証言3・11:東日本大震災 宮城・山元の2小学校、素早い判断児童救う
毎日新聞 2011年04月26日 東京朝刊
JR山下駅付近で徒歩組の最後に車に乗った作間教頭は「駅に津波が来たのはそれから5〜10分後だったと聞いている。全員が歩いていたら、とても間に合わなかった」。
渡辺校長は一人で学校に残った。その後に来る保護者に児童の避難を伝えるためだ。校門で20人前後に対応し、振り返ると、約300メートル先の防波堤を越える津波が見えた。2階に走った。水は2階に届かなかったが、図書室の本棚から本を出した。「万が一の時はいかだにするつもりだった。でももっと波がきたらアウトだと覚悟していた」。翌朝、渡辺校長は自衛隊のヘリで救出された。
◇「低学年の足では間に合わぬ」屋上へ避難−−中浜小
山下第二小から南に約5キロ。中浜小の井上剛校長(53)は、強い揺れに校長室を飛び出した。職員室のテレビは津波到達予想時刻を10分後と流している。
中浜小の危機管理マニュアルは津波到達まで20分以上の場合、北西約1・5キロの町立坂元中への避難を定めている。しかし、時間は10分。「低学年の足では間に合わない」。井上校長は校内の全員に校舎の屋上に上がるよう指示した。