2013年10月13日
完全終了します。
まあなんというか、予想通り過ぎて残念ですね。
私に対して、多数の厳しいご意見が――ということらしいですが、
公表できないものは、なんとでも言えるわけです。
それを事実と認定することは不可能です。
仮に、それが事実だったとしても、
その非公開で私に叱咤激励をされた方々もまた、随分と勇気のない方々ですね。
言いたいことがおありなら、なぜ私に直接アクセスしないのですか?
どうして私と向き合おうとしないのですか?
私は、常にアクセスの扉は開けていますよ。
コメントしかり、メールしかりです。
確かに、なにを主張されたいのか意味不明なコメントは、一読後、削除しましたが、
それとて、ごく僅かなものです。
本件に関しては、1件あったのみのはずです。
内容は、本件とはあまり関係ない内容だったので、返信を避けて削除したまでのお話しです。
それ以外のものには、全て返信しております。
粘着某とその関わりの方々のコメントは、私が罵詈雑言は削除すると申し上げているのに、
礼を欠いてコメントされたので、削除したまでのことです。
いまだに多分悪口言っているんでしょうけど、もう見てもいませんよ。
コメントなんかで、どうせ言っても聞かない?
本当にそうですか?
アクセスした事実もなしに、推察でものを判断されては困りますよ。
どんなに善意のご意見であれ、本人に言わなければ、意見しなかったのと同じです。
黙っていたのと同じです。
正直、こうした失礼なことを書くのも、心が痛むわけですが、致しかたないのです。
あちら様の言動に対応するなら、こう言うしかないと思うゆえです。
こうした、あちら様の言動にいかなるものを感じ取るかは、皆様しだいです。
私はそれを強制しようなどとは、思いません。
お好きなように受け取られればいいのではないでしょうか。
――ただし、もう手遅れです。
完全終了すると決めましたからね。
私はもう、あちら様のブログも見ませんからね。当然、掲示板も見ません。
かといって、今になって私のブログにこの件でコメントをされても、返信は、固くお断りさせて頂きます。
メールでの対応は、一応考慮に入れますが、それとて、極端に悪意のあるもの(つまり、単なる誹謗・中傷と受け取れるもの)に関しては返信はお断りいたします。
といいますか、いまだかつて、この件で厳しい批判のメールを頂いたことは一度もありません。
粘着某からはじまったこの状況で、お叱りのメールを頂いたことは、一度もありません。
心を砕き、心配してくださり、何度もアドバイス並びに激励してくださった方はおりましたがね。
そうした方々には、この場を借りて、心より、お礼申し上げます。ありがとうございましたm(_ _)m
ちなみに、拍手メッセージなどの匿名非公開のものさえ、
この二ヵ月間に、悪意のメッセージは一件も受け取っておりません。
まあただ、この点に関しましては、あちら様と同じ状況ですから、
(私サイドの非公開の部分に関しては)信じて頂くしかないわけですが、
私は、その点をもってまで、相手に批判的メッセージを送ろうなどとは思いません。
ましてや、私の場合、そうしたメッセージを受け取ってないのが事実ですから、
それ以上そこから何がしかを申し上げることさえ出来ません。それが事実です。
ここは、あちら様と私の違いです。ご理解くださるとありがたいですね。
ともあれ、あちら様は、そういう善意の書き込みもあったよということを伝えたかったのかもしれませんが、
むしろ逆効果だったということです。
大変申し訳ないのですが、なんども嘘をつかれたあなた様の言葉を、
証拠なしで信じることなど出来ないのです。
あなた様にはきとんとお願いしたはずです。
反論するならば、理路整然と論理的にと。
最後の最後まで、こういう展開とは、非常にもって残念です。
私は、あくまでも謙虚に、誠意をもって呼びかけたつもりでしたが、
あいも変わらず、公表できない証拠なるものを使って、
ご自分の主張を正当化するという卑劣さでお応えになられたようですね。
私が何度も指摘させて頂いた、他者を道具として、自分の主張をされるという点が、
またしても露呈してしまったわけです。
生命の傾向性というものは、異様にしつこいものですから、
数十回呼びかけたところで、そう簡単に変わるものではありませんので、これも致しかたないのですがね。
それを承知のうえで、私は気づいて欲しくて、ずっと今日まで、あなた様と、
こういう形にはなりましたが、向き合ってきたつもりです。非常に残念です。
残念で仕方ありませんが、致しかたないのでしょう。
私も暇人というわけではありませし、いまだ病気の症状もある身ですから、
出来れば自分自身に生きたいですからね。
いつか、真剣勝負でご自分と向き合うときはくるでしょう。
それがいつかは、私には知りえませんがね。
ともあれ、私は変わらぬスタンスで、ここで自分と向き合うだけのことです。
あなた様が、何を記事にされようが、どんな悪口暴言を書こうが、それは自由です。
しかし、ここにコメントされたり、私の記事を読みたいと通ってくださっている方々には、
当初より一切関係のないことでから、
そうした方々への批判・非難、並びに中傷は、厳に謹んで頂けますよう、お願い申し上げます。
また、これまでの騒動の期間、このブログを閲覧して、
不愉快な気持になられた多くの方々には、心よりお詫び申し上げます。
今後、このようなことが無いよう、努力してまいりますので、
何卒、ご理解、ご容赦くださいますよう申し上げます。
大変に申し訳ありませんでした。
意味のないことなど、ありはしないのです。
今回のことからも、たくさん学ばせて頂きました。あちら様には、感謝・感謝であります。
それから、そういうつもりではありませんでしたが、不愉快にさせてしまったり、
嫌な思いをさせてしまった言動があったことは、深くお詫び申し上げます。
申しわけありませんでした。
また、本来日本語では、読みやすさを考慮して、主語を省く場合が多いのですが、
主張をはっきりさせるため、勘違いを防ぐため、あえて、主語を省かずに書いたものです。
回りくどく、読みにくい記事であったことも、あわせてお詫び申し上げます。
そういえば、40歳までは勝つ戦いを、40歳からは負けない戦いを――
という言葉を残したのは、武田信玄なんですね。
最近知りました。
6割勝利でいい。それ以上勝つと慢心するから。
先生は、武田信玄を通して、そうしたご指導をしてくださっていますが、
40歳までは勝つ戦いを、40歳からは負けない戦いを――も
信玄から学び取られたのでしょうね。
先生においてすら、そうです。
いかなる人からも学び、唱題の中で、体験を通して確信されてきたのでしょう。
いわんや、私のようなものが、学ばずして真実に到達できるはずなど無いのです。
あくまでも、謙虚に誠実に、そして慢心せず。これでいきますよ!
明日死ぬかのように生きろ。永遠に生きるがごとく学べ。
マハトマ・ガンジー
私に対して、多数の厳しいご意見が――ということらしいですが、
公表できないものは、なんとでも言えるわけです。
それを事実と認定することは不可能です。
仮に、それが事実だったとしても、
その非公開で私に叱咤激励をされた方々もまた、随分と勇気のない方々ですね。
言いたいことがおありなら、なぜ私に直接アクセスしないのですか?
どうして私と向き合おうとしないのですか?
私は、常にアクセスの扉は開けていますよ。
コメントしかり、メールしかりです。
確かに、なにを主張されたいのか意味不明なコメントは、一読後、削除しましたが、
それとて、ごく僅かなものです。
本件に関しては、1件あったのみのはずです。
内容は、本件とはあまり関係ない内容だったので、返信を避けて削除したまでのお話しです。
それ以外のものには、全て返信しております。
粘着某とその関わりの方々のコメントは、私が罵詈雑言は削除すると申し上げているのに、
礼を欠いてコメントされたので、削除したまでのことです。
いまだに多分悪口言っているんでしょうけど、もう見てもいませんよ。
コメントなんかで、どうせ言っても聞かない?
本当にそうですか?
アクセスした事実もなしに、推察でものを判断されては困りますよ。
どんなに善意のご意見であれ、本人に言わなければ、意見しなかったのと同じです。
黙っていたのと同じです。
正直、こうした失礼なことを書くのも、心が痛むわけですが、致しかたないのです。
あちら様の言動に対応するなら、こう言うしかないと思うゆえです。
こうした、あちら様の言動にいかなるものを感じ取るかは、皆様しだいです。
私はそれを強制しようなどとは、思いません。
お好きなように受け取られればいいのではないでしょうか。
――ただし、もう手遅れです。
完全終了すると決めましたからね。
私はもう、あちら様のブログも見ませんからね。当然、掲示板も見ません。
かといって、今になって私のブログにこの件でコメントをされても、返信は、固くお断りさせて頂きます。
メールでの対応は、一応考慮に入れますが、それとて、極端に悪意のあるもの(つまり、単なる誹謗・中傷と受け取れるもの)に関しては返信はお断りいたします。
といいますか、いまだかつて、この件で厳しい批判のメールを頂いたことは一度もありません。
粘着某からはじまったこの状況で、お叱りのメールを頂いたことは、一度もありません。
心を砕き、心配してくださり、何度もアドバイス並びに激励してくださった方はおりましたがね。
そうした方々には、この場を借りて、心より、お礼申し上げます。ありがとうございましたm(_ _)m
ちなみに、拍手メッセージなどの匿名非公開のものさえ、
この二ヵ月間に、悪意のメッセージは一件も受け取っておりません。
まあただ、この点に関しましては、あちら様と同じ状況ですから、
(私サイドの非公開の部分に関しては)信じて頂くしかないわけですが、
私は、その点をもってまで、相手に批判的メッセージを送ろうなどとは思いません。
ましてや、私の場合、そうしたメッセージを受け取ってないのが事実ですから、
それ以上そこから何がしかを申し上げることさえ出来ません。それが事実です。
ここは、あちら様と私の違いです。ご理解くださるとありがたいですね。
ともあれ、あちら様は、そういう善意の書き込みもあったよということを伝えたかったのかもしれませんが、
むしろ逆効果だったということです。
大変申し訳ないのですが、なんども嘘をつかれたあなた様の言葉を、
証拠なしで信じることなど出来ないのです。
あなた様にはきとんとお願いしたはずです。
反論するならば、理路整然と論理的にと。
最後の最後まで、こういう展開とは、非常にもって残念です。
私は、あくまでも謙虚に、誠意をもって呼びかけたつもりでしたが、
あいも変わらず、公表できない証拠なるものを使って、
ご自分の主張を正当化するという卑劣さでお応えになられたようですね。
私が何度も指摘させて頂いた、他者を道具として、自分の主張をされるという点が、
またしても露呈してしまったわけです。
生命の傾向性というものは、異様にしつこいものですから、
数十回呼びかけたところで、そう簡単に変わるものではありませんので、これも致しかたないのですがね。
それを承知のうえで、私は気づいて欲しくて、ずっと今日まで、あなた様と、
こういう形にはなりましたが、向き合ってきたつもりです。非常に残念です。
残念で仕方ありませんが、致しかたないのでしょう。
私も暇人というわけではありませし、いまだ病気の症状もある身ですから、
出来れば自分自身に生きたいですからね。
いつか、真剣勝負でご自分と向き合うときはくるでしょう。
それがいつかは、私には知りえませんがね。
ともあれ、私は変わらぬスタンスで、ここで自分と向き合うだけのことです。
あなた様が、何を記事にされようが、どんな悪口暴言を書こうが、それは自由です。
しかし、ここにコメントされたり、私の記事を読みたいと通ってくださっている方々には、
当初より一切関係のないことでから、
そうした方々への批判・非難、並びに中傷は、厳に謹んで頂けますよう、お願い申し上げます。
また、これまでの騒動の期間、このブログを閲覧して、
不愉快な気持になられた多くの方々には、心よりお詫び申し上げます。
今後、このようなことが無いよう、努力してまいりますので、
何卒、ご理解、ご容赦くださいますよう申し上げます。
大変に申し訳ありませんでした。
意味のないことなど、ありはしないのです。
今回のことからも、たくさん学ばせて頂きました。あちら様には、感謝・感謝であります。
それから、そういうつもりではありませんでしたが、不愉快にさせてしまったり、
嫌な思いをさせてしまった言動があったことは、深くお詫び申し上げます。
申しわけありませんでした。
また、本来日本語では、読みやすさを考慮して、主語を省く場合が多いのですが、
主張をはっきりさせるため、勘違いを防ぐため、あえて、主語を省かずに書いたものです。
回りくどく、読みにくい記事であったことも、あわせてお詫び申し上げます。
そういえば、40歳までは勝つ戦いを、40歳からは負けない戦いを――
という言葉を残したのは、武田信玄なんですね。
最近知りました。
6割勝利でいい。それ以上勝つと慢心するから。
先生は、武田信玄を通して、そうしたご指導をしてくださっていますが、
40歳までは勝つ戦いを、40歳からは負けない戦いを――も
信玄から学び取られたのでしょうね。
先生においてすら、そうです。
いかなる人からも学び、唱題の中で、体験を通して確信されてきたのでしょう。
いわんや、私のようなものが、学ばずして真実に到達できるはずなど無いのです。
あくまでも、謙虚に誠実に、そして慢心せず。これでいきますよ!
明日死ぬかのように生きろ。永遠に生きるがごとく学べ。
マハトマ・ガンジー