私が2年前から捕鯨問題に係り始めた訳

松田裕之(東大海洋研助教授)

 

題名:「私が2年前から捕鯨問題に係り始めた訳」

要旨:はたして、ミンク鯨が本当に絶滅のおそれがある種と思っている人は、グリーンピースやほかの自然保護団体の中にどれだけいるだろうか?意外なことに、あまりいないようである。もう一つ。愛知万博の会場計画を一変させたオオタカが絶滅危惧種で、1つがいでも追い出せば本当に絶滅すると考えている人は、自然保護団体にどれだけいるか?これもあまりいないだろう。事業予定地にオオタカがいれば、実際に日本では公共事業が止まり、生態系が守られる。残念ながら、猛禽類がいない日本の自然は、守ることが難しい。これは科学的には変な基準である。それだけに、オオタカを見つけたら、オオタカを守れと保護団体が叫ぶのは理解できる。では、クジラを捕るのに反対すれば、ほかの生物や自然が果たして守られるだろうか?私はそうは思わない。反捕鯨は科学の問題ではなく、欧米では人気を得やすいのだと、BBCインターネットニュースでも紹介されている。反捕鯨団体も、このことをよく知っている。ところが、少なくとも大半の日本の生態学者は、数十万頭いる個体群の商業捕鯨に反対ではない。反捕鯨は、むしろ日本の環境団体が勢力を伸ばす妨げになっていると思う。クジラを捕るのを許せば、結果的に乱獲するに決まっていると思うかもしれない。では、ズワイガニやヒラメに比べて、クジラだけが特別なのか?持続的利用を達成する上では、むしろ逆だと思う。クジラこそ、世界の厳しい監視の下にある。世界中の海産生物資源の中で、もっとも管理を成功させ得る条件のそろった資源である。必要なのは、実際に管理を実行し、持続的利用の実績と教訓を積み上げることである。

     反捕鯨団体は、ミンククジラを本気で絶滅危惧種だと思っているか?

     ノルウェーからの鯨肉輸入を歓迎するのは誰??

     鯨害獣論は、生態系モデルを考慮していないのか?

 

     リスク論と予防原理

リスク論:避けたい事態が出来する確率(未検証の前提で計算)を下げる

予防原理:深刻または不可逆的影響は科学的証拠が不十分でも対策を遅らせない

Systematic Conservation Planning:保全策の優先順位を科学的に定める

 ゼロリスクではない、合理的なリスク周知を。反科学でなく、科学の発展を

 

     エゾシカ問題

一時は絶滅寸前まで減ったエゾシカが、近年大発生、農林業被害50億円、植生への食害

捕鯨のRMPを真似たフィードバック管理計画策定(鳥獣保護法特定計画のモデル)

個体数推定値の上方修正、鉛弾「禁止」(道の説明責任/間違えたら獲るな?!)

リスクコミュニケーション(被害は0にならない。30万頭以上なら失敗する)

 

     所沢ダイオキシン問題とBSE問題

所沢の農家はダイオキシン汚染の被害者である(責任は汚染源業者にある)(中西準子氏

所沢の野菜は、当分食べ続けてもリスクは小さい。(あるコープの購入)

食肉業界はBSE汚染の被害者である(責任は農水省にある)

有名なリスクは少しでも避け、潜伏するリスクは気にしない「ゼロリスク探究症候群

魚食の功罪(米リスク学会)便益=不飽和脂肪酸が多く、心疾患を減らす>1時間の平均寿命短縮(10万分の1

名もなき草虫の生態系の繋がりを重視して、なぜ破産しそうな焼肉屋に同情しない?

 

     愛知万博問題:変わるべきは政府、県、学者、環境団体、マスコミすべて

県:環境万博を謳いながら、跡地に新住宅市街地化構想

環境団体・マスコミ:アセス中のボーリング調査:「まるで事業前提」→「荒れる海上の森」

協会:オオタカが出たか出ないかが保全の判断基準

政府:BIEの批判が報道されて、始めて計画変更・市民を含めた合意形成(検討会議)

環境団体・学者:会場計画の対案を考えたのに、魅力や採算性より負荷低減にこだわった

協会:アセス再実施せず、堺屋氏の見直し失敗、新住事業の負荷を未だに無視(松田辞任)

 

     必要なのは持続的利用!(クジラに限らず、資源全般)

鯨の資源・生態研究の蓄積、フィードバック管理は米国の主流(不公正なリスクの過剰回避、他の資源でこれほど保守的なものはない)

愛知万博検討会議のような合意形成の交渉の席に座り、相手を変えることが互いに必要

説明責任と合理主義を踏まえた政府・業界・商社・環境団体・マスコミ・学者が必要


松田『環境生態学序説』より

 クジラはすべて絶滅危惧種としてワシントン条約附属書Iに載っている.確かに地球最大の動物であるシロナガスクジラは現在9000頭と見積もられ,商業捕鯨以前にいたと見られる16万〜24万頭よりかなり少ない.1996年版の国際自然保護連合のレッドデータブックではENと判定されている.しかしミンククジラは本格的な商業捕鯨が始まる前にはおよそ20万頭いたと見られ(Laws 1977),国際捕鯨委員会により商業捕鯨が禁止され,減ってはいない.しかもその後,他のヒゲクジラが減った後のニッチ(食物連鎖上の生態学的地位)を埋める形で増えたらしい.国際捕鯨委員会の科学小委員会は,1980年代半ばの現存数が51万頭から114万頭と推定している(笠松2000: 127頁).この科学小委員会はミンククジラなどについては持続可能な商業捕鯨が可能であると認められた.しかし,国際捕鯨委員会の総会で商業捕鯨の全面禁止と南氷洋聖域(sanctuary)の継続が決議されている.「科学が政治に負けた」と言われる理由である.

 バルト海では,20世紀初めに比べて海獣類が減ったために,かえって魚が増えているという試算がある(Thurow 1997).鯨やアザラシなどの海獣と漁業者は魚をめぐって競争関係にある.ミンククジラは増えているが,鯨類全体としての資源量は,やはり商業捕鯨が始まる前より少ない.定量的には異論があろうが,昔も今も,鯨類が魚や魚が餌としているプランクトンをたくさん食べていることは間違いない.けれども,たとえ鯨が漁業の邪魔になるとしても,だから鯨を獲って良いとは欧米諸国民の多くは思わないだろう

 鯨がいるから人間の獲る魚が減っているかと言えば,必ずしも明確ではない.ミンククジラが食べる魚の摂食量はかなり多い.しかし,マイワシやカタクチイワシなどは高水準期には人間も利用しきれないほど資源が豊かになる1980年代後半に日本がマイワシを450万トンしか獲らなかったのは,乱獲を心配したのではなく,それ以上獲っても売れなかったからである.1970年代と90年代にペルーはカタクチイワシを最高1200万トン獲った.日本が1990年代にカタクチイワシとサンマをそれぞれ40万トンと30万トンしか獲らなかったのは,需要がなかったためである.漁獲量より多く捕食しているからといって,鯨と競合して漁獲量が減っているとは言えない.本当に競合して餌となる魚が枯渇しているなら,いま,ミンククジラは増えないはずである.サンマやカタクチイワシは1990年代には海に余っていた.

 北西太平洋のミンククジラは1970年代にはマサバを,1977年以降にはマイワシを主要な餌としていた(Kasamatsu & Tanaka 1992).時代が下ると,1990年代にはカタクチイワシとサンマを主要な餌としていた(Tamura1998).第1章で紹介した魚種交替と話が合う.つまり,日本近海のミンククジラはその時代に多い魚種を臨機応変に食べているのであろう(笠松2000).低水準期には漁業だけでも乱獲を招くが,鯨は資源量に応じて摂食すると考えられ,漁業のように低水準でも漁獲量を維持するのと比べ,これらの資源に与える影響はずっと小さいだろう.

 ただし,鯨がスケトウダラや鮭をたくさん食べているとすれば,その影響は無視できないだろう.いずれにしても,各栄養段階の資源を満遍なく漁獲するという京都宣言の趣旨に照らせば,鯨だけを保全して漁業を続けることは,生態系の釣り合いを損なう.乱獲はいけないが,クジラは国際的に最も調査と管理が行き届いた生物資源である.科学小委員会で合意されたミンククジラの捕獲枠の範囲でクジラを捕ることは,理に適ったことである.

 結局は,単に持続可能な漁獲量を最大にするだけではなく,漁獲の効率や需給関係を考えに入れなければいけない.クジラは漁業と競合するから,絶滅しない程度に最小限度いればよいというのではなく,生態系にとって積極的な存在価値があるはずだ.まだ,現在の数理生態学は,それを真っ向から論じることができない.その限界をわきまえながら,今後の環境政策と水産業を考えていく必要がある.