証言3・11:東日本大震災 児童、泣き叫び嘔吐 学校最多の犠牲者、石巻市立大川小
毎日新聞 2011年04月19日 東京朝刊
当時大川小にいた先生10人と事務員1人のうち、佐々木先生を含む9人が死亡し、1人は行方不明のままだ。助かったのは裏山を駆け上がった40代の男性教諭1人。この教諭は山を登る際、倒木で負傷しながら近くの男児1人を押し上げるように助けたという。
■その後
なぜすぐに裏山に避難しなかったのか−−。大川小学校の惨劇への疑問は、この一点に集約される。
石巻市は、大川小学校への津波到達を想定していなかった。市の「防災ガイド・ハザードマップ」は、同小を避難所として「利用可」としている。柏葉校長は「堤防を越える津波が来たらもたないので、山に避難場所をつくろうと職員で話はしていた。裏山は泥炭地でつるつる足が滑るので、階段をつくれるといいなと話していたが、そのまま震災になった」と明かす。
校舎に残る三つの時計は、いずれも3時37分を指し止まっている。地震から津波到達まで、恐らく40〜50分あった。9日の保護者への説明会では、校庭で点呼を取るなどした対応に「なんですぐに逃げろって言わなかったのか」と非難の声も出た。だが一方「108人誰も欠けないように点呼し、先生はよくやってくれた。誰が悪いと思ったことはない」と話す保護者もいる。