長崎原爆:市の渡米調査終了 新たな写真も発見

毎日新聞 2013年10月11日 19時57分(最終更新 10月11日 21時25分)

原爆で崩壊した山里国民学校(奥)の周囲に建ち並ぶバラック小屋。1946年12月ごろに撮影された=米国立公文書館蔵
原爆で崩壊した山里国民学校(奥)の周囲に建ち並ぶバラック小屋。1946年12月ごろに撮影された=米国立公文書館蔵
爆心を示す矢羽根状の目印の周りに草が生え始めている様子が分かる。1946年12月ごろに撮影された=米国立公文書館蔵
爆心を示す矢羽根状の目印の周りに草が生え始めている様子が分かる。1946年12月ごろに撮影された=米国立公文書館蔵

 【ワシントン徳野仁子】長崎原爆の写真や資料収集のため米国を訪れていた長崎市の調査が10日(日本時間11日)、終了した。米政府機関閉鎖の影響で、目的の米国立公文書館での調査は1日だけだったが、原爆開発のマンハッタン計画にも関わったポール・ヘンショウ博士(1992年死去)が戦後、長崎で撮影した写真約40枚などが新たに見つかった。

 ヘンショウ博士は原爆傷害調査委員会(ABCC)の研究者として来日。見つかった写真約40枚は裏書きから46年末ごろに撮影したと見られる。爆心地周辺に草木が生え始め、バラック小屋が建ち並ぶ様子や、米国人研究者らがケロイドを負った被爆者を診察している様子などが収められている。

 調査に当たった長崎原爆資料館の奥野正太郎学芸員は「戦後1年半ごろの写真は少なく、長崎の復興の過程を伝える資料として貴重」と話している。

 長崎市の本格的な渡米調査は約40年ぶりで、686万円の予算を組み、米国立公文書館で9日間の調査をする予定だった。だが同館での調査は初日の9月30日だけとなり、ヘンショウ博士の写真を含む約150枚を複写した。その後はメリーランド大で、故永井隆博士の「長崎の鐘」の検閲原稿などを確認した。

 同行した長崎平和推進協会写真資料調査部会の深堀好敏部会長(84)は「思わぬ事態で調査が中断し本当に残念に思う。それでも、米国立公文書館にはまだたくさんの資料があることが確認できたので、今後の調査に希望が持てる」と話した。

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