鏡の前でポーズを取る元力士でボディビルダーの薬丸猛さん。右はトレーニングセンター・サンプレイの宮畑豊代表=東京都台東区上野
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力士からボディービルダーへ異色の転身−。元十両清の富士の薬丸猛さん(47)が、現役時代に果たせなかった頂点への夢を、再び自身の肉体にかけて挑んでいる。薬丸さんは40歳で東京都目黒区に薬丸治療室を開業し、仕事が軌道に乗ってきた45歳のころ、「もう一回、何かに挑みたいと思った」とボディービルを始めた。最高で150キロあった体重は83キロに。鍛え上げ、絞り込んだ肉体の体脂肪率は6%だという。
薬丸さんが通うのは東京都台東区のジム「サンプレイ」。週に5日から6日、ときおり腹から搾り出すようなうなり声を上げ、2時間のトレーニングに汗を流す。
異色のボディービルダーだ。日本ボディービル選手権に25回連続で入賞し、ミスターユニバースミドル級4位など輝かしい実績を持つ同ジムの宮畑豊代表(72)はこんな言葉を贈る。「力士をやめてボディービルを始めた人は、まずいない。彼が先駆者です」と。
なぜボディービルだったのか。「相撲をやっていた19歳からサンプレイに通っていて、ボディービルの大会に出ているビルダーたちのことも知っていました。前から興味を持っていたんです」
1993年秋場所に、初土俵から12年目で新十両に昇進した。当時は135キロ。体は小さいが、正統派の突き押しで十両を2場所務めた。32歳で引退。高卒の資格を取得するため東海大望星高(東京)の通信教育を受けた。同時に整体の学校に通い、台東区の治療院で働き始めた。高卒が条件の「あん摩マッサージ指圧師」の国家資格を取得して独立するためだった。「勉強漬けの毎日でした。一番つらい時期だった」と振り返る。
あん摩マッサージの学校でも学び、39歳で国家資格を取得。1年後に目黒区で開業。当時は忙しくて、トレーニングには週に1回行けるか行けないか程度。体重は105キロまで減っていた。
だが、45歳になり、ようやく生活が落ち着いてきたころ、「もう一回、何かに挑みたい」と、本格的にボディービルに取り組むことを決意。現役時代は、白米を丼に2杯食べていたが、今はサツマイモを蒸したり、鶏肉を、油を使わずゆがいたりと、タンパク質を多くとる食事を心掛けている。
ボディービル歴1年で昨年8月のミスター東京ボディービル選手権のマスターズ40歳以上級でデビュー。今年8月の同大会にも出場した。ともに予選で敗退したが、宮畑代表は「相撲界にいたときから下半身の強化はしっかりしている。来年は6位以内が目指せる。弱点は腹筋。10月から5月までのオフシーズンに欠点を克服できれば優勝もできる」という。
元シブがき隊のヤックンことタレントの薬丸裕英さんは、誕生日が8日違いのいとこ。「父親同士が兄弟。テレビで自分のことを話してくれるときもあって、うれしいです」と励みにもなっている。「マスターズもありますが、いずれは一般の部の体重別に出場したいと思う」。薬丸さんの挑戦は続く。 (岸本隆)
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