ろうとしているらしい。ここまでリアクションをされると、壱も何か恥ずかしくなってくる。
「ほんとに、もうね。嬉しい」
「はい。いや、俺もなんですけどね」
「えーと、1、2、3……9ヶ月弱だよ」
何が、とまで問わなくても解る。壱が姿を消してからだ。自分本位で考えれば充実したものだったが、咲からすれば突然後輩が1人消えたも同然なのだ。連絡もつけられないまま、いくらかは心配もかけただろうと思えば、壱の頭は自然と下がった。
「申し訳も」
「むしろ、いっぱい申し訳しろよ? 全部聞いてやるからな」
そんな咲らしい台詞が、しかし今はまた別の熱をもって聞こえる。変化とは、その程度のものであり、これだけ大層な事でもあった。
それから、またいつもの掛け合いで、話を続けた。とはいっても特段重大な事など何1つ無い。壱は楠白での出来事、これまでの事の中でも笑えそうなものを、咲は壱が居なくなってからの日々について、わざとらしく嫌味を匂わせながら語った。
ふと窓の外で街灯が突然点灯した事で、既に日が落ちていた事に気付いた。
「おお、結構いい時間っすよ」
「本当だ」
「どうします? 飯食いに行きます?」
「……ううん、やめとく」
「そうですか」
当然乗ってくるだろうと思ったが、咲は首を横に振った。
「これ以上はちょっと……困る」
「困りますか」
「濡れてるし」
「もうやだこのオッサン」
「いずれ確かめさせてやろう。や、実際帰って晩ご飯の用意しないとね。うち両親共働きだからさ」
「そうだったんですか」
言われて、咲の家庭環境など知る由もなかった事に気付かされた。それも、追々知っていく事になるだろう。
「じゃ、今日はここまでですね」
「うん。あ、所で……」
言いかけて、咲は固まった。次の言葉を待ってみるが、腕を組んで唸り始めてしまう。
「どうしたんだい先輩」
「先輩言うな。いや、それよ。壱君、壱たん、壱ぽん?」
「あ、呼び方」
妙な事に拘る女である。が、それも咲らしいのかも知れない。
「呼びやすいように。今までのでも、別に」
「えーでも折角だしさ。壱……っていうのが呼びやすいかなあ」
「ああ、いいっすね。咲さん語り口男らしいし」
「なんだと」
「すいません」
「ま、いいか。よし。で、壱はいつまでこっちに?」
「明日で連休終わっちゃうんで、明日には帰らんと駄目ですね」
「うう……また遠距離恋愛か……」
「それだけは謝りたいですマジ。俺の勝手ですし」
「全くだ。でも、仕方ないか。冬休みは?」
「部活もあるにはありますけど、なるべく早めに切り上げてきますよ」
「ん……いや待てよ。壱の部屋にあたいが行くのは?」
「そりゃ、何の問題も」
「そうかそうか。じゃ、冬休み入る頃に日程決めて、遊びに行かせてよ」
「勿論」
「それと」
手荷物をまとめながら、咲は続ける。本当に時間は押しているらしい。
「メールとかするけどさ、律儀に返さないでいいからね? そういう所で面倒な女になりたくないし」
「まあ、その場その場で。そんなに気張るの、らしくないっすよ」
「そ?」
「はい。俺だって何してっかなーってメールとかしたくなるでしょうし。面倒だったらその時にはスルーしてくれれば」
「なんかこう、さぐり合いみたいになるのが嫌だよね、メール。極力電話したい」
「それは俺も望むところ」
文章を書くのがあまり得意ではない都合、壱はメールを打つのが苦手である。時折、後輩の咲や若菜からきらびやかなメールを貰うが、それに対しても事務的な返答しか思い付かずよく叱られている。ユキなどは用件がまとまって書いてあるのでありがたいのだが、婦女子とはあの手のアイテムに手間暇をかけるのが好きなものらしかった。
「よし。行こうか」
咲の一言で壱も立ち上がり、店の外へ。日が無くなると、寒さを更に如実に感じる。
駅の連絡通路まで手を握り一緒に歩き、立ち止まった。咲の家と壱の実家は駅を挟んで正反対になるのである。
「ここでいいよ」
「まさか」
「最初から飛ばすな飛ばすな。今まで通り、でも私は君の、っていう関係でさ。やりたいな」
「……そうですね。正直、俺も送ってから更にまた時間食いそうですし。立ち話しちゃって」
「な。だから、ここで」
「はい。それじゃ」
「うん」
言ってから、咲は握ったままの手を揉み始める。そんなものだろう、と妙に得心の行く壱である。
少しの間そうしていて、それから咲は振り切るように手を離し、目を閉じて顔を向けてきた。
「かかってこい」
「万事こうなるんだな貴様」
「ごめん。チューして」
「はい」
連絡通路には時間帯のせいもあって人通りが多かったが、どちらもそういう事を気にする性質ではなかった。自然に、壱は背中を曲げて、咲はちょっと背を伸ばして、触れるだけのキスを1つ。
「よし。またね。明日も別にお見送りとか重いことしないよ」
「ええ、別に戦争行くわけじゃないんですから」
「浮気すんなよ」
「そっちこそ」
最後には拳の上下をごつごつとぶつけ合い、二の腕をがっしりとクロスさせて終わるのだから頭の悪い事この上ない。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
背を向けて歩き出すと、もう咲は振り返らず、むしろ早足に雑踏へ消えていった。
帰り道は、手だけが寒かった。
[next]