農安、新京のペスト流行について ②
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新京で78体、農安で48体のペスト死亡者を解剖し、ペスト菌検索を行い、死体から各臓器を採りプレパラートにして平房に持ち帰った。高橋正彦がそれらの資料を分析した。高橋が農安で、下水溝のノミ、ネズミの有菌性を地域ごとに詳しく調べ、感染経路を探求したのは、新京から農安へ大規模な防疫隊が送られる以前であったことは言うまでもない。防疫活動がされる前に、地上散布したPX:5gがどのようにして感染を引き起こしていくかを調査しなければ意味がないからである。なお1990年秋に発見された米国ダグウェイ文書の数百ページから成る『Q報告』は、この農安・新京ペストの報告書を詳しくしたものであり、臓器ごとのプレパラートに基づくカラーの模型図が付いているもので、戦後、高橋正彦がその英文報告書の作成に協力していることが記されている。1940年秋の浙江省への細菌攻撃のあと1年間のブランクがあったのは、その間に新京・農安の調査を通してペストの発生と伝播の仕組みを知り、獲得した多数のペスト菌株を培養し、ペスト菌感染による臓器の分析を行い、その後確信をもって常徳にPXを投下したものと考えられる。また、農安から新京へのペスト伝播については、新京に向かって徐々に伝播するのではなく、ペスト患者が新京駅近くの「三角地帯」にある犬猫病院で突然患者が現れたので、「農安某富豪ガ同病院(田島病院)ニ入院セシメタル一飼犬ニ依リ流行地病蚤ヲ搬入セルモノニアラズヤト疑ヒ余ハ本発患者ガイヌノミニ依ルペスト感染ナラズト着目シ」た平沢正欣の論文「「イヌノミ」ノ「ペスト」媒介能力に就テノ実験的研究」(これも『陸軍軍医学校防疫研究報告』第1部の数編からなる医学博士号取得を目指して1945年に提出された論文集)が検討に値する論文として浮上してくる。今後の課題である。農安と農安大賚のペスト菌散布については、2012年7月下旬から「NPO法人 731部隊細菌戦資料センター」が現地調査を行うので、新事実が判明することが期待されている。 |
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