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【村上春樹スピーチ】「非現実的な夢想家」としての核へのノー

2011/06/10 23:30

 

 作家、村上春樹さんがスペインバルセロナで行われたカタルーニャ国際賞受賞の式典で、受賞スピーチを行いました。

 

 「非現実的な夢想家」という題名で、自然災害と向き合って生きていかなくてはならなかった日本人の宿命と、酷い原爆被害を体験しながら、なぜ、今回の原発事故を防げなかったかを論じ、「無常」という移ろいゆく儚い世界の中で、日本人が培ってきた「それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意」と「そういった前向きの精神性」を抱き、自然被害の被害を乗り越えなくてはならない、と説いています。

 

 共同通信が全文を掲載していますので、こちらのほうを見てみて下さい

 

http://www.47news.jp/47topics/e/213712.php?page=all

 

 私が心を打たれたのは以下の下りです。私自身でも、原発事故が起こるまで、電気をいたずらに享受し、安穏と暮らしてきたことへの後悔の念が、この点に集約されているように感じます。

 


 

 我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 

 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 

 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準にされ、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 


 

 戦後の焼け野原から立ち直らせなくてはいけなかった宿命と、資源なきわが国土の条件下では、村上さんが言う「効率」に従って、こうして原発への道へと進む選択肢しかなかったのかもしれません。

 

 しかし、被爆を経験した日本人だからこそ、核には強くノーと言えることもできたのです。

 

 もちろん、代替エネルギーへの手立ても進んでいない中で、私たちの暮らしや職を維持するためには、今まだなお原発の力を借りなくてはいけません。

 

 だからこそ、村上さんは、作家が今、成し遂げなくてはいけない使命を考えて、「非現実的な夢想家」と題して、次世代の私たちの子どもたち、孫たちに伝わるようなメッセージを発信したかったのだと思います。

 

 ジョン・レノンイマジンのように。

 

 村上さんは最後にこう言って、日本人へ言葉を贈りました。

 

「我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう」

 

 われわれは、それぞれが感じる「原点」を胸に抱いて、それぞれの場で汗水流して種をまき、新しい物語を築き上げなくてはならないのですね。

 

 現地でも大きなニュースになっていたようですね

http://www.youtube.com/watch?v=oXKPv0Qo-LY

 

カテゴリ: 世界から  > 世界の話題    フォルダ: Cool Japan

コメント(13)

 
コメント(13)

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2011/06/11 00:58

Commented by 佐々木正明 さん

To さくやこの花さん

 村上さんも、さくやこの花さんがおっしゃったことを感じているからこそ、「非現実的な夢想家」と自らを揶揄したのではないでしょうか?

 夢想家には、現実をともなわない理想ばかりを追い求めている人という意味がつきまといますから

 日本のエネルギーミックスを安全性やコスト、経済的戦略性をふまえどうバランス良く構築していくのかは、われわれに突きつけられた課題。家を追われた家族のことを考えると、「文明の進歩に向けた挑戦への失敗」と私は言うことができません。もちろん、村上さんの言葉を、情緒的に全てを受け入れるつもりもありませんが…

 
 

2011/06/11 06:09

Commented by abusan123 さん

「書生的である。」と言う批判は甘んじて受けると覚悟しての
作家らしい発言だと言えますね(^◇^;)

作家は時に「現実」を犠牲面に回さなければならない
理想とは何か?と問う事も必要って事ですね(^_^;)

 
 

2011/06/11 07:28

Commented by starbeast さん

「HIROSIMA・NAGASAKIを経たからからこそ“核”というエネルギーを平和裏に使わなければいけない」
そのような考え方は出来ないのでしょうか?
一度解き放たれた“箱”の中身は元には戻すことが出来ません。
『覆水盆に返らず』
どこかで誰かが発見したモノは、どう隠そうとも広がり続ける‥出来ることは「コントロールし続ける術を探索し続ける事」だけではないのでしょうか?

今、原発忌避的な“感情にまかせた”議論が立ちつつあります。この動きこそが「今ある原発を不安定なモノにしてしまう端緒」になるのではないかと原発集中県の住民は危惧します。

夢想家と自虐的に言うのは良いでしょう‥しかし、その言葉を“福音”として伝道する者も出てくるのでしょうね。

 
 

2011/06/11 08:54

Commented by ed1958en さん

脱原発が理想であり正しい選択だとしても、ヒステリックに原発を止めていけば、石化原料の不足は必至。資源争奪の行き先は次の世界大戦かもしれない。自然エネルギーの有効利用を研究するにしても、経済が健全でなければ進まない。経済に急ブレーキをかけながら、投資することは、将来の世代に借金をすることになるが、経済の減速が若年層を正規雇用から遠ざけている今、きれいごとでこれらの問題は解決しない。

 
 

2011/06/11 11:09

Commented by 佐々木正明 さん

To abusanさん

>作家は時に「現実」を犠牲面に回さなければならない
>理想とは何か?と問う事も必要って事ですね(^_^;)

エネルギーをどのように生み出すのか、地球環境を破壊せずに
人間の営みを維持するためにはどうしたらよいのか?
強欲と自制の葛藤にもにた根源的な課題ですね。
現実は必ずしも理想通りいかないわけですから

 
 

2011/06/11 11:13

Commented by 佐々木正明 さん

To starbeastさん

>夢想家と自虐的に言うのは良いでしょう‥しかし、その言葉を“福音”として伝道する者も出てくるのでしょうね。

福音として繰り返す伝道師がいたとして、私はその方に「思考停止に陥らないでください」と訴えます。
村上さんは、自らの考えを広めるための政治的なスピーチをしたのではないはずです。
多くの方々に、村上さんのメッセージを読み取り、自問自答し、今、何が必要なのかを考えてほしいと私は思います

 
 

2011/06/11 11:19

Commented by 佐々木正明 さん

To ed1958enさん

>脱原発が理想であり正しい選択だとしても、ヒステリックに原発を止めていけば、石化原料の不足は必至。資源争奪の行き先は次の世界大戦かもしれない。自然エネルギーの有効利用を研究するにしても、経済が健全でなければ進まない。経済に急ブレーキをかけながら、投資することは、将来の世代に借金をすることになるが、経済の減速が若年層を正規雇用から遠ざけている今、きれいごとでこれらの問題は解決しない。

おっしゃる通りです。石油を燃料にしてきたのも人類の歴史からみれば、ごく一部のはず。鯨の油だって、人類はつかっていたわけですから。
私は、若者たちの就職難やチャレンジ精神の衰えをみるにつけ、ここ何十年も上の世代が積み残してきた日本の問題を押しつけられている悲哀を感じます。

 
 

2011/06/11 13:20

Commented by weirdo31 さん

佐々木さん

>私は、若者たちの就職難やチャレンジ精神の衰えをみるにつけ、ここ何十年も上の世代が積み残してきた日本の問題を押しつけられている悲哀を感じます。

佐々木さんの上の世代は、その上の世代が積み残してきたものの解決解消に、それこそ脇目もふらずに働いてきたのです。

その結果佐々木さんの世代はいまの若者たちに佐々木さんの世代には考えられなかったような恵まれた生活を与えることが出来ました。

その恵まれた若者達の中には、幸か不幸かチャレンジ精神を失ったかに見えるのも少なくないのは事実です。

今度の東日本大地震がもたらした大災害は、チャレンジ精神を失いつつあった日本民族への試煉に相違ありません。私たちはいたずらに悲観的になることなく、前を見つめて進まなければなりません。

日本人は数え切れないほどの大災害大災難に遭ってきました。その都度、くじけることなく、ひたむきに前をみつめて立ち上がってきました。

有史以来、日本人は再興に失敗したことはありません。自分に与えられた職責を黙々と果たして、国を民族を守ってきました。

お互いに頑張りましょう。"Go for broke!"

 
 

2011/06/11 14:44

Commented by 佐々木正明 さん

To weirdo31さん

>その恵まれた若者達の中には、幸か不幸かチャレンジ精神を失ったかに見えるのも少なくないのは事実です。
>
>今度の東日本大地震がもたらした大災害は、チャレンジ精神を失いつつあった日本民族への試煉に相違ありません。私たちはいたずらに悲観的になることなく、前を見つめて進まなければなりません。
>
>日本人は数え切れないほどの大災害大災難に遭ってきました。その都度、くじけることなく、ひたむきに前をみつめて立ち上がってきました。
>
>有史以来、日本人は再興に失敗したことはありません。自分に与えられた職責を黙々と果たして、国を民族を守ってきました。
>
>お互いに頑張りましょう。"Go for broke!"

心温まるお言葉、まことにありがとうございます。私も言葉足らずでしたね。ひたむきに前をみつめて立ち上がることが問われているのです。なんだか、標語みたいになってしまいますが、この国難を協力しあって、乗り越えなくてはなりませんね。

 その意味で、村上さんのメッセージは心に響くのだと思います。

 
 

2011/06/11 22:06

Commented by taigen さん

全然心に響きません。工業とそれを支えてきた技術者の血のにじむような努力を彼は理解していないと思います。原子力より安全、クリーンかつ豊富なエネルギー。誰もがそれを望み、技術者もそれを実現しようとして人知れず苦闘しているはずです。しかしまだそれが実をむすんでいない。ならばつなぎのエネルギーとして原子力を使用するのもいたしかたないと思います。(反原発と言いつつ原発大国フランスから電力を買っているのがドイツの実態ですよね)

 
 

2011/06/12 00:35

Commented by 佐々木正明 さん

To taigenさん

>全然心に響きません。工業とそれを支えてきた技術者の血のにじむような努力を彼は理解していないと思います。原子力より安全、クリーンかつ豊富なエネルギー。誰もがそれを望み、技術者もそれを実現しようとして人知れず苦闘しているはずです。しかしまだそれが実をむすんでいない。ならばつなぎのエネルギーとして原子力を使用するのもいたしかたないと思います。(反原発と言いつつ原発大国フランスから電力を買っているのがドイツの実態ですよね)

こんにちは。
村上氏は、技術者の血のにじむような努力を心から理解していないかもしれませんが、原発事故の直接的な被害者は、技術者の血のにじむような努力があったことなどもはや信用していないでしょう。
技術国日本の信頼への亀裂が、原発事故で浮き彫りになりました。
クリーンなエネルギーの標語が今ほど、かすんで見える時はありません。
それでも、資源なき日本は、原発に頼らざるを得ない現実があります。

 
 

2011/06/12 22:34

Commented by kentanto さん

原発の問題の大元は、「絶対安全である」という嘘です。
これに尽きます。
そしてそれが嘘であると言うことを多くの人が知っていながら、それを信じた(ふりをして)来たことが、今回のことにつながっているわけです。

正直に「絶対安全であるとは言えません。しかし今の日本にとっては必要なものです。」と真実を話してそれにどう取り組んでいくかを明確にしてくれば、ここまで感情的に変な方向に行くことはないと思います。

しかし、既に遅いのです。信頼関係は大元から崩れ、何を信じればいいのか誰もわからなくなっています。

最も日本には他国にはないほどの核アレルギーがあるということもその下地にはあるわけですが。

 
 

2011/06/13 13:20

Commented by mikoyanka2013 さん

今、世界に向って発言して、それなりに反応のある日本の作家って、大江健三郎以後は、村上春樹しかいないんですよね。彼はイスラエルでも反シオニズム的演説を行なったし、自分の立場をよく理解して行動していると思います。どちらかというと、そういう政治的な発言をするのを嫌ってきた作家だったのに。
他の人が不甲斐ないですわな。311を書ける作家が今、村上春樹意外に誰がいるんだろう?ということです。