|
|
「番外編」にあるように鉄道ジオラマを作ってます。
多くは架空の街が多いのですが、稀に実物を作ることがあります。
ジオラマの多くは、雑誌に発表することが多いのです。
渋谷の街のジオラマは2002年作ったものですが、「鉄道模型趣味」
という月刊誌に製作した1960年代の渋谷の街のジオラマが掲載されました。
2004年の夏ですが、突然電話があって、ジオラマを貸して欲しいと
いう、東急百貨店の方でした。
*ジオラマは1/150の縮尺で作られています。 |
|
|
|
|
|
| 今は無き、東急文化会館、東横屋上は僕らの天国だった。 |
|
1962年に長野県から東京港区に転居した僕にとっては渋谷の街は驚きの連続だった。
あの頃の渋谷の駅は都電であふれていて・・・東横百貨店屋上で撮った写真には東急文化会館の上に銀色のプラネタリウムのドームが写っている。 |
|

かすかな記憶でしかないですが、屋上の「こだま号」は2周し、入り口の件売所で、乗車料10円を払って乗った(親の乗せられた)と思います。ゆっくり円周を走りましたがあっという間のことで、いっしょに乗った幼稚園に通う従兄は降りるのをぐずったと思います。
屋上遊園施設地について
日本ではじめての屋上施設地は1931年にオープンした「松屋浅草」の屋上の「スポーツランド」→「プレイランド」。1回10銭で2周する豆汽車、射撃、屋上両端を移動するゴンドラ。動物園もあったとか。屋上動物園は銀座松坂屋には1925年にはあった・・・という歴史あるもののようです。各百貨店が集客手段として工夫したようだ。 |
|
|
|
|
|
| 東急百貨店店創業70年祭のイベントで展示されました。(2004年) |
|
秋に東急百貨店の創業祭があって、その会場に展示したいということでした。
それから、2ヶ月ほど改修を行い、イベントに展示していただきました。
せっかくですので、渋谷の街が大きく変わり、現在の街並みの基本が出来た
昭和39年を舞台としました。東急渋谷駅の完成、首都高速の工事の頃。 |
|
|
|
|
|
|
|
| 雑誌発表用、東急百貨店準備で撮影した、渋谷ジオラマの画像(未発表を含む)を公開させて頂きます。 |
|
|
|
|
|
| 地下鉄銀座線の渋谷駅の出入りは今も変わらないけれど・・・ |
|
東急文化会館には映画館が入っていて、「大脱走」とか「史上最大の作戦」とか大きな看板がかかっていました。そうあの頃は何故か戦争ものが流行っていて。東横百貨店に出入りする地下鉄ギンザ線の黄橙色の電車はまさに模型みたいだったですね。
展示は2004年11月に2週間、東急東横店で実施され、多くの方に
ご覧頂きました。その顛末は2005年の鉄道模型趣味に掲載されました。
ジオラマは現在分解され、倉庫に眠っていますが、
このホームページで多くの方にご覧頂ければと思います。 |
|

| ■渋谷のジオラマについて 更新2006.8.17 |
縮尺は1/150ですが、実物をこの大きさにすることは難しいのでデフォルメされています。このジオラマを作った当時(2002年)はまだ東急文化会館なども残っていて、概観こそ新しくなっていたものの建物の構造はほとんど変わっていませんでした。ですから写真を撮影したり、実測したりで寸法などを割り出したものです。
それでは2002年当時と1964年を再現したジオラマとを比べた、懐かしの宝箱版「ランダム写真館」をどうぞ。変わったところ、変わっていないところが判りますよ。
|
■懐かしの宝箱風「ランダム写真館」(定点観測1964→2002)
1964年(ジオラマ再現) 2002年撮影
この方向からはほとんど変わっていないことが判ります。都電→都バスに変わりました。
|

1964年(ジオラマ再現) 2002年撮影
東横百貨店横は都バスの発着、東急クラム、銀座線の出入り変わっていません。
|

1964年(ジオラマ再現) 2002年撮影
東急文化会館側、惜しくも角度が違うのですが。実物の文化会館が無くなりもう撮れません。
|

1964年(ジオラマ再現) 2002年撮影
おなじみの角度はどうですか?銀色ですが銀座線が通った瞬間にシャッターを切った時は感激でした。
|
当時の渋谷を知らない方には都電のたまり場であった事は夢の世界かもしれませんね。タイムスリップしたような・・・写真と並べてみると、若い方々にも判って頂けるのではないでしょうか。
何故、ここまで・・・こだわりというものも最近の世代の方には「電車男」のようにそれなりに美しいもののようです。しかしまだ我々の世代には「暗いこと」のように見られるのは残念ですね。こうした時代になってみると拘れること、拘れられることはやはり尊いことと思います。
「渋谷」にとってもきっと嬉しいのでは・・・普通はそう考えると思うのですが。
|
|
|
|
|
|
|
|
小生の文化圏は1964年を境に前が渋谷、後が新宿で、リアルタイムの池袋とかは知りません。渋谷は東横デパートの前は都電の海で通路で東急文化会館当然プラネタリウム。東横デパートの地下にお菓子がぐるぐる回って計り売りのあれって何ていうのでしょうか。妻も同じ記憶があるそうです。
東横百貨店には東横劇場があって、木馬座が公演をしていた、と妻は言っています。60年代の都心の街並みの写真としては「東京都電の時代」「都電の走った町今昔、1,2」「焼け跡・都電・40年」「おもいでの都電」(カラーブックス)などあります。もともと鉄道ジオラマが専門で昭和30年代、40年代の町並みを作っておりますので、その参考書として所有しています。いずれも、昔大好きだった「ランダム写真館」のような写真集です。この手の本を見ると自然には中島みゆきさんの曲「時代」が鼻歌ででてきてしまいます。 |
 |
|
|
|
|
|
妻の記憶なのですが幼稚園の時に、幼稚園でも個人でも東横百貨店に木馬座を見に言ったそうです。その時の演目は「くるみ割り人形」か「白鳥の湖」だったそうです。隣の家のT君は自分より6歳下でしたが、木馬座と言えばやはり「ケロヨン」だったですね。
60年代小生の東横百貨店の思い出というと大食堂でハンバーグステーキを食べた事でフォーク・ナイフを使ったのが新鮮だった記憶があります。渋谷はもっぱら、東急文化会館のプラネタリウム。何度か行ったのでパンフレットが今でも頭に浮かびます。父が大きないびきをかいていて恥ずかしい思いをした記憶があります。家で行っただけで
なく子供会でも行ったようです。妻と結婚する前に行きましたがやはり子供の頃の夏休みの思い出と重なります。パンフレットも月替わりで表紙の色が変わっていました。影響を受けやすい小生は急に瞬間星博士となったものです。
引越しのプレゼントには友人から宇宙と星座の話の本が送られた記憶がありますが、きっと「星」が僕たちのマイブームであったのでしょう。そのプラネタリウムも、東急文化会館も今はありません。 |
 |
|
|
| ●プラネタリウム2006.8.28更新 |
私には印象深い1960年代前半、やはりプラネタリウムは特異な存在でし
た。今日本には約350館(ドーム径8m以上)あるそうですが、当時は東
京・大阪など限られた場所にしかなかったはずです。歴史的には戦前にな
りますが大阪の電気科学館に出来たものが日本初だったそうで、翌1938
年には有楽町に東京初のものが出来ているようです。渋谷の東急文化会
館のものは1957年に完成しています。私たちに馴染み深いあの宇宙人
のような姿のプラネタリウムは2球式と呼ばれるもので、ドイツの光学機器
メーカーであるカールツァイス製のようです。このタイプになって北半球、南
半球など地球のいろいろな地域での星空が投影できるようになったようで
す。 |
|
|