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2013-10-10

奈良美智とラッセンについてのUstream発言起こし

有名なアーティストが反応したことでまた「ラッセン」が賑わって‥‥と思ったらニュースになっていた。

「ラッセンとファンが同じ」 奈良美智が関係者発言に怒りまくる:j-CASTニュース


「ラッセン」で検索して上位に出てきた記事を適当に繋ぎ合わせたような内容。*1 これがTwitterでやたら広まっていたが、今度はその記事についての「考察」記事が出た。

奈良美智氏「ラッセン大嫌い」事件を考察してみる(ふじい りょう) - 個人 - Yahoo!ニュース


内容は既にTwitterで多くの人が書いているようなことで新味はなく、この件についての何が「考察」されているのかわからなかった。おそらくこのライターの人は、ラッセン本はもちろん元のUstreamも聞いていないのではないかという気がした。聞いていたら「ここで奈良氏の名前が出てくるのはあまりに唐突で、「??」となるのが正直な感想になる」とは書かないと思う。*2

記事を書く人は別として、奈良氏のtweetのまとめや上記のネットのニュース記事を読んだ人々が、元のトークを聞かないままtweetで何か言ったりするのは、仕方ない面もあるとは思う。ただ、元の発言の意味や話の流れと乖離している部分が多いと感じるので、Ustreamの問題の箇所を書き起こしてみることにした。私などが遅ればせにここで書いても何がどうなるということでもないが、Ustを聞く人が少なそうなのでメモとして残しておくのも無駄ではなかろうということで。



夏期講座 中ザワヒデキ文献研究 夏の陣|美学校より、

第六回・アーカイブ・映像記録


このトークは、アーティスト中ザワヒデキ氏が、『ラッセンとは何だったのか?』を最初から順に読む試み(氏は鼎談に登壇している)と自作品の解説・論考をセットで行った、美学校での連続講座の最終回に当たるもの。登壇者は中ザワヒデキ、原田裕規(ラッセン本の編著者)、武田美和子(ギャラリーセラーのディレクター)の三氏。

最初に中ザワ氏からこの回に至る経過説明などがあり、原田氏、武田氏の紹介、「ラッセン展」(昨年夏、原田氏が企画しギャラリーCASHIで開催)の模様及びラッセン作品を映像で見ながらの原田氏のレクチャー‥‥という具合に、30分ほどの前振りがあった。


以下は、その後の30分35秒から33分10秒くらいまでを再現したもの(同じ言葉の繰返しや、話者の喋りが重なったところはカット、整理してあります)。

原田 ちょっとこの後の話に繋げるために、ネタを一個投入しておきたいんですけど、これ(映像)はKoSAC*3を運営されている加島さん(ラッセン本の寄稿者の一人、加島卓氏)のツイッターですね。*4


中ザワ そうそうそう、これは、結構大事なツイート


原田 400RTされていてかなり話題になったみたいで。この武蔵美の受講生は、ちょうどKoSACで行く授業*5の受講生のことです。好き・嫌いなアーティスト書いてもらって、(嫌いなのは)こういう結果に。村上隆さんがトップで、草間彌生さんとか、会田誠さんだったりカオスラウンジだったり‥‥が続いていると。


中ザワ 要するに嫌いなアーティストは誰かという、そういうアンケートもちゃんとやっているということですね。


武田 それって売れてるアーティストのことじゃないですか。


原田 まあ目立ってるアーティストです。


中ザワ そうそう、これの次の加島さんのツイートが、「毎年売れてる人がだいたい上位を占めるんだが」みたいな。さらにこれに対する反応の一つで、会田誠さんのツイートで、「奈良美智め」ていうのがありましたね。この中に要するに奈良美智が入ってない。これですね。「奈良さんめ‥‥」。*6


原田 嬉しそうですね。


中ザワ (奈良美智は)「好きなアーティスト」にしか登場しませんと。どうよって感じですよね。

(少しガヤガヤ‥‥中ザワ氏が何か言っているが聞き取れず)


武田 でも奈良さん好きな人とラッセン好きな人は同じだと思う、私は。


中ザワ いい話ですね(周囲、笑)、いい話ですね。*7


武田 あのほんと、いやすみません、マーケティングのプロモーションとしてラッセンと奈良は同じだけれども、もう一つ世界がある。アートのワールドのマーケットがある。その部分に入っていったのが村上。草間彌生もそう。でも、奈良さんも一応入ってはいるんですけど、近いと言ったらラッセンの方が近いところが最初にあってね。そうすると、いわゆるアートの中枢にあるマーケットの方に、ほんとに入っていった人間は、大嫌いなんだろうなぁと、今これ(加島さんの武蔵美学生アンケートについてのツイート)見ててすごく思った。だったら、なんていうのかな、みんなが売れてるって言うんで、これかわいいねって言われながら売れてる方をアグリーするけれども、そうじゃない力を使って入ったとか、そうじゃないものでピックアップされたってことに関しては、異常な嫌悪感はあるなぁこれ見てると、と思いますよね、私は。


中ザワ うーむ‥‥ふむふむ。


「美大生の間では村上隆や会田誠が嫌われるのに、奈良美智は嫌われないのは何故か?」というのが元々の話である。これは、地方の芸術大学に仕事に行っている私の実感ともほぼ重なる。一時期、女子学生に好きなアーティストを聞くと8割の確率で奈良美智の名が出てきていた。

「奈良さん好きな人とラッセン好きな人は同じだと思う」というのは、そこだけ見ると確かに誤解を招く表現ではある。だが武田氏の言っているのは、「奈良ファンとラッセンファンは重なっている」とか「奈良美智を好きな人はラッセンも好きになる傾向がある」という”趣味”や”美意識”の話ではない(多くの人がそう受取っているようだったが)。


奈良美智とラッセンはどちらも、アートに関心のなかった人にもアピールするかたちで広く話題になり、ポピュラリティを獲得し、日本のマーケットで成功している。そういう点で近いと武田氏は言っている。もちろんここに、ラッセンを売っているアールビバン商法のようなかたちで奈良美智の作品も売られている、という意味は含まれていない。

奈良美智もラッセンも、受容層の裾野がそれまでになく広いアーティストだ。裾野が広いということは、話題になってるものに惹かれたり、単純に「きれい」「かわいい」と思って素朴に好きになるような人々が、各々のファンの中に多数いるということだ。そのような”ファン層の形成のされ方”が、同じなのではないかと。

またそういうタイプの人は、村上や会田などコンテクストや戦略が明確に見え、そのことによってアートワールドの中枢に入っていったアーティストを嫌うであろうと。

以上が、武田氏の「奈良さん好きな人とラッセン好きな人は同じだと思う」との仮説の中身である。


これを聞いて、「自分はそんな単純な理由で奈良さん(あるいはラッセンさん)を好きなんじゃない」と反発する人はいるだろう。そういう人はその理由を示せばいいのではないかと思う。

私がかつて大学で、奈良美智について学生に聞いた範囲では、「ピュアな感じ」「自然体」(本人が)か、「なんとなく」「理由なんかない」などの回答が多かったのだけど、どういう点がアートとして優れているのか、きちんと説明できる人はファンの中にもちろんいると思うので。


作品だけでなくラッセン本人もファンにカリスマ的な人気があるようだが、奈良美智も同じで、ベクトルは全然違うもののポップスター的立ち位置という点では似ているところもあるように感じる。とか言ったらまた奈良さんは怒るだろうか。

余談だが、私は奈良、武田両氏ともに面識がある(お二人とも魅力的な人物だ)ので、こういうかたちで話が広がってしまったのは、ありがちなこととは言え、ちょっと残念だなと思った。



●追記

lli 奈良美智が戦略的にアートの中枢に突っ込んでないとか冗談だろ。周りがそう捉えるのは仕方ないけど。スタジオボイスあたりが取り上げた頃からおかしくなった。 2013/10/10

http://b.hatena.ne.jp/lli/20131010#bookmark-164732510

奈良ファンは、村上隆などと比べてあまりそう見てない傾向があるのでは、という話です(当然戦略的だと思うしそれで別に問題もないと思う)。

↓こんなの見つけました。

https://twitter.com/alohazuki/status/388172927109062656

*1:今年出た書籍『ラッセンとは何だったのか?』に触れつつ、私の5年前のブログ記事を本の寄稿者の言説として引っ張ってきているので、まるで私がラッセン本でもヤンキー論を主張しているかのように読める。それを主張しているのは斎藤環氏であり、私は以前に抱いていた見方として論の前振りに使っているのである。

*2:またラッセンの作品には「環境保護」という政治的メッセージがあり、奈良美智は違うというのも、いちがいには言えないと思う。奈良美智は「NO NUKES」と描かれた自作品が、反原発デモのプラカードに使われることを許可している。これは「環境保護」のメッセージに繋がるのではないか。

*3:Kokubunji Society for Arts and Cultureの略。

*4https://twitter.com/oxyfunk/status/375639057302188033

*5:10/2に「ラッセンをいかに語るのか」というトークが開催されることになっていたのを指す。

*6https://twitter.com/makotoaida/status/375835465338732544

*7:この中ザワ氏の反応の意味は、『ラッセンとは何だったのか?』を読むと見えてくると思います。

えのきえのき 2013/10/10 09:28 豆腐が好きと、肉が好き。論争みたいな。ただ、奈良さんは、力をだしきっていないとおもう。ラッセンについては、私にとっては豆腐でもなく肉でもないけど、ラッセンは力をだしきっていると思うけどな。奈良さんより才能ないとおもうけど。

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/10 09:34 >豆腐が好きと、肉が好き。論争みたいな。

そういう趣味嗜好の話ではなかった、ということを言うためにこの記事を書いたのですが。

えのきえのき 2013/10/10 10:19 芸術は嗜好品ですが? 奈良さんの青春は、ポップスターじゃなかったはず。なのに、生きているうちに売れてしまった石川啄木みたいというか。なので、奈良さんのローマ字日記をみたい。

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/10 10:28 芸術品は嗜好品だったとしても、ここで話題になっている話は、それぞれのファンの趣味嗜好を云々するものではなかったということです。記事をよくお読み下さい。

近・現代美術ファン近・現代美術ファン 2013/10/10 12:31 横入りですが、連続講義の内容が「ファンの趣味嗜好を云々するものではなかった」と定義しているのに、
大野さん本人の「奈良美智もラッセンも、受容層の裾野がそれまでになく広いアーティストだ。裾野が広いということは、話題になってるものに惹かれたり、単純に「きれい」「かわいい」と思って素朴に好きになるような人々が、各々のファンの中に多数いるということだ。そのような”ファン層の形成のされ方”が、同じなのではないか」という考察が、その講義内の発言の解釈として出てくるというのは、端的に言って矛盾しているように思えるのですが。

あと上でリンクされてる「考察」については私も新しいことはなにも出てないとは思いますが
「シカゴやハーグなどの現代アートに強い美術館での個展を定期的に開催されている奈良氏が「いっしょにするな!」と怒るのは個人的にも妥当だと感じるし、多くのアートファンもラッセン氏の販売手法や受容のされ方を知っているゆえに、イベントでのトークの発言のてきとうさ加減に呆れている」という部分は目新しくなくとも作家受容のコンテクスト的に極めて重要な部分であって、この点についての個々の発言者の立場を何度確認してもし過ぎるということはないように思うのですが、いかがでしょうか?

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/10 12:53 >ファンの趣味嗜好を云々するものではなかった

「それぞれのファンの趣味嗜好の内容が重なっている、ということを言うものではなかった」と言えばよろしいでしょうか。
ラッセン作品を「きれい」という趣味・美意識と、奈良作品を「かわいい」という趣味・美意識を、同じものだと言っているのではない。ただ、アートのコンテクスト云々などを考えるのではなく、対象を単純に「きれい」「かわいい」で好きになる、受容者のそうした反応のあり方が近いのではないかということを言っているのだと思います。

で、そういう本来話されていた文脈ではなく、両者のファンの趣味嗜好レベルは同じだとか、販売方法が似ているとか言われているのだ‥‥と受取ってしまえば、それは奈良氏本人もファンも怒るでしょう、と思います。

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/10 13:24 「個々の発言者の立場」についてですが、中ザワ、原田両氏には記事内容についてOKを頂いております。
武田氏が、自分の意図と全く異なると仰るとは思わないですが、問題があればすぐ対応するつもりです。

mappiemappie 2013/10/10 13:30 奈良さん好きな人とラッセン好きな人は同じ→ファン層の形成のされ方が同じ(一般の人々が素朴にエンタメに近い軸で評価している)という事を武田さんが主張しているのは理解しました。それを踏まえた上で批判させてもらうのならば、まず、そのファン層の形成のされ方が同じという切断面自体が、村上さんや草間さんを素朴に好きになるような一般の人々も当然存在するという事を作為的に排除したものであると感じます。また、学生が村上さんや草間さんを嫌う理由が本当にコンテクストや戦略が明確に見える事にあるのかは定かではないですし、それを根拠にカウンターとして、一般の人々にエンタメに近い軸から評価されているので学生は奈良氏には好意的、とするのは論理の飛躍ではないでしょうか?(それともそれを証明するデータが会場では示されたのでしょうか?)そしてこれを踏まえると、「一般の人々にエンタメに近い軸から評価されることが重要な要素ならば、ラッセンもアート界隈で評価され得る。≒語るだけの価値を持つ」という所に繋げようとしている様にも読み解けるのですが。そうなのだとすれば、武田さんの発言も貴方様のこの記事も、『ラッセンとは何だったのか?』をはじめとするラッセン論のアート界隈でのプライオリティを高めようとする政治的なアクションである、という読み解きも同時に生じるはず。これは下衆の勘繰りでしょうかね?

nesskonessko 2013/10/10 14:09 >一時期、女子学生に好きなアーティストを聞くと8割の確率で奈良美智の名が出てきていた。

奈良美智、という名前は、吉本ばななと共作で本を出していたので覚えていました。
アートには疎いので、このような評価を得ている画家だとこの記事を読んではじめて知った次第です。人気イラストレーターかと思い込んでいた orz

じつは、吉本ばななは苦手でエッセイを一冊読んだだけなので、奈良美智と共作したものはちゃんと読んでいないのです。
吉本ばななが好きな女子学生は、奈良美智も好きなのかもしれないな、と思いました。

ラッセン好きな人は、昔だったらメジャー受けするアメリカンロックとか、70年代のアース、ウィンド アンド ファイアーとか好きそうな気がするんですね。というか、自分が海に遊びに行ってサーフィンしたりヨット乗ったりしそうな。
これもラッセンの絵から受ける印象から持った感想ですけれども。

近・現代美術ファン近・現代美術ファン 2013/10/10 14:47 >「個々の発言者の立場」についてですが、中ザワ、原田両氏には記事内容についてOKを頂いております。

なるほど。ご返答ありがとうございます。
ただ、件のラッセン本の論者のみなさんはなぜ一方は現代美術館で個展をしており、もう一方はしていないのか(できないのか)という点について価値判断を避けているように見えるのはやはり気になります。可能・不可能は別にしても、あり得る展示キャパの限界についての見立てを、個々の立場から(評論家も実作の方もいるわけですので)それほど吟味して擦り合わせていないので、逆に制度論としての体裁が保ててるという印象がどうしてもありますね。
ラッセンはそもそも例の画廊やデパート展示場以上の空間設定では「持たない」ですし、だからこその「インテリアアート」な訳でしょう?
そういうことも含めると「ファンシー」という共通点の指摘は、むしろさまざまな水準で存在するがゆえに、同じものがまったく別のコンテクストで機能しうるファンシーの差異を無視してるとも言えます。

crosstalkcrosstalk 2013/10/10 15:23 わたしもUSTREAMの前半は聴きましたが(ごめんなさい後半はパス)、やはりここで大野さんが文字起こししておられる部分だけではまだ、武田さんの発言のウラは伝わらない気がします。つまりは二十世紀後半からの資本主義世界の中でハイアートを含む美術がどのように評価されて売られて来たのか、そのことがアートのどのような変遷を招いたのか、という、このレクチャーの全体像が語られるのはもう少しあとの部分。そこからラッセンのファンイコール奈良さんのファンというところへフィードバックされるべきかと思いました。わたしも「ベクトルが違うだろう」と考えたくもなりましたけど、そこもあえて、フラットな地平に移しての武田さんの発言なのではないのかと思っています。怒りたくなる人たちの感情も理解出来ますが。

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/10 15:49 mappieさん

>そのファン層の形成のされ方が同じという切断面自体が、村上さんや草間さんを素朴に好きになるような一般の人々も当然存在するという事を作為的に排除したものであると感じます。

「作為的」とまでは私は感じませんでした。「素朴に好きになるような一般の人々」は、村上隆や草間彌生のファンより、圧倒的に奈良美智のファンに多いのでは?ということを言いたかったのだと理解しています。

>また、学生が村上さんや草間さんを嫌う理由が本当にコンテクストや戦略が明確に見える事にあるのかは定かではないですし、それを根拠にカウンターとして、一般の人々にエンタメに近い軸から評価されているので学生は奈良氏には好意的、とするのは論理の飛躍ではないでしょうか?(それともそれを証明するデータが会場では示されたのでしょうか?)

学生が嫌う理由まではわかりませんし、データが示されていたのでもないと思います(私は会場におりませんので推測)。
ただ「一般の人々にエンタメに近い軸から評価されているので学生は奈良氏には好意的」ということではなく、美術大学の学生自体が(もちろん全員ではないですが)「一般の人々」に近いところにいる、ということは言えるかと思います。これは私の実感からですが。

>「一般の人々にエンタメに近い軸から評価されることが重要な要素ならば、ラッセンもアート界隈で評価され得る。≒語るだけの価値を持つ」という所に繋げようとしている様にも読み解けるのですが。

これについては、ラッセン本の鼎談で、2000年のSTUDIO VOICE に掲載された中ザワヒデキ×村上隆対談において中ザワ氏が「売れるものがいいものであるという商業本位主義とアートが現状結び付いているのであれば、アート業界はラッセンを評価せざるを得なくなるのでは」との指摘をしているという話が出てきます。また同書籍には、ラッセンが「アート界隈で評価され」た未来を思考実験として書いた、大山エンリコイサム氏の論考もあります。
そうしたことを通じて、エンタメとアートの線引き問題は当然浮上してくると思いますが、ラッセン本でもこのトークでも「(ラッセン作品の評価、価値という所に繋げようとしている」といった一方向的な意図は、私はあまり感じませんでした。

>そうなのだとすれば、武田さんの発言も貴方様のこの記事も、『ラッセンとは何だったのか?』をはじめとするラッセン論のアート界隈でのプライオリティを高めようとする政治的なアクションである

そもそも『ラッセンとは何だったのか?』という本の出版があって、中ザワ氏の今回の一連の講座内容も決定されていますし、そこに寄稿した私もこのところラッセンについて集中的に記事を上げております。つまり”ラッセン問題”を(それぞれの関心の持ち方は微妙に異なるにせよ)重要な問題として考えています。
その自分の関心事について、誤解や行き違いが生じているように見えれば、それについてアクションをするのは当たり前のことではないかと思います。

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/10 15:51 nesskoさん

>奈良美智、という名前は、吉本ばななと共作で本を出していたので覚えていました。
アートには疎いので、このような評価を得ている画家だとこの記事を読んではじめて知った次第です。人気イラストレーターかと思い込んでいた orz

そういう人、結構いると思います。この記事のブックマークコメントを見ても‥‥。私の知人でも、奈良美智と村上隆をイラストレーターだと思っている人がいました。有名になりあちこちに名前や作品が露出されるということは、そういうことも含むのですね。

ラッセンも好きで奈良美智も同様に好きだという趣味の人は、少なくとも奈良ファンの中ではかなり少ないんじゃないかなとは思いますが。

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/10 15:52 近・現代美術ファンさん
>件のラッセン本の論者のみなさんはなぜ一方は現代美術館で個展をしており、もう一方はしていないのか(できないのか)という点について価値判断を避けているように見えるのはやはり気になります。

なるほど。個人的な価値判断は一旦停止した上で、起こっている出来事、状況について語るというスタイルになっています。そうでないと語れないことがあるからではないでしょうか。
また、制度による棲み分けがされてきたことについて、日展の作家や現代アートの作家とともにラッセンを並べた「ラッセン展」が一つの批評的な機能を負っており、そういう展示の中ではラッセンも「あり」に見えたということは、トークで原田氏も言っていたと思います。

>そういうことも含めると「ファンシー」という共通点の指摘は、むしろさまざまな水準で存在するがゆえに、同じものがまったく別のコンテクストで機能しうるファンシーの差異を無視してるとも言えます。

人気があるという”引き”だったり、「きれい」や「かわいい」がそれぞれの作品においてどういった「コンテクストで機能」しているかという、作品分析の話をしていたわけではないので、それはあの場では仕方ないことではないかと私は感じました。

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/10 15:56 crosstalkさん
仰る通りだと思います。
この記事でトーク全体の内容まで説明していないのは不親切で説得力に欠けると言われれば、「手抜きでごめんなさい」としか言えません。
できましたら、ここを読んでcrosstalkさんのようにUstreamを聞いてみようと思う方が増えればいいと思っています。

danieldaniel 2013/10/11 07:14 初めまして。興味深く拝見させていただいております。
特に、ohno様の過去のブログ(2008年あたり)でラッセンがバブル(末期?)に売れたのを「(日本人の)なんの恥部たっだのか」と記したのから始まり、「それでも売れたんだから何らか考察するべきなのでは?」という問題提起。ヤンキーとファンシーという日本の土俗カルチャーへの含羞は、一方で10年程前に音楽業界で松田聖子さんを再定義した動きとリンクするのかなと。
自分は音楽系雑誌に寄稿しているライターですが、今回の件は例えば1980年代に音楽プロモーターが「実はビートルズのファンとサザンオールスターズのファンってマーケティング的に一緒なんだよな」と発言してジョン・レノンが「一緒にしないでくれ」って反論提起するような感じでしょうか(サザンのファンの方ごめんなさい)。生業としてアートを取り扱っている人の視点(の一部)が拡散してしまったのが本質かと思います。現在で言うとAKB48と・・いやまた物議を醸し出しそうなのでやめておきます(笑)。奈良さんの誤解が早期に解けることと、ラッセンに見る近代日本人の「アート周辺」における出来事が深く考察されることをお祈り申し上げます。
追記:個人的には「純粋理性的音楽史」と「芸能史」は分けて考えた方がスッキリくると考えています。音楽とその周辺を冷却期間をおいた上での「歴史」として捉えるために。

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/11 07:40 danielさん
初めまして。
>ヤンキーとファンシーという日本の土俗カルチャーへの含羞は、一方で10年程前に音楽業界で松田聖子さんを再定義した動きとリンクするのかなと。

そんなことがあったんですね、寡聞にして存じませんでした。

>今回の件は例えば1980年代に音楽プロモーターが「実はビートルズのファンとサザンオールスターズのファンってマーケティング的に一緒なんだよな」と発言してジョン・レノンが「一緒にしないでくれ」って反論提起するような感じでしょうか

サザンオールスターズより、リチャード・クレイダーマンという感じかと(ラッセンを音楽で言うとソレじゃないかという発言を時々見ました)。ただ、ビートルズもイージーリスニング風にするとそっちに近い感じになる曲あるんじゃないでしょうか‥‥。

ラッセンについては、このブログでも最近幾つかの考察記事を上げておりますので、よろしければお時間のある時にでもご覧頂けると嬉しいです。

>個人的には「純粋理性的音楽史」と「芸能史」は分けて考えた方がスッキリくると考えています。音楽とその周辺を冷却期間をおいた上での「歴史」として捉えるために。

日本では、美術はそのあたりが特に80年代から混ざってきているように思います。もともと、純粋な「美術」というものが西欧輸入だったことと関係あるのかもしれません。

nesskonessko 2013/10/11 18:38 別のブログからのラッセン関連ですが
http://nanadears.blog102.fc2.com/blog-entry-2513.html
上の記事で読んで、ああそうかも、と思ったのは
床の間には掛け軸飾りますが、フローリングするとラッセン飾るようになるのかな、と。
実際に絵を買う人にとっては、きれいな調度品なのかもしれませんね。
そして、美術品でも、個人の家でも公共の施設でもいいのですが、そこに飾るときれいだから、というのは、あるのではないでしょうか。美術展だけが、作品の置かれる場所ではありませんからね。
そんなことも考えさせられました。

ohnosakikoohnosakiko 2013/10/11 19:19 nesskoさん
書評ご紹介下さり、ありがとうございます。
ラッセン本の鼎談でちょっと話し、『アート・ヒステリー』でも触れたことなのですが、一般の家庭に応接間という洋間ができてきた70年代、その洋間に飾るためにデパートで絵を買うという消費行動が発生してきます。それはまさにインテリアとしての美術だったわけで、ラッセンは正しくその系譜上にあるものですね。
もともと絵画は教会を別にすれば貴族の邸宅に飾られており、プライベートな空間にインテリアとしてあったものでした。それを後の富裕層の市民は真似ました。貴族の屋敷が美術館となって、そこで市民に向けての美術展を開催し、お金を取って見せるという形式が出てきたのは、わりと最近のことですね。
だから美術というのは基本的には誰かに所有される「物」としてあったし、その形式が限りなく広がった今でも、そういう面は強いと思います。
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20121114/p1

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