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青木祥のプロフィール

北海道 小樽市に生まれました。


小学校時代は、山や海が近く、

夏は海水浴、冬はスキーと 日が暮れるまで

よく遊んでいましたね。



小学校5年の時に、

自宅の新築購入と同時に

現・石狩市へ転入することになった。



当時はまだ樽川村っていう名前で

札幌市のベッドタウンとして

新興住宅が次々と建設されている頃だった。



しかし、ほどなく

父親の多額の借金が露呈。



家を建てる前にも借金があったようで、

それを隠して、家を購入したみたい。


当然 積み重なる借金を返すことが

できなくなって複数のサラ金からお金を

借りていたようだ。



間もなく

サラ金が毎日のように

家にまで取り立てにくるようになり、

その強引な取り立てに

怯える日々を過ごすようになる。



電話が鳴っても受話器は取れないし、

居留守をつかうために

夜は、1Fの居間の電気を消して、

2Fの部屋でひっそりと

過ごすような生活をしていたことも

あったな。



まだ「サラ金地獄」なんて

言葉も無かった時代で、

その取り立ては 

今なら違法なんでしょうね。



かけても出ない電話なら

いらないだろうって言って

サラ金が 家に勝手にあがりこんで

電話線をはさみで引きちぎるように切って、

電話機を持っていったこともあった。




当時は サラ金から身を守る法なんて

ものも 無かったから

当たり前のように

過酷な取り立てだった。

 


生活を何とかしたいと

母親が思ったんだろうね。



学校から家へ帰ると

何やらお経を唱える母親がいてね。

どうやら

近所に住む創価学会婦人部に

折伏されていたみたい。



最初は お経なんて読んで

何してるんだろうと思ったんだけど

何か 興味が湧いてね。


自分もお経を読んでみることに

したんだよね。


生まれて初めて お経を読んだけど

何か新しいことを覚えたようで

楽しかったなって記憶がありますね。


しばらくして、

日蓮正宗創価学会に家族揃って入信、入会する

ことになった。



しばらく興味半分で勤行もしていたけど、

中学2、3年の頃は ほとんどすることも

なくなっていた。


でも 初心の功徳のようなものは

入信したときに感じて

この信心は 何か違うというもの

だけは 心に残っていた。


相変わらず 借金取りが家に

押し掛ける毎日で 心身ともに

家族が疲弊したような状況になり、

心が荒んでいったんだね。



いつしか 学力もしだいに落ちてきて

志望していた高校のランクを下げる

ことになっていた。


ランクを落とした高校を受験すること

で 受験にも身が入らず 入試の日を

迎えた。



合格発表の日 当然 合格していると

思って 合格掲示板を見るんだけど

自分の受験番号が 何度見ても

見つからない。


えっ ウソだろ。



中学のクラスで

自分一人だけが高校を落ちた。



この時から
 
今の自分を何とかしないと

思って、また勤行をしはじめたんだよね。



それで、いわゆるスベリ止めの高校に通って

たんだけど、当然のように意欲もわかず、

教室では今で言うイジメの対象になっていた。



イジメを受け続ける地獄のような毎日を

何とかしたいとの思いがあっても

自分では どうすることもできなかった。



そんな時に 夜中 買い物に行こうと

乗った車の中で 

父親から

昨年落ちた高校をもう一度

受けないのかって聞かれた。



高校を落ちた時に

来年もう一度受験したいって

言ってたことがあってね。

でも、そんなこと できるわけないって

もう諦めていた。



でも、地獄のような毎日を過ごしていた

自分には どうせ落ちたって、

ダメでもともとって思って、

高校を受け直すことにした。



それが 何と受験願書締め切りの

前日の夜のことだった。



今にして思えば 

父親が諸天になったんだと思う。



父親が中学と高校を何度も往復してくれて、

中学に行って願書を作ってもらい、

なんとか受験することができるように

なった。



この時から

必死に勤行・唱題した。



この時は、何を大げさにって

思われるかもしれないけど、

自分の一生と信仰の正しさを

この高校受験に賭けてたんだよね。




受験勉強だってしていない。

それに昨年落ちた高校。

普通に考えたら受かるわけがない。



でも、奇跡が起きた。

合格。

この年は 受験者が定員を割るって

いう事態が起きたんだ。



前年に落ちた高校を

勉強してないのに受かっちゃった。



こんな奇跡のようなことが

起きるのは 

この信心が正しいからだって

確信した。


何も棚からぼた餅のようなことを

ここで、言いたいんじゃないんだよ。



常識では考えられないようなことが起きて 

自分の願っていたことが

叶ったって思ったの。



だけど、父親の借金苦は相変わらず続き、

高校1年の時に、両親が離婚することに。



それからは、生活保護を受けながら、

高校に通うことになった。


創価学会では、高等部の部長として

活動するようになっていた。

その頃 真駒内競技場で

第3回世界平和文化祭という創価学会のイベントがあり

出演者として、参加した。



生活保護も受けていたし、

経済的に余裕は無かったからね。

北海道教育大学に進学して、

大学卒業後は、

早くお金を稼がなければならなかったんで

すぐに教師として就職したんだ。



就職して2・3年経った頃 

創価学会が日蓮正宗から破門された。



当時は男子部に所属していたんだけど、

あまり活動には熱心でなかったし、

日蓮正宗と創価学会の関係が

よくわからなかったんだ。


で、そのまま創価学会にいたってわけ。


平成7年 教育部(教育関係者の組織)の幹部(公立学校校長)から

学会幹部の娘を紹介され、結婚することになった。



この時に 

 「今は みんな この本尊に取り替えてるわよ。

 その本尊も取り替えたら。」って言われて

 日顕猊下様の御形木御本尊様を

 学会の会館で

 創価学会作成ニセ本尊に取り替えた。

 

 ニセ本尊を拝み出した頃からか

職場で色々な悩みが頻発するような出来事がおきてくる。



色々悩んだ末 

創価学会の活動に活路を見出そうと、

熱心な活動家となった。


この信心は正しいという

思いもあったし、

学会活動をしてこなかったことが

自分の悩みの原因って

考えていたんだよね。


信心が間違ってるとは

思わなかったのね。

自分の信心が足りないって

思ったわけ。


それからは仕事が終われば、

即創価学会の活動へ。


土・日・祝日も学会活動に費やし、

だんだん家庭を顧みる時間も無くなってきた。

その分というか 学会内では

熱心な活動ぶりが評価されることになるんだよね。



組織では、男子部の部長、本部長と役職が上がり、

いわゆる”バリ活”って言われる活動家となっていったわけ。



だけど 仕事の悩みを解決するために

熱心に学会活動に賭けてきたのに、

一向に悩みが解決しないんだよ。

って言うより ますます うまくいかなくなってきた。

もう どうしたらいいんだろうって

漠然とした不安と悩みをかかえていた。


そして、燃え尽きたように男子部を卒業
(30代後半に壮年部へ移行)。


結局 仕事もうまくいかず 

妻との間にも 何かすきま風が吹く様なお寒い状況に

なっていった。

 
何でだろう。

何でこうなるんだろう。

何かがおかしいと感じはじめる。



この信心は正しい。

学会活動もやるだけやった。

でも 願いが叶うどころか

ますます 悩み苦しみが深くなっていく。

もう 生きていくことが辛い

地獄のような毎日になっていった。



かつて イジメを受けて

いたような地獄のような毎日に。




そんな時 ネットを見ていると

ある非活の壮年部のサイトに出会う。

あぁ 自分と似たような人がいるなって思った。


そのサイトのリンクから

日蓮正宗信徒樋田昌志氏のYouTube動画に出会う。


「長野法論」って。 

あれ学会幹部と法論してるんだねこの人。

随宜論って何?

法論の内容一つ一つについては よくわからなくても、

創価学会論者の旗色が悪いことぐらいはわかった。


さらに 動画を見ていく中で

樋田氏が

「ニセ本尊(創価学会作成本尊)なんか拝んで、

 人生無駄に過ごしてどうするんだ!」との叫びに


 頭の先から全身に電撃が走る。



「そうか 自分の悩みの根本原因は、

 この創価学会のニセ本尊に全ての原因があったのか。」



 その後 

 色々と創価学会と日蓮正宗との関係について調べていった。

 
 すると 次々に明らかになる

 創価学会・池田大作の謗法行為、謀略体質。



 ヒロエ・クロウ裁判(いわゆるシアトル裁判)

 芸者写真裁判 

 C作戦

 
 宗門問題のときに 何があったのか。

  

 今まで聞いたこともなかったことが

 日蓮正宗側から出されている。


 
 一方聞いて沙汰するな とはこの事。


 当事者の片方だけからの話を聞いて

 判断をしちゃあいけないってことだね。


 創価学会にいれば、創価学会のメディアを

 通した情報しか入ってこないわけじゃん。


 池田大作の指導、聖教新聞、創価新報、

 本部幹部会同中、地元幹部の指導など。


 結局 創価学会側からの情報だけ

 聞いてるわけじゃない。
 
 日顕猊下様のことも、

 日蓮正宗のことについても。


 
 聖教新聞や創価新報で 日蓮正宗側のいい分も

 書いてありますよって 言っても

 それこそ そんなの自分にとって 

 都合良く編集してるわけじゃない。

 創価学会にとって 都合の悪いこと 載せますかって話。


 だけど、日蓮正宗は全然違った。

 全文公開。

 たとえ 後で誤りを認めたところも包み隠さず

 堂々と公開している。


 どちらが真実を伝えているか。

 どちらの態度が真実を伝えようとしているのか

 推して知るべし でしょう? 


 決定的だったのは 芸者写真裁判の東京地裁の判決。



 それまでは 創価学会は正義の団体、人権の団体、平和を推進する団体

 日蓮大聖人様の仏法を正しく世に広めている唯一の宗教団体だって

 思っていたわけ。

 

 それが、東京地裁の判決を読むと、

 創価学会側が日顕猊下を落し入れることを目的に
 
 写真をねつ造したとはっきり判決文に書かれている。


 裁判所が 事実関係を調べないで 判決を下すわけがない。


 学会は正しい、正義の宗教団体じゃなかったのか。


 その学会が 写真をねつ造?


 どうして正義の創価学会 悪を破し、正義を顕揚する創価学会が

 写真をねつ造する必要なんかあるんだ。

 そんな ことをするわけがないじゃないか。


 でも、東京地裁は創価学会が写真をねつ造したことを裁判で認めた。

 じゃあ 東京地裁が間違っているのか?


 その後の判決を追っても この写真ねつ造はくつがえっていない。


 と言うことは 

 

 えーっ 創価学会は ウソをついてたっていうことーっ。


 で 樋田さんの主張する 

 創価学会の本尊がなぜニセモノなのかの根拠をみてみる。
 


 創価学会のニセ本尊が

 不幸の原因であることを前提にすると、

 今までの漠然としていたモヤモヤが全てきれいに解決。

 
 まるで ジグソーパズルのパーツが

 一つ一つはまっていくようにわかるようになってきた。


 これが パラダイムシフトってことだね。


 同じものを見ていても 見方を変えると

 全然別のものが見えてくるってことだよ。



 創価学会、池田先生は正しいっていう前提条件が

 くつがえって ウソをついているっていう見方に

 変えた瞬間 パラダイムシフトが起こったんだ。


  

 日蓮正宗に戻ろうとすると、

 創価学会幹部の義父が離婚を、


 同じく幹部の仲人が人事に介入することなどを


 脅し文句に恫喝しに来る。


 悩んだ末 家族には内密に樋田氏を介して日蓮正宗に戻る。

 しかし、半年後に妻が娘を連れて別居。


 創価学会幹部職員が自宅へ来て、

 「お前は創価学会をクビだ」と宣告していき、

 創価学会を強制的に退会させられる。

 半年後 学会幹部仲人の部下だった職場の校長から

 異動の内示を受け、
 
 転任して1年目にも関わらず、

 管内最西の僻地校へ異動させられる。

 
 
 さらに、同居を求める調停に応じない妻からは、

 子どもの親権、

 養育費、多額の慰謝料を請求され、

 離婚裁判で訴えられる。



 まさに創価学会の組織を利用した 

 誹謗中傷、圧力にさらされ 

 創価学会の謀略体質を

 身を以て経験する事になる。



 爾来5年の月日を経て、


 現在は、自分と同じように

 創価学会ニセ本尊の害毒により

 悩み苦しむ創価学会員を

 一人でも多く救おうと活動しています。
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プロフィール

青木 祥

Author:青木 祥
元創価学会員の日蓮正宗信徒です。
平成20年無慈悲な創価学会よりクビと宣告されました。
創価学会の邪義とニセ本尊の害毒から一人でも多くの創価学会員を救うべく活動しています。

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