先月号の『文藝春秋』(10月号)で宣言した通り、ツイッターのつぶやきを止めて一ヶ月が経過しました。
なんか、とてもストレスフリーな日々を過ごしています。
「2ちゃんねるネタ」や「Wikipediaの偽情報」、あるいは「なりすましイザ!ブログ」のデタラメ情報に踊らされた「人々」から、 さんざん叩かれましたから。
正直な心境を吐露すれば、当時は許せなかったそうした「人々」(評論家や記者とか)も、いまでは可哀想にさえ思えてしまいます。
きっと、彼ら、彼女たちも、自分たちの勘違いや間違いを糊塗するために、誰かを攻撃せざる得なかったのでしょう。
ただ、いまだに、そうしたウソ情報を信じて、ディスっている人も多いのですが、いまやツイッター上のそうした非生産的な議論は、私の人生においては単に「山のあなたの空遠く」という感じになってしまいました。
海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)/新潮社
とはいえ、今月号の『文藝春秋』(11月号)にはこんな投書が…
〈……上杉氏が辿り着いた結末は匿名を許容するツイッターの仕組み上、最初からある程度は予測できることだった。ジャーナリズムの改革派旗手として既存の大手メディアとの差別化を鮮明にする氏を私は評価するが、所詮ツイッターにその活路を見出すことは不可能だった。氏がツイッターを過剰宣伝したためにツイッターを始めたものの、氏と同様に傷心した者も多い。私の知人にもいる。氏は悪化の非難に終始するだけではなく、これら良貨の被害に対して責任を感じるべきである……〉(ツイッターに辟易して 長崎県 吉村法亮 50歳 社会保険労務士)
文藝春秋 2013年 11月号 [雑誌]/文藝春秋
至極、仰る通り。
胸が痛みます。
猛省しながら、今後は「良貨」の救済に力を注ぎます。