証言3・11:東日本大震災 宮城・山元の2小学校、素早い判断児童救う
毎日新聞 2011年04月26日 東京朝刊
児童、教職員に近所の人たちも加わり、90人が屋上に。20分、30分……。津波は来ない。井上校長は「学年別に1列に座っていた子どもたちも保護者もおしゃべりしたり、海を見たりしていた。だが誰も『下りよう』とは言わなかった」と振り返る。井上校長は「必ず来る」と思っていた。既に到達した場所があると、テレビが伝えていたからだ。
笹森泰弘教頭(50)は第1波が浜辺の松をなぎ倒したのを「午後3時40分」と記憶している。「キャー」「お母さん」。悲鳴が上がった。子どもたちと保護者を屋上にある約200平方メートルの屋根裏部屋に入れた。
第1波は津波対策で高さ約2メートルにしていた校舎の土台がつかる程度。だが約1分後に来た第2波は2階に届いた。5年生の小林裕己さん(11)は「ガシャガシャ、ダーン、とガラスが割れたり机が倒れるものすごい音がした。耳をふさいでいる子も多かった」。
緊張は極限に達する。沖合に第2波の倍以上ある巨大な波が見えた。「終わりだ」。見張っていた笹森教頭は誰かがつぶやくのを聞いた。「そのまま来たら屋上も丸ごとのまれる」。井上校長は、引き波が第3波を崩すことを祈った。
次の瞬間、1〜2キロ沖で、第3波は引き波とぶつかり、波が小さくなった。それでも第3波は2階に達し、しぶきは屋上に降った。