汚染水が漏れたタンクと、汚染水が海に漏れたとみられる経路=3日午前、東京電力福島第一原発(朝日新聞本社ヘリから、金川雄策撮影) |
3・11から2年半。日本では「原発再稼働」「原発再依存」とでもいうべき動きが強まっています。3週間前に、私は「『原発ゼロ』へ 小泉元首相の問いかけ」という記事を書きました。この小文に対して思わぬ反響がありました。議論となったのは、次の部分です。
<小泉元首相自身、原発推進政策を進め、東日本大震災と原発事故が起きる前は「脱原発」を真剣に検討したことはなかったと思います。ただし、足元の事故と世界の動向を見すえたうえで、発想を転換するのは今しかないと考えるに至ったのだとすれば、評価できる発言だと思います>
ツイッター上で賛否は分かれました。
「その通り」と言う人よりも、「とんでもない。今ごろになって小泉氏に脱原発を語る資格はない」「彼は首相時代も原発推進を進めた張本人。東京電力福島第1原発事故を引き起こした責任を認め謝罪することから始めるべき」「こんな見え透いたパフォーマンスを評価するとは残念」などの声が次々と届いたのです。
また、このタイミングで小泉氏が「原発ゼロ」を叫ぶのは何かの策謀、仕掛けがあるのではないか。簡単にその手に乗るのは危険だ、という懸念の声もありました。
私のツイッターをフォローしてくれている人には、3・11以後に「脱原発」を真剣に願い、発言・行動してきた人が相当数いると思います。従って、一般的な世論というより、「脱原発」を主張する人々の中からあがってきた声ととらえることができます。
じつは私は、小泉政権が誕生して支持率78%となった就任時から引退する最後まで、「小泉構造改革」に対しては批判派でした。元首相とも、何度か噛み合わない論戦を国会で交わした記憶があります。規制改革の名のもとに非正規雇用が広がり、格差や貧困が深刻化することに対して憤りを持ったひとりです。
ただし、あまり知られていないことも紹介しておきます。安倍政権で再浮上している「共謀罪」を最終的に止めたのは当時の小泉首相その人でした。郵政選挙で衆議院では圧倒的多数の議席数があり、参議院でも与党優位だった2006年4月。衆議院法務委員会は、この共謀罪を「強行採決」する予定でした。これを止めたのは官邸からの小泉首相の電話だったと聞いています。側近には「平成の治安維持法をつくった総理と言われたくない」と漏らしたそうです。詳しくは『共謀罪とは何か』(海渡雄一・保坂展人著・岩波ブックレット)をご覧下さい。
まさに、「強行採決」直前に小泉氏は独特の動物的なカンで反応し、待ったをかけたものと思います。当時の河野洋平・衆議院議長が与野党に話し合いを呼びかけるという形で、審議継続となりました。ここまでの事態をつくりだしたのは、国会での徹底した審議を求めた野党や世論の盛り上がりであったことはもちろんですが、「1本の電話」が決定打になったのだと思います。
私は、日本が「原発ゼロ」に向けて方向を決め、1日も早く歩み出すことを強く願っています。だからこそ今回、小泉元首相が「原発ゼロ」を提唱し、積極的に発言していることを歓迎します。「原発ゼロを今こそ選択すべき」という主張は、私自身が3・11から2年半、言い続けてきたことでもあります。 この発言について、復興庁政務官の小泉進次郎氏は7日、「国民の間で釈然としない気持ち、なし崩しに(原発依存に)行っていいのかという声が脈々とある気がする」と語って、父親に理解を示したそうです。
1955年、宮城県仙台市生まれ。世田谷区長。高校進学時の内申書をめぐり、16年間の「内申書裁判」をたたかう。教育ジャーナリストを経て、1996年より2009年まで衆議院議員を3期11年(03〜05年除く)務める。2011年4月より現職。『闘う区長』(集英社新書)ほか著書多数。
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