「17年前のトラウマ」…消費増税 安倍首相の迷いの背景
◆橋本元首相の謝罪
「総理は本当に悩んでいた…」。
ある政府関係者は8月下旬の安倍晋三首相の様子をこう振り返る。
来年4月から消費税率を8%に引き上げるべきか否か−。当時、首相官邸には60人の有識者が集まり、6日間におよぶ集中点検会合が開かれていた。出席者の7割超が引き上げ賛成・容認派だったが、首相はなお慎重だった。
迷いの背景にあったのは、政治が長く払拭できなかった「トラウマ」だ。
「私は平成9年から10年にかけて緊縮財政をやり、国民に迷惑をかけた。私の友人も自殺した。本当に国民に申し訳なかった。これを深くおわびしたい」
13年春、自民党総裁選に出馬した橋本龍太郎元首相は、こんな謝罪を繰り返した。首相を務めていた9年4月、消費税率を5%に引き上げるとともに、公共事業費の削減を進めた橋本氏。総裁選では「財政再建のタイミングを早まって経済低迷をもたらした」との自責の念も示した。
では、実際に橋本氏がとった経済政策が、その後、長く続いた「デフレ不況」の引き金となったのか。
消費税率引き上げ直前の9年1〜3月期の国内総生産(GDP)は8年10〜12月期に比べ2・9%(実質、年率換算)増えた。これが引き上げ後の4〜6月期には3・9%減となっている。駆け込み需要と反動減の「山谷」が大きかったことを物語る。7〜9月期は1・6%増になったものの、10〜12月には0・3%減、翌10年1〜3月期には7・4%減となり、以後、日本経済は長いトンネルに入り込んだ。
ただ、7〜9月期がプラス成長だったため、消費税率引き上げによる景気悪化は限定的ともみられる。明治安田生命保険の小玉祐一チーフエコノミストは、「(9年)11月にはいってからの山一証券、北海道拓殖銀行の破綻といった金融危機と、アジア通貨危機が景気低迷の主犯」と指摘する。この見方は市場関係者の間では、主要な認識だ。
◆デフレ脱却の思い
それでも、「平成9年のトラウマ」は、その時々の政権に等しくついて回った。少しでも「増税」をちらつかせた政権は、批判の集中砲火を浴び、選挙でも苦戦を強いられた。
安倍首相はこのトラウマに終止符を打とうとした。そのためには、何としても「デフレ脱却」の道筋をつける必要がある。
「法人税をどうしても引き下げたい」
政府内で消費税増税が既定路線として語られ始めたころ、首相は周囲にこう漏らすようになった。日本に海外からの投資を呼び込み、日本企業が外国勢と競争できる環境を整えようという狙いだ。
首相は財務省に対し、法人税の実効税率の引き下げ案を策定するよう指示した。だが、財務省幹部は「1%の引き下げで4千億円も税収が減ります」と抵抗した。
次に首相が目をつけたのが、復興特別法人税の1年前倒しでの廃止。これについても第1次安倍政権で自身の秘書官だった田中一穂主税局長らが強く抵抗したが、首相は押し通した。
復興のための税が削減されることに自民、公明両党からも反発の声があがったが、首相は最後まで粘り、1日発表した経済対策に「廃止について検討」という文言を盛り込むところまでこぎ着けた。
結論は12月に先送りされたが、「企業減税→賃上げ→家計の消費拡大」の好循環でデフレ脱却を図ろうという政治的メッセージを示した価値はある。
ある日銀首脳は、9年の消費税増税前後と現状を比較し、「金融システムの安定度が全く違う。増税しても景気の腰折れはない」と断言する。その上で、「実際に追加緩和の可能性は低い」(日銀首脳)とみる。
前回はバブル経済崩壊の影響もあって、人員、設備、負債の3つの過剰が問題視されていた。全国の銀行の不良債権についても9年3月末段階で21・8兆円に及んだ。それが、雇用などの状況もアベノミクスで改善。何よりも、不良債権は25年3月末段階でほぼ半減した。「一般論だが、大手行の破綻懸念は極めて後退した」(金融庁幹部)
海外経済についても、米政府の暫定予算問題や、中国の景気伸び悩みなどの問題もあるが、「米国の実体経済は堅調、中国経済も景気は底打ちし、年率7%程度の成長が見込める」(小玉氏)状況で、消費税引き上げ後の海外経済危機のリスクは小さい。
17年前とは経済環境が違うし、打つべき手も打った。デフレ脱却への手応えを得て、首相は増税への「断」を下した。