作家、村上春樹さんがスペイン・バルセロナで行われたカタルーニャ国際賞受賞の式典で、受賞スピーチを行いました。
「非現実的な夢想家」という題名で、自然災害と向き合って生きていかなくてはならなかった日本人の宿命と、酷い原爆被害を体験しながら、なぜ、今回の原発事故を防げなかったかを論じ、「無常」という移ろいゆく儚い世界の中で、日本人が培ってきた「それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意」と「そういった前向きの精神性」を抱き、自然被害の被害を乗り越えなくてはならない、と説いています。
共同通信が全文を掲載していますので、こちらのほうを見てみて下さい
http://www.47news.jp/47topics/e/213712.php?page=all
私が心を打たれたのは以下の下りです。私自身でも、原発事故が起こるまで、電気をいたずらに享受し、安穏と暮らしてきたことへの後悔の念が、この点に集約されているように感じます。
我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
戦後の焼け野原から立ち直らせなくてはいけなかった宿命と、資源なきわが国土の条件下では、村上さんが言う「効率」に従って、こうして原発への道へと進む選択肢しかなかったのかもしれません。
しかし、被爆を経験した日本人だからこそ、核には強くノーと言えることもできたのです。
もちろん、代替エネルギーへの手立ても進んでいない中で、私たちの暮らしや職を維持するためには、今まだなお原発の力を借りなくてはいけません。
だからこそ、村上さんは、作家が今、成し遂げなくてはいけない使命を考えて、「非現実的な夢想家」と題して、次世代の私たちの子どもたち、孫たちに伝わるようなメッセージを発信したかったのだと思います。
村上さんは最後にこう言って、日本人へ言葉を贈りました。
「我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう」
われわれは、それぞれが感じる「原点」を胸に抱いて、それぞれの場で汗水流して種をまき、新しい物語を築き上げなくてはならないのですね。
現地でも大きなニュースになっていたようですね
http://www.youtube.com/watch?v=oXKPv0Qo-LY
by 8000hr
プーチン大統領誕生日に始まっ…