証言3・11:東日本大震災 児童、泣き叫び嘔吐 学校最多の犠牲者、石巻市立大川小
毎日新聞 2011年04月19日 東京朝刊
同じ長面地区の永沼輝昭さん(70)と妻睦子さん(66)は6年の孫遼太君(12)、4年の和泉(いずみ)君(10)兄弟を迎えに車2台で学校に着いた。永沼さんは車外に出て兄弟を乗せた睦子さんと避難先を相談していた。校庭から先生と児童の列が出てきた。
永沼さんは「列が裏道に進み出した時『バリバリ』という音とともに黒い水しぶきが来た」。睦子さんと兄弟を見失い、子どもたちに叫んだ。「山さ上がれ」。裏山の斜面に飛びついた。雪で滑り、波にのまれたが、押されるように斜面に上がった。3メートルほど先の水面に女の子がいた。そばの竹を左脇に抱えるようにして腕を伸ばし、手を握った。
遼太君と和泉君は1週間後、遺体で見つかった。永沼さんは「近くにいたら、なんぼでも助けたんだけどな」。睦子さんは、見つかっていない。
■判断
列の後方に、5年生の男の子がいた。津波の翌日、男の子を保護した顔見知りの男性によると、男の子は震災から1カ月が過ぎたころ、当時の状況をこう明かした。
すごい音がして、津波が前から来た。腰を抜かし、その場に座り込んだ子もいた。自分で判断して、裏山に逃げた。竹林で他の男の子2人と大人十数人と一緒になり、一晩過ごした。大人が持っていたライターで火をおこした。「眠れば死ぬんだからな」と言われ、一睡もしなかった−−。