2013年10月11日
生きるために必要なもの(一部削除訂正・追記)
それはたった三つ。
「縁」「ありがとう」「ごめんなさい」。
たったこれだけ。
縁がなければ、因果があっても何も起こらない。
故にすべての縁に感謝すること。
しかし、感謝したくもない逆縁もある。
そんなとき人は、大体において怒るものだ。
そこで必要になるのが、寛容の精神。
つまり「ごめんなさい」と言い、あるいは言わないまでも、逆縁で感じた怒りを「許し」、受け入れること。
こうすることで、逆縁は順縁となり、自分の中にある全ての因果を生かしきることができる。
たったそれだけのこと。
だから釈尊は「好き嫌い」を棄てろと言っている。
「決して怒るな」と言っている。
人間は愚かで、一度怒るとそれを許すことが出来ないからだ。
ならば、はじめから怒らなければいい、そういうことだ。
までも、多くの人はまずもって、その怒りに自分から近づくことを恐れる、つまり臆病。
不愉快なものは見ない、聞かない、近寄らない。
そうして身を守っているのだろうが、それでは因果の発露という自身の成長はない。
そういうことなんですよ。
だから、私はいつも嫌なことから逃げてないだけなんですよ。
問題になって嫌な思いをするのが予想できれば、見なきゃいい、逃げ出せばいい。
それが多くの人の思考法だ。
けど、私は違う。
なにしろ孤独の恐ろしさを知っていますからね。
「縁」が無いという恐ろしさを身を持って知っているからです。
たとえ逆縁であろうが、それを自分の中で力にすればいいということ。
人が集まる場所に対して、群れるな、とかほざくことがいかに馬鹿げたことか、
これでおわかりだろう。
いかなる「縁」も、その人の一念で仏界を開く縁となりえるからだ。
そうしたことがわからない愚か者は、
人の集まっている場所を見て、嫉妬する、やきもちを妬く。いと愚か。
つまり、嫉妬によって、自ら魔の働きをしているということ。
そこでやり取りされている縁を「分断」しているということだ。
私もね、何度もきつい言葉を投げかけて、縁を切ってきたことのある人間だ。
だから、それがいかに馬鹿げた行動か、自分やそこに集っている人々を引き裂くかは良く知っている。
分断の働き、魔の働きをする者は消えよ。そして孤独を味わい、縁の大切さを知るがよい。
もしくは、魔の働きになっている振る舞いを弁えるべきである。
反逆する二大要因、それは「嫉妬」と「忘恩」の輩だ。それぐらいは知っているだろうに。
我が身をよく省みよ、だ。
地獄は孤独、孤立――仏界は共生、共有である。
本当ですかね? これは以前私が提議したことだ。
確かに娑婆世界にあっては仏界は共生・共有という形で顕現する。
しかし九識にあってはどうだろうか?
一如である。地獄仏一如である。
つまり、孤独であっても、縁があって自らの胸中にある因果が発露していることを感じ取れていれば、
孤独感など微塵も感じないということだ。
ようやく、先生の仰っていた、「孤独になっても生きられる方法はある」が明確にわかりましたよ。
もう、娑婆世界での孤独を恐れるのは、やめにする。
なぜかなら、その恐れこそ最大の臆病を生むことを私は知っているからだ。
それにしても、晒し者にして、人を叩くのがお好きな方が多くて、困ったものですね。
あなたがたがそうやって攻撃するからさ、反撃するしかなくなってること、気づいてます?
なんで私だけひたすらいたぶられて我慢しなきゃならんのですか。冗談じゃないですよ。
人には言動を自粛しろとか言っておきながら……ですよ。
で、種をまいたのは全部私ですか、全部、何もかも私の願兼於業ですか。
飛躍しすぎも甚だしい。
願兼於業は主観の中のことだけですよ、つまり個人の意識と五感で感じるものだけですよ。
なんで娑婆世界のことまで、私に全責任があるとか言われなきゃいけないんですか。
意味不明もいいとこですわ。
何度も言ってるじゃん、娑婆世界で起ることは全ては縁起だって。関係性だって。
それを一個人に責任押しつけてさ、虐めつくすのがそんなに面白いのかい?
人と人とのつながりには、実は人間のいわゆる個人的な意志や希望を超えた、一つの深い縁の力が働いているのである。男女の縁もまた同じ。そうとすれば、おたがいにこの世における人と人とのつながりを、もうすこしありがたく考えたい。不平や不満で心を暗くする前に、縁のあったことを謙虚に喜びあい、その喜びの心で、誠意と熱意をもって、おたがいのつながりをさらに強めてゆきたい。そこから、暗黒をも光明に変えるぐらいの、力強い働きが生まれてくるであろう。
松下幸之助
よく見るがいい、人と人が集まっていたこの場所で、今は閑古鳥が鳴いている。
一体誰が何をしたんだ?
縁を断ち切って、いつまでもこのブログを攻撃して、ここが嫌な空気の場所だと感じるようにしたのは誰だ?
魔の働きをして、縁を断ち切り、人と人とのつながりを壊しているのは誰だ? 何者だ?
真実をよく見るがいい。
だが私にもその責任の一端があったことは認めるよ。
私ははじめからそう言ってきた。双方に責任はあるとね。
だが、私が平常の運営に戻そうとしても、いつまでもそのことに触れ、いつでも火に油を注いで、
また縁を断ち切ったのは誰だ? 何者なんだ?
外野ではないか、当事者でも何でもない外野ではないか。
そういうのを、野次馬根性というのだ。
人が怪我をしているのを写真に撮るような馬鹿者は誰だ? 考えてみるがよい。
だから触れるな、関わるなと何度も言ったではないか。
しかし、誰も彼も聞く耳もたず、だ。
そんなにまでして、「縁」を断ち切るのが楽しいのかい?
そんなにまでして、魔の働きをする者を、私は仏法者だとは認めない。
自分から縁が切れるきっかけを送って来た人もいた。
私に覚悟せよと言われて、沈黙した人もいた。
責任は一人にあるのではない。すべての人にある。関係性において発生するものである。
運命共同体。そんなこともわからない仏法者など、仏法者でもなんでもない。
真実をよく見るがいい。
建設は死闘、破壊は一瞬。
誰が苦労して築いてきたか、わかってるのかい?
少なくとも、発信し続ける、そういう姿勢を貫いてきたのは、誰あろう私だ。
その発信という縁を、ずっと綴り続けてきたのも私だ。
批判屋が何をした?
何一つ、価値的な激励などせず、魔の働きをして、人と人とのつながりを破壊したんじゃないのかい。
もう一度言おう。
冷静になって、真実をよく見るがいい。
で、なぜ私が怒った記事を書くのか?
簡単です。怒りを無理に抑圧すると、うつ症状が重くなるからです。
正常な人はいずれうつ病になるからです。
これは心理学を知っていれば理解できることです。
とはいえ、その表現法は選んできたつもりですよ。
完璧に実践できていたなんて言い張りませんけどね。
すなわち、怒りの感情の発露も、これ自己防衛として、してあるべき姿なんですよ。
怒らない人間なんていませんからね。
ようは、表現してみて、成功したり失敗していくなかで学んで、
正しい表現法を学ぶしかないということです。
実践せずして何もなし、です。
アサーションという言葉を知っていても、実践しなければ、知っていないのと同じということです。
失敗や波風が立つのを恐れていては、何も得られない。そういうことでしょう。
一生懸命にやって勝つことの次にいいことは、一生懸命にやって負けることなんだわ。
モンゴメリ『赤毛のアン』より
「縁」「ありがとう」「ごめんなさい」。
たったこれだけ。
縁がなければ、因果があっても何も起こらない。
故にすべての縁に感謝すること。
しかし、感謝したくもない逆縁もある。
そんなとき人は、大体において怒るものだ。
そこで必要になるのが、寛容の精神。
つまり「ごめんなさい」と言い、あるいは言わないまでも、逆縁で感じた怒りを「許し」、受け入れること。
こうすることで、逆縁は順縁となり、自分の中にある全ての因果を生かしきることができる。
たったそれだけのこと。
だから釈尊は「好き嫌い」を棄てろと言っている。
「決して怒るな」と言っている。
人間は愚かで、一度怒るとそれを許すことが出来ないからだ。
ならば、はじめから怒らなければいい、そういうことだ。
までも、多くの人はまずもって、その怒りに自分から近づくことを恐れる、つまり臆病。
不愉快なものは見ない、聞かない、近寄らない。
そうして身を守っているのだろうが、それでは因果の発露という自身の成長はない。
そういうことなんですよ。
だから、私はいつも嫌なことから逃げてないだけなんですよ。
問題になって嫌な思いをするのが予想できれば、見なきゃいい、逃げ出せばいい。
それが多くの人の思考法だ。
けど、私は違う。
なにしろ孤独の恐ろしさを知っていますからね。
「縁」が無いという恐ろしさを身を持って知っているからです。
たとえ逆縁であろうが、それを自分の中で力にすればいいということ。
人が集まる場所に対して、群れるな、とかほざくことがいかに馬鹿げたことか、
これでおわかりだろう。
いかなる「縁」も、その人の一念で仏界を開く縁となりえるからだ。
そうしたことがわからない愚か者は、
人の集まっている場所を見て、嫉妬する、やきもちを妬く。いと愚か。
つまり、嫉妬によって、自ら魔の働きをしているということ。
そこでやり取りされている縁を「分断」しているということだ。
私もね、何度もきつい言葉を投げかけて、縁を切ってきたことのある人間だ。
だから、それがいかに馬鹿げた行動か、自分やそこに集っている人々を引き裂くかは良く知っている。
分断の働き、魔の働きをする者は消えよ。そして孤独を味わい、縁の大切さを知るがよい。
もしくは、魔の働きになっている振る舞いを弁えるべきである。
反逆する二大要因、それは「嫉妬」と「忘恩」の輩だ。それぐらいは知っているだろうに。
我が身をよく省みよ、だ。
地獄は孤独、孤立――仏界は共生、共有である。
本当ですかね? これは以前私が提議したことだ。
確かに娑婆世界にあっては仏界は共生・共有という形で顕現する。
しかし九識にあってはどうだろうか?
一如である。地獄仏一如である。
つまり、孤独であっても、縁があって自らの胸中にある因果が発露していることを感じ取れていれば、
孤独感など微塵も感じないということだ。
ようやく、先生の仰っていた、「孤独になっても生きられる方法はある」が明確にわかりましたよ。
もう、娑婆世界での孤独を恐れるのは、やめにする。
なぜかなら、その恐れこそ最大の臆病を生むことを私は知っているからだ。
それにしても、晒し者にして、人を叩くのがお好きな方が多くて、困ったものですね。
あなたがたがそうやって攻撃するからさ、反撃するしかなくなってること、気づいてます?
なんで私だけひたすらいたぶられて我慢しなきゃならんのですか。冗談じゃないですよ。
人には言動を自粛しろとか言っておきながら……ですよ。
で、種をまいたのは全部私ですか、全部、何もかも私の願兼於業ですか。
飛躍しすぎも甚だしい。
願兼於業は主観の中のことだけですよ、つまり個人の意識と五感で感じるものだけですよ。
なんで娑婆世界のことまで、私に全責任があるとか言われなきゃいけないんですか。
意味不明もいいとこですわ。
何度も言ってるじゃん、娑婆世界で起ることは全ては縁起だって。関係性だって。
それを一個人に責任押しつけてさ、虐めつくすのがそんなに面白いのかい?
人と人とのつながりには、実は人間のいわゆる個人的な意志や希望を超えた、一つの深い縁の力が働いているのである。男女の縁もまた同じ。そうとすれば、おたがいにこの世における人と人とのつながりを、もうすこしありがたく考えたい。不平や不満で心を暗くする前に、縁のあったことを謙虚に喜びあい、その喜びの心で、誠意と熱意をもって、おたがいのつながりをさらに強めてゆきたい。そこから、暗黒をも光明に変えるぐらいの、力強い働きが生まれてくるであろう。
松下幸之助
よく見るがいい、人と人が集まっていたこの場所で、今は閑古鳥が鳴いている。
一体誰が何をしたんだ?
縁を断ち切って、いつまでもこのブログを攻撃して、ここが嫌な空気の場所だと感じるようにしたのは誰だ?
魔の働きをして、縁を断ち切り、人と人とのつながりを壊しているのは誰だ? 何者だ?
真実をよく見るがいい。
だが私にもその責任の一端があったことは認めるよ。
私ははじめからそう言ってきた。双方に責任はあるとね。
だが、私が平常の運営に戻そうとしても、いつまでもそのことに触れ、いつでも火に油を注いで、
また縁を断ち切ったのは誰だ? 何者なんだ?
外野ではないか、当事者でも何でもない外野ではないか。
そういうのを、野次馬根性というのだ。
人が怪我をしているのを写真に撮るような馬鹿者は誰だ? 考えてみるがよい。
だから触れるな、関わるなと何度も言ったではないか。
しかし、誰も彼も聞く耳もたず、だ。
そんなにまでして、「縁」を断ち切るのが楽しいのかい?
そんなにまでして、魔の働きをする者を、私は仏法者だとは認めない。
自分から縁が切れるきっかけを送って来た人もいた。
私に覚悟せよと言われて、沈黙した人もいた。
責任は一人にあるのではない。すべての人にある。関係性において発生するものである。
運命共同体。そんなこともわからない仏法者など、仏法者でもなんでもない。
真実をよく見るがいい。
建設は死闘、破壊は一瞬。
誰が苦労して築いてきたか、わかってるのかい?
少なくとも、発信し続ける、そういう姿勢を貫いてきたのは、誰あろう私だ。
その発信という縁を、ずっと綴り続けてきたのも私だ。
批判屋が何をした?
何一つ、価値的な激励などせず、魔の働きをして、人と人とのつながりを破壊したんじゃないのかい。
もう一度言おう。
冷静になって、真実をよく見るがいい。
で、なぜ私が怒った記事を書くのか?
簡単です。怒りを無理に抑圧すると、うつ症状が重くなるからです。
正常な人はいずれうつ病になるからです。
これは心理学を知っていれば理解できることです。
とはいえ、その表現法は選んできたつもりですよ。
完璧に実践できていたなんて言い張りませんけどね。
すなわち、怒りの感情の発露も、これ自己防衛として、してあるべき姿なんですよ。
怒らない人間なんていませんからね。
ようは、表現してみて、成功したり失敗していくなかで学んで、
正しい表現法を学ぶしかないということです。
実践せずして何もなし、です。
アサーションという言葉を知っていても、実践しなければ、知っていないのと同じということです。
失敗や波風が立つのを恐れていては、何も得られない。そういうことでしょう。
一生懸命にやって勝つことの次にいいことは、一生懸命にやって負けることなんだわ。
モンゴメリ『赤毛のアン』より
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コメント一覧
1. Posted by 角田佑介 2013年10月12日 13:21
こんにちは(^^)
菊川さんのブロクで大河さんが紹介してくれた指導がありました。それを読んで自分自身へ詩を書いてみました。短いですけどね。
『金メダル』
頑張ったね
本当に頑張ったね
罵声を浴び 泥をすすり
一筋の光すらない暗闇を
それでもあなたは耐え抜いた
誰に認められなくてもいい
僕はあなたへ贈りたい
100点満点の金メダル
菊川さんのブロクで大河さんが紹介してくれた指導がありました。それを読んで自分自身へ詩を書いてみました。短いですけどね。
『金メダル』
頑張ったね
本当に頑張ったね
罵声を浴び 泥をすすり
一筋の光すらない暗闇を
それでもあなたは耐え抜いた
誰に認められなくてもいい
僕はあなたへ贈りたい
100点満点の金メダル
2. Posted by イプシロン 2013年10月12日 14:45
角田さん、こんにちわ^^
自分を好きでいること、自分を嫌わないことは、
簡単そうで難しいですよね。
言い方は悪いですが、ダメな自分も認められる、
マイナス思考な自分も認めてあげられる。
それが出来て、はじめて自分に100点満点ですからね。
でも、それをやると、真意を理解できない周囲は、
たいがい難癖をつけてくるものですが、
それに負けないで自分を認めることが一番大事ですね。
周囲は甘えてるとか、色々言ってくるんですが、
無理解な人に理解を求めなければ、
こっちは傷つかないわけですから、
お互いに、気楽に自分のペースを崩さずに前進していけるといいですね^^
ありがとうございます(^ー^)
自分を好きでいること、自分を嫌わないことは、
簡単そうで難しいですよね。
言い方は悪いですが、ダメな自分も認められる、
マイナス思考な自分も認めてあげられる。
それが出来て、はじめて自分に100点満点ですからね。
でも、それをやると、真意を理解できない周囲は、
たいがい難癖をつけてくるものですが、
それに負けないで自分を認めることが一番大事ですね。
周囲は甘えてるとか、色々言ってくるんですが、
無理解な人に理解を求めなければ、
こっちは傷つかないわけですから、
お互いに、気楽に自分のペースを崩さずに前進していけるといいですね^^
ありがとうございます(^ー^)
3. Posted by 角田佑介 2013年10月12日 16:30
僕ってずっと誰かに認めてもらいたかったんですよね。誰かに認められないと自分の価値を見出せない。でもそれって相対的幸福ですよね。僕ら学会員の目指す絶対的幸福とは真逆ですね。軸が自分にないから周囲の評価に簡単に粉動してしまう。自分の努力を自分自身で認めてあげないとですね。これは自己中や自己満足とは違いますから。
4. Posted by イプシロン 2013年10月12日 16:42
角田さん、
これは奥の深い話しなんです。
人間は誰しも他人に認められたいという「承認欲求」を持っているんです。それは当たりまえのことなんですよ。
おかしいことでも、何でもありませんよ。
ですから、娑婆世界という現実の目に見える世界にあっては、言葉を交わして、承認してもらう。
つまり、君のやっていることは正しいと言ってもらえることで、人間は誰しも自信を持って生きていけるのです。
ですから、それもそれで大切なのです。
ゆえに、とにかく何でも話せる友人を作りなさいという指導があるのです。
その反面、目に見えない心の部分(九識論でいう、七識・八識・九識=無意識層)に関しては、
これはもう角田さんが仰る通り、自分で自分を信じるしかないのです。
宿業が吹き出しても、これは功徳だ! そう思い切ることが大切なんですよ。
つまりこれは、どちらかというと、自分を信じるというよりも、
ご本尊を信じるという信によってのみ、現実に出来ることですね。
結局は、そういう意味では、
ご本尊を信じる=自分を信じる=他人を信じる、になるのです。
その為にも、まず親友を持つことが大切です。
う○こネタとか、エロい話しから、哲学まで、
何でも話せる友人をつくるのが一番の幸福への近道です。
かなり難しい考え方ですが、
思索の糧にでもしてもらえると嬉しいです。
わからないことは、どしどし遠慮なく質問してくださいね。
盲信は良くないですからね。私で答えられることなら、お答えしますので。
でも、あんまり考え過ぎるのも良くないんです。
ほんと、難しいですよね><。
ストレスにならない程度に受け取ってくださいネ^^
ありがとうございます(^ー^)
これは奥の深い話しなんです。
人間は誰しも他人に認められたいという「承認欲求」を持っているんです。それは当たりまえのことなんですよ。
おかしいことでも、何でもありませんよ。
ですから、娑婆世界という現実の目に見える世界にあっては、言葉を交わして、承認してもらう。
つまり、君のやっていることは正しいと言ってもらえることで、人間は誰しも自信を持って生きていけるのです。
ですから、それもそれで大切なのです。
ゆえに、とにかく何でも話せる友人を作りなさいという指導があるのです。
その反面、目に見えない心の部分(九識論でいう、七識・八識・九識=無意識層)に関しては、
これはもう角田さんが仰る通り、自分で自分を信じるしかないのです。
宿業が吹き出しても、これは功徳だ! そう思い切ることが大切なんですよ。
つまりこれは、どちらかというと、自分を信じるというよりも、
ご本尊を信じるという信によってのみ、現実に出来ることですね。
結局は、そういう意味では、
ご本尊を信じる=自分を信じる=他人を信じる、になるのです。
その為にも、まず親友を持つことが大切です。
う○こネタとか、エロい話しから、哲学まで、
何でも話せる友人をつくるのが一番の幸福への近道です。
かなり難しい考え方ですが、
思索の糧にでもしてもらえると嬉しいです。
わからないことは、どしどし遠慮なく質問してくださいね。
盲信は良くないですからね。私で答えられることなら、お答えしますので。
でも、あんまり考え過ぎるのも良くないんです。
ほんと、難しいですよね><。
ストレスにならない程度に受け取ってくださいネ^^
ありがとうございます(^ー^)
5. Posted by 角田佑介 2013年10月12日 17:16
あいやー、勉強になります(^^)
『結局、ご本尊を信じることは=自分を信じる=他人を信じる、になるのです。』
なんとなーく分かるような。気がするだけかもですが(^^;;
御本尊って全ての人間の生命の奥底にある仏性を現したものなんですよね?九識論で言えば1番底の九識かな?それに南無する。帰依する。誰人にも差別なくその仏性が備わっているから御本尊を信じることは自分を信じることにもなるし他の人を信じることにもなる。
あと他者に認めてもらうことも必要なんですね。というかそれがなかったら調和がとれないですね(^^;;
何事もバランスが大切なのかも。
『結局、ご本尊を信じることは=自分を信じる=他人を信じる、になるのです。』
なんとなーく分かるような。気がするだけかもですが(^^;;
御本尊って全ての人間の生命の奥底にある仏性を現したものなんですよね?九識論で言えば1番底の九識かな?それに南無する。帰依する。誰人にも差別なくその仏性が備わっているから御本尊を信じることは自分を信じることにもなるし他の人を信じることにもなる。
あと他者に認めてもらうことも必要なんですね。というかそれがなかったら調和がとれないですね(^^;;
何事もバランスが大切なのかも。
6. Posted by イプシロン 2013年10月12日 20:47
角田さん、こんばんわ^^
いやそのわかる気が大事です(笑)
人それぞれ、信じるという言葉に対する感覚は違いますから、
会話だけで正確に物事を確認しあうのは難しいですからね。
ご本尊への認識は間違ってないと思います。
大変なのは、ご本尊の前で誓ったことを、
現実の中で破ってしまいがちなことですかねぇ・・
もちろん、私も含めてですね。
信じます、と誓っておきながら、アイツ嫌い!
こんな場合ありますよね(苦笑)
うんうん、すべては調和です、その通りです。
コマは高速で回転しているから倒れない。
先生のスピーチにありますね。
これもまた深く考えると寝れなくなるので、
うんうん、と思っておくといいと思います^^
ありがとうございます(^ー^)
いやそのわかる気が大事です(笑)
人それぞれ、信じるという言葉に対する感覚は違いますから、
会話だけで正確に物事を確認しあうのは難しいですからね。
ご本尊への認識は間違ってないと思います。
大変なのは、ご本尊の前で誓ったことを、
現実の中で破ってしまいがちなことですかねぇ・・
もちろん、私も含めてですね。
信じます、と誓っておきながら、アイツ嫌い!
こんな場合ありますよね(苦笑)
うんうん、すべては調和です、その通りです。
コマは高速で回転しているから倒れない。
先生のスピーチにありますね。
これもまた深く考えると寝れなくなるので、
うんうん、と思っておくといいと思います^^
ありがとうございます(^ー^)
7. Posted by 角田佑介 2013年10月12日 21:14
21時になりました。僕はお眠りの時間です(笑)
今日は3時間10分唱題できました。目標には届かないけど頑張ったから自分を褒めてあげます(^^)
今日は壮年部婦人部の夫妻が僕の家に来られて20日の座談会のピアノ演奏の打ち合わせをしました。わざわさ僕のためにお菓子を持って来てくれました。キットカット(きっと勝つ)のパンプキンプリン味。初めて食べたけど美味しいですよ。
さっき部長の家に行って先生の方便品寿量品講義の本を3冊借りてきました。部長、男子部卒業です。お祝いは何がいいかなーと考えてます。
せっかく借りた本なので少し読んでから寝ます。
でわでわー(^^)
今日は3時間10分唱題できました。目標には届かないけど頑張ったから自分を褒めてあげます(^^)
今日は壮年部婦人部の夫妻が僕の家に来られて20日の座談会のピアノ演奏の打ち合わせをしました。わざわさ僕のためにお菓子を持って来てくれました。キットカット(きっと勝つ)のパンプキンプリン味。初めて食べたけど美味しいですよ。
さっき部長の家に行って先生の方便品寿量品講義の本を3冊借りてきました。部長、男子部卒業です。お祝いは何がいいかなーと考えてます。
せっかく借りた本なので少し読んでから寝ます。
でわでわー(^^)
8. Posted by イプシロン 2013年10月12日 21:40
角田さん、今日も一日、お疲れ様でした!^^
規則正しい生活への挑戦、がんがってますね☆
素晴らしいですよ。
唱題も凄いじゃないですか!!
私も見習わないとですよ^^;;
あは、洒落のあるご両人ですね^^
キットカット! このネタ、頂きますよ(笑)
方便品・寿量品講義。
基本中の基本、勤行・唱題を確認する作業は、
非常に価値的で大事なことですよね。
せっかく活動しているなら、エンジンを快調に回しておかないと、
損をしてしまいますからね。
あらまぁ、部長さん卒業ですかぁ。
でも、とても信頼している方のようですので、
壮男の枠をこえてこれからも報告や相談していけばいいと思いますよ^^
それが最高のお祝いではないでしょうか。
お互いに、無理せず、焦らず着実に前進していきましょうね!^^
おやすみなさい、ありがとうございます(^ー^)
規則正しい生活への挑戦、がんがってますね☆
素晴らしいですよ。
唱題も凄いじゃないですか!!
私も見習わないとですよ^^;;
あは、洒落のあるご両人ですね^^
キットカット! このネタ、頂きますよ(笑)
方便品・寿量品講義。
基本中の基本、勤行・唱題を確認する作業は、
非常に価値的で大事なことですよね。
せっかく活動しているなら、エンジンを快調に回しておかないと、
損をしてしまいますからね。
あらまぁ、部長さん卒業ですかぁ。
でも、とても信頼している方のようですので、
壮男の枠をこえてこれからも報告や相談していけばいいと思いますよ^^
それが最高のお祝いではないでしょうか。
お互いに、無理せず、焦らず着実に前進していきましょうね!^^
おやすみなさい、ありがとうございます(^ー^)