PHP Biz Online 衆知(歴史街道) 9月29日(日)20時23分配信
《『歴史街道』2013年10月号より》
太平洋戦争のターニングポイントとされる戦いにおいて、戦艦大和が効果的に運用されていたら、勝敗は逆転し、日本が優勢となる可能性は高かった。さらに戦術的レベルに留まらず、戦略的活用に踏み切っていれば、大和は世界大戦の帰趨さえ変えてしまう力を秘めていたのである。
◆ミッドウェー海戦の IF◆
戦後の日本では、大和をして「万里の長城、ピラミッドと並ぶ、三大馬鹿」とまで評する声がある。まさに何をかいわんや。確かに、大和はその実力を発揮する機会を与えられなかったが、それだけを理由に「無用の長物」と批判するのは見当違いも甚だしい。それはスポーツにおいて、出場機会を与えられなかった名選手を、「無能」と断じるようなものだ。
実際の戦闘において、最強戦艦の大和が投入されていれば、戦局を大きく変えたことは疑いようがない。つまり、大和の問題は全て、いかに用いるかという「運用」に尽きるのだ。
では日本海軍は、大和をいかに活かすべきだったのか。「歴史に IF は禁物」というが、大和の場合、特に実現性の高いケースが多く、それらについて考察することは、現在に通じる様々な示唆を与えてくれるに違いない。
実際の戦闘を取り上げるならば、まず、大和の初陣となった昭和17年(1942)6月のミッドウェー海戦である。日米戦争の転換点となったこの海戦で、日本は虎の子の空母4隻を失うという大敗を喫し、以後、劣勢に立たされる。この時、大和を軸とする主力部隊は、空母機動部隊の500キロメートルも後方にあり、ついに戦闘に加わることはなかった。
これは、機動部隊が敵艦隊に一撃を加えた後に戦艦部隊で止めを刺すという、旧来の艦隊決戦思想に則った戦国序列を重んずるがゆえの配置であった。しかしながら、やはり大和は機動部隊とともに行動させるべきだった。そうすることで、ミッドウェーの最大の敗因である「索敵の不備」を防ぐことができたからである。
主砲の攻撃力が注目される大和だが、実は、通信設備も極めて充実していた。事実、ミッドウェーの作戦行動中、大和は「多数の敵航空機が行動中」との軍令部特信班からの情報を受信し、アメリカ空母の一部が、ミッドウェー付近で待ち伏せしている可能性のあることを掴んでいる(大和の敵信班が、敵空母らしき符号を傍受したとも)。だが肝心の機動部隊は情報を受信できず、また無線封止中のため、大和から機動部隊に通報されることもなかった。もし大和が機動部隊と行動をともにしていれば、戦局を左右するその情報を、発光信号などで伝えることもできた。となれば索敵に全力をあげることになり、史実のように敵空母部隊の発見が遅れ、兵装転換の間に攻撃されて、空母4隻を失うことなどなかっただろう。
大和の同行には、もうひとつ大きな利点がある。敵攻撃隊が機動部隊を襲った際、大和が「盾」となったはずなのだ。たとえば低空から魚雷を放つ敵雷撃隊に対しては、空母の手前に大和がいて弾幕を張れば、攻撃を阻止できる。一方、直掩の零戦隊は急降下爆撃隊の迎撃に専念すればよい。つまり、大和の存在によって、敵攻撃隊への対処は極めて効率的になるのだ。
また、よしんば互角の戦いとなり、日本の空母が米空母と相撃ちになって損傷しようとも、大和が追撃戦を敢行していれば、日本の航空隊が損傷を与えた米空母に止めを刺し、残敵掃討をすることも可能だったろう。いずれにせよ、当時の日本海軍の練度は米軍を凌いでおり、大和が機動部隊とともにあればまず負けることはなかった。
◆ガダルカナルに大和を投入すれば◆
ミッドウェー海戦に敗れた後、日本は反攻に転じたアメリカと、ソロモン諸島のガダルカナル島を巡って死闘を演じた。昭和17年8月から翌18年2月までの半年間のこの戦いにおいて、日本は圧倒的物量を誇るアメリカに消耗戦を強いられた挙句、撤退を余儀なくされる。
この間、大和はトラック島に進出していながら、ガダルカナルの戦いに投入されることなく、「大和ホテル」と椰輸されるほど無為に碇泊する日々を送っていた。もし、大和が初期のヘンダーソン基地砲撃から戦闘に加わっていれば、戦局は大きく変わっていただろう。
昭和17年10月、陸軍はガダルカナルへの高速補給船派遣を決定。海軍はそれを支援すべく、アメリカの航空攻撃を封じるために戦艦金剛と榛名を派遣し、米航空隊の拠点・ヘンダーソン基地に夜間艦砲射撃をさせた。この砲撃は凄まじく、日本陸軍が「野砲千門に匹敵する」と賞賛したほどだった。しかし米航空隊は一部残存しており、金剛と榛名が引き揚げた後、補給船団は米軍の反復攻撃を受けて、壊滅してしまうのである。
もし46センチ砲を誇る大和が初期からこの砲撃に加わり、たびたび艦砲射撃を加えていれば、米軍は反撃できず、陸軍のヘンダーソン基地制圧作戦も進展していた。もちろん敵航空隊に大打撃を与え、ラバウルからガダルカナルへの長距離飛行を強いられていた日本海軍航空隊の負担も、軽減できただろう。
実際のガダルカナル争奪戦において、日本海軍は 2076機の航空機を損失し、日米開戦初期に世界最高の練度を誇った搭乗員の多くを失ってしまった。その後の戦局をみても、ガダルカナルにおける熟練搭乗員の損失は痛恨の極みだが、大和を活用していれば、それを防ぐことができた可能性が高い。ミッドウェーでもガダルカナルでも、大和が航空兵力を大いに助ける――そうなっていれば、「航空優勢の時代の無用の長物」などと貶められることもなかったはずだ。
もちろん、大和は実際の海戦でも実力を発揮しただろう。昭和17年11月の第三次ソロモン海戦において、アメリカは最新鋭戦艦サウスダコタとワシントンを惜しげもなく投入。対する日本海軍は旧式戦艦比叡と霧島で迎え撃つが、両艦とも失われてしまう。しかし大和が出撃していれば、少なくとも両米戦艦にひけは取らず、絶対に負けはしない。アメリカはレーダー射撃を導入していたというが、まだ実用化されたばかりであり、そうそう大和がやられることはなかっただろう。
最終更新:9月29日(日)20時23分
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