10月1日 晴れ
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10月2日正午すぎ、一本の電話あり。
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「えっ」と言ったまま身体と脳の活動が停止する。
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それは先駆九州の素晴らしき心優しい青年の訃報であった。
心の病(障害)を持ちながら、ボランティア活動、子ども会、町内会役員等々
地域貢献に走り抜いた青年が、すべてに疲れ果て自ら命を絶った。
彼とは、2010年1月に私の拙いブログにコメント入れてくれたのが始まりで、
ネット上で会話をするようになり、メール、Skype、電話と直接話しをする関係であった。
しかし、お会いしたことは一度もなかった。
2日の正午すぎ、私が仕事から帰宅するのを待っていたかのように
奥様より電話がありました。
「主人が亡くなりました・・・・・遺書においぼーさんには連絡して欲しいと書いてあった」と
私は頭の中が真っ白になり、奥様とはありきたりなお悔やみの言葉を言うのがやっとの事でした。
全身の力が抜けたようになり、ご本尊の前に端座しお題目三唱した途端
大きな声を出して泣いた、慟哭。
人が亡くなり、自分の親でさえ泣かなかった私が
肩を震わせながら涙が止まらなかった。
妻も一緒に泣いてくれた。
辛さと切なさと寂しさ、何よりも救えなかった悔しさに
涙で唱題出来なかった。
亡くなる3日前、深夜2時までSkypeで話をしたじゃないか。
「なんでこんな事で悩んでたんだろう?」って元気になっておやすみって言ったじゃないか!
「辛ければ、何もしなくていいよ。すべて断れ、悩む必要なんかない」って!
大阪で一緒にお酒を飲もうって約束したじゃないか!
私の知っている大阪の面白い所へ案内するって約束したじゃないか!
息子に会うのを楽しみにしてくれていたじゃないか!
君はなんて優しい人だったんだろう。
世界で一番大好きな奥さんがいて
私の息子をはじめ学園生を自分の弟のように激励し
息子が中学生の時にディベートの全国大会で準優勝した時
経済的にも大変な中、ディベート部の弟、妹たちにお菓子を送ってくれたよね。
私の知人の甥っ子さんが肝臓移植のため渡米するのに寄付をしてくれて、
わざわざ東京まで行って激励品を渡してくれた。
ホームページを通じて、彼や彼の両親に毎日のように激励してくれたよね。
残念なことにドナーが見つかり手術をしたが手遅れで、
彼のお別れ会の時も遠く九州から私と連名でお花を贈ってくれたよね。
私のようなこんな冷たい男に、あなたのような優しい友人が出来るなんて不思議でした。
間違った事が嫌いで、誤魔化すことも大嫌いで
他人に優しく、自分に厳しい人でしたよ、あなたは。
私のようにちゃらんぽらんで、すぐ逃げ出すような正確なら死ななくてよかったのに。
自分をもっと赦せる人なら、もっと楽に生きれたのに。
幼い頃にお父様を亡くされ、女手ひとつで育ててくれたお母様を残して
なぜ、先に逝くだよ!
師匠の「雪柳 光の栄冠」を読んで涙を流していたあなたを思い出します。
プライベートのことなどで書けない事が多いけれど
これだけの文章を書くのに、半月もかかりました。
こんな文章を書くなんて思ってもみなかったよ、
書きたくなかったよ!
馬鹿野郎! なんで死ぬんだよ!
人生これからじゃないか!
涙で画面が見えないよ!
辛かったんだな。
辛かったんだよな。
苦しかったんだな。
苦しかったんだよな。
自分自身を赦す事が出来なかったんだな。
自分自身を赦す事が出来なかったんだよな。
どうしても、どうしても、どうしても。
何もかもから逃げ出せば良かったんだよ!
君が心配するような事など何も起こらないよ、きっと。
迷惑がかかるといけないからって、
形だけでも師匠と離れようとまで考えてたんだよな。
そんなことしなくても、師匠はすべて理解してくれているよ。
毎日追善回向しているよ、朝夕欠かさずにね。
早く帰ってこいよ!
早く会いにこいよ!
今でもあなたの声が耳から離れないでいるよ。
あの優しい声が、「兄さん、兄さん」って。
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合掌
君が会いに来るまで
生きて生きて生き抜いて待っているよ。
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