基本的な英文に "This is a pen." というものがある。「これはペンである」と翻訳されることがあるが、この英文には日本語にない独特のニュアンスが隠されている。この英文を言う場合、その本人の意識にはペンと称されるものが世界中に複数あり、このペンはそのうちの一つであるという前提が存在している。
ところが、もしある者が会話の冒頭に "This is the pen." とペンに the を付けた場合、状況は一変する。世界に一つしかないものに英語は the という冠詞を用いる。したがって、 the pen にはこの世でたった一つのペンという意味が発生する。それは、誕生日のプレゼントとして恋人からもらった自分にとって世界で唯一のペンであってもいいし、特別注文であつらえた世界に一つだけしかないダイヤモンド入りのペンを指してもかまわない。映画や小説の登場人物が "This is the pen." と言ったのであれば、何らかの理由で世界中のペンが失われ、目の前のペンが世界で最後のペンになってしまったという場面設定であることもあり得る。
物体には表と裏がある。その裏を英語で表現するとき、状況によって a を付けるか the を付けるか使い分ける。裏という単語を the と共に用いた場合、紙やコインの裏などのように裏側が表側に対して一つしかない状況を表すことになる。これとは逆に、 a が付けられるときには裏が一つではなく複数あって、その中の一つであることを示唆しており、常識的にはサイコロなどの多面体が連想されるところである。
一つの言語は奥が深い。国際観光のような異なる言語が交差する場では、こうした言葉の表現における決まりごとや文化的な慣習による相違に留意し、誤った解釈とならないように心したい。
(実践女子短期大学英語コミュニケーション学科助教授・武内一良)