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2012-01-31 区長公募についてなど/1月30日市長会見について

区長公募についてなど/1月30日市長会見についてCommentsAdd Star

河村たかしの誤り, 新自由主義


「偽善者は素晴らしい約束をする、約束を守る気がないからである。 それには費用も掛からず、想像力以外の何の苦労も要らない。」 - エドマンド・バーク

 1月30日に行われた市長会見について述べたいと思います。
名古屋市:平成24年1月30日 市長定例記者会見(市長の部屋)

ものづくりの都が見失いつつあるものは

 この市長会見でも色々と問題はあるのですが、ちょっと聞き捨てならないところを一つ。
 東京における「おもしれーナゴヤを売り込め」大作戦について聞かれた河村市長は「どんな商売でも頭を下げて買ってもらうのは民間なら当たり前」と言っているが、やっぱりこのヒトはまじめに商売をした事が無いんだろう。頭を下げるだの何だの程度でものが売れるわけでは無い。まずは良い商品を作ることが真っ先に来るのではないだろうか。特に、名古屋製造業の方々が多いところ、ものづくりの都だから、私のこの意見に同意いただける方は多いと思う。
 愛想よく、口が上手いような者よりも、こつこつと良い物を作ろうとする職人に名古屋の職業人は惹かれることだろうと思う。名古屋の物づくりは「安全第一、品質第二、生産第三」のエルバート・ヘンリー・ゲーリー(USスチール)の言葉を指針にしている。ここに「お愛想」などの入り込む余地は無い。

 名古屋市長として、行政の長として「品質」とは何か。それは行政サービスがきめ細かに市民に行き渡っている事で、この予算確定の忙しい時期に幹部職員を引き連れて効果もさだかではない。敢えて言えば児戯にも等しい、ビラ撒きに時間を取られるのであれば、予算書の精査、ヒアリングに時間を取られたらどうなのだろうか?それともよほど暇か?
 
 しかし、河村市長はこのように言うそうだ「政治の世界では、強い者が正しいんです。商売と違って、品質の良さは問題じゃない」 (首長たちの革命 p.63)いい加減に名古屋首長として如何であるか、再考したほうがよろしいのではないか。

区長公募について

D
 マスコミにも報じられたが河村市長区長副市長、あるいは様々な委員会の構成員について、公募を行うそうである。
 この公募制を発表したのがこの市長会見であるが、ここで触れられている「ある講演」というのは、1月21日に東京で行われた「日本政策学校」の事であろうと思われる。この件について激烈な文章とともに件の動画が送られてきた。
 その中から公募制について触れた部分について YouTUBE に掲載した。

D
 この部分については、特に大阪の方にも注目していただきたいのだが、質問者の言われる「関東ニュービジネス協議会」の「ベンチャー企業経営者地方自治体首長になろう研究会」というのは、”こちら” であろうと思われる。(※1)
 

 このやり取りを聞いていると、そもそも公募の意義であるとか、公募制度自体を積極的に推進しようという意思を感じない。やはりこの場で大阪区長公募について「受けが良い」と見越して導入を決めたというように思えて仕方が無い。

 この長い話は、結局「公募制度」から論点がずれてあらぬところに話が着地する。
 話の中で出てきた「イタリアトリノ議会」の話が、昨日も触れた ”イタリアにおける国と地方の役割分担” で触れられている「プロヴァンチャ(provicia)」における評議会の事であろうと思われる。(勿論、日本にそのまま導入できるわけがない)

 こういった民間の人材登用については河村市長大西副市長という人を導入している。しかし、この民間登用はとんでもない失敗に終わってしまったではないか。
 そもそもあの時にはまだ河村市長任期があった。今はいつ辞めるとも知れない状況である事(※2)は名古屋市政に詳しい者であれば誰でも納得できる。このような状況で公募にヒョコヒョコ応募すると言う時点で、すでに資格がない(市政的状況判断ができない)と言えるだろう。
 大阪の橋下市長が募集した区長公募には応募者が殺到したというが、名古屋公募についてはどのような事になるのだろうか。

D
 もう一つの動画は、同じ市長会見の別の部分である。ここで「公募についていつ頃考えられたか?」という記者の問いかけに「一年ほど前から考えていた」と回答しているが、上の「日本政策学校」における講演での受け答えに「一年ほど前から考えていた」などという様子は伺えない。更に言うと、この公募については具体的な詰めは一切無いまま、この市長会見に臨んだように見えるが、一年間練っているにしては酷くないだろうか。私には「思いつき」にしか思えない。

 また「最初から言ってましたけどね」と、2009年の市長選挙の際から言っていたように言うが嘘だ。「庶民革命」(2009年のマニフェスト)には、こういった公募制度については述べられていない。
 11月28日に市会本会議で「市長マニフェストの進捗状況について」質問された富口潤之輔議員はご存知の事と思うが、( ”参照” )市長マニフェストにはこのような項目は無い。ただ、2-1-1に「市の福祉行政幹部への民間登用または政策参与を配置」という項目がある。「政策参与」というのは、河村市長以前からあるのだが、以前からある制度についてさえ、今どのような状況か。( ”参照” )

 このような質問をした富口市議ならご存知ですよね?

寄附政策について

 もう一つの動画については、同様に「日本政策学校」の中から、典型的な部分を取り出した。

 「典型的」というのは河村氏の職業人としての問題を考える上で必要な事である。
 つまり、これ以上河村氏を名古屋市長として激務に就けていることが、名古屋市として如何なものかと思う次第である。

D
 どういうことか。
 この動画質問者が「市長は寄附を集めるのにどのような案をお持ちか」というような問いかけに対して答えたものである。如何だろうか、その答えは得られただろうか。そもそも寄附が集まらない原因であるとか、寄附を増やすために行った試作的政策等による研究といった、具体的な話が出ているだろうか。
 国においても 「新しい公共」推進会議 - 内閣府 で議論が行われているが、これらの研究は反映されているだろうか?

 そもそも河村氏の話は、論点である「寄附」を離れて、あちらへふらふら、こちらへふらふらするばかりである。それらの話でも、いわゆるその辺の居酒屋で飲んだくれて「酒の勢いで社会を斬っちゃっている」どこかのおじさんと大差ないだろう。

 このような状態で、200万都市のこの名古屋市長という重職を押し付けるのは酷なのではないだろうか?
(※3)




※1:この件は非常に奇異に感じる。「関東ニュービジネス協議会」の参加者が、大阪区長公募に応募するというのは、どういうことなんだろうか?勿論、出身が大阪で、現在仕事として関東に居を構えているだけというような人も居る事だろうが、一抹の疑問を抱かずには居られない。
 そもそも「ベンチャー企業経営者地方自治体首長になろう」というアプローチは、所謂「地方自治体に民間経営感覚を導入せよ」ということであろうと思われるが、そのアプローチ自体に危惧を感じる。

政治家になるというのは、土俵際のうっちゃり、みたいなもの。どうしようもない人間でも選挙に勝てばいいのである。事実、ロクでもない人間がたくさん選挙で勝っていらっしゃるではないか」 (首長たちの革命 p.45)

政治家は人生に苦しんでいる人にはおすすめである。だから、ワシはニート代表だという杉村タイゾー氏が出てきたときにはいいことだと思った(略)政治家というものが単に選挙というギャンブルに勝っただけ(略)人生一発逆転(略)」 (首長たちの革命 p.47)

「わし、よう言っとるがね、『苦しんだら政治に出てみろ』と。ラーメン屋のオヤジになろうなんて考えちゃいかんよ。あれ(ラーメン屋)は技術がいるからね。政治だったら、ろくでもねえ人間でも、間違って(選挙に)通ることがある」 (首長たちの革命 p.56)

 このように語る河村市長の講演に参加する人たちであれば、いよいよ不安を覚える。
 実際に、この講演においても上記のようなせりふは言っている。

 どうにも「その地方の人々の困難を解決する、解決するお手伝いをする行政」という視点が欠けていると思えてならない。

※2:つまり、「任期も無ければ、人気も無い」状況にある。

f:id:ichi-nagoyajin:20120131221735j:image:w360:rightf:id:ichi-nagoyajin:20120131221803j:image:w360:right※3:右の写真はこの講演のレジメらしきものをキャプチャしたものであって、2時間の講演はだいたいこのレジメに準じて進められた。内容的にはこの「日本政策学校」の代表理事、金野索一氏と対談した日経ビジネスのこの記事( 第3回 「減税は新しい資本主義への道である」~名古屋市長・河村たかし:日経ビジネスオンライン )から大きくは出ていないように思われる。
 この記事や講演で言われている事についても、いろいろと異論はあるが、それは次の機会に。



追記:減税財源は総人件費を一割カットする事で賄いました。
というような発言があったが、
名古屋市の総人件費が一割カットされた事実は無い!

204億円の幻想 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

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2012-01-30 人間のもっとも「価値ある創造物」を経済から切り離してみる、とは。

人間のもっとも「価値ある創造物」を経済から切り離してみる、とは。CommentsAdd Star

新自由主義


 まず、本日書きたいことを並べてみると、構成的にどうしてもつながらない事から。

橋下さん、ひどない!?☆橋下さんにひとこと言いたいプロジェクト

橋下さん、ひとこと言わせて!【呼びかけ文第2弾】 : 橋下さん、ひどない!?☆橋下さんにひとこと言いたいプロジェクト☆
 「橋下徹大阪市長、ちょっとひどない!?あの言動、あの政治手法、それを持ち上げるメディアや人々。2月12日☆橋下さんにひとこと言いたいプロジェクト★開催します!@中之島女性像前に集合だよ!」

日時:2012年2月12日(日)14:30 3分間リレートークスタート
(リレートーク受付:14:00~/15:45 ~市役所包囲しちゃいます♪)
場所:中之島女性像前ひろば
主催:ひとこと言いたい!プロジェクト

 という事だそうです。
 橋下氏の政治手法が乱暴であり、新自由主義的だと思っていましたが、ちょっと違うかもしれない。それらについてはまた機会があったら書きます。

報道ステーションサンデー

 本日放送された「報道ステーションサンデー」(テレビ朝日系・メ~テレ)で、河村市長名古屋の市政が取り上げられたようです。(と、いうと若干白々しいのですけど)

 取材を受けられた丹羽市議など、編集でカットされてしまった部分もあり、不満も残る事でしょう。
報道ステーション報道について - 丹羽ひろしのブログ - Yahoo!ブログ

 ある人と話している中で、この放送素材の中で「二元代表制」についての話題(議論でもない)が出た時に、映像が切り替わってアニメーションで「二元代表制」の説明がなされた。二元代表制は中学程度で履修する筈なので、義務教育終了の知識があればこの説明は要らない筈だ。こういった説明がある事自体、視聴者を義務教育以下と看做しているのだろう。けれども、実際に、こういった説明が無いと、論点を見失った視聴者はチャンネルを替えてしまうのだろう。という話が出た。
 いささか「衆愚批判」(※1)めいた話になるけれども、そういった視聴者/主権者だから、「尻尾」という漢字を読めないようなヒトでも県議に選出される。
 つまり、「代表制」とはよくいったもので、首長議員は、選んだ主権者の●●゛●に沿って、選ばれてくるのかもしれない。

ツイッター上の反響

 丹羽市議は、報道ステーションサンデーの内容が「まったく河村の広報活動になっていた」と言われていますが、視聴者はそこまで河村氏に甘くなく、特に減税日本ナゴヤ市議たちについては「正当な評価」をされていたと思います。
 同番組を見ていた人々がツイッターに感想を投稿されていて、それらのまとめを作ってみました。
 2012/1/29 報道ステーションサンデー 減税日本へのコメント - Togetter
 集計方法は「テレビ朝日の放送について」を表すハッシュタグ “#tvasahi" と、
 「減税日本」というキーワードで集計されたツイートを、放送直後からしばらくの間、無条件で集計しました(RTや重複は削除しました)

 なので、河村氏を支援するつぶやきもありますが、ざっと見て厳しい発言が多かったように思います。批判の対象は対談の席を居酒屋にした事と、時折挟まれる減税日本ナゴヤ議員の言動が酷すぎると言うことでしょうか。

 しかし、対談の場所を居酒屋に設定したのは河村氏だそうですよ(私の水晶球がそういっています)

日本政策学校」の講演

 さて、なんとなく「日本政策学校」の河村氏の講演を見てみました。
 今まで3回ほど挑戦しましたがとても10分以上は聞けなかったのですが、今日はある作業をしながらなんとか最後まで行き着きました。

 テキストが氏の著作「復興増税の罠」だそうなので、内容についてはおして知るべしです。
 「内国債は借金ではない」と言う話やら「地方公共団体企業会計バランスシート)を導入する」という話で「『名古屋』の売上げは地方自治体としての名古屋市が受け取る歳入ではなく、地域としての名古屋市のCDPだ」って話。
 じゃあ、名古屋市のCDPをバランスシートの売上げに置いたとして、一体何が判って、何が言えるのでしょうかね?そのCDPを構成する財に対して、名古屋市長は権限を行使できるのですか?本当にどうかしている。(聞いていて、疑問に思わない講座参加者も私には不思議でしょうがない)

 話の中で、最近度々出す「イタリアトリノでは議会一定割合は市長が選ぶ」つまり、市長民意議会が否定しない(つまりは、地方自治法や、憲法が要請する地方議会の意味を河村氏は否定しているわけですけど)の制度の話。

 ”イタリアにおける国と地方の役割分担”

 こちらの資料にある「プロヴァンチャ(provicia)」における プロヴァンチャ評議会の事を言っているようだけど、イタリアには法律で決められた地方組織が実現に至っていなかったり、南部(及び島部)では血縁的な人間関係が深かったり、北部では階級的な制度が残っていたりと、いろいろと問題もあると思うのですよね。

 ロス・アンジェルスの地域委員会についても、あの制度をそのまま名古屋で展開したら名古屋市は呆れるでしょう。(予算をあんな事に使って良いとでも思っているの?)

 各国には各国の文化や歴史的経緯があって、そういった事を見つめずに、表層的に、自分にとって都合の良い所だけをつまみ食いの様に理解していくから、だんだんと世界が狭くなって歪んで見えるのですよ。これでは公正を旨とする裁判で勝てるわけがありません。

 また、後にちょっと深く述べますが、児童虐待の話も触れていた。河村市長では児童虐待の問題も、こういった例と同様、自分にとって都合の良い一面しか見ていないので、その原因も解決策も思い及ばないだろう。そうであれば対策も見当外れの物となる以外にない。(※2)

 この講演はなんせ3時間に及びますのでまた追々書きます。

映画「哀しき野獣」

f:id:ichi-nagoyajin:20120130041742g:image:w360:right という事で、苦行のような3時間を過ごしたので、別の映像を見ようと伏見ミリオン座に出かけました。
 駅西のゴールデン/シルバー劇場が閉館になりますね。
 2月の3日まで特別興行をしているという事ですので、お時間がある方、是非一度出かけられたらいかがかと思います。

 私が見たのは「哀しき野獣」という映画で、映画としてはこれが2作目というナ・ホンジン監督の作品です。R15指定で「韓国ノワール」といわれるような映画でありますので、好き嫌いはハッキリ判れるでしょうが、凡百のエンターテインメント映画には描けない凄さです。
 Nothing found for Schedule Now-showing 20120128
 502 Bad Gateway

 「この闇には、一縷の光さえ届かない」

 昨日、新自由主義は全ての事柄をお金に換え、その「利回り」で競い合うトーナメント方式の争いを構成する。と言いましたが。将にその通りで、ちょっとこの言葉を覚えておいて頂いてこの映画を見るとアレがナニです。

 まあ、そんな理屈はどうでも良くて、しっかりと感じられる映画ですね。

 これをみると、アメリカンムービーの拳銃でドンパチやっている姿が、殺陣としてつまらなく思えてくるでしょう。今後の武器は「牛の骨」です。

Hands

 この映画を見ようと思ったのは、ライムスター宇多丸という人のラジオ放送につられてでした。
 TBS RADIO ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル

 このヒトの映画評や社会批評はなかなか聞かせる。すばらしい冴えを見せる時がある。
 特に、最近リリースした曲に「Hands」という作品があり、これは児童虐待ネグレクトに着目して作品化したそうだけれども、社会批評として問題点を捉えているし、地域が見つめなおさなければならない課題がこめられている。

:: CATSUKA :: News - Clip Hands de Rhymester par le Studio 4?C (2D / 3D)

(詩/リリックの一部)
ああ、モミジみたいにちっちゃくて汗ばんで柔らかい
その手でママの指握りしめて 今頃どんな夢見てるのかい?

そのうち話すがこの下界は
決してパラダイスとは言えないが
今はただただ眠れ母の胸で 母も眠れ 母たることも忘れて

ああ、キミの泣き声はどんな音楽よりママを揺さぶる
時に癒しのメロディ奏でる 時に酷く神経 逆撫でる
ママは少々疲れてるだけさ 理想像に取り憑かれてるだけさ
今はただただ眠れ母の胸で 母も眠れ その手の痛み忘れて

(Aメロ)

誰にとってもそれは初めてだらけ
あの日オトナたちも知ったフリをしていただけ
親としては全員がビギナーズ
だった筈なのにいつしか 全部十把ひとからげ
マニュアル化された正しいお母さん像
から私だけがズレてないかを常に参照
してないと不安でつい過剰に思いつめる
「こうあるべき」ってイメージ
で自分まで追いつめる

完璧などない
特にヒトの育て方には
まして重過ぎるのさママ一人の肩には

なのにすぐ皆 世代のせいにすんのはなぜ
そんで少子化を憂うなんて
ポーズはナンセンス
かつてあった気がする理想郷ユニティ
懐かしがる前にまず目の前のコミュニティ
の閉めたままのあの窓の向こうの
手つかずの不幸
そう、オレたちにも良く似たあの子に


 ヒトは誰も親であったわけではない。子どもができる事によって親になっていく。
 つまり親が子どもを作るなどというのは全くの一面的な理解で、子どもの存在が親を作る。
 そして、親とはどうあるべきかなんてたぶん正解はない。

 それを社会が押し付けることはできないし、特定の誰かが決め付ける事ではない。
 全ての事柄が「費用対効果」「効率化」を求められていく中で、子育てはそのような価値観にあわせる事ができるだろうか。小児科医療を「費用対効果」の俎上に乗せる事は果たして人間として正しい事だろうか。
 次に、子どもたちの教育を、そして就職や希望を。

 ヒトが生きていく上で様々な物が価格を付けられている。
 つまり、今は「カネが無ければ生きてはいけない世の中」なのだろう。
 実際に「カネがなければ結婚も、その前の恋もできない世の中」なんだろう。

 ちょっと前に犬山市議の久世氏が「山間部で耕作をして生きて行く分にはお金はあまり要りません」というような事を話てみえた。中谷巌氏も、そもそも日本の社会において貨幣流通したのはほんの一部であって、農村や漁村、山村では物々交換明治に至るも続いていたというような指摘をされている。
 さらに、宇沢氏のような思想も展開されている。

 この度の消費税増税論議で提示された定額の給付。これを契機にベーシック・インカムが実現すれば、一定程度(最低限の文化的生活)を国が補償するという憲法の理想が現実のものとなる。

 頑丈で充分なセーフティーネットだろう。このようなセーフティーネットがあれば、ヒトは大胆に行動する事が可能となる。そこからは様々なイノベーションが生まれるかもしれない。文化的な生産に価値を見出すものは、その文化的生成物の経済的価値から自由に創造を試みる事もできるだろう。
 そのような文化的なそして、知識集約的な成果物が、日本の新しい文化として「国際経済市場」で価値を持つかもしれない。(持たなくても、死にはしない)

 ヒトは生きるに当たって、経済市場とは必須の関係ではなくなる。その時こそ、ヒトは経済頚木から開放されるのだろう。その中でヒトは真に自由な創造が叶う。
 そして、ヒトが創造できるもっとも「価値ある創造物」、すなわちヒトそのものを創ることも、経済頚木から、効率という数値から開放することができる。

 そうすれば、児童虐待ネグレクトも、一定程度は開放される事だろう。



※1:「衆愚批判」の言葉の説明はしませんよ。判らなかったら勉強しましょう。

※2:河村市長は「児童虐待」は言うけれども、ネグレクトの問題は触れないね。自分自身が国政ばかりに目をやって、市政に対しては「ネグレクト」しているようなものだから敢えて触れないようにしているのだろうか?

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2012-01-29 新自由主義の姿

新自由主義の姿CommentsAdd Star

新自由主義


迫る「橋下ー石原ー大村連携」

 昨日も触れましたが、大阪維新の会、橋下市長石原慎太郎東京都知事、更に大村愛知県知事が連携して「政治塾」を創設し。国政において議席を確保し、新党を結成するというような動きが活発化している。
Google ニュース (あえて特定のニュース引用せずに Google のセクションをリンクしておきますので、そのうち何も無くなるかもしれません)

 ちなみに石原都知事閣下は、以前「僕が新党を作るのだったら、核保有を(党是に)入れるよ」というような事まで言っていたのですが、橋下さんや大村さんはそれでも乗るのでしょうかね?
 ”石原慎太郎氏の核兵器に関する発言録(1)”

書けといわれている出来事について

 その他にも昨日新聞に載った、予算要求に対する市長査定の話を扱って欲しいというリクエストも頂いている。
”河村・名古屋市長:来年度予算案、野党の施策採用 融和姿勢に驚きの声「衆院選にらみか」毎日新聞(2012年1月27日)”

f:id:ichi-nagoyajin:20120129033901j:image:w360:left 朝日新聞も「野党に『満額回答』河村市長のナゾ」国政進出への置きみやげか。議会のご機嫌取りか。と記事を載せている。毎日が民主党公明党の反応を載せており、朝日新聞自民党の反応を載せている感じになっていますね。

 それでも、次の日には東京でチラシを配っているのですから。真剣に市政を考えているとは思えませんが。今回大甘の議会対応をした背景には、2つほど思い当たる節もあるのですが(正確に言うと、1戦略目標、2分野、3項目?)まだ書きません。ニッチもサッチも行かなくなった状態になったら書きましょう。

 ところで、議会融和と言うのなら、議会報告会の実現は真っ先にやるべきことです。

みなさんは「尻尾」って読めますよね?

 東県議という人はよっぽど「おもしろい人」ですね。昨年に「おバカタレント」という人たちがもてはやされましたが、その系統に属する人なんでしょうかね? (参照

”チャレウサ生放送『日本の教育問題と未来』”

 と、題してなんだか良く判らない番組(?)を作っています。
 なんと言うのでしょうか、ここまで話が弾まない対談というのも見ていて新鮮です。

 対談のお相手は「社団法人日本青年育成協会の会長でもある『森智勝氏』」となっていますが、あいにく社団法人として「日本青年育成協会」という法人は無いようです。
日本青少年育成協会」という組織は社団法人で存在しますが、こちらは会長が増澤さんという方のようです。 ”参照”

 ”株式会社ティエラコム 代表取締役社長 増澤 空氏の「トップメッセージ」及びご尊顔”

 ただ、この社団内を見ると、理事として全国学習塾援護会:主宰の 森智勝氏がおみえになっていますので、何かの間違いかなと思います。

 ちょっと面白いのは ”会員名簿”  で、おなじみの 鹿嶌市議のお名前もありますね。そのすぐ下には陰山英男さんや横峯良郎参議院議員(さくらパパ)も会員で、理事になっているようです。

 なかなか楽しそうな社団で結構です。

 あれこれ見ているとこの森智勝氏という方は、学習塾経営や、塾生集めのノウハウなどを各地の学習塾経営者に指導されているようですね。その事については何も言うことはございません。

 また、東県議の発言や、弾まない中でもあれこれ語られていることについては、一々あげつらって批判をすることはしません。対談を見ていただくのが一番良い気がします。

 この中で森氏が「教育の目的が不明確である」というような話をされていますね。
 これについてお話をしたい。

教育の目的」とは

 まず、本当に文科省が打ち出している教育の目的が不明確であるかどうか。
 第1条 (教育の目的) :文部科学省 。だいたいこれが教育基本法に定められた「教育の目的」で、教育はこの法に準じて運営されています。

 対談のなかで森氏は「お役人は漠然としたものしか決めない」といわれていましたが、これは法ですから決めたのは国会議員です。(更に言えば文部官僚よりもGHQですかね)

 所謂GHQ,ニューディーラー理想主義的な民主教育における理念の具体化で、森氏が最後に結論の様にいわれた「世のため、他人(ひと)のために生きる」という考え方も勿論含まれて居ます。

 森氏自身もあまり正確に把握していないようです。森氏の誤解自体が、現在の教育の問題でもあります。

 学校教育において、教員一定の時間を与えなければ教員自身、自己学習する機会が得られません。確かに、こういった時間があった時に、その時間を自己学習に当てずに余暇などに使ってしまった人や、政治的運動に使ってしまった人などが居て、政治的な運動にあまりに没入するものだから、却って生徒からも白眼視されたような先生も居たかもしれない。

 しかしだからといって管理を進め、効率化の名の下に教員から時間を奪い、書類作成ばかりをさせていると、子どもたちよりも書類に向いている時間の方が長いという異常な状態を来たしかねない。(※1)

 一定程度の自己学習の機会を与えないことが、現場教員の力を殺ぎ、教育に対する児童、生徒やその保護者の失望に繋がるのだろう。

 こういった失望を受けて、私塾の役割が増している。

学習塾」の社会的意義

 「学習塾」の存在は、この日本という社会のいくつもの歪を表しています。

 夜も遅い時間まで、子どもたちを家庭から引き剥がしているというあり方自体に問題を感じないとしたら異常でしょう。
 保護者にとっても過大な負担を負ってまで、子どもたちを学習塾に通わせる、通わせなければならないという事は、すでに「学歴偏重社会への見直し」や「受験競争戦争の是正」などといった議論を、俎上に乗せることすら空しいほどの現実を表しているのだろう。

 しかし、このような構造が固定化し、強化される事は、所謂「格差の世代間移転」(※2)を肯定することになる。

 やがて、格差が社会的に固定化され、明確化されると、社会そのものが分断化され、社会の不安定要素になる。また、中谷巌氏などは、日本資本主義の形成には、日本という社会の等質性とそこで培われた長期的な戦略をもった企業運営が必要なのであり、格差の発生はこうした日本経営を成り立たなくさせると指摘している。(が、この提言はすでに少々遅いのかもしれない)

学習塾」に見る行政の民間移転

 新自由主義行政サービスを民間に移転するようにと訴える。民間の活力による行政効率的な運営というわけだ。「学習塾」は民間による教育サービスの実現であり、まさに行政サービスの一翼を民間が担っているのに等しい。「学習塾」の問題は、今後様々に展開されるであろう新自由主義的な行政サービスの民間移転にとっても示唆を与えてくれる。

 上にも述べたように教育基本条例は明確に教育の目的を定めており、それに対しても様々な機会に議論は深められている(それを見るか見ないかはその人それぞれで、見ない人にとっては「国は教育の目的を明確にしていない」と思えるのでしょう

 「学習塾」はこういった教育を民間が提供するわけですが、その場合「教育の目的」をどのように再定義しているのでしょうか?「人格の完成」ですか?「社会の形成者を育てる」ことですか?「学習塾」の玄関に立って、その表を見ればすぐに判ります。
 「学習塾」の表に何が貼ってあります?

 「○○大学◇◇名入学」でしょう。

 つまり受験における「成果主義」ですね。
 明確な「費用対効果」を求められるわけです。

 そして、こういった「成果主義」の原因を考えてみれば、激しい「自由競争」の中で、「我が子を少しでも優位な位置に置きたい」という親心があることがわかります。
 この心情は痛いほどにわかるのですが、しかし、この考え自体論理的矛盾を孕んでいる事に気が付くべきです。

 我が子が、他の子どもよりも、優位な位置で人生のスタートができるように、親が過剰な負担をかえりみずに、教育を施そうということが認められているのだとするならば、ちょっと周りを見回してみれば、すでに、自分の子どもよりも優位な位置に立っている子どもたちが見えることだろう。
 つまり、隣近所を見てみて、それに負けないように一所懸命「教育投資」を行って、子どもを優位な位置に付けさせてあげたいとがんばっても、その先に自分たちよりも恵まれた親が、もっと優位な位置にその者たちの子どもを付けさせているのである。

 つまり、この自由競争なるもの自体が、そもそもイカサマなのだということを知るべきだ。

教育を離れて、新自由主義の姿

 新自由主義者論理的で理性的な判断を求めらる。常に人間というのは自らの利益を最大に、費用を最小に抑える論理的なゲームのプレイヤーであるべきだと自己を規定する筈だ。しかし、お笑いな事に、その論理的で聡明な筈の新自由主義者は、ゲームのルール自体がそもそもおかしいとは思わないのだろうか?

 こういった場合、考えるべきは「自由な競争」の中で、自分だけ優位な立場を得ようとするのではなく、もっと「公正な競争」が行われるように申し入れるべきなのではないだろうか。
 そして、そもそも教育におけるこのような競争の必要性、在り方の再定義をするべきではないだろうか。

 つまり、公共的な社会を構成する「要素」としての教育においては、本来「競争」などというものは成立し得ない筈であって「費用対効果」なるものも計りえない。つまりは、受験であるとか受験のための「学習塾」といった存在自体が、本来の教育から見た場合には、全くの無駄、時間の浪費でしかないのである。


 社会を新自由主義的な競争原理市場原理で成立する「場」であると捉え、そのステージに我が子を立たせたいのであれば、子どもともども、その優位なスタートラインを探して右往左往すればよろしい。

 ここで、新自由主義を信奉し、例えば今般のTPP議論などにおいても、その進展を支持し「グローバル経済競争に打って出るのが日本の生きる道だ」と威勢よく思っている方に申し添えておきましょう。

 「オメデタイナ」と。

 米国金融資本が打ち立てた絶大な物質文明、消費社会は目もくらむばかりの光景を見せてくれます。車、ファッション、レジャー、パーティー、時計、バッグ、家、食品 。そして、驚くことにそれらは全て「カネで手に入る」。非常に判り易い。そういった世界にあこがれて、自分にも成功が訪れる。努力さえすればそれが報われ、それらを手に入れることができると、このマネーゲームに参加しようとしている人が居るかもしれません。
 しかし、それは「オメデタ」すぎます。彼等、金融資本が打ち立てた絢爛たる物質文明は、それまでのゲーム参加者が貢いだ富に他なりません。

 このゲームはトーナメント方式です、さらに「収穫逓増」(※3)の原理が働きます。

 つまり、あなたが求めようとしたその富は、あなたより以前に、あなた同様の希望を持ってゲームに参加した人々の、財や労力を積み重ねて出来上がったものなのです。
 いま、あなたに向かって参加を促すその手は、あなたが彼らに差し出すことのできる財か労力(若さ)を待っているだけです。(※4)

 「そんな事はない、利益は公正に分配される筈だ」

 は?
 新自由主義リバタリアンに、そのような原理がありましたか?
 そんな甘いことを言っているようでは既に負けは見えているのですから、降りたほうがよろしいでしょう。

 とりあえず「尻尾」という漢字が読めなくても、この社会では県議として「先生」と呼んでくれるのですから、降りても生きていけますよ。(※5)



※1:こういった意見は甘く聞こえるかもしれない。しかし質を高めるには内部の競争を激化させるのではなく、まず裾野を作らなければならない。
 機会を与え、その中で一定程度の非効率は「歩留まり」としてみなし、その機会が子どもたちに有利な方向に向くよう、様々な制度や決まりを見直すべきだろう。

※2:格差の世代間移転(格差の世代間連鎖)。親の経済的・社会的格差子どもに対する教育機会(費用や場所)の格差を形成し、やがてお金持ちの子供は豊かな教育機会を与えられ、優れた教育を受け、経済的に困難を持った子どもたちには教育の機会が与えられないことから、世代間に格差が固定化する。という傾向。
参照:”親の所得が生み出す教育格差とその世代連鎖(2009年政策フォーラム発表論文)”
KAKEN - 格差の世代間移転と意欲促進型社会システムの研究(16203016)

※3:収穫逓増:この言葉の意味も判らないようなら、このゲームからすぐに降りるべきです。

 この言葉の意味は説明しませんが、金融資本が支配する経済社会において、その争いがトーナメント方式になる理由を少々補足しておきます。

 製造業流通、各種サービスなどの産業においてはここまで酷い話にはならないでしょう。金融資本自体が経済のメインプレイヤーになってしまうと、金融資本のルールが経済を支配します。そして、金融資本トーナメント方式になってしまうのです。

 たとえば製造業においては、製品市場で競わせます。その際には製品の様々な特性を競うことができます。つまり競争は幾つかのフィールドで行われます。
 車を例に取れば、居住性で負けたメーカーでも、操作性で勝負ができるかもしれません。
 更に、運動性能やデザイン、価格等を訴求ポイントに置くことができるかもしれません。

 しかし、貨幣自体を扱う金融市場においては、競争は一つのフィールドに集約されてしまいます。貨幣で換算される全ての物は、土地も労力(生産性)も、貨幣そのものも、この唯一のフィールド「利回り」で競い合わされます。

※4:「Win-Winの関係を築きましょう」と来たりもします。

※5:運がよくて、恥を恥とも思わなければ。

追記(関連記事?):

橋下市長 想定外れた?市職員の子も“私学の割合”変わらず

 大阪市に住む同市教職員の子供のうち市立以外の小中学校に通う比率は6・4%で、市内の全小中学生の平均6・3%と同水準だったことが28日、市の調査で分かった。「教職員だってみんな子供を私立に通わせている」と主張する橋下徹市長が調査を指示していた。

 橋下氏は市の教職員家庭が市立以外の進学先を選択する傾向が強いと見込み、導入を目指す学校選択制に批判的な勢力を“攻撃”する材料にしたい意向だったが、想定が外れた格好だ。

 調査結果によると、大阪市内に住む市職員や市立学校教職員の子供の小中学生は5942人。うち市立に通うのは5564人で93・6%だった。残りの6・4%は国立も含むが、大半は私立とみられる。

 一方、市内の小中学生は18万6955人。うち市立は17万5201人で93・7%、残りは6・3%だった。

 学校選択制は子供の通学先について保護者の希望を反映させる制度で、市教育委員会は「学校と地域の関係が希薄になる」として導入に消極姿勢。

 これに対し橋下氏は「ある程度お金を持ち身分が安定した市役所サイドが、自分の子には私立を選択させ、他人の子供に選択させないのはとんでもない」と持論を展開していた。(共同)[ 2012年1月28日 08:31 ]

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/01/28/kiji/K20120128002522420.html


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2012-01-28 アゲインストの風

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河村たかしの誤り, 新自由主義


 今、テレビでは朝まで生テレビが放送されている。
 テーマは「橋下大阪市長」で。
 ツイッター上で橋下氏( @t_ishin )が直接、田原総一郎氏に対論を呼びかけて、実現した番組だ。( 参照 )

 面白い番組になるとは思えない。なぜなら、橋下氏は「言い逃れ」にかけては天下一品だからだ。彼は現在、市長であり、基礎自治体の執行権者そのものなのだから、こういった対論じたいあまり意味が無い。特に、「朝生」という場には特殊な「空気」がある。
 橋下氏は本来、議論で勝つことよりも、様々な異論を聞いて、執行に生かすべきだろうに、多分、ここで行われることは橋下氏の自己正当化の言葉が積上げられるだけに違いない。(実際に、開始早々そういった傾向が見られる)

 結局、マスコミで人気を得るのは。特にテレビと言うメディアで人気を得るのは独特なキャラクターで、それが市民のための市長にふさわしいキャラクターとは思えない。(※1)

 一昨日お知らせしたように 河村市長国政転進? ともう一件。 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0 報道ステーションサンデーにおいて河村氏に対する番組が作られているようだ。放映内容がどこまで切り込めるのか判りませんが、メディアの特性として、「差」であるとか「コントラスト」というものが視聴者をひきつける。さて、どれだけの「段差」があるのだろうか?
f:id:ichi-nagoyajin:20120127110629j:image:w360:left そのような中で、また一つの矢が放たれたようだ。

 お知らせ! | 衆議院議員 東郷てつやブログ

 守山区選出の自民党、東郷市議が書籍を出版されるようだ。

 市長品格 河村たかしの功罪」

政令市全国初のリコールを徹底検証
あのリコールとは何であったのか?
減税のウソ!について現職名古屋市議が「河村たかし」の真実を語る。

 すごい。

 更に別の書籍も出るという情報が寄せられている。

 「中部財界」という雑誌は休刊してしまったけれども(その理由も名古屋経済地盤沈下というものだろう)このような名古屋を中心とした経済月刊誌が、また新たに創刊されるそうだ。出版主体は株式会社中部財界フォーラム社( 問い合わせ電話番号:052-979-2003 )で、雑誌名は「月刊 東海財界」というそうだ。

 この創刊号もやはり河村市長を扱っている模様だ。

 「河村たかし名古屋市長徹底解剖」と立体構成特集が組まれており、「取材記者による覆面記者座談会」という記事と、「河村市政熱狂の裏で、なぜ市長から人は離れるのか」という題名の記事が含まれている。なかなか興味深い視点だ。
 
f:id:ichi-nagoyajin:20120128032233j:image:w360:leftf:id:ichi-nagoyajin:20120128032232j:image:w360:leftf:id:ichi-nagoyajin:20120128032231j:image:w360:left さて、27日には東京で「おもしれーナゴヤを売り込め」大作戦と称して、チラシを撒くと言われていた。 名古屋市政を考える会 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

 写真は、報告された現場レポート に添付されていた写真と、その模様を放送したニュースキャプチャのようだ。別に人だかりができるわけでもないし、東京側で受け入れ体制があったわけでもないようだ。(一般的に、他の地域から「観光大使」などがイベントを行う際には、受入れ自治体側も対応するだろうけど)


 いったい、なんのためにこれやったのでしょうか?(とりあえずコストはかかっているですよね、彼らの時間というのは経費ですし、そこそこ高いでしょうし)


 また、この前日には各会派を回って予算説明されたのですよね。予算説明をした次の日に、その場で更に交渉されたような事柄について、調整などをせずに東京でチラシをまくのですか?

 というよりも、そもそも各会派と会談を持っても、その次の日には東京に行っちゃうって?会談以降の自分のアクションというのは無くても良いと判断してスケジュールしているのでしょうか?


 なんとなく、この辺りも民間企業ビジネスなんかしている人間の目で見ると奇異ですよね。

 如何ですか?

 あなたが誰かとビジネスをしていて、その大切な根幹に係る事柄について、打ち合わせの会合を持ったとするではないですか。その次の日にその相手が、例えば見本市で一日自社を開けるというのって考えられます?
 会合後に、調整してみると再度意向を確認したりといった細部の詰めって発生する筈で、それが現場を離れてしまってはできませんからね。というか、このスケジュールではそういった詰めをしようってつもりが無いじゃないですか。
 これって、その会合自体の軽視ではないのでしょうかね?

 まあ、そんな態度であるから「ボロ」が出ているのですけど。

 で、結局これですね。

2月にも橋下・石原会談…新党結成構想は?

 大阪維新の会代表を務める橋下徹大阪市長が、2月にも石原慎太郎東京都知事らと名古屋市で会談することがわかった。

 石原知事が呼びかけたもので、大村秀章愛知県知事らも出席、大都市制度の問題を中心に協議するという。石原知事が模索する新党結成についても話し合われるかが注目される。

 橋下市長松井一郎大阪府知事が27日、報道陣に明らかにした。橋下市長石原知事について、「自治体で一番の顔。大都市統治機構を変えないといけないと東京で言ってもらえるのはありがたい」と語った。

 一方、石原知事らの新党結成構想がテーマになるかどうかについて、松井知事は、「(石原知事からそのような話は)全くない」と話した。

2012年1月27日23時08分 読売新聞

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120127-OYT1T00916.htm ]

 すごいニュースですよね。橋下市長石原都知事が、わざわざ名古屋で会合を持つ。
 その場に大村知事の名前は出てきても、河村市長のカの字も出てこない。

 まあ、石原都知事は河村市長の減税政策を財政のどういう裏付けがあるのか知らないが一種のポピュリズムだ」「減税、減税とそれに飛びつく国民がばかだと思う」と手厳しく批判していましたからね。

 橋下大阪維新の会が、石原都知事及び、旧自民党系の離脱者を糾合する第三極となるならば(大村さんもそうでしょうし、大阪維新の会市議県議にもこういった傾向の人は多い)そこに河村さんが参加できないのは理の当然でしょうね。



※1:テレビにおける「人気」というのは所謂「脊髄反射」といったもので決定される。理性的な判定ではなく、情動的な選択がなされるのである。
 理性的な判断というのは、必ず情報の受け手側が情報を受け取って論理を再構成するという作業が必要なのだが、テレビというメディアは受け手側(視聴者)にこの「再構成の時間」を与えない。その代わりテレビの中の情報について、テレビの中の誰かが再構成までやって、そのまま飲み込める形にする(実際に、今、朝生というテレビ番組で、再構成すべき情報が再構成されないまま田原氏に棄却された。田原氏がキャスターとしてうける理由は、朝生という番組から、複雑な、受け手側(視聴者)が再構成しなければならないややこしい情報については棄却してしまうというところにある。
 つまり、朝生を見ている視聴者は、例えば議論の流れを止めて自分の中で再構成、評価をするような手間を掛けさせない。それぞれの提示者が主張をどう「口当たり良く提示できるか」の競い合いになる。(多分、その一番の成功者姜尚中氏だろう/誤解無く、蛇足を加えますが、私は姜氏の論考は好きですよ)

 蛇足ついでに、あと2つ。
 1つめ、こういったテレビのメディアとしての特性に合っているのが、池上彰さんもそうだろう。彼の仕事というのは、ニュースと言う情報を口当たり良く飲み込めるように「プレゼン」することでしょう。

 2つめ。このようなテレビメディアの異常性を浮き出させたのがシドニー・ルメット監督の映画ネットワーク」だろう。ニュースや社会的問題を「ネタ」として商品化される異常性はこの映画ですでに指摘されている。


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2012-01-27 師を見れば、弟子を見れば。

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名古屋市政, 河村たかしの誤り


道路の陥没の原因は?

 昨日(26日)次のようなニュースがあった。

道路の陥没相次ぐ 名古屋市中区

 26日午前、名古屋市中区栄のデパートに面した歩道が陥没しているのが見つかり、調べたところ、空洞の深さは約2メートルに及んでいることが分かった。
 また、中区内の他の場所でも陥没が見つかった。
 名古屋市によると、26日午前10時半ごろ、中区栄3丁目の歩道の一部が陥没しているのをデパートの従業員が見つけ、市に通報した。通報を受け、市の職員が道路に穴をあけ、調べたところ、歩道の地下に幅約3メートル、深さ約2メートルにわたって空洞ができていることが分かった。
 歩行者は「もし陥没したと時に通っていたらと思うと怖い」「危ないですね。こういう道路は見回ってほしい」と話していた。
 さらにこの日、同じ中区内の別の道路でも下水道工事の際に幅20センチ、深さ50センチほどの陥没が見つかった。すぐに補修工事が行われたという。いずれもケガ人はいなかった。
 相次いで起きた道路の陥没について、名古屋市は何らかの原因で地下の水道管が破裂し、流れ出た水によって空洞ができたことが原因とみてさらに詳しく調べている。
[ 1/26 20:23 中京テレビ]

http://news24.jp/nnn/news8626520.html ]

f:id:ichi-nagoyajin:20120127045150j:image:w360:left
(写真は chunichi web より引用:引用元
 名古屋の歩道はあちこちブロックやレンガが使われている。これはあまりアスファルトで全体を覆うと、雨水の浸透が減って地下水が減り、地下水圧が下がると地盤沈下を引き起こすと言うことで、車道のアスファルトも浸透性のものがあったり、歩道にはきれいなレンガで隙間を造ったりすることになっているらしい。(※1)
 しかし、実は私の家の近くにある坂においても、このレンガ舗装の歩道と言うのは雨水が潜り込んで、舗装の下の土を流してしまい、やがて歩道がでこぼこになるという問題が起きた。こういう場合には、土が流れないように、レンガの下に防水層を作るそうで、そうなると、そもそもレンガにした意味がないんじゃないの?と思っているのだけど。どんなもんなんだろうか?

 ナゴヤ庶民連の東区における会合でも、こういったレンガ舗装の歩道を歩いていると、足の不自由なヒトなどは転んでしまう。実際に、転んでしまったので歩道を昔の様にコンクリートブロックにするか、アスファルトの一体舗装にして欲しいと言う声があった。
 さて、参加していた減税日本ナゴヤ市議は覚えているかな?
 また、こういった市民の声が「レベルが低い」といった庶民連のメンバーは、この発言を覚えているだろうか。

 現在、名古屋市政のあちこちで「減税のためのシーリング」による不都合が起きているようだ。公園のペンペン草もそうだろうし、市営住宅耐震工事も遅れていると聞く。

 名古屋の栄の、三越前と言えば中心も中心ではないの。そこに「あなぽこ」って。

 名古屋自体に「鬆」が入ってるのではないだろうか。

 なんにせよ、けが人などが出なくて良かった。

師を見れば、弟子を見れば。

 このブログは取り上げるもの取り上げるもの、バッサバッサと斬るばかりで、ヒトや物を誉めたためしが無いのですが。(そうでもないと思っていますが)

 これはすばらしい。
 名古屋市選挙で河村氏と戦った石田芳弘氏が、犬山市の市議である久世高裕さんと対談した番組がUstreamに残っている。
”Live16 石田芳弘 1月24日(1of4)”
”Live16 石田芳弘 1月24日(2of4)”
”Live16 石田芳弘 1月24日(3of4)”
”Live16 石田芳弘 1月24日(Eof4)”

 まあ、師匠を見れば弟子は判り、弟子を見れば師匠の程度も察しはつくと言いますが、この久世さんが石田さんのお弟子さんであるとするなら、良い教育をされたことだろうと見受けます。

 それにひきかえ、河村さんのお弟子さんと言うと、今の減税日本県議市議では、あまり係わり合いも薄いでしょうから差っ引くにしても、則竹元市議や三宅県議などはお付き合いも長いのですからお弟子さんとみても良いでしょうが、ね。

 と、やはりネガティブな話になってしまいますし、あまりヒトを比較してはいけませんので、これぐらいで止めておきます。

 私はあの市長選挙の際に、河村氏の演説と言うのも聞きましたし(結局、議会解散の話ばかりだったように思うけど)石田さんの話も聞きました。石田さんの話の中で、ヒトは一生、勉強を続けるものだ。という話には非常に感銘を受けました。いわく。

「生きるために学び、学ぶために生きる」

 最初は生活の糧を得るために、技術や読み書きを覚える必要がある。しかし、やがてヒトは生きるだけではなく、自分というものを知るために学び続けることが必要となる。
 生きていける分だけ勉強すればそれでよく、それ以降は勉強などやめて、毎晩焼酎でも飲んでくだらない話に現を抜かすようなら、そんな一生にどんな意味があるのでしょうかね?

 こういった石田さんの薫陶を受けた久世さんもすばらしい視点をお持ちだし、その視点から見ている風景もすばらしい。

 例えば、都市には企業などが沢山あるので税収も豊富であって、地方からの税収は少ない。今の日本の制度では、この都市から得られた税収を、地方に再分配するという事になっているが、税収を取られてしまう都市からは異論もあるだろう。
 しかし、地方から見てみると、地方に生まれて育て、教育を施した若い人々が都会に出て行ってしまう。地方からするとヒトに投資した財を、そのヒトごと都市が収奪しているようなもので、そうであるならば都市から地方への再分配は当然の事である。となる。

 この話で。「水」を都市は使うが(「文明は水から生まれる」とも言われる)その水を保つのは日本においては地方の山であり、地方が水を守るから都市の人々は安心して生活が送れる。
 都市から見れば、こういった水を守るためにも、地方の里山集落を守っていく必要があるということになる。

 すなわち、一つの地域と言うのはその地域だけで存続できるのではない。
 様々な周囲との関係から生きていけるのである。
 (つい先日引いた「七人の侍」の台詞を思い出しますね 裁判-中京都-陸前高田 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

 ところで、石田氏や久世議員が河村市政の評価として「地方政治に目を向けさせた」という事を肯定的に捉えていた。これは、昨日の鶴舞における会合でも聞かれた意見だったが、私はこれに異論がある。
 そもそも地方政治政治というのは、ある程度はプロに任せて市民が一々コミットしなければならないというのは異常であり、コストもかかりすぎる(私も、あれこれボロが見えるので(挙句の果てに、栄のど真ん中に穴まで開くので)ほって置けなくて色々と見ているに過ぎない。名古屋市政を担っているのがこの石田さんや久世さんのような方々ばかりなら、自分の仕事や趣味に時間を取りますよ)
 そのような姿を「鼓腹撃壌」を引いて、最初の最初に提示しておいた。
 ( 名古屋市地域委員会への疑問について。 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

 このスタンスは全然ぶれていない。

 更に、河村氏が市民の目を市政に向けたと言われますが、これも違うと思う。
 そもそも日本の各地で地方自治への議論は盛り上がっている。大阪の橋下さんの例もそうでしょうし、新潟鹿児島の話もそうでしょう。後に触れますが今、「議会報告会」というのは108地域で開催されているようです。地域の方々が自分の地方に対して興味を持ち、あるいは関心を持つのには次のような理由があると思います。

 話は1980年頃に遡ります。当時の日米関係は、米国財政赤字と経常赤字という「双子の赤字」に苦しみ、日本からの猛烈な輸入に悲鳴を上げていました。ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われたのがこの頃です。
 日本からの輸入に悲鳴を上げた米国は、日米構造協議という場を設け、日本に対して内需の拡大を求めてきました。具体的に言うと、日本国内で430兆円の公共投資をすることを求めてきたのです。
 更に、この公共投資にも条件を付けました。つまり、この投資が生産力の増強につながってしまっては、より一層日本製品輸出が強化される。この公共投資は生産につながらないものでなければならない、と。

 これを求められた霞ヶ関官僚たちは、この430兆円の負担を地方に押し付けることにしました。地方において債権を発行し、ハコ物をばら撒いたわけです。
 この政策は、地方においては建設業と、ハコ物管理の為の造園土木業を拡大させ、やがてこれらの産業自体が、次の投資を求めるという循環が出来上がった。

 この地方の建設負債に維持費負担が重なり、地方はどんどんと公債を膨らます結果となった。この流れが限界にまで達しているのが現在であり、その限界を感じた人々が自らの地方議会に対して関心を示しているのでしょう。
(この430兆円の公共投資を地方に、という観測は東京大学宇沢弘文氏の主張です。後半の、その負担が地方の人々に、自分たちの地域政治に目を向けさせた。という部分は私の蛇足です)

 なので、別に橋下氏や河村氏が居なくても、各地域で住民は問題に関心を持つようになってきたのでしょうし、私の感想では彼等が居なければもう少し「ましな」解決策が提示されていたのだろうと思います。

 と、どうしても話がネガティブな方向に流れてしまうので。
 上記の石田氏と久世市議の対談に出てくる司馬遼太郎さんの「21世紀に生きる子どもたちへ」の全文が、インターネット上に掲載されていましたのでご紹介して起きたいと思います。
21世紀に生きる君たちへ

 石田さんは「司馬遼太郎さんはこの文章を、一つの大作を書き上げるのと同じぐらいのエネルギーを持って書き上げたのではないか」と仰っているがその通りで、すばらしい文章だ。

もともと歴史が好きなのである。(略)だから、私は少なくとも2千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。

http://gogodiet.net/Forkids.htm


市長査定の説明について

 と、ここで終わっておくと、なんとなくきれいだったんですけど。
 メモを確認すると漏れがあったので、少々。

 市会では現在予算の策定が行われている。平成24年度の名古屋市政の実際を形作る予算だ。(そういえば久世さんも議員に予算編成権をと言ってみえました。名古屋大学の後教授や石田さんもそう希望されているようですが、 それには大幅な制度改革が必要ですよね)

 この市長査定の結果を、河村市長が市会各会派を回って説明したようである。
 (実際には、予算の中身については河村市長自身あまり理解していないようで、細かい話になると全て付き添いの市職員が説明することになったらしい)

 ここでも問題があって、河村市長共産党への説明は行わなかったようだ。
 主義主張を超えて、全ての会派が市民の代表であるのなら、全ての会派に説明するべきだろうに、さらに河村市長本会議で「与党野党という枠は決めたくない」と言っているにも係らず、自分から共産党にだけは説明に出向かないという姿勢は、余りにも狭量に過ぎないのではないだろうか。

 なんとなく、こういったところに、河村市長の甘さが垣間見られ、政策実行力、立案力の無さがあるのではないかと思えてしまう。

 また、某党に説明に出向いた際に、周辺の話題として先の裁判の話題が出て(控訴期限は2月2日)控訴せずに敗訴を認めて裁判を終息させてもいいが、その代わり条例は引っ込めてくれ。という要求をしたらしい。( 議決取り消し訴訟 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0 )
 それでは、裁判をした意味が無い。
 そんな事で条例を引っ込めるのなら、議会裁判に負けたのと同じことじゃないですか。

 なに考えているのでしょうか?

 何も考えていないから、こういうことが言えるのか?

参照:
総務環境委員会…4項再議…市法制アドバイザーから参考人聴取 | ブログ | 市議会 | 中期戦略ビジョン | ふじた和秀 名古屋市議会議員 公式WEBサイト
4項再議訴訟 | ブログ | 河村市長 | 市議会 | 中期戦略ビジョン | ふじた和秀 名古屋市議会議員 公式WEBサイト



 おおっと。
 「議会報告会」の話を忘れていた。
 なんと、河村市長は「議会報告会」が「違法の疑いがある」と主張している。
 ふざけないで頂きたいけど。
 違法であるなら、議会基本条例で制定できないでしょう。

 ほんとうに、●゛●じゃないの?

 それも、最終的には自分で説明できずに浅野アドバイザーに丸投げで。

 違法ならそもそも条例制定時に違法性を排除できるようにすべきでしょう。

 ちなみに、中立であるべきだということですが。
 中立にできるのではないですか?いくらでも。

 そもそも、中立云々というのは、会派的、政局的発想で、
 この会は市民の権利として、議会からの報告を聞く会なのだから、河村市長は市民の権利を違法に奪っているって事にいい加減気が付くべきだ。
 それに賛同する減税日本ナゴヤ市議もそうだ。

 それで、よく「開かれた議会」だとかって言いましたね。


※1:実は、都市において。道をレンガで敷き詰めるというのは平和の証らしい。
つまり、60年安保の頃等は、都市の歩道のコンクリートブロックも「バールのような物」ではがされて・・・

千葉県の成田市では、駅前の歩道がコンクリートブロックだったが、その上から無理やりアスファルト塗装されたらしい。(以上、完全に蛇足

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2012-01-26 河村市長国政転進? ともう一件。

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河村たかしの誤り, 社会学, 名古屋市政


報道ステーションサンデー

 1月29日(日曜日)の朝10時から、テレビ朝日系列(メ~テレ)で放送される「報道ステーション サンデー」で河村市政について取り上げるようだ。
テレ朝“報道ステーション サンデー”取材について - 丹羽ひろしのブログ - Yahoo!ブログ

 議員報酬や秘書給与始め文書通信費など経費を合わせると年間1億円程度の経費が16年間に渡り、河村氏へ支払われてきました。
 数多くの法案を提出したと自慢していますが、他党はおろか自分が所属する同僚議員からの指示される事もなく、殆どの法案は否決されました。
 河村市長は、行政と民間を比較しますが、民間では成果の上がらない事に時間を費やす事は評価されません。

http://blogs.yahoo.co.jp/tetujin28164/52471859.html

 河村市長地方議員の「政務調査費」を第二給与のように語っていたが、政務調査費がそのような使途に使われたなら、それこそ「裁判」になってしまうのだろう。それに引き換え、国会議員の「文書通信交通滞在費」については使途報告の義務も無く、第二給与との批判が絶えない。( 文書通信交通滞在費 - Wikipedia 国会議員に渡される文書通信交通滞在費のあり方に関する質問主意書 )

 河村市長リコール騒ぎの時などに言われたことを聞いてみると、「政務調査費」をこの「文書通信交通滞在費」と同等のものと捉えていたように思われる。

 また、上の文章で丹羽議員が言っている「数多くの法案」とは、これだろう ”ホンモノ手作り河村たかし 珠玉の議員立法集”
 自身も言っているとおり、0勝68敗。丹羽議員の言われるように、プランだけ幾ら作っても、売上げにつながらなければ民間であれば倒産だ。河村氏自身言うように「議員立法府の構成員、立法が本旨」であるなら、一本の法律も作れなかった河村氏は本旨を果たさなかったと言うことになる。それでいて「珠玉」というのは、結果も残せずにガンバルだけはガンバッたとでも言いたいのだろうか。
 ちょっと前にも書きましたが、新自由主義者というのは、自分が勝った時には敗者に対して「自己責任である」と一瞥も与えませんが、自分が負けた時には「フェアな競争か」であるとか「敗者にも一定の理解を」と訴える傾向がある。ここで見られるように河村氏も自身の提示した法案が68連敗したのだから、名古屋市政においても少数意見を尊重しても良いのではないだろうか?
 けれども、それについては「多数の民意だ」と来るわけだ。

 こういう態度を私のおばあさんなどは「自分の苦労を他人に味あわせるというのは、苦労が身についていない証拠で、恥ずかしいこと」と戒めていました。

河村市長国政転進について、二題

 それはさておいて、久しぶりに名古屋市政が全国区の関心を引くとは、これは注目したいですね。

 丹羽議員も書かれていますが、河村市長には国政転進の噂は耐えません。というよりも、私はもう少しズバリと河村氏が「わしは、もう名古屋市長なんかやりたくない」と一刻も早く衆議院解散が行われ、総選挙にならないかと待っている心情を吐露したと言う報告を受けていますが、証拠となるようなものは提示できませんので「噂」「嘘」と好きに思っておいて頂いてかまいません。
 そんな中で、昨日から今日に掛けて面白い話が2つほど転がり込んできました。

 某河村たかし支援者の間で大津市で女性市長が誕生しました。次期、名古屋市長には是非女性市長を訴えていきましょうという話が広がっているそうである。

 この話の面白いことは、河村市長はまだ1期の途中であり、自身の示したマニフェストも中途の状態であると思う(減税も半分の5%(0.3%)ですしね、地域委員会も制度設計の問題が残っています)普通考えれば、2期8年や、3期12年程度は首長というのは続けないと、しっかりとした仕事はできないと思うのだけど、すでに「次はやらない」という話が当然の事となっているらしいということであり。
 さらに、河村たかし支援者の中では、そろそろ「次期、名古屋市長は誰」という話題が上っているということだろう。

 支援される方も二枚舌なら、支援する方も二枚舌ということなんだろうかね?

 もう一つの話は、常々河村市長が国政に転進するとすれば、愛知二区から出るだろうと噂されていた。今回の内閣改造で二区現職の民主党古川元久衆議院議員no title no title )が「内閣府特命担当大臣経済財政政策・科学技術政策担当)」として「社会保障・税一体改革担当」(つまりは、消費税増税担当)となったことから。河村氏は事ある毎に「減税対増税」と対立構造を煽っている。なのでいよいよ二区からの立候補は間違いないだろうと、愛知二区の地域千種守山、名東)へ行くと、あっちこっちで古川氏のポスターを見かける。つまり「臨戦態勢」に入っていると言うことだろう。

 さらに、名東区には減税日本内部で不協和音が聞かれていて、議員同士が大喧嘩をしているという話も漏れ聞く(「仲良し係」が必要だろうね)。千種区内には、櫛のはが抜けるように、支援者内からの離反が相次いでいるという話が出ている。
 そして、決定的なのが守山区で。去年の台風被害、更に守山市民病院の民間譲渡問題で守山区からは、国政転進の選挙地盤どころか「河村市長リコール」の声すら上がりかけている。


 このような状況からか、河村市長が国政転出する際には愛知一区に戻って、現在愛知一区から選出されている唯一の国会議員である佐藤夕子氏は「減税日本衆議院比例東海ブロック」から立候補する。という方針が打ち出されたようである。

 とはいっても、またぞろアドバルーンの一つであろうと思うし、何がどうされようとも知ったことじゃないという感じなので。

 比例東海ブロックには前回の選挙の際に「みんなの党」が40万票獲得している。大阪維新の会の動向も気になる。大阪維新の会が開催しようとした「維新政治塾」には1000人以上の応募があると言う。翻って減税日本にはそういった「塾」はない。
 実は、河村市長は某所で「塾」らしいものを開催しているのだが・・・この内容は近々公開。

 前回の地方選挙においては、各地に「○○維新」とか「減税□□」といったゾロ品というか(ジェネリック薬品というか)紛らわしいのが沢山でてきて楽しかったのですが、今回は「○○維新」ばかりになりそうですね。

国民をバカにした愚策か、新たな社会設計の為の道筋か。

 あまりこのブログでは国政について触れないでおこうと思いましたが、あまりにも誤解が酷いので少々触れます。
 政府から消費税増税時に、定額給付を行う」という話が打ち出されたようです。

消費税8%時から定額給付を検討 政府民主低所得者に年1万円

 政府民主党は26日、消費税率を2014年4月に8%に引き上げる時に、所得の低い人ほど増税負担感が増す「逆進性」の対策として、定額の現金給付を行う検討に入った。一定所得水準以下の高齢者非正規労働者障害者らを対象に年1万円を支給する案を軸に調整する。

 社会保障と税の一体改革関連法案の与野党協議国会審議をにらみ、増税への反発を緩和するのが狙い。ただ、一律の現金給付はバラマキになりかねず、新たな火種となる可能性もある。

 政府与党の一体改革大綱素案は、15年度以降に「給付付き税額控除」を明記。それ以前は「簡素な給付措置」としたが、どの時点から実施するかはあいまいだった。

http://www.47news.jp/CN/201201/CN2012012601000924.html ]

 これに対して消費税増税の代わりに、口封じに一万円?国民を小バカにするのもいい加減にしろ!」というような論調があるようですが、これは酷い誤解です。
 更に言うなら、そう息巻いている人々にこそ、この政策が必要であって、所謂新自由市議の中で、一番割を食う人々が、一番強力に自分自身を苦しめる政策を支持している姿のようで悲しくなります。

 この政策は、例えば中谷巌氏などが進めようとしている政策で、ゆくゆくはベーシック・インカムにも道をつける可能性がある政策なのです。

 つまり、消費税と言うのは脱税できません(※1)そういう意味では効率よく公正な負担を求めるためには良い制度と言えます。しかし、消費税には逆進性があります。所得の高低に関係なく一定割合の消費に税を掛けるしかないので低所得者には重い税となります。

 例えば、消費税が20%であるとしましょう。
 年間の可処分所得が200万円の人が、その全てを消費するとします。所得の低い人は貯蓄をする余裕がありませんから、このような傾向は強いことでしょう。そうすると、年間で40万円が消費税による課税負担になります。
 ここで、政府が40万円を全ての国民に支給するとします。
 するとこの人は消費税で治めた分がまるまる戻ってきますので、結局消費税による税金がゼロと同じ事になります。

 次に、500万円の人も全てを消費したとします。するとこの人は100万円を消費税として収めたことになりますが、同様に40万円の支給を受けるとすると、その税負担は60万円という事になります。

 国民一定金額を無条件に支給すると言うのが「ベーシック・インカム」の考え方です。私も最初に聞いた際には「無理だ」と思いましたが、現在のような格差社会、更にデフレ局面においては、一定の意味がある。また、事実上ある局面では実現されてしまっている。と思っています。

 今回の案では1万円と小額ですが。この場合、直接戻る額よりも、一定額を支給すると言う制度の実現の方が大きな意味があると思います。支給の仕組みさえ整ってしまえば、この仕組みの中を通る金額を変えるのは難しくありません。
 逆に、現在の様に歪(いびつ)な形で実現されている「ベーシック・インカム」には社会制度的な問題が幾つか見受けられます。

 ここは「小バカにしたばら撒き政策」などという理解ではなく、日本の社会を根底から考え直すとば口としてのベーシック・インカム支給政策実現に道をつけて欲しいものだと思っています。

 うわ、今日書く予定であった事の半分も書けていません。
 明日に続く。



※1:この話をした際に、消費税の制度的欠陥のお話を聞きまして、確かに大きな欠陥であって、一部企業が「不当」ともいえる儲けを私(わたくし)できてしまっているようです。
 しかし、制度の欠陥と、その制度自身が社会をデザインする方向性とは異なるわけで、この制度欠陥は(制度的には)比較的簡単に是正できます。
 ただ、政治的には大変な苦労が伴うでしょうが。これについても機会があれば触れましょう。

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2012-01-25 名古屋市政を考える会

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名古屋市政, 議会報告会

 本日は内容が盛りだくさんになっている。

税の意味とは

f:id:ichi-nagoyajin:20120125235047j:image:w360:right 後の話題でも触れますが、今日、米国オバマ大統領が一般教書演説を行い、そこで富裕層に対する大幅増税、特に金融取引に対する増税議会に求めた。
 新自由主義的な格差を肯定し、競争を激化し、富裕層が豊かになれば全国民トリクルダウンのお零れが行き渡る。などという理屈はまったくの幻想でしかなかった。金融資本を中心とした新自由主義的「自由競争」肯定の社会は、社会の安定そのものを揺るがしてしまったし、経済までも機能不全に陥らせた。
 そもそもオバマという選択は、こういった行き過ぎた新自由主義への反省であった筈なのに、そのオバマ自身にも米国金融資本の影響力は発揮され、明確な路線の変更は打ち出せずにいた。(更に、議会における共和党の巻き返しもあった)
 この不満が、「ウォールストリートを占拠せよ!」という運動に行き着き、やがてスティグリッツクルーグマンといった経済学泰斗までが新自由主義に対する反省を口にするに及んで、米国ではこの反省の動きが実態となっている。(しかし、金融資本の影響力は大きいので、まだまだ予断を許さないが)

 そもそも税とは、頭から否定されるものではない。「政治家の一番の仕事は減税だ」などという話は聞いたことが無い。逆に、集めた税金を公金として、いかに有効に使うかという話なら幾らでも聞いた。
 いっそ税金を否定し、こういった公金を否定するのであれば、それは税として預かる行為の否定であり、行政の否定であろう(そんなに減税が重要で、民間がやった方が効率が良いのであれば、明日にでも市役所を解散して全て民間の自由競争でやらせればいいのである)

 河村流減税論は、単なる無責任論であって、経済的には愚か、政治的にも整合性は見出せない。増税とか減税とかを言い争っている場合ではなく、税負担をどのようにすればより公平に分け合えるかが議論の対象となるはずだ。

バカちらし


 河村市長は、なんでも1月27日(金曜日)に東京有楽町「おもしれーナゴヤを売り込め」大作戦と称して、チラシを撒くそうである。ここに掲載したチラシがその現物のゲラだそうだ。
 (しかしこのネーミングのセンスは何とかならないものだろうか?)

D(※1)

 減税の実現を受けて、河村市長は年頭の記者会見で一人でもやると言っていたと思ったけれど、本当にやるとは思わなかった。一人でやっていただければいいだろうに、市の職員も手伝うとの事だ。宮仕えとはいえ、大変ですね。(税金で食っているものが極楽とは、こりゃ言えませんな)
f:id:ichi-nagoyajin:20120125225925j:image:w360:left
f:id:ichi-nagoyajin:20120125225920j:image:w360:left
 内容を見させていただくと、まあ、得手勝手牽強付会のオンパレードですね。
 1.日本発!市民税恒久減税スタート
 って、10%恒久減税を実施したのは、沖縄県金武町だったですよね。
 あ、あそこは町なので、市民税ではないって?

 常滑なども10%減税しましたよね。名古屋も気が付いた人少ないけど、10%減税は実施されています。なんで今更「日本発!」? あ、「恒久減税」だからですか。

 でも、ちゃんと見るヒトが見れば判りますけどね。
 「恒久」といっても、市民税条例本体を変更せずに、減税条例を別立てにして、さらに見直しの付帯決議が付いている。そりゃそうですよね、減税財源について確たるものがあるわけではないのですから。今回の分も財政調整基金を崩して実施するわけで、恒久とは言っても、「当面、恒久」という良く判らない状態になっています。

f:id:ichi-nagoyajin:20120125225916j:image:w360:left
f:id:ichi-nagoyajin:20120125225911j:image:w360:left ところで、東京の方々は、「あれ?河村さんの減税って10%だった筈だよね」とか言われたり、「プリントミスですよ」と言われそうですね。埼玉県北本市常滑市同様、市民税の10%減税やっているので、関東圏のヒトにも市民税減税と言えば10%ってイメージはあるのではないでしょうかね。まあ、お気をつけください。

 一項目でここまで書いてしまってはきりがありませんね。
 後は、直接チラシに書き込んで見ました。

 下にあるのがチラシ(改ざん版)です。



 そして、本日の新聞でも報じられましたが、名古屋はありがたくない日本一を頂きました。「街頭犯罪日本一」だそうです。大阪の平松前市長が、大阪の街頭犯罪減少のために、地域の力を使ったのですが、地域の力ってお経の様に唱えている河村市長の無策のおかげで、名古屋市における街頭犯罪は減少率で他の政令指定都市に及ばなかったようですね。


f:id:ichi-nagoyajin:20120125230133j:image:w220:right まったく、無策です。

 河村市長は、これも日本一となった待機児童対策について、2009年の市長選挙マニフェストにも掲載していますし、その後の減税日本ナゴヤ市議公約に掲げるほど問題意識はあったはずです。しかし、その河村市長が自ら待機児童対策に対する具体的な施策を打ち出したと言う話を聞いたことが無い。地域の老人が託児事業をするというような、素人の私でも「無理だ」と思うような事を言ってみたり、つい先日も「小学校の校庭に託児施設を増設」という話を打ち出していましたが、結局尻切れトンボですからね。

 政策立案能力とか、その実現能力が元々無かったのでしょうかね?

名古屋市政を考える会

 かねてからこのブログでも告知してきました「名古屋市政を考える会」に参加してきました。平日の昼まであるにも関わらず会場はいっぱいでしたね。
 残念なことに、減税日本ナゴヤの河合優市議は、インフルエンザ罹患されたという事でご欠席でした、はやく治癒されることをお祈りいたします。
 残念なことに、減税日本ナゴヤの河合優市議は、インフルエンザ罹患されたという事でご欠席でした、はやく治癒されることをお祈りいたします。


 会場では中々面白い議論や深い話も提示されて、非常に興味深い会合となりました。
 最初に、可決した減税政策についてのコメントがあり、「減税と福祉」のバランスであるとか「事業として110億円、これをどこに配分すべきか。減税とは納税者、お金持ち、黒字の企業に対して、この110億円を配分すること、その他の福祉施策であれば、例えば子育てであるとか、介護で困っているお年寄りに対して配分できる」という話。
 更に、行政改革で減税財源を作ったと言うが、具体的にどのような行政改革がなされたのか。という質問など。なかなか鋭いものでした。

 また、守山区の市民病院についてのお話(※2)とか。病院などの公的機関は、市民に安心安全を与えるものであって、単純な経済原理から赤字だから廃止、民間譲渡という結論はいかがなものかといった意見が出されました。

 途中、幾つか河村市長の市政運営についての疑問も提示されていましたが、市長市長与党である減税日本ナゴヤ市議も誰も居ない状態では、議論としては深まりませんでしたね。やはり比較第一党減税日本ナゴヤ市議の方々には積極的に参加していただきたいと思います。
 お一人がインフルエンザだからといって、誰も居なくなるというのはちょっと残念です。
 お一人がインフルエンザだからといって、誰も居なくなるというのはちょっと残念です。

 この会合で「議会基本条例」の問題にも触れらておりましたが、その中の「議会報告会」について、自民党の横井市議「なんとしてでも2月定例会の前後、できれば前に開催したい」と熱意を持って語って見えました。

 また、この会合は次回は3月25日、名東区で開催されるそうです。
 そして、他の区においても開催されるようにと呼びかけがありました。



完全に蛇足:「保守」と「革新」が橋下的手法を容れられない理由。
保守と、バクーニンは同じものを見ていた)

 「そもそも保守思想の根本は、理性による設計主義を疑うという態度である。特定の人間の理性によって理想社会を構築できるという態度を諌め、自生的秩序や歴史の風雪に耐えた伝統を重視する。そのため、保守思想家は常に「極端」を排する。なぜならば、極端な言説の中には、人間の理性によって世界を単一の枠組みの中で把握することができるという過信と妄想が含まれているからである。歴史に対する多様な視点の葛藤に耐え、二者択一的議論を超えた歴史の重層性を引き受ける意思こそ、保守にとって重要なものであろう。」

と、いうのが「リベラル保守」と自らを定義する中島岳志氏の立場かな。西部邁の立場をより簡便に説明しているともいえる。と、この立場を更に批判してきたのが自分の立場だろう。

 日本アナキストと言えば「黒ヘル」ということになるわけで、これを被っていたらしいヒトに敢えて問います。この黒ヘルは黒色インターナショナルから来ていて、それはバクーニンの支持者が打ち立てた運動だった筈です。バクーニンは、徹底した批判を行うことで、マルクス主義の陥るであろう官僚主義も看破しました。かれの予言の通り共産主義一党独裁政治に至り、一党独裁政治は絶対権力の絶対腐敗から逃れられなかったわけです。しかし、結果バクーニンは力を得ることは無かった。バクーニンは辺縁から中央へと連邦制を主張していました。しかしこれも批判の一形態と捉えられます。つまり、常に社会は一定程度の批判者を内在すべきであると。
 おお!ぶっちゃけて言うと中央でどんどん旗を立てろ、天邪鬼が批判の石を投げ続ける。というのが正解か。

 ここまで論考してくると、(55年体制下の旧?)自民党という擬似的な民主社会の辺縁で、社会党共産党が「永遠の野党」として批判を加え続ける姿というのは、バクーニン的な最終形態だったのかも。とすると、55年体制万歳という事になるのだろうか?戦後民主主義万歳って?



※1:細かいことかもしれないけれど、この会見で市長はこのチラシに記載された「名古屋市市民経済産業産業交流課」が判らなかった。
 この施策市長の発案で、打ち合わせとかはなかったのだろうか?

 本日の会合で、大阪の橋下氏の話題も出ていた。その手法については賛否はあるものの、橋下氏が深夜まで徹底的に職員と議論して施策を実現させようとしている姿は凄い。という発言があった。それにひきかえ(以下省略)

※2:守山区から参加されていた市民の方から、「守山市民病院の存続についての説明会に参加したところ、公職者会というのがあって、ここで廃止は決まったというような話を聞いた。この公職者会というのは名古屋においてどのような性質の会合で、市民への説明会の前に存廃を決定して良いものですか」という質問があった。

 これについて、一般傍聴として参加していた自民党守山区選出の東郷市議より、「公職者会というのは県議市議の集まりで、これらの事に付いての決定権限は無い。市民説明会の前(19日)に市民説明会と同じ内容の話を、守山区選出の県議市議が公職者会として病院局から聞いた」という回答がありました。
 また、横井市議より「財政福祉委員会の委員としてこの問題を委員会で話し合った、自分としては皆さんの前ですが、はっきりと廃止の方針に賛成した。守山市民病院の問題は医師不足という問題であって、この対策にはすでに何年もかかっている。国の医療行政医師養成の政策も影響している。すでに単年度で9億円。累積では65億円の赤字を積上げ、改善の見通しも無く、市民に負担を掛け続けるわけにはいかないと判断した」(聞き書きしたメモを元に再現したつもりですが、聞き間違え、メモし間違えがあるかもしれません)

 これらに対して、上にも書いたように、公的施設、医療施設は単純な経済原理で計れない。さらに、民間譲渡ということであれば、市民病院という、公的経営では存続できず、民間ならできるというものでもないでしょう。このような施設を民間に、株式の介在するような市場原理に委ねるのは間違い。といったような意見が出されていました。

 後から、幾人かのヒトとお茶を飲みながら話したところでは、リコール市長選挙で7億円以上使っている。守山赤字が9億円なら、あの騒ぎで一年維持できた。という話もありました。

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2012-01-24 守山市民病院の民間譲渡について、問題点を把握していない河村市長

守山市民病院の民間譲渡について、問題点を把握していない河村市長CommentsAdd Star

名古屋市政


 本日も23日(月曜日)の市長会見について問題点を指摘する。(というか、既にタイトルに結論は書いてしまったわけだけど)

 本日の中日新聞(県内版)に「名古屋市長会見詳報」として会見の様子が一問一答形式で掲載されている。大見出しは「愛知1~5区必ず擁立」と、衆議院議員選挙減税日本名古屋市の全選挙区に候補を擁立するという話が選ばれているが、そんな事はどうでもいい(※1)

 守山区守山市民病院に関するやり取りは、この記事によると次のようになる。

―東部医療センター守山市民病院名古屋市守山区守山)を民間譲渡する方針に関し、市民から不満が挙がっている。

 「民間の方が、かえって医療サービスは充実するんでは。民間だから公益性がないというのはおかしい。(譲渡は)何だかんだと文句ばかりの現状よりも市民の皆さんのためになると思ってのこと」
中日新聞平成24年1月24日 朝刊「名古屋市長会見詳報」より)

 これらのやり取りについての、実際の会見の様子を取り出してみました。
 名古屋市:平成24年1月23日 市長定例記者会見(市長の部屋)
 から見られる「記者会見動画」のおよそ41分程度経過した時点から3分ほどです。

D

 ”名古屋市病院局「東部医療センター守山市民病院の今後のあり方に関する説明会」” において「減税をするのなら、その予算を守山市民病院の存続に振り分けて欲しい」「名古屋城を木造化するお金があるのであれば存続を」「民間譲渡に不安がある」というような声に対して、民間でも命に係る大事な仕事をしてる。焼肉屋が生肉を出したり、ふぐ料理だって民間で出すから、民間だからと不安がる必要は無い。(※2)

 というような話なんでしょうかね?

 河村市長は「不安」の意味を「民間病院では公的病院ではないから市民は医療の質として不安を持っている」と思っているようだが、これは違うだろう。勿論、民間病院でも医療を提供されるのであれば、安心して受診できるように医療関係者を揃えたり、資材は準備されるだろう。
 市民はそんな事を心配しているのではない。

 まず、現在の診療科(現在でも縮小されているが)が存続できるのかという不安があるのだろう。民間病院であれば勿論採算によって診療科は選別されてしまう。コストがかかり、利益に結びつかない小児科産婦人科(既に無いが)が蔑ろにされるのではないかと不安を感じているのだろう。

 さらに、市がこれまで経営して、結局赤字体質を改善できなかった。ここで民間に譲渡しても、病院としてどの程度存続させることができるか市民には見えない。
 一時は、介護老人ホームなどへの転用も噂に出たようで、そうなればいよいよ医療施設としての安心はなくなる。

 河村市長は論点をはぐらかしているだけで、市民の抱える問題点に応えていないだろう。

 そもそもこの問題は所謂「医科大学における医局制度」(※3)の問題も関連しているのだろうと思う。私が見聞きしている範囲では、大学側が医師を確保しなくなって、公的病院などでは人事政策が流動的になっているようだ、この守山市民病院もそういう流れの中から、医師にとって人気が無くなったようだ。
 そのような中で、3年前に「緩和ケア」に特化すると言う方針で設備投資もしたが、本質的な医師確保にまでは至らなかったようだ。(この設備投資も今回の批判の対象となっている)

 つまり医師不足が問題の根底で、医師が不足するので、医師に対する過重労働状況となり、それがまた医師不足を助長する。また、医師不足のあまり診療科が維持できなくなり、それが来院者数の減少、稼動病床数の減少にも繋がった。

 更に、そのような状況であるにも関わらず、名古屋市が東部医療センター、西部医療センターへ「経営資源の集中と選択」を打ち出しているために、地域医療としての守山市民病院医師にとって希望が保てなくなった。これも、医師不足を助長した。(※4)

 ここで「民間であれば」柔軟に、条件を変更するだろう。つまり早い話が守山市民病院勤務の医師だけ条件を上げるわけだ(これも、行われたようだ)
 しかし、こういった悪循環に陥った際には、大胆にインパクトをもって対策を取らなければならない。結局、循環を断ち切ることができずに、ここに至るという事なんだろう。


 今回の「市民に対する説明」も、既に民間譲渡が決定してからの「事後説明」的な会合になってしまい、市民から理解を得るのが大変なのかもしれない。

 または、譲渡する民間に対して河村市長が言うように、何も心配要らないような条件でも提示するのだろうか?
 そんな条件を呑んでまで参入する民間資本は無いかもしれない。


 昨日のエントリーにコメントいただいた方が指摘されていた。
 神野直彦東京大学名誉教授などが言われていることで。ヒトの欲求には、二つの種類がある。すなわち「ニーズ(基本的必要)」と「ウォンツ(欲望)」で、「ウォンツ(欲望)」については、個人が民間セクタから自由に、市場原理によって欲求を満たせばよい。しかし、「ニーズ(基本的必要)」については市場原理に任せてしまうと歪が発生する。本来必要とされる人々の手に届かなくなったり、特定の一部のヒトだけに過剰に供給されたり、酷い場合には供給する送り手自体が市場原理に駆逐されてしまうことも考えられる。

 この守山市民病院も、市が経営するとすれば赤字であろうと存続して、災害などの際には心強い社会的基盤となる。しかし、民間譲渡して市場原理の中に投げ込めば存続自体が無理かもしれない。

財政のしくみがわかる本 (岩波ジュニア新書)

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 また、こうとも考えられる。

 様々な公共サービスは全てそうなんだが。そもそも「黒字」にする必要は無い。
 特に、病院は「黒字」になるほど周囲の人口が増え、医療ニーズが高まっているのであれば、それこそ市場原理から民間の病院が新しい病院を開設するだろう。

 民間でできないことだから公的セクタが行う価値がある。
 そして、ここで出される「赤字」はすなわち地域に対する公的な補助と同じ意味を持つ。

 これは、公的交通機関が、赤字路線を存続させる原理でもある。

 それこそ、守山の様に、他に公共交通機関が無い地域における公的交通機関(具体的には市バス)は、それが赤字路線であっても存続させる意義がある。それが「基本的必要」であったり、「人権必須事項」であれば、なおさらだ。(※5)



※1:しかし、候補者になるという方。徹底的に調べさせていただきますからね。
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 当方でしたら個人情報を漏洩させることはありませんよ。

※2:守山区の会合ではその他にも。
 庄内川で区切られている地域医療を考慮すると、守山市民病院の存続意義はあるのではないか?等の意見も聞かれたらしい。
参照サイト: わたしの守山市民病院ものがたり


※3:小説「白い巨塔」の頃(原作の雑誌連載は1963年に始まっている)から考えると、既に半世紀ほども昔に指摘された問題である。

白い巨塔〈第1巻〉 (新潮文庫)

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白い巨塔 劇場版 [DVD]

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 つまり、医学部(の教室/医局)が「系列病院」の医師の席を持っていて、必ずその席は埋める。逆に、医局の若い医師はこういった人事に逆らうと、それ以降の処遇が保障されない。
 一定程度しか医師給与を確保できない公立病院にとっては、医師の確保を大学に頼れるという利点があった。大学(指導教授)から見ると「系列病院」を押さえることで、様々なポストが確保できる。
 こういった因習的な関係性から来る不条理を描いたのが「白い巨塔」の一面だった。

 最初に映画化されたときには、当たり役田宮二郎が財前教授を演じていたが、なんと白黒だった!

f:id:ichi-nagoyajin:20120122125039j:image:w360:right※4:この「選択と集中」というのは「効率経営」の一つの指針であるが、巨大システムや公的セクタには必ずしもそぐわない。
 特に、医療においては、災害などの異常時を想定しなければならないはずだ。
 そういった際には、社会的インフラの多重化(絶対に平時には非効率になる)が必要であろうし、分散が必要となる。

 特に、守山市民病院存続を求める市民の声にあるように、名古屋の中で高台にあり( ”名古屋海抜地図”地盤も固い守山に、市立の総合病院が置かれる事には意味があるかもしれない。

※5:この「必要」に対する「重み」の相違というのが、単純な多数決では語れない、少数意見の尊重という、民主主義存続のための条件となる。
 圧倒的多数が求めていようとも、その少数者にとって絶対に必要な生活の基盤、人格的条件であれば、この少数者は多数者の意見(多数決)に従う必要があるだろうか。
 ない!
 断じて、ない!

 逆に、多数者が、少数者の絶対的必要や人格的条件を押しつぶし、取り上げるような社会は、その社会の在り方自体が間違っている。判るか! M!
(まあ、判らないからいつまでも●●連に絡んで河村氏を支援できるんだろうけどね)

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2012-01-23 2012年1月23日市長記者会見より(その1)

2012年1月23日市長記者会見より(その1)CommentsAdd Star

河村たかしの誤り


 毎週月曜日には市長会見があり、本日(23日)もあったのだが、いろいろと問題が多い会見だったようだ。幾つも取り上げたい話題があるのだが、とりあえずは会見から1つ、そこから派生してもう1つだけ。

 議決取消訴訟”参照” )について記者から質問され、それに対して控訴をするかどうかについて態度を決めかねていると回答している。判決には納得がいっていないようだ。「知事裁定どおりの判決しか出ないけれど、市長選で選ばれた民意はどうなるんだ?」というような、例の民意論を持ち出していた。

 そもそも、減税にしろ、地域委員会にしろ、河村市長の政策を支持して66万票の民意が集まったと、自らの政策の裏書きのように語るがこれは完全に誤魔化しだ。
 あのトリプル選挙を思い出していただければ判るように、知事選挙議会リコールの賛否の投票が同時に行われて「既存議会に対する批判」という「民意」が、あの票を積上げたというのが実体だろう。ここで河村市長が、自らの政策が支持された結果だと強弁するのは牽強付会に過ぎる。
 更に言うならば、当時の「既存議会に対する批判」というものに、どの程度の信憑性があっただろうか。その批判を受けて出来上がった「減税日本ナゴヤ」の市議たちのこの一年ほどの「活躍」を見れば、「まだ、あの当時の市議たちのほうが仕事をしていた」というのが大多数の市民の意見なのではないだろうか。(21日の会合では、どうすればよいかという質問を幾つも受けた)
 そして、議会批判の根拠と言われた河村市長の発言は、その幾つもが事実誤認に基づく物だった。つまり、この裁判と同様、河村市長自身の地方自治に対する無理解が、あの騒ぎ ― 敢えて言わせていただこう ― あのバカ騒ぎを引き起こしたのに過ぎない
 
 この河村市長の誤認からまき起こった「バカ騒ぎ」とそれの尻馬に乗った報道
 これは、後々の歴史の検証を受けるべきだ。(※1)

 まあ、それは置くにしても。

 河村市長判決文を読んで、まだ判らないのでしょうか?
 「平成23年(行ウ)第32号 議決取消請求事件」PDF

 そもそも憲法及び地方自治法は、議事機関としての議会と執行機関としての長を、いずれも直接民意に基礎を置く住民の代表機関として対立させ、相互に抑制により均衡を保つことを通じて、地方公共団体の適正な運営を図ろうとしていると解されるのであって(憲法93条、地方自治法第6章、7章参照)このことからすれば、議会が執行機関の行う事務について監視する権限を有することは、当然のことであり、(略)議会がこうした監視権を有することに照らしても、本件事務が、議会の関与を許さない長の専属的な権限に属する事項であると解することはできない。

 このくらいの事は、中学校の公民の教科書に載っているのではないだろうか。

 市長を選んだのも民意であれば、議会議員を選んだのも民意であり。(※2)
 市長は自らの提案について議会承認を得るために、その主張を説明しなければならない。そしてその行為が同時に、市民に対しての説明にもなる筈だ。
 河村市長は減税においても、地域委員会においても、その効果と政策の正当性(「正しい経済学」と言える根拠など)について、ちゃんとした説明をしたと聞いたことがない。


 そして、例えば事業仕分けについてはどうすればいいか。どう取り扱ってよいか判らないと言うようなことを言っていた。・・・・しかし、この件については、去年の12月に民主党市議団に対して、市長自ら取下げを打診しているのですよね。この打診の中身は何だったのでしょうか?

 取下げを打診するのであれば、その争点となっていた事業仕分け条例の取り扱いについてもどうするか表明してあったのではないのか?

 逆に、取り下げたあとの取り扱いについては何も考えもせずに、ただただ取下げだけを打診したのかな?

 そんな子どもの使いのような交渉をしているのでは、河村たかしという代議士は交渉ごとができないと評判だったらしいが、その評判もむべなるかな。本当に無能ですね。


 さて、もう一点。
 
 市長の部屋に相変わらず「仁徳天皇の民の竈」の話が出ています。
名古屋市:市長の部屋トップページ(市長の部屋)

 この文章のままであると、あらぬ誤解をする人が出てきそうですが敢えて指摘せずに置きます。ところで、この話については、小沢一郎氏などが十八番(おはこ)としていたようですが、こういう人も語っています。

プロフィール | 衆議院議員 野田よしひこ

 別に野田総理が他の事例の様に「食言した」とも思いません。
 単に「小さな政府」論や税の負担配分の話でしょうし、この話がデフレ局面では経済学的に間違っていることは明白ですから。(積極財政論の徳川宗春とは真逆なんだけど、わかっているのでしょうか?)

 更に、下水道供用開始100周年企画 下水道歴史写真展を開催します! - 名古屋市上下水道局 の話題も触れています。 こういった社会的インフラについては、建設債を発行しても「世代を超えた負担」として看做せるのであるし、そもそもそうやって「税を使うこと」を肯定するのならば、歳出削減してまで減税するという理論と整合性が取れていないのではないですか。

 と、いう事も判っていないのでしょうね。

 さて、明日はもうちょっと厄介な発言の問題点について書こうと思います。



※1:減税日本市議、県議の中には「報酬が半減するなんて、実現するとは思っていなかった」と、いまになって事務所を閉じたりしている人もいる。このまま家業だけ続けて、議員活動は言い訳程度やればいいか。それでも4年で3200万円だ。という事なのだろうか。しかしあなた方の言動は半永久的に残る。公的な議事録や公報に。そして歴史の検証を受けるべきだ。
 あなたは、いったい何のために生まれてきて、この人生を何に使ったのか。後世の人々はどのように評価するのでしょうね。

※2:私は一人の議員は、その一人だけの存在とは思っていない。その後ろには付託した何千という市民、県民がいると思っている。なので、例えば違法行為をした議員についても、それを掴まえて「辞めてしまえ」とは言っていないはずだ。
 付託した市民、県民に「どうですか」と問うている。

 しかし、その付託を受けた市民や県民に平気で嘘を言う者は、この付託と信頼といった関係性を自ら否定しているのであり、そのような者には公職は務まらない。

 そういう意味でも、有権者に嘘を語る議員は職を辞すべしと言う次第である。

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2012-01-22 お気楽極楽なのは誰か?

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名古屋市政

減税日本:次期衆院選名古屋の全区に擁立へ


減税日本:次期衆院選名古屋の全区に擁立へ(2012年1月23日 1時46分)

 名古屋市河村たかし市長率いる地域政党減税日本」は22日、議員総会を開き、次期衆院選に向け、マニフェスト作成と候補選定を進める方針を確認した。市内全区の愛知1~5区を中心に、3月までに候補予定者を決めるとしている。

 総会では、今月上旬に組織した選挙対策本部の設置も承認した。総会後、河村市長は「衆院選既存政党対新しい勢力になるかもしれない。地域の自立という点では、大阪維新の会と連携できる」と述べた。

http://mainichi.jp/select/today/news/20120123k0000m010129000c.html?inb=tw

 ふ~ん

大阪維新の会:橋下代表 衆院選候補者擁立に強い意欲示す

自身が塾長となって今春開講する「維新政治塾」には、400人程度の塾生を集める考えも表明した。

 橋下氏は集まった約1300人を前に(略)

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120121k0000m010077000c.html

河村氏のミスは、政策が具体的だからすぐにボロが出てしまったことで、橋下氏の政策はまだ具体化していないのでボロが判らないって事でしょうね。WTCなんて具体的事例ではボロが出ていますけど。

 なので、橋下氏が景気が良くて、河村氏が景気が悪い、退潮濃厚、連携もしてもらえるかな?( 大阪維新の会 | リンク )ってことは、仕方がないのでしょうけど。

 ところで、「今月上旬に組織した選挙対策本部の設置」というのは知らなかったけれども、去年言っていた「減税日本ナゴヤ市議会会派)」独自の事務所設置とか、そもそも中区などの市議県議の事務所がない所へのアクセスとか、もっと簡単な(はずの)ホームページの開設かどうなっちゃったんでしょうね?

お気楽極楽なのは誰か?

 「税金で食っているものは極楽だ」と言ったのは河村市長だった。ご自身がこの十何年に渡って、げんに「税金で食っていた」わけだから、この「極楽」は間違いないのだろう。

 確かに、この社会は間違いなく格差をもった社会になっており、その格差社会は固定化され、その広がりも大きくなっているのだろう。(※1)

 実は、21日に地域の方々と意見を交換する機会を持ったのだが、やはり商店や製造業などの中小企業の方々は大変な苦労をされていることが見てとれる。さらに、今の困難は先行きの不安というよりも、おぼろげに市場縮小均衡が見えてきていることによる企業家精神の萎縮と言うようなものがあり、この時期に積極的な投資であるとか開発という話題を聞かない。

 こういった話題が無い事自体がまた、マインドを萎縮させる事にもなるのだろう。
 どうしても、話題は「この時期」をどう乗り切るかといったところに集約してくる。(※2)

 さて、そのような、どんよりとした気分にひとしきり浸った翌日の新聞に掲載された記事がこれである。

 「議論に「遊び心」を 中京都構想「独立」で何が見える?」
 中日新聞:ページが見つかりませんでした(CHUNICHI Web)
f:id:ichi-nagoyajin:20120123035703j:image:w220:left

 分離独立という究極の選択を前提に考えると、弱点を含めた自らの姿がよく見える気がする。近く文化人財界人らが中京都構想の議論を始めるが、独立の可能性を論じ合っても、きっと損はない

 何より、議論には遊び心がほしい。みんなしかめっつらをして、笑い声一つ漏れない会合からは、よい成果は生まれないと思う。

 「~よく見える気がする」「論じ合っても、きっと損はない
 なんとお気楽な事か。

 そして「みんなしかめっつらをして、笑い声一つ漏れない会合からは、よい成果は生まれないと思う」

 散々、しかめっつらから先行きの苦しい話ばかりをしたこちらとしては、喧嘩でも売っているのか?と思いたくなる。

 まったく、税金で食っている人は極楽かもしれないが、中日新聞社という優秀な企業で記者として活躍されているヒトはお気楽なんだろうね。

 80歳になんなんとする町工場経営者が、50歳を超えた、20年、30年努めてもらったヒトに早期退職を勧告して事業を縮小する苦悩であるとか。

 60歳になろうという奥さんが、自らもパートに出ているけれども、息子夫婦も奥さんが共稼ぎしなければ家計が成り立たなくなり、子どもを預ける施設を探したらキッチリ「待機児童」状態となってしまった。結局息子のお嫁さんとお姑さんとでシフトを組んで子どもを見なければならない苦労とか。

 そういった声は聞こえてこないのだろうか?

 また、ある方から情報を頂いたが、21日は守山区で守山市民病院の民間譲渡についての説明会があったそうだ。 ファイルが見つかりません

 会場では 民間譲渡の方針に納得しない市民からの声が渦巻いて、荒れ模様であったという。2009 マニフェスト (2/5)|市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! これは、 ある方が2009年に市長になる時に提示されたマニフェストであるけれども、「安心して受けられる医療介護子育て支援の仕組みを市民参加で確立する」という話はどうなってしまうのだろうか?地域委員会への予算に基づいて、より住民に近いところで予算の使い道が決定されることとなり、市・区の税金のムダ遣いのない充実した福祉・医療が広がる」となっているけれども、地域予算は300万とか500万程度なんですよね。それで地域の福祉や医療が賄えるのですか?

 名古屋に、防災の心配がなく、防犯の問題もなく。商業の振興策、産業の支援策が明確に打ち出されており。子育て医療介護教育に不安がないのであれば「議論に『遊び心』を」持ってもらってもかまわないだろう。

 と、いうよりも、こういう事は市民から言うべき事だろう。

 マスコミが「ナニナニが心配です!」「コレコレという問題があります!」と書き立てても、市民の側に余裕があれば、「まあ、そう言ってもしかめっつらをして、笑い声一つ漏れない会合からは、よい成果は生まれないと思う」から、もう少し余裕をもって対応策を考えましょ。というのであれば、まだ正常な社会の姿といえるだろう。

 しかし、末端の市民が、現にしかめっつらを突き合せるしかない不安の中で話し合っているところに、マスコミがこのお気楽な態度というのは、なんとも情けない。

 わざわざカラーでくだらない「マーシャチ」とかの絵を掲載する余裕があるのであれば、なぜ、守山区の会合の様子をベタ記事一つ程度載せられないものか。




追記(1月23日):
と、囲み記事について違和感をもっていたら、今度は社説だ。
中日新聞:ページが見つかりませんでした(CHUNICHI Web)

参照 フラジャイル - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

6月15日の事故と、7月1日の名古屋市本会議答弁。
この間の発言と事実関係。及び名古屋市の対応。

これについて「事実に即して」発言すべきだろうし、
社説を書くべきだ。こんなのは単なる空すべりの空論でしかない。



※1:自由競争の元でのグローバル経済(国境という枠組みを超えた自由な市場競争の社会)が実現すると、各国の国内社会において格差は広がり固定化される。
 その機序は次の通りだ。

 そもそも初期の資本主義発展段階においては、労働力を供給する者と、その生産物を購入する者は同じ「国民」であったので、資本家は自ら雇い入れた労働者賃金一定以上にして、自分たちの生産物を生産者自身が購入できるように図った。

 これは大量生産方式を最初に導入したと言われる米国、T型フォードの工場にも見られたことであり、ドイツにおけるフォルクス・ワーゲンの生産=消費にも見られた。
 また、戦後日本において車だけではなく、家電製品住宅などの生産財を消費する主体として、これらの生産者自身の賃金一定以上に引き上げる方策が採られた。
 これが戦後所得倍増計画以降の労使協調路線となったのである。

 ところが、経済実体経済から金融資本主体の経済に移るにつれ、生産財はより労働コストの低い地域、国家に移せばよいと言う事になる。

 このような状況に至ると生産者消費者は等しくはなくなる。低い労賃で働く東南アジアなどの国々の国民が働き、消費は米国や西欧の国民が行うこととなる。生産資本はどんどん労働賃金を引き下げていけばよい事になり、米国や西欧においては産業空洞化する。

 米国や西欧などの先進国においては、生産力をオフショアできない産業だけが生き残る。すなわち、土木建築医療をはじめとしたサービス産業流通などの第三次産業、及び各国の公的機関金融資本である。

 また、経済のモメントは「差異」から生じる。水力発電が高い位置から水を落とすことでエネルギーを得られるように、経済格差金融資本にとってよりすぐれた利潤をもたらす。資本主義理論では財や資源が再配分され、それはやがて平準化されるという理論があるが、金融資本がコントロールする市場主義下では金融資本に有利なように財の不均衡が維持される。

※2:金融危機の際は、その金融機関の損切が一定程度為されれば経済は底を打つと思えた。また、災害ももちろん不幸なことであるのは違いないがやがて設備投資、社会インフラの整備が行われ、景気を刺激する元ともなる。しかし、例えば建設資材においても、ある程度海外製品、海外半製品が使われ、更にそれらが特定のメーカー商社に偏れば国内への波及効果は削減される。
 また、原子力発電の先行きであるとか、東電の処理、その先にある各地域発電の先行きも不透明であることが、様々な産業投資意欲を殺いでいるようだ。

 これらの事柄の方向性が、社会の中である程度の共通認識にならないことが、どのようなプランにとっても立ち止まらせる要素となっている。

 そして、更に申し添えるならば。これらの事柄の動きを見ていると「収穫逓増」の荒っぽい選別が広がっているように思える。各事業、各業種にとってトップランナーと2位の間の差が広がり、更にその下のシェアは下がるという流れが生まれているように思われる。

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2012-01-21 戦いの世を望むものは誰か

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河村たかしの誤り, 新自由主義


 今日は、軽めの話を。
 もう、一昨年になってしまいますが、映画十三人の刺客」がリメイクされました。

十三人の刺客 通常版 [DVD]

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 旧作(というか原作)はこちら。これもすばらしい。

十三人の刺客 [DVD]

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 監督の三池崇史氏は色々と「悪知恵」が働く方で、鑑賞者の心を動かす技に優れている。この作品も、判っていてそういう監督の手のひらに乗っかると、優れて楽しめる作品に仕上がっている。(巷間言われるように、牛のシーンと、役所広司のあごの下と、松方弘樹のお腹周りはなんとかしたかっただろうけど)

 特に、敵役、松平左兵衛督斉韶を演じたSMAPの稲垣吾郎はすばらしかった。
 その斉韶侯が、戦いの中で部下の鬼頭半兵衛(市村正親)に向かって独白するシーンがある。
 
「半兵衛、戦の世とはこのようなものであったのかのう。
なかなか良いものじゃ。

死が近づけば人は生きることに感謝が生まれる。
無駄に生きるだけなら、この世はなんとつまらぬところか。

そうだ半兵衛、良い事を思いついた。
予が老中になった暁には、再び戦の世を在らしめる事にしようぞ」


 この時の市村の苦悶の表情も見事だ。


 今、この国にはこの斉韶と同じような台詞が渦を巻いている。

 「市場の中で行われる自由競争によって社会は選別されて、効率よい社会が生まれる」
 「自由競争資源の適正配分を促す」
 「自己責任
 「グローバル市場に打て出て、競争に勝ち抜くのが日本の生きる道である」

 確かに、この世の中は戦いであることは否定しない(というか、自分はリバタリアンとしてこの争いの中で争奪戦を繰り返してきた)
 しかし、やはり自由競争と公正な競争というのは違う。
 そして、今、この国で行われている、そしてグローバル市場で行われている金融資本主導の「自由競争」とは、公正な競争とはいえない。

 それは、スティグリッツなどが指摘するように、利益を特定の個人や資本の専有に納め、損失は広く公的なものに押し付けるアンフェアなものでしかない。

 そして、日本がこれ以上グローバル化するというのは日本における金融資産を、この金融資本に差し出すという行為でしかない。

 競争は適正な規模でよく、
 そして、重要なことは、
 その競争地方自治には持ち込まれないことが重要だ。

 確かに実態としては地方自治においても競争はある。
 資源の奪い合いはある。(迷惑施設の設置場所とかね)

 しかし、それが「地域の事は地域で」というきれい事で解決が付くわけがない。

 地域において争いを顕在化させれば、生活そのものができなくなってしまうのだ。
 それが地方自治の大きな問題である筈だ。

 何でもかんでも「民主主義的」に解決が付くようなら誰も悩みはしないのだ。

f:id:ichi-nagoyajin:20120122125039j:image:w360:right いたずらに競争を言い立てるもの。多数決を言い立てるものに、
 つまりは新自由主義的な争いを地域に持ち込む者に、地方自治は任せられない。

 さて、橋下市長が主導する「大阪維新の会」が衆議院選挙で400人程度の候補を擁立すると息巻いている。

 河村市長減税日本においても候補擁立の意思はあるようだが、その作業は捗っているように見えない。自ら「自由競争」を言い立ててきたのだから、こうやって負けることになっても、恨み言は言いっこ無しだよ。




 新自由主義者というのは、こういったもので、
 利益は自分のものとする。
 勝っている間は自由競争万歳。
 勝ったのだから、俺のもの。となる。
 しかし、負けた途端に前言を翻す。
 つまり、損失を公的なものに押し付ける。
 まあ、そうは言ってもこれぐらいは認めてくれ。
 そもそも公正な競争ではなかったのではないか?
 実に、見苦しい。

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2012-01-20 議決取り消し訴訟

議決取り消し訴訟CommentsAdd Star

河村たかしの誤り


 この記事は1月19日に起きた判決について書いています。19日分が本論に入る前の話だけで一杯になってしまったので20日分に掲載する事にします。

 ここでは遠慮会釈無く長文になる可能性もありますし、法律論ですので退屈なことは保障します。

 本日(19日)にあった判決は二つです。
 「平成23年(行ウ)第32号 議決取消請求事件」PDF
 「平成23年(行ウ)第33号 議決取消請求事件」PDFです。(※1)

 この内の「 第32号」が「名古屋市公開事業審査の実施に関する条例」つまり、「名古屋事業仕分け」と呼ばれる外部事業審査についての市長議会の争いであり。
 「第33号」が「中期戦略ビジョン」に関する市長議会の争いとなっている。

それぞれの経緯

名古屋事業仕分け

 「名古屋事業仕分け」( 名古屋市公開事業審査の実施に関する条例 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0
)とは、それまで事業評価(行政評価)は市当局が内部で行っていた。( 名古屋市:これまでの行政評価の取組み(市政情報)  )この内部評価でもそれなりの成果は上がっていたのだが、市当局内の評価だけでは「お手盛り」という批判は免れない。市民や議会の参加を得て、外部者による行政評価、事業評価を行おうというのがこの「名古屋事業仕分け」といわれるもので、民主党政権が行った「事業仕分け」にヒントを得ているのは間違いない。

 この「事業仕分け」について議会が提案したところ、市長からの拒否にあい、知事査定を経て、知事議会の判断を支持したのだが、それでも市長は納得せずに裁判に訴えたと言うのがこちらの経緯になる。

「中期戦略ビジョン」

 もう一つは「中期戦略ビジョン」名古屋市は元々長期的な経営戦略経済戦略の元に市政運営を行ってきた。それが「総合計画」といわれるもので、昭和52年から順次受け継がれてきた(名古屋市:総合計画(市政情報) )平成22年度までが「名古屋新世紀計画2010」と呼ばれる計画で、 次がこの「中期戦略ビジョン」となっている。( 名古屋市:名古屋市中期戦略ビジョン(市政情報) )
 この「中期戦略ビジョン」は河村市長マニフェストから28施策を、市民アンケートから33施策を、長期的な展望にたって継続されている施策として5施策を盛り込んだ。45施策で成り立っている。

 この「中期戦略ビジョン」について、議会が修正を加えた。ご覧頂けばお分かりになるけれども、本質的な修正とはいえない。”訴状(別紙に 修正箇所一覧がある)”

 この修正について河村市長は不服として再議を要求し、議会は再議においてもこの修正を支持した。それに対して河村市長知事裁定を求めるが、知事議会の判断を支持したことから裁判に訴えたと言うのがこの訴訟となる。

 知事裁定を求めるという辺りから二つのテーマが同じ道を歩んでいるが、これはちょうどこの頃市長議会が対立を起し。というよりも、市長議会に対してリコールを持ち出してまで対立を演出しだして、議論や折衝、調整が効かなくなっていた事を表している。

 私はこのブログで「中期戦略ビジョン」については何度も触れている。河村市政にとって、中長期的な街づくりとか産業振興の政策が無い。これを聞くとすぐに「減税で民の竈を・・・・」というテープレコーダーのスイッチが入るだけになる。(※2)
 具体的に街づくり産業振興を行うためには、この「中期戦略ビジョン」にそって各年度に施策を実施する必要があるのだが、結局そういった経済政策よりは政局が優先され、あげくこういった基本政策が裁判所に入ってしまって無効化する。河村市長の判断は誰のためのものだったのだろうか。

何が争われ、何が判断されたか(1)

中に入る前に

 では、何が争われ、何が判断されたのか。中身について見て行きたいと思う。

 ありがたいことに判決文はそんなにややこしくない。こういった訴状を読み慣れない方でも充分理解し易い上に扱われている問題が特殊な問題ではない。勿論、「地方自治」やら「行政」について何かを語ろうという程度の方であれば理解できて当然のレベルであろうと思われる。その上文章が平易でわかりやすい。(そうだよね、減税日本ナゴヤ市議の諸君、またはナゴヤ庶民連、および河村支援者の諸君。理解できるよね?)

 また、本来であれば訴状原告側(この場合河村市長/市当局))を読み込んで、それに対する被告人の意見書なりを読むべきなんだろうけど、この判決文に、それらの文章から有効な論点を汲み取って整理して示されている。この判決文を読むだけで、この裁判における(裁判長から見た)事実関係が一目瞭然と成る。

 裁判長に全幅の信頼を置くとすれば 、この一文だけで裁判の全てが網羅されている。

 「 第32号:名古屋事業仕分け」と「第33号:中期戦略ビジョン」の両文書が同様の構成になっており、これも理解を助けてくれる。

 これから「 32号」についてもう少し中身に踏み込んで見ていきたい。「33号」については、この「32号」で見た詳細を利用して、論点だけを摘出してみる。「33号」は「32号」よりもページ数は多いが、実は論点は3つ程度に集約されることが判る。

判決文の構成について

 「32号」の判決文12ページをざっと読んでいただけば内容は簡単で、河村市長の主張が間違ってましたということなんだけど、納得できない人もいるかもしれない。

 この文章は次のような構成になっている。
 判決主文・・・結論、原告(河村市長)は間違っていましたよ
 第1 請求・・・裁判を起した人(原告:河村市長)は何を求めて裁判を起したか
 第2 事案の概要
   1 概要・・・(とりあえずは置いておいていい)
   2 前提事実・・・(これもとりあえずは置いておいていい)
    (1)当事者・・・当事者は誰か
    (2)本件議案に至る経緯・・・経緯は上に書いた通りなので斜め読みで
    (3)本件訴えに至る経緯・・・斜め読みで
   3 争点及びこれに関する当事者の主張・・・ここから大切
   原告の主張)・・・河村市長/市当局の主張

 (この部分が最も重要となる。なので、のちほどもう一度詳細に見ます)

   (被告の主張)・・・議会側の反論

 (反論が展開される。原告の主張、被告の主張ともに、この判決文に盛り込まれた部分については裁判長が判断材料に足ると認定できた主張で、ここに記載されなかった事柄は重要度が低いか、論点とならない事柄と判断したといえる。
 もし控訴するとしたら、例えば今回敗訴した河村市長側が、提出した訴状に書かれていることでこの「(原告の主張)」に盛り込まれなかったような事があって、それが判決に影響していると主張できるような場合とも思われるけど。実際にはなさそう)

 第3 当裁判所の判断

 (以上を踏まえて、裁判所の判断が記述されている)


 つまり、もう一段楽チンをしようとすると、この場合(原告敗訴なので)原告の主張と、それを退けた裁判所の判断を読み比べれば何が争われてどのような結論に至ったかが判る。

実際に「32号」について論点を摘出してみよう

 「(原告の主張)」から論点を摘出してみる。( ”参照” )

 (1)事務執行は長の専属的権限に属する。
    議会がその手続・方法等に関して条例により個別具体的に規定し、
    長の判断に拘束を及ぼすことは、議会の権限を超える。

 (2)事業審査の実施に係る事務(本件事務)は、長の専属的権限に属する。
    (地方自治法148条、149条9号)(※3)
    議会が個別具体的に規定し、長の事務執行を拘束したり、
    長の柔軟かつ機動的な事務執行の妨げ(となる条例を制定することは)
    議会の権限を超えている。

 (3)本件条例は本件事務について個別具体的に規定しているので
    本件条例を制定した議会は権限を超えている。
    ア 本件条例3条2項
    イ 本件条例3条3項
    ウ 本件条例3条4項

これらに対する「当裁判所の判断」

  事業審査の実施に係る事務(本件事務)は、地域における事務に当たるから、上記(1)の地方自治法の規定により、被告議会)は、本件事務に関し、法令に違反しない限り、条例を制定する権限を有する。(※4)

  原告(河村市長/市当局)は主張の(2)において、地方自治法148条及び149条9号を根拠に「事業審査の実施に係る事務(本件事務)は、長の専属的権限に属する」と主張するが、これらの規定は、本件事務が議会の関与を許さない長の専属的権限に属する事項であるとする根拠にならない。

 そもそも憲法及び地方自治法は、議事機関としての議会と執行機関としての長を、いずれも直接民意に基礎を置く住民の代表機関として対立させ、相互に抑制により均衡を保つことを通じて、地方公共団体の適正な運営を図ろうとしていると解されるのであって(憲法93条、地方自治法第6章、7章参照)このことからすれば、議会が執行機関の行う事務について監視する権限を有することは、当然のことであり、(略)議会がこうした監視権を有することに照らしても、本件事務が、議会の関与を許さない長の専属的な権限に属する事項であると解することはできない。

  ア について、事業審査を経なければ事務事業を処理する事ができないという関係にはない。
  イ について、事業審査を法的に義務付けるものではない。原告(河村市長/市当局)が趣旨を尊重し、事業審査を実施するよう規定している。更に、事業審査の具体的な実施方法、内容等については、原告の判断に委ねられている。

  ウ について、誰を審査人として委嘱するかについては、原告の判断に委ねられている。

 本件事務は、議会の関与を許さない長の専属的な権限に属する事項であると解することはできないのであり(議会に監視権が与えられている)原告(河村市長/市当局)に事実上の拘束や制約があることなどをもって、原告の権限を不当に侵害するものであるとはいえない。

 以上のように原告(河村市長/市当局)の請求は理由が無いから、これを棄却する。

何が言えるか。

 上の「(原告の主張)」(1)~(3)をそれぞれ次のように言い換えてみる。
 (1)事務執行は長の専属的権限ではないか?
 (2)議会が個別具体的に規定し、長の事務執行を拘束したり、
    長の柔軟かつ機動的な事務執行の妨げをしてはいけないのでは?
 (3)これらの事柄は個別具体的に長の事務執行を拘束して妨げているのでは?

 それに対して、裁判所の判断は、事務執行は長の専属的権限であるにしても、それに対して監視・検査を議会が行うのは正当なことであると指摘している。これは当然で、行政の内容について選挙で選ばれた代表者、議会がチェックして始めて民主的な運営ができるというもので、憲法において議会は規定されているが首長が規定されていない事情もここにある。
 そもそもこのように執行権者の執行を何人も妨げてならない、チェックをしてはならないとするならば、行政など独断と専横がはびこるのは理の当然だろう。
 河村市長はそのような事を主張する気なのだろうか?

 そして、(3)について、この事業仕分けの実施を規定した3条の各項目について、あたかも河村市長は市の事務ががんじがらめにされるような主張を展開するが、よく条項を読んでいただけばそのような強制力が無いことがわかる。それどころか内容については河村市長側の良識を信頼して市長に任せているのだ。

 つまり、(1)(2)においては、二元代表制の首長議会の関係についてもっと真摯に理解しようと努めていただければ、このような訴訟は必要なかったことになる。
 また、(3)については条例の条項をしっかりと読んでいただければこの訴訟は必要なかった。

 つまり、地方自治法に対する理解と文章の読解力が問題の根源にあると思われる。

「33号」中期戦略ビジョン

 実は、この問題は「33号」において更に顕著になる。
 「33号」においての争点は大雑把に言ってしまうと、市長が提案してきた「中期戦略ビジョン」について、不明確な部分やふさわしくない表現などがあったので議会で修正して可決しようとしたところ、その修正が議会の権限を超えていると市長が拒否したことに端を発する。
 特に、修正によって計画の意図がゆがめられるような場合には、それは提案者としての市長の権限を侵しており、逆に単なる字句の修正にとどまるような変更も議会の権限を超えている。と河村市長は主張する。

 ところが、この「中期戦略ビジョン」(基本構想)に対する扱いは、それに先立つ22年3月に no title として、その扱い方を条例によって規定している。勿論、これの公布に当たっては市長承認を得ている(こちらも再議とされたが後に制定されている)

 と、するならばやはり総合計画の策定については首長に専属的な権限を附しているとは言いがたく、議会の修正権についても認められるべきであり、更にそれが修辞的な字句の訂正に留まっていても許される。

 そもそも河村市長の、二元代表制における首長議会というものに対する理解が誤っていたと言う以外にない。

 実は、この問題は本当は極めて深刻な事態を意味する。
 つまり、河村市長地方議会における首長議会の関係性、その両者がそれぞれ住民から選ばれて存在するという意味をそもそも勘違いしていたという事になる。すでに十数年に渡って、国会議員を務めてきた人物が、このような基本的事項を理解していないなどとは信じがたいことだが、その他の言動を見てみるとその疑惑はより深く理解できる。
 とすると、あのリコール運動。議会を解散させた運動は、河村氏の誤解から生じたということになる。実際に、あのリコール運動で、河村氏は既存議会を否定し、その議席を入れ替えなければならないというような主張をした。そして出来上がったのが「減税日本ナゴヤ」という政党会派であるが、その減税日本ナゴヤ名古屋市民にとって正体も見えない、存在意義も見出せないのは明白である。

 その理由は、河村氏の地方自治に対する無理解から来ているからである。(※5)

 河村氏も議会に対して不満を持っていた。この訴訟に見られるように、首長の執行に制限を加える存在として不満を持っていたのであろうが、その制限こそ憲法議会を定義した理由である。(地方自治法ではなく、憲法であることに注意)河村氏の不満は、河村氏の理解と、憲法から来る現行制度の現実との相違から来ている。
 なので、あのように小手先のリコールを行って議会の構成を変えようとも、議員の報酬を減額して、議員になろうというような者を減らし、議会の力を殺ごうとしても結局同じである。

 またここから、細かく個別的な修正点についての認定が始まるが、問題の認識としては上で述べた「32号」と同等である。

 個々に見ていくと例えば「冷暖房のいらないまち」という表現を「冷暖房のみにたよらないまち」と議会が修正したことを問題としているが、基本方針のなかには「冷暖房のみに頼ることなく」と自らが記載している。つまり、ここで表現がぶれている。
 また、委員会審議において「いらないまち」というのが実際に10年後に実現できるのかという問いかけに「あり得ない」という答弁がされている(こりゃ、常識だろう)ならば、ここで「~のいらないまち」よりも「~のみにたよらないまち」の方が整合性がある。その上現実的だ。このような修正をわざわざ裁判にまでかける事かね?

 本来、報道はこの辺りまで深く掘り下げてみてもいいだろう。
 この原告主張は、原告自身における地方自治法の理解の浅さと、日本語の読解力、表現力の問題を表してるだけで、そのような事で、名古屋はこの数年間、経済政策を進める基本構想不在のまま市政運営をしてきたのである。

 この裁判訴訟費用だけで150万円、愛知県は50万円の費用を支出しているそうだ。その金額が無駄になっただけでなく、その間の市政の空白は取り返しようが無い。
 その原因が河村氏という奇異な人間の上記のような能力の不足から来ているのである。


 この訴訟について、名古屋市法律顧問である弁護士の方々は訴訟の成立を危ぶんだそうだ。この判決文に名前を連ねる事となった弁護士さんも、訴訟の前から「負け」は覚悟していたらしい。お仕事とはいえ大変なことだ。

 昨年12月には河村市長からこの訴訟の取下げが打診もされているようだ。

 この判決を受入れておくか、控訴して確定を先延ばしにするか、まだ判断はわからない。

 比較的市民の間の反応は鈍い、静かなものだ。だいたい、司法判断に対しては市民の反応は鈍い、その意味を伝える報道によって左右される事は否めない。

 なので、ここはこのまま敗訴を受入れて話題がフェードアウトするのを待つ方が得策かもしれない。控訴すればもう一度司法判断が下されて話題に上るのだから。

 というよりも、控訴されればそれだけ市民の税金が無駄に浪費されるのだから勘弁願いたいが。

 どちらにせよ、衆議院の解散を横目で睨んでの判断になるのだろう。
 名古屋市民の為というような視点はない。



※1:この「行ウ」というのは、「事件記号符号」と呼ばれるもので、行政訴訟であって、第一審(地方裁判所から始まり)ですよと言う事になる。高等裁判所に持ち込むと「行コ」となる。

※2: 減税政策そのものは、最初は行政改革の手段だった筈だ。
 つまり、歳入を絞り、公債発行もできなくなれば行政は事業を削減する。つまり、行政事務を縮小するためには歳入を絞り込むべきだという発想から、財源である税そのものを減税し、行政改革を進めるというアイデアだったのだろう。しかし、「10%」と言われた減税と言うのは、実は「0.6%」であり、歳出金額ベースで言えばわずか「1%」に過ぎない。その為に本格的な行政の「リ・ストラクチャリング」といったようなものは起こらずに(現に、河村市政において、名古屋市の大胆な組織改変は行われていない)各局、各課がそれぞれの予算を一定程度削減するシーリングが行われているだけである。

※3:地方自治体の長は、事業審査の実施に係る事務の専属的権限を持っているか?

地方自治法 第148条 普通地方公共団体の長は、当該普通地方公共団体の事務を管理し及びこれを執行する。

地方自治法 第149条 普通地方公共団体の長は、概ね左に掲げる事務を担任する。
       :
 9 前各号に定めるものを除く外、当該普通地方公共団体の事務を執行すること。

※4:議会議決権についての地方自治法上の根拠

地方自治法 96条 普通地方公共団体議会は、次に掲げる事件を議決しなければならない。
   1項1号 条例を設け又は改廃すること。
        ↓
地方自治法 14条1項 普通地方公共団体は、法令に違反しない限りにおいて第二条第二項の事務に関し、条例を制定することができる。
        ↓
地方自治法 2条2項 普通地方公共団体は、地域における事務及びその他の事務で法律又はこれに基づく政令により処理することとされるものを処理する。


※5:実は、このような事例は大阪における橋下市長(前知事)の改革にも言える。
 改革を訴えるものは、現行制度を理解して、その制度の問題点を指摘しているように見えるが、実は違うことが多いようだ。
 つまり、現行制度と、その現行制度の問題点は、その問題点を引き起こす裏にある事情を支えるためにある場合がある。つまり、その問題点を単に修正するだけではその修正によって引き起こされる別の問題がより深刻になる。

 例えば、大阪府教員に対して相対評価を行い、一定期間最低評価を受ける教員は首と言うような案が提出されているが、このような制度が導入されれば教師間は首のかかった競争相手となる。教員室から毎年一定程度の「犠牲者」を出さなければなら無い事になる。
 このような関係性を教師間に持たせれば、教師間で相互に行われるノウハウの伝授はなくなる。つまり、新任教師に対して現場の知恵を授ける者が居なくなってしまう。
 やがて、各学校から新任教師(1~5年程度)が一定程度首となると言う現象が固定化されることだろう。この期間をうまく乗り切れてもその教師は様々なノウハウを得ていない。学校の現場などというものは、人間を扱うのであるから、こういった文字にできないようなノウハウの宝庫である筈だろうが、そのノウハウが消えてしまうのだ。

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2012-01-19 裁判-中京都-陸前高田

裁判-中京都-陸前高田CommentsAdd Star

河村たかしの誤り


 うわ!ビックリした。自分のブログを開けたら突然、自民党谷垣総裁のバナーが表示されて、「自民党 Lib Dems 伝えたいことがあります」ときた。これは、Google AdSense の影響です。同サービスがこのサイトを政治に興味を持つヒトが見るサイトだと判断したためでしょう。しかし、自民党Google AdSense にお金出してまでこうやって広報掛けているんですね。

 言っておきますが、私が自民党を支持していて、それでバナーが出ているわけではありませんよ。そう思われると自民党には不利益になるかもしれない。

 本日はまず、裁判のお話から。
Google ニュース
 ↑このリンクは、自動的に「タイトル」を読み取ってきます。Google が収集したニュースキーワードで抽出したもので、本日の判決だけでなく、すでに陸前高田へ河村市長が出かけたニュースが混ざっていますね。
 この裁判ニュースが流れるから、昨日無理やり(予算審議直前なのに)陸前高田に出向いたのでしょうかね? (実は、河村市長は、市長として大切なところには行っていないのではないかという疑惑(?)があるのです。そっちには行かずに陸前高田には行くのね)

 陸前高田の話題は後ほど触れます。

 この裁判判決を聞くために本日、名古屋地方裁判所に行ってきました。1102法廷。開廷は時間ピッタリ午前10時。その他の案件も幾つかあったようで、次々と判決主文が読み上げられて、最後に2つ「原告名古屋市長、河村たかし被告名古屋市会」という主文が読み上げられました。いずれも「原告の請求を棄却する」つまり、河村市長の「負け」ということになります。

 いまから、少々ややこしい事もいうかもしれませんが、その前に指摘しておきましょう。

 この報道の中で読売お知らせ : YOMIURI ONLINE(読売新聞)  と毎日 社会 - 毎日jp(毎日新聞) は報じていましたが、裁判の感想を聞かれた河村市長「なかなか行政が一度判断したものを裁判でひっくり返すのは難しい(読売)」「行政がいったん判断したものが裁判でひっくり返るのは難しい(毎日)」と言ったようですね。これ奇異に感じませんか?

 この裁判を提訴したのは河村市長ですから、裁判で「ひっくり返そう」としたのは河村市長ですよね。そのひっくり返そうとした対象物が「行政が一度判断したもの」(?)
 議会議会行政ではないですよね。
 というより、地方自治において行政とは首長そのものですけどね。
 この判決のおかげで今日は法律の条文を読み続けているのですが、地方自治法の規定を見ると。

第百四十九条  普通地方公共団体の長は、概ね左に掲げる事務を担任する。
        :

第百五十三条  普通地方公共団体の長は、その権限に属する事務の一部をその補助機関である職員に委任し、又はこれに臨時に代理させることができる。
○2  普通地方公共団体の長は、その権限に属する事務の一部をその管理に属する行政庁に委任することができる。

 つまり、事務を行うのは長(執行責任)で、代理させたり、委任させたりしてもいいというだけの事なんですよね。この地方自治における首長の責任というのは異常なほど重いですね。他の、例えば警察組織なんかですと司法警察員(※1)に一定程度の権限を与えています。しかし、地方自治体においてはこういった「判断/責任」は首長が負う事になるのですよね。

 昨年、守山の吉根地区で浸水被害が発生し、その後に河村市長が現地を訪れました。その際、河村市長が「今日は、名古屋市防災の偉い様を連れて来たので、よく話してちょう」と言ったといいます。あそこにあった水門の管理責任者名古屋市長である河村氏ご当人なんですが、他人事のようですよね。当事者性が無い。

 この判決に対する感想と、守山の水害の後の発言を勘案すると、河村市長は、実は名古屋市行政における執行権者が、自分であるという事が判っていない可能性が無いかな? 
 または、理屈では判っていても執行権を「腹に治めていない」

 彼は「総理を目指す男」とか言っていましたが、ず~っと、野党国会議員なんですよね。民主党内で推薦人20人を集められなかっただけでなく、いままで非自民のスタンスを貫いた(というか、結果的にそうなった?)上に、内閣に入ったことが無い。
 なので執行者、執行権者としての動き方、責任の重さを味わったことが無いのかな?

 そもそも法律の解釈がおかしい。
 減税論で経済理論の解釈がおかしいことは判ったけれど、この裁判や一連の行動で地方自治法法律の解釈の仕方がおかしいことが露呈しました。(※2)

 そもそもなぜ民主党代表選で推薦人が集まらなかったか。「ほかの議員に嫌われ、無視された議員時代のむなしさ」(2009年6月24日の発言)を味わった理由は何か。

 裁判の詳細については1月18日分のエントリーに書くことにしましょうか。周辺の感想をアレコレ書いていてリミットに近づいてきました。

 更に本日は中京都構想についての所管事務調査が有ったわけですかね。総務環境委員会で河村市長も参加して議論されて。そこで名古屋市を拡大して400万人にするという案が出されましたね。名古屋解体するだの、拡大するだの中間自治体がどうとか。大阪の都構想もそうですが、さっぱり全容がつかめない話ですね。

 この中で河村市長は「名古屋共和国」というような事も言っていますね。独立だ!とかね。いよいよ「地域政党」の勢いをかって、小沢派に乗っかって民主党代表選に祭り上げてもらって、(小沢氏の振り付けで)総理になってみよう。という構想が崩れてきているので、日本国総理は諦めて「名古屋共和国」の初代国王にでもなるのですかね。

 まあ、名古屋市民があいも変わらず河村マジックに騙されるのであれば好き勝手にしてください。そんな国が出来たら私は瀬戸内海で漁師をさせてもらって暮らします。

 名古屋共和国、独立という話の中で、必ず出てくるのが「名古屋市民の納めている税金」「上納金」があって、それを名古屋市民が使えないのはおかしい。というような話で。こういった「豊かな者だけが、その豊かさを享受できればいい」「自己責任」「地域の事は地域で(他の地域の事は知りません)」という、もはや自由主義でもない自由主義。あるいは個人主義利己主義が河村流民主主義、河村流自由主義の根底にはある。

 減税を期に、周辺自治体から高額納税者名古屋に引っ越して来る。というような酷い事を平気で言える。イチロー選手にとっての豊山町や、鳥山明氏にとっての清須市の関係なんぞ無視した幼稚な発言も極まれりといった趣だけれど。

 名古屋の市民が豊かな暮らしが出来るのも、豊田市がしっかり稼いでくれるからで、豊田市がしっかり稼げるのも、日本各地の各種の産業が連携しているからだろう。その先には東北の農村で収穫された野菜などもあるだろうし、日本海側で、今頃は豪雪で苦労されている地方の産品もあるだろう。

 映画七人の侍」のあのシーンを思い出す。
 七人の侍では三軒の離れ屋が防衛線の外にあり放棄せざるを得なくなる。三軒の村人にしてみれば大きな自己犠牲だ。利己的に考えた場合、果たして自分の家まで放棄して村の存続に協力する意味はあるのか?やがてこの村人は共同の訓練を放棄しようとする。
 ここで、志村喬演ずる島田勘兵衛はこの農民に訴える。

f:id:ichi-nagoyajin:20120120030023j:image:w360:left 「離れ屋は3つ、部落の家は20だ、3つのために20を危うくはできない、また、この部落を踏みにじられて離れ屋の生きる道はない、戦とはそういうものだ、他人を守ってこそ自分も守れる、己のことばかり考える奴は己をも滅ぼす奴だ」

 今、名古屋は豊かだ。しかしだからといって名古屋負担している税を、名古屋だけで使ってよいものだろうか。名古屋名古屋だけで生きているわけではない。所得の再配分とはこの名古屋自身を生かすためにあるのだ。

 「他人を守ってこそ自分も守れる、己のことばかり考える奴は己をも滅ぼす奴だ」

 本日、中京都構想の議論で、またぞろ河村市長はこの税の独立を語っている。
 その一方直前には、陸前高田へ出向いて支援の継続を約束している。

 河村市長という人物の頭の中では、この両者はどのように整合しているのだろうか?



※1:警察官刑事訴訟法には「司法警察職員」とされます。この中で司法巡査司法警察員に分かれており、捜査の指揮は司法警察員しかできないとなっている。こういった区別で言うと、司法巡査は補助要員のような扱いになるのでしょうね。(実際にはもっと具体的に規定がありますが)
 テレビドラマ「踊る大捜査線」で最終回に、キャリア入庁の真下警部補が土壇場で警部に昇進して捜査権を握り、証人を確保するだかなんだかしたというエピソードがありました。あの境目が司法巡査司法警察員の境目です。(現実にはあんなアメリカ法廷劇のような劇的な逆転は起きないでしょうけど)

※2:まだ、議会報告会を開催しないようですが、議会報告会を政務調査費で行えというのも、地方公共団体という法人と、憲法の定める地方議会の意義が判っていないという以外ない。
 議会報告会を政務調査費(一旦、会派議員個人に公布されたもの)で運営したら、違法な寄付行為に当たるのではないか?

 あと、これも余分かもしれないが。本日「議会改革推進会議」も開催されましたね。その座長は第一会派の浅井団長でしたが、「議会報告会」の事をずっと「議会報告」と言っておりました。「議会報告会」というのは基本条例で定義された言葉ですから。
 こういった言葉をぞんざいに扱う文化が、減税日本ナゴヤが力を得られない根幹でしょうね。

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2012-01-18 柔道の中学必修化について

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名古屋市政, 減税日本ナゴヤ問題


柔道の中学必修化について
事故の公表を期に報道、論評が広がっている。

それを受けて1月24日に17日分の記事( フラジャイル - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0 )を補強しておく。

死者多発の柔道…中学必修化は大丈夫か?(2012年1月24日(火)17:00)

 中学1~2年の保健体育で4月から武道が必修化され、その科目に柔道が加わることが波紋を広げている。授業や部活動での練習中、生徒が事故に遭うケースが後を絶たず、野球やバスケットボールなど他のスポーツに比べて死亡確率も突出するからだ。指導する教師が危険防止を徹底できるのか。保護者ら関係者の不安は収まらない。

 名古屋市の市立高校で柔道部に所属する1年生=当時15歳=が昨年6月、部の練習中に頭を打ち、急性硬膜下血腫で死亡していたことが先週、判明した。市教育委員会では顧問の40代男性教諭の指導方法に問題はなかったと説明するが、柔道経験は少なかったという。

 名古屋大の内田准教授教育社会学)がまとめた柔道事故の調査では、1983~2010年度の28年間で114人の中高生が死亡し、後遺症が出る重篤な事故は83~09年度で275件にのぼる。

 10万人あたりの死亡確率(部活動・中学のみ)を見ると、バスケットボールが約0・4人、野球とサッカーが約0・3人に対し、柔道は約2・4人。多くは、頭から落ちて強打するなど指導する側の危険防止が徹底されていないことが一因だった。

 内田氏は「事故の焦点は生徒の『頭部損傷』に尽き、これに対する指導者の認識と知識が甘いことから、多くの犠牲者が出ている。柔道連盟の努力などで指導現場の環境も改善されつつあるが、十分な知識や対応策を理解していない教師は多い」と問題視する。

 「全国柔道事故被害者の会」副会長で、柔道事故で親族を亡くした一人でもある村川義弘氏(50)は「いまの教育現場では、数日間の研修しか受けていない柔道未経験の体育教師が、年間10時限の授業で受け身から投げ技、乱取りまで生徒に教えていいことになっている」と指摘。「10時間といえば、民間の道場なら受け身を覚えさせるのが精いっぱい。明確な安全基準が統一されないまま必修化が見切り発車する」と危機感を抱く。

 「スポーツによる健康な国づくり」などを政策に掲げるシドニー、アテネ五輪女子柔道金メダリストの谷亮子参院議員(36)も「武道である以上、予期せぬ事故やけがが想定される。不測の事態の回避は、学校や指導者の責任や役割分担を決めた環境づくりが基本。生徒や保護者が安心して柔道の授業を受けられる土台作りを働きかけていきたい」と注視する。

 文部科学省では気力、礼儀、公正など武道としての特性を教育に生かすのが必修化のねらいとするが、指導する教師の技術も高められるかどうかは不透明だ。

■部活動や体育の柔道による中学、高校の死亡事例114件の分析  

     柔道固有         運動全般(突然死、熱中症など) その他不明 計 

    頭部外傷 その他(窒息など)

中学校 30 2 7 0 39 76.9% 5.1% 17.9% 0.0% 100%高校 44 3 22 6 75 58.7% 4.0% 29.3% 8.0% 100%計 74 5 29 6 114 64.9% 4.4% 25.4% 5.3% 100% ※内田良・名古屋准教授調べ

http://news.goo.ne.jp/article/fuji/sports/zak20120124008.html

内田准教授の資料はこちらの方が参照し易い。
柔道事故資料を更新しました | 全国柔道事故被害者の会
学校リスク研究所 -重点課題:学校舎における転落事故-

 この報道にあるようにたったの10時間で乱取りまでさせるような指導要領は事故を故意に引き起こしているようなものだ。
 というよりも、基本もない状態で乱取りなど単なる遊びでしかない。

 この実体を知って本会議で柔道の授業を勧めるよう要請したとすれば、湯川市議の他のスポーツに対する認識も甘いものと考えられる。彼のジムで事故がなければ良いが。

 記事にもあるように10時間程度であれば受身を覚えさせるだけで充分で、水泳の授業が一面、水難事故防止の意味を持つように、受身の習得は日常的な事故においても意味を持つ(実際、私は2~3回は助かっている)

 また、実際に柔道などの格闘技においては、体の柔軟性と首の筋肉を鍛えることは必須となるが、10時間程度でそれができるわけがない。
 更に、各授業が一時間であるとすると、実際に対戦形式で組むとすれば、それまでに一時間程度の準備体操と柔軟運動が必要となる筈だ。つまり、学校におけるカリキュラムで柔道が扱えるわけがない。

 あまりにも柔道を嘗めた行為としかいえない。
 これを進めた「柔道の専門家」というのは、子どもたちに碌な事前運動もさせずに組み手をやらせているのだろうか?

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2012-01-17 フラジャイル

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減税日本ナゴヤ問題, 新自由主義


追記:名駅西のゴールド・シルバー劇場が閉館するそうです。
残念です。
「さよなら興行」上映作品決定!|映画屋ブログ

減税日本ネタを2本


田山幹事長

 本当に、何をしに市議になったのか全然わからない田山幹事長ですが。
 去年の11月、市民税減税7%修正案が出された市議会本会議の後に、各会派を回って歩いたそうです。いわく「市議会の慣例を破って、10%原案と7%修正案両案に賛成を表明した議員を出してしまった事」を謝罪するという趣旨だったそうですが。

 その訪問を受けた各会派の担当者は、頭にハテナばかりが出たようです。
 そんな慣例は別に拘束されるものではないし、そもそも田山市議の発言ではこの6人が悪いような口ぶりではあった。しかし10%原案は減税日本ナゴヤ市議全員にとっても公約であったはずで、それを否決した22人の方がおかしいのではないの?

 慣例を破って混乱させたと、市会議員各派に謝る前に、市民との公約である10%原案を否決した22人が市民に謝るべきなんじゃないの?

 と、いうような事を言っても田山幹事長様はピンと来ていなかったそうです。

 河村市長市長として居るから「こんなもの」で済んでいますけど。彼が国政に逃げていったら「こんなもの」ではすまないですよ。田山さん!(電話して聞く相手も居なくなっちゃうし)

湯川市議

 話は深刻な事態を踏まえなければならない。
 本日、次のような報道があった。

柔道部の練習で頭打ち高1死亡 名古屋市立高、昨年6月

 名古屋市立向陽高校(同市昭和区)で昨年6月、1年生の柔道部員だった倉田総嗣さん(当時15)=同市瑞穂区=が、練習中に頭を強く打ち、約1カ月後に死亡していたことが分かった。

 市教育委員会スポーツ振興課によると、倉田さんは昨年6月15日夕、大外刈りの技の受け身をした際、後頭部を強打。2、3分ほど柔道場で休んでいたが、一人で立ち上がることができなかったため、指導していた顧問の40代男性教諭が救急車を呼んだ。

 倉田さんは近くの名古屋市立大病院に搬送されたが、7月23日、急性硬膜下血腫で死亡した。

 同校は、事故直後から夏休み前までの約1カ月間部活動を休止。その後、市教委は市立4高校に受け身の取り方などを指導する外部講師派遣するなどの再発防止策をとっている。

http://www.asahi.com/national/update/0117/NGY201201170009.html ]

 事故が起きたのが6月15日。
 その半月後ぐらいの名古屋市本会議において。
平成25年  2月 定例会-03月22日-08号

 湯川市議はこの問題にはご熱心なようで、実は同様の質問はこれが二回目に当たる。
平成25年  都市消防委員会-目次

 事故の経緯、再発の防止策。そもそも柔道を学校現場で扱うことがどの程度意味があるか。(私の私見では、柔道の受身は是非男女共に習得させる意味はあると思う。これは水泳の様に非常に実用的なスキルだ。私自身、多分これのおかげで何度か助かっている。しかし、競技としての柔道が学校教育で是非とも必要であるとは思えない。それに、用具の費用もバカにならないし)
 この事例をおろそかにしてはいけない。

フラジャイル

f:id:ichi-nagoyajin:20120117194723j:image:w360:right 本日、1月17日は阪神淡路大震災から17年となる。様々な人の人生を変え、人生を奪った震災から17年目だ。昨年の3月11日には東日本大震災の記憶も新しく、現場ではその傷もまだ癒えてはいない。

 日本という国土は本質的に災害に見舞われやすい。これは、ユーラシア大陸の東端にあって、太平洋に面しているという位置から来る運命のようなものだ。
 地球で最大の陸地と、最大の水面の境界線を為すこととなる日本列島には、毎年台風や、今でも激しく降り続く豪雪。更に地震津波が襲い掛かる。(津波を意味するTSUNAMIは国際語として通用するのも訳があるのだろう)
 これらの災害に対するに、ヒトには二つの方法がある。一つは、抗う方法。もう一つは受け入れる方法だ。抗っても抗いきれない災害に対して、いつしか日本の国土にはあらぶる自然と共棲する、受け入れる知恵が生まれてきた。
 それが建築物を永遠に使おうとせずに、立替えを前提とする、各神社などにおける「遷宮」という儀式であり。各木造建築においても衝撃に耐えるというよりは、その衝撃を受け流すという建築の知恵となって盛り込まれているようだ。
 そもそも、ヨーロッパの様に石と土による建築が発達しなかったのも、日本という国土の条件によるものだったのだろう。
 このような「姿」を「フラジャイル文化」として捉え、日本文化の特性を説き起こしたのが松岡正剛氏であるが、その優れた論考は、直接松岡氏の著作などで触れていただけば良い。私が解説しても仕方がない。

フラジャイル 弱さからの出発 (ちくま学芸文庫)

フラジャイル 弱さからの出発 (ちくま学芸文庫)

山水思想―「負」の想像力 (ちくま学芸文庫)

山水思想―「負」の想像力 (ちくま学芸文庫)

 現在では、この日本においても石と土の建物が街にひしめくように建っているが、日本の国土に合っているかどうかは疑問が残る。そもそも柱や梁がとんでもなく頑強に作られているだろう。香港などに行くと、恐ろしいほどにひょろ長いビルに出くわす。柱も申し訳程度にしかなかったりする。あの香港のビルと日本のビルを見れば、その差は一目瞭然だ。

 日本都市創造、建築物には独特のコストがかかる。

 ここで、グローバル経済を肯定して、国際社会における<自由な競争>を勧める人々に伺いたいが、あなた方はこのコストの差について配慮されていますか?

 TPP議論において、日本段々畑オーストラリア米国の大規模農業の間で<自由な競争>をしろという議論は、誰が見ても詭弁の一歩手前であることは疑いを得ないだろう。

 こんなものは<自由な競争>ではあるかもしれないが、<公正な競争>であるはずが無い。


 コンピューターがもたらした情報(記憶の外部化)に対するイノベーションが、全世界的な産業のあり方に変革をもたらし、コスト(生産コスト)の急激な下落を引き起こした。
 最初の価格の下落は、このイノベーションから起こった「生産性の向上(A)」であったが、この物価下落がやがて「結果」から「原因」に移ってしまった。

 つまり、物価の下落が結果ではなく、それそのものが直接の原因となり、さらなる物価の下落を引き起こし「生産性の向上(B)」を求めるようになる。
 この「生産性の向上(B)」とはつまり、人件費の削減である。(※1)

 (起点)人件費削減 → 内需の縮小(国内消費市場の縮小) → 売上げの減少 → 価格競争プライス・レース)の激化 → 更なる「生産性の向上(B)」の要求 → (起点)に戻る。

 「合成の誤謬」というよりも、あまりにもあからさま過ぎて馬鹿馬鹿しくなる。

 この「デフレの地獄のメリーゴーランド」を肯定し、「プライス・レース」の悪循環政治にまで持ち込もうというのが、河村たかし名古屋市長じゃないですか。(※2)

 まあ、そりゃこの際枝葉末節な事ですが。

 国政社会における<自由な競争>を求めるのは、この<自由な競争>で、有利な競争が出来る者だけだ。私たちが期待するのは<自由な競争>ではなくて、(まだしも)<公正な競争>であるべきだし、そもそも、適正な(ほどほどの)競争で充分ではないか。

 競争を激烈にして、コスト(B)を下げれば「幸せが得られる」というのは幻想でしかない。(※3)

 グローバル化する経済、壁の無い国際経済が幸福をもたらすのは、それこそ強大な米国金融市場に対してだろう。金融市場においては「獲得逓増」の原理が働き、この弱小島国にとって「公正な競争」すら実施される可能性は低い。(※4)

 発展する経済などにまやかされることはない。私が望むものは、発展する経済ではなく、安定的な経済であり、若者が(適正な範囲で)夢を持てる社会だ。



追記:これを読んだ知り合いから強烈なツッコミが入った。
今、欧州では日本製食品の禁輸措置が増えているらしい。
売れないそうだ。被曝のイメージがついているんだと。
自動車用などの鉄板も売れないとかって話もあったな。
今後、日本製品については厳しい放射性物質の残留に関するテストが課せられるだろう。つまり関税的には障壁が無くても、日本製品について非対称の障壁が作られる可能性がある。
特に、今後期待されるティシュ・エンジニアリングにおいてはこの問題は大きい。
こりゃ、完全に、「日本再生の鍵は国際社会における自由な競争」なんて言説は幻想でしかない。


※1:本来であれば、組織の改変を表す筈の「リストラ」(リ・ストラクチャリング)が、いつの間にか人員削減人件費削減に置き換わってしまった。

※2:自身の市長給与の低減、議員報酬の削減、税の減税。歳出の抑制。すべて「市長の安売り」「市会議員の安売り」「行政サービスの安売り」「行政の安売り」でしかない。彼の政策は完全にデフレ経済を加速させている。

※3:このように財の価値が日々刻々と下落していくという社会においては、人間の労働、努力、勤勉、奉仕も日々刻々と価値が下落していくということになる。
 この在り様が労働者や若者に対するモラル破壊は、深刻な深さを持っている。

※4:何度でも言う。金融資本のために経済があるのではなく、経済のために金融がある。経済とはそもそも「経世済民」であるべきで、その為の「手段の一つ」が金融でしかない。そこに資本が繋がり、金融資本が存在することも理解は出来る、しかし、これが<自由な競争>をと、実体経済にまで口を出し手を出すのは間違っている。
 一つの企業にとっても、その製造部門、開発部門、営業部門よりも、資金管理部門が利益を上げているようならその収益は疑ってかかった方がよい。
 昭和を彩る経済人なら、必ずこういった実体を伴わない収益を疑った筈だ。
 「浮利を追わず」と。

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2012-01-16 後片付けはちゃんと、余計な事はしないように

後片付けはちゃんと、余計な事はしないようにCommentsAdd Star

河村たかしの誤り, 新自由主義


追記(1月17日):はてな閲覧用アプリケーションに「はてなたっち」というものがあるらしく、パソコンでもこの画面は見える。常々、私のブログを印刷して読まれている方がいると言うお話を聞いているので、そういう利用をするのであればこちらの方が画面がシンプルかもしれない。
 パソコンから見るには /touch を付ければいいみたい。
 こちらからどうぞ → ”はてなたっちトップ画面”

平成23年8月22日 市長定例記者会見


 まずは軽めのネタから。
 中部電力が「名古屋グランパスエイト」のスポンサーを降りるかもしれない。せっかく昨年も後一歩という成績を収めたのに、大手の公式スポンサーに撤退されるのは痛手だ。

福島原発事故の余波でJリーグ名古屋グランパスにピンチ到来!

中部電力サッカーJ1リーグの名古屋グランパスの公式スポンサーから、撤退することが濃厚となった。
(略)
同社広報部によると、「決定ではない」と明言を避けているが、すでにグランパス側に撤退する意向を伝えており、今年のユニフォームが決まる今月末までに最終的な方針を決定するという。(※1)

http://npn.co.jp/article/detail/02240045/ ]

 経済状況に加え、原発事故対応でコスト増も予想されるのだろう。
 そうしたところ「昨年の9月ぐらいに、河村さんがへんな市長会見をやっていた記憶がある、グランパスのユニフォームを着て原発について無茶苦茶いっとりゃぁた」というタレコミがあったので、探してみました。

 9月ではなくて、8月22日のようです。

http://d.hatena.ne.jp/ichi-nagoyajin/files/%E5%B9%B3%E6%88%9023%E5%B9%B48%E6%9C%8822%E6%97%A5%E3%80%80%E5%B8%82%E9%95%B7%E5%AE%9A%E4%BE%8B%E8%A8%98%E8%80%85%E4%BC%9A%E8%A6%8B%20%E9%83%A8%E5%88%86%EF%BC%92.wmv?d=.wmv

8月22日(月曜日)、定例会見を始めさせていただきたいと思います。
f:id:ichi-nagoyajin:20090109174852j:image:w220:left これは、「名古屋市フェスタ ‐市民の力で東北仙台を盛り上げよう!‐」というイベントに出てきたときのグランパスのユニフォームでして、この12番というのは、イレブンのあとの12番目ということで、サポーターの代表の番号らしいです。なかなか、どえりゃあ雨の日で。
(略)
 要するに、電力会社というのは、いろんな意味で財界等にすごい力を持っとりまして、また、民主党関係も労働組合関係ですごい力を持っとりまして、みんな、若干、いろんなことを申し上げるのにためらうところですが、河村さんの仕事というのは、そういう市民やみんなが言いにくいことを代わって言うというのがわしの仕事だと心得とります。

http://www.city.nagoya.jp/mayor/page/0000026769.html

 まあ、この記者会見の所為だなんて思いはしませんが。
 落合監督の出身を、東京と思われていた(※2)自称熱狂的なドラゴンズファンの河村名古屋市長ですが、グランパスエイトのスポンサーは意識されなかったのでしょうかね?

 いえ、容赦ない発言は良いのですけど。ユニフォームを脱ぐ程度のケジメはあっても良いと思うのですよ。私にチクってくれたヒトの様に、違和感を感じる人って出てくると思うんですよね。



※1:このユニフォームは09年のもの。腕の「中部電力」の映り込んだ今年の写真が転がっていなかった。

※2:勿論、秋田県南秋田郡若美町(現:男鹿市)出身。和歌山県の対地町に「落合記念館」があるために、こちらと勘違いされている人も居るけれども、これは元々別荘だった関係らしい。


教育基本条例


 本日、最高裁において、所謂「日の丸君が代訴訟」の判決が出た。
最高裁第一小法廷 平成24.1.16 平成23(行ツ)242 停職処分取消等請求事件
最高裁第一小法廷 平成24.1.16 平成23(行ツ)263 懲戒処分取消等請求事件

 特に、裁判官宮川光治氏の反対意見は胸に来る。

 原告らは,地方公務員ではあるが,教育公務員であり,一般行政とは異なり,教育の目標に照らし,特別の自由が保障されている。

 すなわち,教育は,その目的を実現するため,学問の自由を尊重しつつ,幅広い知識と教養を身に付けること,真理を求める態度を養うこと,個人の価値を尊重して,その能力を伸ばし,創造性を培い,自主及び自律の精神を養うこと等の目標を達成するよう行われるものであり(教育基本法2条),教育をつかさどる教員には,こうした目標を達成するために,教育専門性を懸けた責任があるとともに,教育の自由が保障されているというべきである。

 もっとも,普通教育においては完全な教育の自由を認めることはできないが,公権力によって特別の意見のみを教授することを強制されることがあってはならないのであり,他方,教授の具体的内容及び方法についてある程度自由な裁量が認められることについては自明のことであると思われる(最高裁昭和43年(あ)第1614号同51年5月21日大法廷判決刑集30巻5号615頁参照)。

 上記のような目標を有する教育に携わる教員には,幅広い知識と教養,真理を求め,個人の価値を尊重する姿勢,創造性を希求する自律的精神の持ち主であること等が求められるのであり,上記のような教育の目標を考慮すると,教員における精神の自由は,取り分けて尊重されなければならないと考える。
 個々の教員は,教科教育として生徒に対し国旗及び国歌について教育するという場合,教師としての専門的裁量の下で職務を適正に遂行しなければならない。したがって,「日の丸」や「君が代」の歴史や過去に果たした役割について,自由な創意と工夫により教授することができるが,その内容はできるだけ中立的に行うべきである。そして,式典において,教育の一環として,国旗掲揚国歌斉唱が準備され,遂行される場合に,これを妨害する行為を行うことは許されない。
 しかし,そこまでであって,それ以上に生徒に対し直接に教育するという場を離れた場面においては,自らの思想及び良心の核心に反する行為を求められることはないというべきである。音楽専科の教員についても,同様である。

 まったく同意する。強くこの意見を支持する。
 私や国民一般がどう思おうと関係ないのである。その当事者が「思想及び良心の自由から拒否する」と思うことは強制できない。(※2)

 この問題について、大阪橋下知事(当時)は教育条例を制定して、踏み込んだ対応を取ろうとしていたらしい。
 実は、こういった問題について名古屋の河村市長は比較的リベラルな態度を維持している。(まあ、南京問題は横に置いておきましょう。ご本人も無かった振りをされているようですから、波風を立てる必要は無い。もうすぐ、閉店なんだし)

 しかし、逆に河村市長が国政に戻ってしまったら、大村知事大阪との連携を考慮して踏み込んだ行動を起すかもしれない。

橋下・大阪市長教育改革で連携、大村・愛知県知事に打診

 愛知県大村秀章知事は26日、教育行政への首長の関与を盛り込んだ教育改革を検討する方針を示した。22日に大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長から電話を受け、教育改革での連携を打診されたという。

 記者会見で大村知事は「教育こそ地域分権が必要だ。選挙で選ばれた知事市長が、その地域子どもたちの教育に責任を持つようにすべきだ」と述べ、担当課に検討を指示する考えを示した。

 また、大阪維新の会教育基本条例案について「過激な内容もあるが、たたき台として議論していけばいい。しっかり検討、協議していきたい」と述べた。

http://mainichi.jp/chubu/seikei/news/20111226ddh041010008000c.html

 こういった問題については、天皇陛下まで強制にはならないようにと仰られており。(※3)
 一水会鈴木邦男氏も「これじゃあ、君が代がかわいそうだ。ただ『強制』の道具にされているだけだ。左翼教師や『内心の自由』を持った教師を苛めるための道具にされている。『国歌』として大事にされていない。尊重されていない。まるで『拷問の道具』だよ。『踏み絵』だよ」と言われている。

 自身の思想信条を曲げて、「お上」の言うことならばと、諾々と従うような人を「先生」とは呼べないし、呼ばせたくない。このような事で節を曲げるような大人を子どもに見せたくは無い。

 愛知県においては、是非、しっかりとした、深い議論に到達されん事を願います。

 こんな言葉には組し得ない。

橋下徹( @t_ishin )

 バカ教員の思想良心の自由よりも、子どもたちへの祝福が重要だろ!だいたい、公立学校の教員は、日本国公務員税金で飯を食べさせてもらっている。国旗国歌が嫌なら、日本公務員を辞めろって言うんだ。君が代を起立して歌わない自由はある。それは公務員以外の国民だ。

https://twitter.com/#!/t_ishin/status/71106747380674561



※2:勿論、この「思想及び良心の自由」からの行動が、社会と共存できないようなものであれば話は別だ。しかし事は静かに着席し続ける、または伴奏を断って、他の代替手段を求める。というような事であれば、その個人の「思想及び良心の自由」は尊重されるべきだろう。
 自分の「思想及び良心の自由」を尊重して欲しいと思うのだから、私は他者の「思想及び良心の自由」を出来る限り尊重する。

※3:2004年秋の園遊会で、棋士の米長邦雄氏が陛下へのご挨拶の折に「東京都教育長」として「日本中の学校に、国旗を揚げて、国歌斉唱させるというのが私の仕事でございます」と踏み込んだ発言をしたのを受け「強制になるということでないことが、望ましいと」仰った。
 当時、大問題となった。
 しかし、この動画が現在ネット内に転がっていないというのも、スゴイ話だね。

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2012-01-15 新自由主義と基礎自治体の首長、など。

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新自由主義

橋下氏は何を怖れているのか?

 本日(15日)のテレビ朝日の報道ステーションSUNDAYに、橋下市長が出演して、大阪市政についての特集を放送していた。

 番組の構成は立体的で、番組キャスター長野智子が中田宏横浜市長(橋下氏に請われて、大阪市の特別顧問に就任)と共に大阪市内の各施設などを回って、市政の問題などを現場から報告し、それを受けて橋下市長山口二郎北大教授()が対論をするという構成になっていたようだ。

 長野中田両氏が大阪通天閣や、有名になったド派手な焼却施設、大阪市バスの営業所などを回って大阪市政に無駄があると言うレポートをしていたのは面白かったけれども、なんとなく話として何周も遅れている気がした。このド派手焼却施設も既に建ってから10年ほども経っていますよね。それに市職員のブレザーの話とか。

 また、スタジオにおける橋下市長と山口教授の対論はもっと酷い有様だった。
 そもそも橋下氏は市長として、実権能者としての位置にいるわけなんだから、行政学教授でもある山口氏が、その行政手法や政策に異論があると言うのであれば聞けばいいのではないだろうか?
 そういった対論にせずに、結局橋下氏のやった事は「大学教授なんて現場を知らないんだから、発言に信憑性が無い」というような、山口氏に対する否定ばかりだった。

 そもそも長野キャスターも、大阪における論点を最初からあれもこれも盛り込んでしまったために、橋下氏がそれに対してマシンガンの様に意見を提示するばかりで、山口氏の出番すらない有様だった。これを見ていると、テレビというものの「文法」が見えてくる。テレビにおいてはスピードと勢いが大切になる。話のトーンであるとかそのリズム、仕草などの要素が大きい。(※1)更にテレビでは「どちらが勝ったか」というような、刹那的なディベードの要素が出る。
 これがテレビの文法といったようなものだ。
 あの「画面」を構成していたのは長野キャスターで、長野氏のリズムと橋下氏のリズムはマッチしていたのだろう。しかし、山口氏は完全にこのリズムに乗り損ねていた。

 最初からあれもこれも総花的に論点を提示してしまっては、一時間や二時間では議論が整理すら出来ないだろう。しかし、そこに橋下氏はマシンガントークをぶつけて、とりあえず山口氏の発言に対する信用毀損をするように動いた。

 なので、結局あの番組を見て、視聴者の頭に残った言葉は何だっただろう。

 多分「大学教授なんて現場を知らないんだから~」という台詞ではないのでしょうかね。なんとなくの印象ですが、橋下氏はこのような台詞を3回ほどは言っているように思いました。(※2)

 そして、結局大阪の市政についての問題は具体的に何も議題にすら上っていないでしょう。これって、最初に述べたように、大阪市や橋下氏にとって不利益な事じゃないんですか?橋下氏にとって山口氏は信用に足らないヒトかも知れないけれども、それでも行政学北大教授で、現政権にもそれなりのプレゼンスをもった人物なんでしょ?
 なら、批判を聞いて、どのような意見の違いがあるのか橋下氏も再確認すればよいだろうし、大阪市民にとってもこういった外部からの視線というのは有用なものなのではないですか?

 山口氏の発言の信用性云々は後ほど評価すればよいのであって、汲み取れる意見は利用するのが責任ある権能者の態度ではないのかと思います。

 こうやって、山口氏の発言を抑えて、何をそこまで橋下氏は怖れているのかと思えてしまいます。

引下げデモクラシー


 橋下問題を考えるに当たって、今回の放送では山口氏に発言の機会が中々無かったので別の補助線を引いて考えて見ます。
 橋下氏は放送でも「山口氏の弟子」と誤認発言されていましたが、同じ北大中島岳志氏の論考です。中島氏はおおよそこのように感じているようです。

 構造改革議論などの新自由主義政策のおかげで、日本の社会は格差社会となった。このような社会の中では、若い世代が割りを食っている。非正規雇用社会保障の悪化で、若い世代は満足な生活の安定も、将来に対する希望も見出せない。
 しかし、この割を食っている筈の世代が、より激烈に新自由主義改革に熱狂する。

 具体的に言うと、官僚組織や公務員労働組合日教組(その実態は既にレッド・データブックものだろうに)に対しての批判をするのがこの世代となっている。

 橋下氏も、大阪における府職員や市職員の厚遇を題材に、府民、市民の支持を得てきたと思われるし、現に今でも市職員組合に対する態度は先鋭だ。

 そして、先ほどまでのテレビ朝日の放送に対して、橋下氏を支持するサイトの発言なども見てきたけれども、やはり公務員批判、既得権を持つ大学教授批判といった「アングル」からの言葉が多く並んでいた。


 中島氏はこういった現象を「引下げデモクラシー*1と呼んでいるようだ。

 その「時代の気分」とでもいったものを表現したのが赤木智弘氏という事になる。
 ”「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。”朝日新聞社 「論座 2007年1月号」)

 若者にしてみれば、非難の対象はまさに左傾勢力が擁護する労働者だ。だから若者たちはネオリベ政府に「労働者利権を奪い取って、おれたちに分けてくれ」と期待してしまうのだ。(略)
 確かに、右傾化する若者たちの行動と、彼らが得る利益は反しているように見える。たとえば一時期のホリエモンブームなどは、貧困層に属する若者たちが富裕層を支持するという、極めて矛盾に満ちたものだった。小泉政権は改革と称して格差拡大政策を推し進めたし、安倍政権もその路線を継ぐのは間違いない。それでも若者たちは、小泉安倍政権に好意的だ。韓国中国北朝鮮といったアジア諸国を見下し、日本の軍国化を支持することによって、結果的にこのネオコンネオリベ政権を下支えしている。
(略)
 持つ者は戦争によってそれを失うことにおびえを抱くが、持たざる者は戦争によって何かを得ることを望む。持つ者と持たざる者がハッキリと分かれ、そこに流動性が存在しない格差社会においては、もはや戦争タブーではない。それどころか、反戦平和というスローガンこそが、我々を一生貧困の中に押しとどめる「持つ者」の傲慢であると受け止められるのである。

http://t-job.vis.ne.jp/base/maruyama.html

 赤木氏の立論は「正しい」・・・・痛々しいほどに「正しい」

 この痛々しいほどに「正しい」論考が成り立つ社会がおかしい。
 (最近の論考) 【赤木智弘の眼光紙背】変わらないことを望んではいけない(赤木智弘) - BLOGOS(ブロゴス)

 「引下げデモクラシー」とは、結局「上には上がれない」という流動性の存在しない格差社会において、人間の尊厳が保てる程度の平等も実現できないのであれば、せめて「負の平等」ぐらい実現させたい。社会を流動化させたい。という切実な叫びなのだろう。

 そもそも橋下府政や、彼のすすめる「大阪都構想」など、誰が説明できるだろうか。その政策の中身については誰も知らない(多分、橋下氏も!)にもかかわらず、圧倒的な人々が橋下府政に期待を寄せている。国政においても「大阪維新の会」との連携を様々な人々が模索している。
 中身については誰も、何も知らないのに!

 つまり、今のこの閉塞感を壊してさえくれたら、何だって、誰だって良いのだ。

決別すべきものと、私自身の反省をひとつ。


 それにしても酷かった。今日の橋下氏のテレビ出演は、大阪大阪市民の為であるとはとても言えないだろう。今日の橋下氏の行為は、自分や自分たちの発言への反論を封殺するためのデモンストレーションであり「大学教授なんて現場を知らないんだから~」という発言は何も生み出しはしない。

 私は、ここに橋下氏の焦りを感じる。去年の年末に堺市の竹山市長は、堺市を分割しての大阪都構想に疑義を表明した。リニューアルに伴うURL変更のお知らせ 堺市
 更に、先日はWTCビル購入に当たっての住民訴訟提訴された。 WTCビル問題 提訴にあたって - イラクの子どもを救う会ブログ

 私は、河村市政を見続けている中で、県などの中間自治体と、市や町村と言った基礎自治体の相違に気が付いた。田中康夫氏や東国原氏など、それなりに批判はあってもタレント首長が務められたのは、彼等が中間自治体首長であったからだろう。ああ、そういえば東京に、瞬きが多くてしょうもない映画を作る自称作家のご老体も居た。彼なども週休4日で務まるわけだ。

 ところが、基礎自治体ではそうはいかない。
 橋下氏は、ひょっとすると大阪市長など、府知事と同じと思ったのかもしれない。何かと煩い平松氏さえ放逐できれば、自分が市長だろうと、府知事だろうと替わらないと。
 そう思う事自体が中間自治体と基礎自治体の問題の深さを理解していないように思える。
 (更に、区長もやるとか?)

 つまり、タレント政治家にとって基礎自治体の長は鬼門です。バレますから。

 なので、早晩橋下氏も尻尾をつかまれることでしょう。なお、名古屋の河村氏についてはほとんど「終了」しました。本人も閉店準備に入っているようです。河村市長、余裕で「百恵ちゃん」口ずさむ 減税実現で「国政復帰」に勝算? (1/2) : J-CASTニュース (※3)

 つまり、基礎自治体政治地方政治コミットするということは、生活の場を作るということです。確かに大きくは、赤木氏の訴えるような若者の尊厳についても考えていかなくてはいけないでしょうが、そういう事を考えながらも、食事をし、ゴミを出し、水を使い、トイレにいくという生活を続けなければ「人間の尊厳について」考える事も出来ません。基礎自治体においては、こうやって、まず生活を維持するための、コツコツとした事実の積み重ね作業が最も大切なのです。
f:id:ichi-nagoyajin:20120116151058j:image:w360:right そして、中島氏も言われるように、庇と庇を重ね合わせるような地方自治においては、攻撃的な言説(排除の論理)というのはやはり良くありません。(※4)

 地方自治においてはお互いに人間として存在し続けなくてはならないのですから、その人格まで否定する態度は慎むべきなのでしょう。
 確かに、嘘を言う、そして恥ずかしげも無くそれを糊塗し続ける態度は、「私にとって人として許せません」が、最後のケジメだけは保つべきだろうと反省しました。

 なので、ここ最近、「河村市長」を意図的に「河村」と敬称を省略して記述して来ましたが、今後は敬称<は>つけます。(でも、尊敬はしていませんが)



※1:これも中島氏の指摘事項だが「輿論と世論」の相違というのがある。
輿論(よろん)とは、勿論輸入語で、元の言葉は英文なら、”Public Opinion” であるだろう。
それに比べて、世論(よろん、せろん)とは、”Popular Sentiment” ではないだろうか。
 勿論、前者が意見であり、論理的であるのに対して、後者においてはより感情的要素が高い。漢字の使われ方だけではなく、実際にこの言葉の持つ意味、立つ位置も前者から後者へと変遷しているのではないだろうか。

※2:これに対比させるように「僕は実際に首長をやっている」というような事をおっしゃっていましたね。というか、途中で「現実に市長をやっている」とも言っていたと思うのですけど、橋下氏が市長としてそんなに定評があるとは知りませんでした。

※3:

河村市長、余裕で「百恵ちゃん」口ずさむ 減税実現で「国政復帰」に勝算?

河村市長密着取材を続けてきた記者が興味深いエピソードを語る。昨年12月11日夜のことだという。
「自ら率いる地域政党減税日本市議たちとの食事会を終えた市長が、待ち構える記者に向かって山口百恵の『さよならの向こう側』を口ずさみながら『ええ曲だろう? 最近、ユーチューブ動画をよく見とるんだわ』と上機嫌に話し掛けてきたのです」
(略)
次の衆院選減税日本から複数の候補者を擁立する方針を示し、自らについても「時期はともかく、(国政復帰が)最終的には当然だ」と公言する河村市長。「次の衆院選の争点は消費税名古屋市で減税を実現した実績を掲げて存在感を示す狙いだ」(民主党県連幹部)とみる関係者は多い。
河村市長の本来の任期2013年4月。これまで市民の支持の前に「守勢」を余儀なくされてきた議会からも「財政に悪影響を与えない程度の減税で市長の顔を立てておけばいい。早く国政に追い出してしまおうということだ」(野党幹部)とのささやきが漏れる。


※4:名古屋における、議会リコール署名収集運動のようなね!

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*1:命名は丸山眞男に遡るようだ。

2012-01-14 日曜版:死者との共生

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f:id:ichi-nagoyajin:20120115051001j:image:w220:right 大阪の橋下新市長から「敵」認定された中島岳志氏が北海道ラジオ放送をされているようで、その模様がポッドキャストで提供されている。過去の放送|中島岳志のフライデースピーカーズ|ポッドキャスト
 語り口もやわらかく、作業のBGMに丁度いいので聞かせていただいている。一回分が3時間にわたるのでなかなか聞きでがある。

 この中で「死者との共生」という話題が出てきたのでご紹介する。(放送では、2011年12月2日 「2011年を振り返る」の前半に出てきたと思う)

 放送の中で中島氏は、著述をしている際に、思わず手を抜いた文章を書いてしまいそうになるが、そんな時に最近亡くなった親しい出版編集者の事を思い出すと、その人がもし生きていたら、そんな仕事は許してくれるだろうかと思い、やはり文章を書くに当たって手を抜くということは出来ないと思い直した。というエピソードを紹介された。

 そして、この心の動きを考えると、この編集者は死んでしまっているけれども、自分自身にとっては強く心に突き刺さって、自分を律する存在として生きている。

 人間の倫理観を基礎付けるものは、このような死者の存在なのではないかと思える。

 このような例は誰しも持っていると思う。例えば子供の頃に「そんな事をすれば、天国のおばあちゃんがなんと思うでしょうね」などと親から諭された経験を持つヒトも居るかも知れない。

 中島岳志氏は自身を「保守」と位置付け、西部邁氏の弟子筋に当たるそうなので、社会とは歴々積み重なってきた人々の生活と死の上にある。これらの人々の営為が今の社会を形成しているのであって、けして今日(こんにち)ただいまの人々だけが突然現れて社会を形成したわけではない。というような伝統への尊重という意識もあるだろう。

 このような形での死者への畏怖、尊敬が積み重なって形式化すると伝統となるのだろう。

 実は、これも橋下新市長からは「敵」認定されている内田樹氏も「他者と死者」という本を書かれている。

他者と死者―ラカンによるレヴィナス

他者と死者―ラカンによるレヴィナス

 ここでも死者という他者を仮想することが、生きている自分たちに対して倫理を要請するという機序であろうかと思われる。(だったと思った、といった方が正確ですが)


 内田氏は最近も、橋下氏との関係から(というか、主に内田氏が「一般論」を語りだすと、橋下氏がご自分の事として気にしてツイッターで反論(?)するという事になっているのだろうと思いますが)「倫理の及ぶ範囲」というような論考を書かれたようだ。

 私は、この論考自体には触れていないが、その橋下氏の反論やら、内田氏の今までの主張から推測するところ、倫理にはその及ぶ範囲があり、その及ぶ範囲が自治にも必要となる。その範囲を超えてしまえばどうしたって話は現実から遊離し、空想がその間を埋めることになる。というような話しかと思っている。(と、この推定自体が危ういですが)

 つまり、例えば現在の政治状況も、実際には見たことも聞いたこともない事柄を政治的な議題として、どんどんと空理に空論を重ねているのではないかと思われる。

 死者という他者、または他者の中での倫理から導かれた言説は、断言を許さないだろう。
 そこに、様々な揺らぎや、隙間が許されている気がする。

 しかし、自分には突き刺さる。

 けれども、空理に空論を重ねて、現実から遊離した「正義」は断言する。
 他者に対して容赦なく、自己に対しては何も語らない。


 最近、某所で「市長議員の役割は違うのだからとおっしゃるのはわかるのですが、それだと、議員はいつまでたっても、一部市民からの陳情を取次ぐ、市長のやることなすことにイチャモンをつける、市長と結託して利権のおこぼれにあずかり再選を目指すといった受動的な存在にとどまらざるを得ません。」という意見を頂いた。

 議員の存在が、この方の言われるような「受動的な存在」かは疑問です。
 陳情を取次いだり、イチャモンをつけるだけで、利権のおこぼれにあずかろうとする存在であるという情報は、そもそもどこから来ているか。ご自分で見たり聞いたりした情報であろうとは思えません。マスコミなどで定型的に語られる地方議員の姿をそのまま語っていらっしゃるように見えてしまいます。
 つまり、現実に見たり聞いたりといった体験に裏付けされない、伝聞といった空想に空論を乗せて語られる。そして、そのような言説で議論をすれば「市議は年間たった80日で1600万円も貰って、更に政務調査費を600万円も貰っている」というような話にも成りかねない訳でしょう。

 いったい、その1600万円というお金はどのような性質のお金か。また、政務調査費の600万円というお金は事実どのように扱われているか。どの程度支出されて、どの程度「返されて」いるか。そして河村氏が語ったような性質のお金であるとしたら、何故市議政務調査費を「返す」のか。事実を積み重ねなければ何を語っても空しいだけです。


 その主張、言論は事実に立脚しているか。

 その主張、言論は他者に開かれているか。

 「正義」はまだしも、他者性を要しません。他者に開かれていない。

 「倫理」は様々な他者性を、己の身の内に引き入れることで、成り立っていくのかもしれません。

世界が決壊するまえに言葉を紡ぐ

世界が決壊するまえに言葉を紡ぐ

やっぱり、北大の先生に聞いてみよう―ここからはじめる地方分権

やっぱり、北大の先生に聞いてみよう―ここからはじめる地方分権



上の写真はネットで拾ったイメージです。なんとなくいいなぁ~と思いました。


f:id:ichi-nagoyajin:20120115051240j:image:w360:left このイメージは愛知県公報に載った「河村サポーターズ」の収支報告書です。三宅さんも大変ですね。大変なんですかね?
ところで、会費を払った会員というのは13人だけなんですか?

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2012-01-13 24年度の地域委員会は実施されるのか?

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地域委員会


 1月10日の総務環境委員会の模様を見ました。

no title

 色々と問題が出ています。そもそも地域委員会の内容についての議論にすら入れていません。これには訳があるようです。
f:id:ichi-nagoyajin:20120113031125j:image:w640:left

 この図はこの3年ほどの間に起きた地域委員会の流れを示したものです。
 (23年度予算執行が4月まで食い込んでいますね、間違えました)
 (24年度予算執行の部分、色を間違えている。眠かったのか?自分)

 地域委員会は21年に河村市長が誕生し、8地区のモデル実施について11月定例会補正予算議会承認されました。それを受けて12月から地域の募集をかけて、翌22年の2月に委員選任選挙、3月から地域委員会が開催されたのです。
 地域委員会はこの図の様に、審議としては22年の12月までに終了しています(一地区だけ、翌23年1月にも1回会合を設けている)
 ですので、機関としては4月から12月までの8ヶ月の間に22年度と23年度の2ヵ年の地域予算の審議をしています。

 これらの流れを示したのが、この図の下の部分です。


 こうやって見ると、この流れの中にも問題がありますよね。当ブログでも幾つかご報告した「市民意見交換会」というのが開催されたのが8月になります。しかし、実は22年度の地域予算が執行され、それが決算と言う形で議会承認され、確定するのは9月末ですから、それまでは執行が確定しているとは言えない訳です。
 あの「市民意見交換会」というのは、地域委員が審議した様々な地域予算の執行について、議会の決算を受ける前に市民の中で評価をするという、ちょっと「早まった」形となっているわけです。・・・・(P1)

 ここで記述しておきますが。各地の意見交換会やら、実際に地域委員となった方々の意見を拾うと、この22年4月、5月における「22年度地域予算審議」というのは問題が多いようでした。というか、不評でした。

 どういうことかと言うと、22年度の予算について、6月議会に計上して、22年度中に執行してしまいたいという、市当局の都合の為に22年度の地域予算決定がタイトなスケジュールの中で進められたのです。更に地域予算で執行できる対象も混乱しており、この予算審議は相当に無理があったと思われます(※1)
 実は、私は9月以降故意に当ブログで「地域委員会」についての話題に触れることを避けてきました。なるべく静かにしていたのです。22年実施の際には8地区を募集し始めたのが12月です。それから6月までの予算審議でギリギリだったわけです。今、1月です。2月に予算を出すにしても、24年度の審議は出来ますでしょうか?
 32地区の募集をどの程度の期間で?・・・・(P2)


 更に、このモデル実施で提示された地域予算について議会は「附帯決議」を付けています。河村市長が実現を強く希望した事から、その効果などに疑問があっても検証してみようと、そういう意味で4項目の「附帯決議」を付けて予算を承認したわけです。
 今期も総務環境委員を勤めておられる斉藤市議ブログにこの項目が掲載されています。
”6月議会終了。参議院選挙へ!(2010年06月29日)”

<附帯決議>
1 地域予算の執行について徹底した検証を行うため、平均10パーセント程度の参加率の選挙による地域委員が、地域課題及び地域予算を決定している状況を鑑み、当該モデル地域内の全住民に対しアンケートによる住民評価を行うこと。その際、今回の地域予算の使途・価格の的確性、地域間での不公平感についても住民に周知しつつ、さらに、当該モデル地域以外については、各学区連絡協議会・住民の意見を丁寧に聞き取ること。

1 制度設計を再考すること。その際、学区連絡協議会での地域委員会の位置づけ及び役割、さらに地域委員の選考方法、学区連絡協議会での予算要望を実行予算に反映させる仕組みなど、各地域が主体的に取り組めるような制度を構築すること。

1 上記の作業経過を詳細に議会に報告し、その作業が完了するまでは、新たな拡大は一切実施しないこと。

1 以上の附帯決議の項目を厳守し、地域主体のまちづくり議会とともに進めること。


 つまり、地域予算について当該地域及び、当該地域以外についても住民の意見を聞くことや、制度について現行の地域組織との整合性などを調整する事や、それらヒアリングと制度調整の過程を議会に報告する事を求めているわけです。

 3項目目は厳しいですよね。「上記の作業経過を詳細に議会に報告し」
 「その作業が完了するまでは、新たな拡大は一切実施しない」としているわけです。

 「附帯決議」ですから、「この約束を守ってもらう代わりに、とりあえず仰る予算を承認しましょう」と言う事ですが、逆に言えばこれらが為されなければ、以降の承認は出来ませんという事です。約束ですからね。

 そうすると、そもそも論が出てきます。
 もう一度先ほどのタイムテーブルを見て頂きたいのですが。

 先ほど、22年度予算が執行され、確定する前に「市民意見交換会」が行われたと言いましたが、23年度予算に関してはまだ「確定していません」それどころか、執行中ということになります。23年度予算の執行が確定するのは決算以降です。つまり、今年(平成24年)の9月以降です。
 22年度の地域委員会モデル実施というのは、その予算執行が終了して、決算を通り、すべての事業が確定するのは9月以降となるはずです。つまり「その作業が完了する」のは、正確には本年の9月以降です。

 そして、市民からの意見交換などを経て議会で制度の議論をしてはじめて、次のステップに進めるはずです。
 今(24年1月=23年度)の段階で「新たな拡大」について提案するというのは、この「附帯決議」を無視した議論となる筈です。・・・・(P3)

 まとめてみます。

f:id:ichi-nagoyajin:20120109200537j:image:w360:right
 P1)決算を受けた(確定した)地域予算の執行について、市当局は市民の意見をヒアリングしていない。

 P2)22年度モデル実施において、地域委員から出た最多の問題点として、あまりにタイトなスケジュールで予算を確定させた。もっと議論を深めたかったと言う意見があったはずで、そういった反省に立ったスケジュールとは思えない。
 というよりも、もっと酷くなっている。

 P3)24年度の地域委員会の実施と言うのは完全に無理ですね。25年度の実施に対して、今から制度的な議論を始めていくべきでしょう。

 特に、予算の縮小や学区連協推薦枠についての選挙対象としないなどは、現実的といえば現実的ですが理念を感じません。
 また、16歳以上へ参加枠を広げることは、制度設計に対する市当局の「本気度」を疑いたくなる無茶です。(私の水晶球には、どういった経緯でこの修正が潜り込んだか、おおよそ浮き出てきていますが、一言言っておきます「市政は玩具じゃない」)



市民意見交換会以降の市当局の対応経緯


9月9日・16日地域団体(区政協力委員議長協議会民生委員児童委員連盟、保険委員会及び地域女性団体連絡協議会)の代表との意見交換の実施
10月26日第2回地域委員会制度準備プロジェクトチーム会議の開催(平成22年度地域予算事業の評価について)
11月7日総務環境委員(所管事務調査)の開催(モデル実施の検証について)
12月12日・13日地域委員会委員長との意見交換の実施
12月26日第3回地域委員会制度準備プロジェクトチーム会議の開催(制度内容の検討について)
5月~12月地域委員会制度準備プロジェクトチーム区役所専門部会(各区長で構成)及びワーキンググループ(関係職員で構成)による制度内容の検討



※1:ここには河村市長自身の無理解もあった。河村市長は今でも「児童虐待や老人の孤立死対策などに地域委員会」と語るが、そのような地域予算の執行はまず無理だ。
 ひとつの地域から、ある事柄について要望が出された。
 河村市長はその要望を受けて「なら、地域委員会で対応すればよいではないか」とモデル地域としてこの事柄の解決をしようと試みた。
 ところがこれが私有財産に対する支出となり、地域予算での対応は認められなかった。これなど完全に河村市長の誤解が引き起こした事例である。
 (故意に誤魔化していたのだとしたらとんでもない話だ)

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2012-01-12

浦部法穂の憲法時評「公務員の給与」CommentsAdd Star

”法学館憲法研究所(JICL)2011年12月22日”

新聞等では、公務員給与を削減しないとはとんでもないことだ、身を削ることもなく増税では国民は納得しない、といったたぐいの論調があふれている。「公務員給与は民間と比べて高すぎる」、「公務員は民間と比べて優遇されすぎている」といった「公務員たたき」のキャンペーンは、ここ数年、新聞・テレビ等で流され続けてきた(これに関しては、とくに朝日新聞が「熱心」なように思うが……)。(略)
公務員給与の引き下げ幅は大きければ大きいほど正義にかなうという感覚が、この国の社会に蔓延しているからだと思う。
(略)
より肝心なことは、公務員給与の引き下げは公務員だけにとどまらず、必ず民間に波及するということである。
(略)
公務員給与引き下げキャンペーンは、低賃金で苦しむ人や納税者心理には受け入れられやすいかもしれないが、安易にこれに同調することは自分で自分の首を絞めるようなものだと認識しなければならない。

http://www.jicl.jp/urabe/backnumber/20111222.html


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2012-01-11 地域委員会フェーズ2

地域委員会フェーズ2CommentsAdd Star

地域委員会

 昨日(1月10日)総務環境委員会が開かれ、地域委員会の拡大開催について市からの提案があったようだ。

 モデル実施を踏まえて、制度の改正点は。
 1)500万~1500万円の地域予算 → 200万~400万に減額
 2)18歳以上としていた委員対象年齢 → 16歳まで引き下げ
 3)委員の選考選挙による → 学区連協推薦枠については無投票

 など。

 本質的な議論はなく、ただただ縮小をしていくだけの様に見える。しかし、16歳ぐらいの高校生を、夜間の会議に参加させるのは適正な話かな?また、河村が散々言っているように「児童虐待問題」を扱うとするなら、男女の性(さが)に挟まれた子どもの問題という話題に対して、16歳ぐらいの人間が(敢えて、子どもとは言わないが)その機微を理解できるのだろうか?

 久しぶりにこのブログで「地域委員会」の問題を取り上げるので整理しておきましょう。「地域委員会」の問題を取り上げる際に、前提となる社会状況を2層に分けて理解しておく必要があると思います。
 1.名古屋市独自の状況
 2.全国的な状況

1.名古屋市独自の状況

 名古屋市独自の「地域自治の形」として、「学区連絡協議会」(学区連、学区連協、連協等と呼称される)と「区政協力委員」(区政等と呼ばれる)という二つの存在があります。
 「学区連絡協議会」とは、主に小学校の区割りで展開しているようですが、PTA(青少年育成協議会等に拡大する事もある)、防災委員(消防が組織する消防団とも関係する)、防犯委員(警察が組織する交通安全委員とも関連する)、その他、町内美化委員であるとか、ゴミ分別推進委員など、地域が携わる問題毎に組織化された任意団体を集合させる上部団体となっている。(これらの任意団体呼称がばらばらなのは各地域が独自に組織するから)
 ただ、地域の問題に携わる人々が減っているところから
  ・担い手不足
  ・担い手の偏在
  ・担い手の高齢化
 といった問題が内在している。

 「区政協力委員」とは、主に町内会長であるとか自治会長と呼ばれるような地域から互選された人々が区から指定され、任命される(※1)
 制度的には区(市)の進める政策に対して、地域住民の意見を聞き入れるための制度となっているが、実態的には区(市)の進める政策を住民に説明する際に、区政協力委員へ説明して由とするという傾向も見られ、結局「行政の言い訳組織」とみなされることもある。
 また、こういった区(市)から地域への押し付け政策について、地域の現場でネゴを行う役割を押し付けられることも多く、地域から不満の矢面に立たされる局面も見受けられる。つまり、地域行政の歪を吸収する装置となってしまっている。

 町内会長、自治会長という立場から、学区連協においても地位を得ているケースが多い。
 (※2)

 担い手の不足は様々な地域要望に応えるために、同一の人の活躍に期待する事となる。つまり、担い手の偏在が発生する。更に、この担い手の不足はそのまま固定化され、年とともに担い手自体も高齢化していく。

 年末などは各地で歳末防犯取締り、であるとか、防火夜回り運動。などが行われるが。これらの現場でも高齢化が進んでいる。

 それでも、名古屋における学区連協の存在や、区政協力委員の存在は、地域における様々な課題の解決に欠かせない「実行主体」となっている。

2.全国的な状況

 以前にも触れたように( 東海社会学会第4回門前の小僧レポート - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0 )日本は国家的に財政状況が厳しい。こういった中で、行政はどんどんと「撤退」を図っている。
 これまでは社会主義を主張する社会党や、共産主義を主張する共産党よりも、ある意味自由経済を主張している筈の自由民主党が、手厚い福祉を社会に行き渡らせ「大きな政府」を指向しているかに見えた。この傾向はある時には正しかったかもしれない(デフレ期における財政出動という意味で)しかし、総じては過剰な支出に振れ、財政赤字を積上げてしまった。
 自由民主党のカウンターパートナーである筈の民主党は、本来「大きな政府」を指向するであろう「社会民主主義的ポジション」を取るべきであるが、小沢グループの主張であるとか、社会情勢から「小さな政府論」を取り、自由民主党よりも自由主義的な政治ポジションを取る結果となっている。これは政治史的には仕方のなかったことかもしれないが、現在のデフレ局面では「誤った経済政策」となるだろう。

 経済政策という局面についてはおくとしても、福祉政策としてこれ以上の歳出を割けない状況に追い込まれているのは間違いないだろう。それでなくても現在の状況で一年に一兆円ずつ社会保障費が拡大していくと言われている。介護保険などを民間に投げてはいても、この負担を引き出すために、今後も行政サービスは「撤退」を続ける以外にないだろう。多分、この傾向は2050年まで続く。(※3)

 行政出産育児教育保険、衛生、医療介護、防犯、防災、等々の社会的インフラから徹底を続ける中を埋めるのが「民間活力」と言われる企業社団、財団、及びNPOなどの団体と言う事になるのだろうが。勿論こういった組織は運営するために一定利益財産の裏付けが必要となる。つまりは、行政のような「税」という強い裏付けを持たない。そのためにここで為される「行政サービス」が本当に必要を満たす物となるかは疑問もある。

 更に、こういった活動が逆に<行政の撤退を後押ししている>可能性もある。

 この行政側の(主に財政的要因から来る)問題だけでなく、全国的な傾向として、また特に都市部に顕著な傾向として、「人口は増えても住民は減っている」と言う問題が起きている。
 つまり、流入人口核家族化に伴って「居住はしていても地域の活動には参加しない」「町内会費は払っても、活動には協力しない」といった住民(人口)が増えているのだ。
 これは、都市部における生活の態度として、お互いの生活に干渉しないという共通認識が広まっているからだろう。(※4)

 このような人々は地域の実情にはコミットできない。面白い事に、先のリコール運動で「市会議員は何をやっているか判らない」といったような人々はこの層と重複する。
 市会議員は情報を発信し、地元の住民との交流を求めている。(筈だ、一部議員は除いて)交流を深める中で名前を売って、選挙地盤を作りたいのだから。なので、地域の催事には積極的に参加している。
 しかし、肝心の地域住民の方がこういった地域の催事に参加できない、または参加しない。

 この奥には、「生産性を求める企業論理」も預かっている。つまり、先日だらだら書いたように( ”正月の風景が示すコミュニティの現在” )働き手に充分な余裕がない。正月の三が日も家族や親戚と過ごせない人々が、地域の催事にどれほど参加できることか。
 近くのショッピングモール正月営業に、息子さんや娘さんがアルバイトで参加しているとすれば、そのショッピングモールは、あなたの家庭における正月の過ごし方を変えた事になる。厳しい言い方をすれば「正月の家庭を引き裂いた」事になる。

 企業の行き過ぎた「生産性追求」が家庭や地域から人々を吸い取っていく。

 そして、これまでは公的な行政サービスと、個人的な家庭、親族。というセーフティーネットの間に存在した、企業内組合や同僚の共助、または地域コミュニティの力というものを失わせている。全国的にこれらの中間項が弱体化したために、行政サービスが撤退すると、「老々介護」などのように、すぐさましわ寄せが個人の家庭を直撃するという事になってしまう。

 さてさて、これらが現在の(特に、都市部に顕著な)地域自治の問題と言えるだろう。

 ここで、問題となるのは「担い手の不足」である。つまり、「執行者の不足」なのである。

f:id:ichi-nagoyajin:20120112023700j:image:w360:left 左の図は 名古屋市:地域委員会(市政情報)
に掲載されている「地域委員会」の概念図である。ここでは「意思決定する主体」として「地域委員会」を捉えている。
 投票で委員を選任」したり「課題解決策を議論」したり地域予算の使い道を決定」したりする人員などは特に必要であろうとは思えない。地域においては、課題は既に目の前にある。まともな区政協力委員(町内会長や自治会長)なら、頭を悩ませている問題の一つや二つは常にある。そして、その原因も大抵は人手不足に行き着く。そこに人員を賄えるような地域予算なり行政の手助けがあれば良いのであり、今更「課題解決策を(机上で)議論」するような「委員を選任」するのは冗長に過ぎるだろう。


 また、「地域委員会」というのは議事機関である。執行機関実行主体とはなりえない。これは千種区における議論でも明白だ(実行主体となった場合、事故の責任は「地域委員会」が担うのか?市長が担うのか)。なので、河村の言うように「地域委員会児童虐待の対策を<実行したり>、老人の孤独死対策を<実行したり>」することはできない。

 河村は故意か、とぼけているのか「地域委員会」の議事機関としての性質を無視して、あたかも執行機関であるかのように語っている。(※5)
 多分、名古屋市内で一番「地域委員会」について理解していないのは河村自身であろうと思われる。(※6)



※1:区政協力委員の選考選挙を介在させるべしと言う意見がある。選挙が介在しないことが非民主的だという意見のようだが、どうにも理解できない。
 そういう人は、では、ご自分で引き受けられれば良いのではないかと思う。
 選考の形式が民主的であることと、運営が民主的に進むことは全然話が違う。選考民主的であれば運営も民主的であることが担保されるという意見は、余りにも幼稚な意見の様に聞こえる。

※2:例えば、名古屋市においては「ゴミの分別回収」というテーマがある。一時は政令指定都市としては最大の分別を行っていた。このゴミの分別については、分別指導員であるとか監視委員などを町内で任命して、ゴミ回収の際に立ち合わせていたりした。
 時にはゴミの袋を全部広げて、新たに分別袋に移すと言うこともあった。
 勿論、事情を知らない住民から「自分の家のゴミを勝手に広げて、プライバシーの侵害である」とか「人権蹂躙」などという言葉を受けることもあったようだ。しかし、何もこの人たちは好きこのんで他人のゴミを漁っていたわけではない。分別ルールに則っていないゴミは回収してもらえず、次の回収日まで野ざらしとなる可能性があったために必死だっただけだ。
 この指導員や監視員は勿論無給であり、地元の有志が担っていた。私も順番で頼まれて何回かやったが、やはり大変な作業だ(勿論、夏や冬でも行われる)
 私の時もそうだったが、ゴム手袋とエプロンは必携で、その経費も持ち出しとなる。

 それこそ、名古屋市アドバイザーである武田教授の話ではないが、こういった膨大な人件費を勘案すると、このゴミ分別は完全な持ち出しだろうと思われる。高性能な焼却炉を揃えて、全て燃やしてしまった方が、こういった人件費よりも安く済む。

 行政が、地域の有志から無料で労力の提供を得ているから、あたかもゴミ分別が安く、効率が良いように見えてしまうのだけれども、ここには次の層(全国的な状況)でも扱うべき、「行政の撤退を後押しする地域の良心的労力」という問題が垣間見える。

f:id:ichi-nagoyajin:20120109200537j:image:w360:right※3:この閉塞感を打破するには、人口ピラミッドのバランスを取るために、大胆な移民政策が必要であったかもしれない。そんな事が話題に上ったのが20年ほど前の1990年ぐらいの社会状況だった気がする。
 あの、バブル期に一気に移民を受け入れて人口バランスを取っていれば、今頃は国内の消費も活発化していたかもしれない。様々なイノベーションも起きていたかもしれない。
 しかし、日本はちょうど当時を境に「国粋主義的言説」が漲り、移民政策に大きな壁ができた。この偏狭な「国粋主義的言説」は「経済政策」としては全くの誤りだっただろう。
 と、当時の極リバタリアンとしての私は思う。

※4:かといって、過干渉が正しいわけではないだろう。過干渉からおきる「隣人との諍い」という問題もありえるわけで、こういった地域間の人間関係の距離感と言うのは多分正解などない難しい問題だ。

※5:「市民市役所」の中に、「地域委員会」は入れない。執行機関である「市役所」と議事機関である「地域委員会」は別立ての組織としてケジメをつけるべき存在である筈だ。こういった執行機関という性質と、議事機関という性質を本質的に理解しようとしないから、または理解できないから、河村は制度設計という事ができないのだろう。

※6:私はこの32地区の地域委員会実施に賛成だ。地域委員会を実施すれば、それが河村の語っていたような物かどうかが市民の眼前にはっきりと現れる。つまり、地域委員会も減税も、河村の政策を全て実現化してみれば、市民にも河村の言葉の虚偽性がはっきりするという事だ。(議会改革については、「減税日本ナゴヤの存在」で充分すぎるだろう。ところで、年も明けましたが、いったい何時になったらホームページは開設されるのでしょうか?)

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2012-01-10 佐藤夕子衆議院議員には反省はない

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河村たかし支援者

f:id:ichi-nagoyajin:20120112033824j:image:w340:leftf:id:ichi-nagoyajin:20120112033822j:image:w340:leftf:id:ichi-nagoyajin:20120112033821j:image:w360:left
f:id:ichi-nagoyajin:20120112033820j:image:w560:left 佐藤夕子衆議院議員減税日本愛知一区)については、昨年の7月30日に徹底的に批判を加えた。7.30 A.A.K. 行動報告 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

 特に、そのヤクザまがいの秘書については猛省を促したいところであるが、まあ、どうでもよろしい。勝手にこけてくれれば良い。



 投稿を貰って、記事にしたててみるけれども、反省しなくていいです。いつまでもそうやって続けてください。


 左に並べたイメージは佐藤夕子氏の後援会誌らしい。


 その中で投稿者が問題としたのは、右下の「誤解を招く市会だより」という記事だった。


 論旨は「22年度は市民税減税を実施」ここで改行「市債(借金)は前年度から大幅に増えました」という表現が、減税で借金が増えたように捉えられると言う事で。

 これは河村も中村孝太郎議長(減税日本ナゴヤ)にクレームを付けていましたね。

 そして、また減税日本唯一の国会議員佐藤夕子氏まで同じ事を言っていると言うわけですか。


 そもそも    ”市会だより 第127号 1ページ目”  を見れば明白なように

 編集は「名古屋市編集委員会」で、筆頭に名前が載っているのは「とみぐち潤之助議員(減税)」となっているわけですよね。

 こういう事は、ちゃんと会派内で話し合っていただけませんかね。

 子供じゃないんだから。









 また、この記事にこうありますね。「不景気の今でこそ、増税ではなく『減税』や『財政出動』による景気の下支えを(略)」

 ・・・阿呆のように、同じ事を申し上げましょう。

 「では、名古屋市財政出動していますか?
 河村市長は市債の発行には否定的です。
積極的な財政出動も、
それに伴う市中の経済に対する振興策もありませんね。
 河村市長が、
積極的に市債発行できない理由は
「減税政策」にあるのは明白です」


 歳出のカットと言うのは、「財政出動」と真逆の行為なんだとご承知おきいただきたい。
(けど、良いです。佐藤夕子さんだけは誤解したままでいてください。あちこちで恥をばら撒いていただいた方が面白い)


 もう一つだけ、指摘しておきます。前回の批判でも「質問主意書」が質問主意書の体を為していないという事を指摘しました。単なる佐藤氏自身の不勉強か、質問主意書などにしたためなくても調査すれば判るようなことではないですか。
 そして、それを誤認したまま記事にして事実に基づかない不安を煽っているだけ。
7月30日の補足説明 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

 まずね、佐藤氏は「質問主意書」は与党議員では出せないような事を書いていますがこれは完全に事実誤認です。質問主意書の根拠法は国会法の第74条ですが( 国会法 )勿論ここに与野党の別はありません。

 ただ、質問主意書には膨大な労力が必要とされるのです。一つの質問主意書に対応するに当たって、政令を一つ作るのと同じ労力がかかるといわれています。質問主意書では、それを7日以内に回答しなければなりません。この期日は国会法の第75条で定められている。また、この7日という期日は「営業日」ではなく、リアルに7日。ちなみに同じ程度の労力を要する政令作成は1月~2月程度のスケジュールをかけるので、質問主意書の密度が異常に濃いのは判る。

 その為に、某N議員のように「質問主意書提出日本一」というようなアピールはしないこと、更には「公文書として残す意義がある例外的な場合に限る」という内規を民主党は作っただけです。

 なので、前回にあったような、単に資料を揃えれば素人の私にだってたどり着くような問題を質問主意書に仕立てる必要はありませんし、今回のこの「介護保険料に関する質問主意書」も厚生労働省のHPでも見れば判るような話ばかりで、最後に「生活保護世帯も特別徴収すべきではないか?」と意見を言っているだけではないですか。
 (そもそも「「生活保護世帯も特別徴収すべき」ですか?)

 いったい、どんなレベルの議員活動をされているか、うかがい知れます。

 が、是非、そのままお続けください。多分、「佐藤夕子衆議院議員には反省はない」し、反省する必要もありません。こういった行動、佐藤氏と言う存在、その秘書氏の存在が、そのまま「票を落としていくことになる」のでしょうから。そのままガンバッてください。


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追記(1月12日):政治資金収支報告書の記載についてCommentsAdd Star

河村たかし支援者


 佐藤夕子氏の政治資金収支報告書について、疑義があるという通報があったので見てみました。
 佐藤夕子氏は自身の広報紙をHPに掲載している。
広報紙 | 佐藤ゆうこ | 愛知1区衆議院議員 | 生活目線で政治を変えます!!

 これ自体は良い事だ。( ただ、「11号」が欠番になっているのは気になるがね)
 この中の第13号(平成22年夏号)を見ると、「河村たかし後援会・佐藤ゆうこ後援会合同ビアパーティーのご案内」という囲みがある。
 平成22年8月20日、27日の2回に分けてビアパーティーが実施されるとしており、会費の振込先に「佐藤ゆうこ政策研究会」の口座が明記してある。


 この収支については平成23年11月11日の愛知県公報に記載されている。
”平成23年11月11日  愛知県公報 ”

 137ページに 「佐藤ゆうこ政策研究会」の記載があり。

 後援会ビアパーティ(H22/8/27) ¥1,491,400-

 と記載されています。

 ちなみに、119ページから120ページに「河村たかし政策研究会」の記載がありますが、こちらには項目がありません。


 疑義は2つ。
 1)8月20日分の報告が無い?
 2)「河村たかし後援会・佐藤ゆうこ後援会合同ビアパーティー」となっているが、河村たかし後援会の収支報告に記載がない。


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2012-01-09 増税対減税というバカな議論

増税対減税というバカな議論 CommentsAdd Star

減税政策, 新自由主義

f:id:ichi-nagoyajin:20120109200536j:image:w220:left 昨日に続いて昨日(1月8日)の中日新聞に掲載された減税日本、広沢一郎幹事長のインタビュー記事を題材に考えていこう。
 おおよそは昨日書いたように、増大する社会保障費についての議論を無視して、あいも変わらない「非効率お役所仕事」を引き合いに出しての「増税」に対する、没論理な反対でしかない。
 確かに「増税」を言って選挙に勝った試しはないだろう。それだけに、その逆の「減税」を掲げて選挙を戦おうとする態度が、明白にポピュリズムであることは疑いを得ないが。この増税は単なる増税ではなく、このままでは破綻するだけの、保険であるとか年金といった社会保障の制度自体を救うための議論である筈だ。

 実はこの辺りを真剣に議論するのであれば意味はある。河村が言うように「小さい政府」が正しく、国に任せれば非効率で高コストであるから、民間の知恵を利用して民間にできることは民間に任せ、更に競争原理によってコストを下げていく。

 という指向であるのであれば、政治的指向として成立するだろう。

 つまりこの主張では「弱者は切り捨てていこう」と言っているに等しい。

 実際に、河村の主張は「弱者は切り捨てていこう」と言うに等しいのである。

 例えば、地域の事は地域で決める。地域予算と、その地域に行き渡る減税のお金を寄附してもらって「市民市役所を作り、地域の人々が自分たちで自治をしていく」と言う姿は、すなわち「では、減税の恩恵に預かれない。高齢者低所得者が多く居る地域では寄附も集まりませんね」ということになる。「地域の事は地域で決める」と言う言葉の裏には「他の地域の事は知らない、自分の地域の事だけ考えれば良い」という個人主義利己主義に繋がる。


 次の台詞も興味深い。

 税が増えれば役人が自由にできるカネが増え、無駄や利権が生じる。減税で無駄を削るべきだ。

 この方は卑しくも県議会議員なわけだろ?県議会議員の仕事とは何かというと、県の歳出における「無駄や利権」を監視する立場なんじゃないのか?自らの仕事を否定した発言だね。
 こうやって、自らの仕事を否定するから、報酬も安くて良い?逆か、安い報酬なんだから、役人が無駄や利権で歳出を浪費させても監視できませんとでも言いたいのだろうか。

 増税したい人たちが「日本国債暴落する」という。おおかみ少年のようだ。国債のほとんどは国内で買われており、暴落はありえない。

 内国債と、その暴落の話は別でしょうな。
 国内の通貨供給量によっては、当然暴落はありえるでしょう。(※1)

 更に、日本国内の貯蓄は確かに高いレベルにあるが、それとても無尽蔵であるわけがない。そして(特に地方銀行の場合)運用資金に占める公債の比率が高すぎるために、銀行自体のポートフォリオを毀損している。広沢氏は企業経営者ということだが、こういった市況についてはご存じない?

 税収は好不況で増減する。不況時には必要な支出のために借金すればいい。好況時に借金を返し、次の不況に備えてためこんでおくほうがより。

 だから、昨日 2025年、高齢者1人を現役何人で支える? : 財務省 を引いて見せたよね。特にこのコンテンツの中の「税収の推移」で描いたように「税収が好不況で増減」しないようにするというのが消費税議論な訳だ。ただ、このように税収が市況によって増減しないというのは、政策的な景気のコントロールが効き難くなるという意味でもある。
 つまり、そういうデメリットも認識しつつも、ここでは増税するしかないのであって、単に「増税反対」「減税を」と無責任な発言に終始している人間の言える言葉ではない。

 確かに、不況時には支出のために借金するのも良いだろう。さて、お伺いしますが、名古屋は今、好況なんでしょうか?不況なんでしょうか?

 私は不況であると認識している。であるならば「財政出動」すべきですよね。

 では、名古屋市財政出動していますか?

 河村市長は市債の発行には否定的です。積極的な財政出動も、それに伴う市中の経済に対する振興策もありませんね。

 河村市長が、積極的に市債発行できない理由は「減税政策」にあるのは明白です。

 完全に言っている事と、やっている事が破綻していると思うのですが如何か?

 国民の税への関心が高まっている昨今はわれわれにチャンスだが、年内の解散はないのではないか。

 これ以降の話は全て「政局議論」ですよね。それも何も根拠もなければ理念も感じられない。そもそも「国民のため、県民のため、市民のため」という視点はこれっぽっちも感じられない。

 どうですか、これ以降の議論のどこに国民が出てきますか?

 逆に、上でも述べたように「国民が税への関心が高まっている。この後ろに社会保障の再構築と言う大きな議論があるけれども、そこには目線を送らせてはいけない、議論を深める前に、気付かれる前に、増税対減税で自分たちに有利な戦いを進めれば『われわれにチャンス』だ」という、やはり個人主義的な、利己主義的な思惑を感じます。

 いま、日本に必要なのは「増税対減税」などといったバカな議論ではありません。税の負担を何処に求め、どのような負担バランスが良いのかといった議論です。

 または、一切の負担を廃止して、市場原理主義自由競争に任せると言うのなら、そういう主張もされればいい。つまり「弱者は切り捨てる」と言えばいいのだ。

f:id:ichi-nagoyajin:20120109202152g:image:w280:left このような議論の中で、経済のイニシアチブを金融資本から奪いなおし、真の意味の「経世済民」としての経済に再構築する必要がある。それには、法人税の累進性を高め、金融取引に対する税の軽減措置も見直すべきです。

 こうした負担のバランスを再構築して、2050年に訪れる人口ピラミッドの壁を、日本という国が、国民相互が手を携えて、混乱なく乗り切るように図るべきだ。



f:id:ichi-nagoyajin:20120109200537j:image:w360:right
※1:金利が上がらないことが、日本国債の健全性の証の様に言う人も居ますが、この話も転倒した議論だね。
 国内金利が上昇すれば、ここまで積み上がった国債金利増加分は恐ろしいインパクトで予算に襲い掛かる。
 逆に、国内金利がここまで低いレベルであるにも関わらず、円が高いというこの為替の異常はどう認識しているのだろうか。

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2012-01-08 経済は金融の為にあるのではない

ナゴヤ庶民連西区会合について


 軽めのネタから。
 1月21日に西区ナゴヤ庶民連の会合が有る事は、このブログに投稿していただいたコメントで知った(正確に言うと、この開催自体はその前に知ってはいましたが)
 ナゴヤ庶民連については既に「語るに値しない!」と断じているので、この会合には参加する意義を感じないが、ここに山田市議が参加するそうだ。
 この山田市議も既に市議としての資格無しと断じているので、どのような行動を取ろうとも知った事ではないのだが、少々捨て置けない言動を耳にした。この件について直接問いただすことができるのだとすれば、この西区の会合に出る必要があるのかもしれない。
当該コメント:http://d.hatena.ne.jp/ichi-nagoyajin/20120103/1325538248#c1325613425
関連過去ログ
電波系認定「ナゴヤ庶民連」 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0
山田市議、お辞めなさい。 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

 私が耳にしたことが真実だとすれば、・・・最低だ。

経済金融の為にあるのではない


 経済において。経済の為に金融があるのか、金融の為に経済があるのかが判らなくなる分水嶺と言うのがあるだろう。どうなんだろうか、今の経済状況で企業経営をしているヒトは、自分が金融下請けで、銀行の為に働いているように思えてくるヒトも居るのではないだろうか。

f:id:ichi-nagoyajin:20120109013059j:image:w220:left 本日の中日新聞に「美宝堂の不正融資保障問題」という記事が載っていた。県や市の「信用保証協会」の保証を受けて企業融資を実行する事は、いまや常識となっている。この制度を使うと金融銀行)は貸し倒れが発生しても、県や市が保証してくれるためにリスクゼロで融資が実行できる(金利という収益銀行の物となる)
 一方、保証協会にとって、実体的な融資の審査はできないだろう。つまり銀行と保証協会の両者の間で、責任のなすりつけ合いが発生してしまったという事だ。(※1)

 実はこういった制度は米国にもあるようで、そちらでも別の問題が起きている。
”米TALFの概要”

D
米連銀開示 救済資金でウォールストリート街妻へ無償融資 お勧め - YouTube

 このヒトはこんなこともレポートしている。
D
ギリシャ金融危機創出は詐欺銀行の手数料稼ぎのため - YouTube

 こんな気が狂ったようなルールで日本の社会を壊す必要は無い。
D
スティグリッツ教授 /貧困化する米国人/ 新国際通貨 / FRB批判 (#TPP 資料) - YouTube

 私たちは「生産」をしたいのであって「生産性」などを求めてはいない。
 金融は、経済潤滑油、従者であって主役ではない。金融の為の経済は歪んでいる。

 国際金融資本は、国際経済において安定を求めず、変動を求める。
 金融セクタにとって「変動こそ飯の種」なのであるから、金融セクタは本質的に経済の安定を求めない。 金融セクタが裁定取引などで実体経済以上の力(ボリューム)を持ち、実体経済を振り回している。

 この姿は、日本マスコミ政治の状況にも当てはまる。
 日本の政治においてはマスコミの果たす役割が大きい。これ自体は悪いことでもないのだろうけれども、マスコミの扱う政治の話題はセンセーショナルで、その人間関係への着目に偏りがちである。
f:id:ichi-nagoyajin:20120107030307j:image:w220:left マスコミがセンセーショナルなヒューマン・インタレストに終始するのはある意味では仕方がない。しかし、政策的議論もそっちのけですぐに政局の議論を持ち出す。日本政権が短命なのは、ここにも原因が無いだろうか。

 金融実体経済を振り回し、マスコミが実体政治を振り回す。


減税日本 広沢一郎幹事長


 同じように、今日の中日新聞で、減税日本の広沢一郎幹事長へのインタビューが載っていた。非常に噴飯物の台詞ばかりなので、一々突っ込みを入れてみよう。

野田政権増税論議が加速している。
 民主党官僚に取り込まれてしまった。無駄や公務員の給料を削れば、増税なき財政再建ができるはずではなかったか。


 まず、「増税なき財政再建」という言葉は、土光臨調の言葉で1981年の話です。民主党マニフェスト鳩山版、菅版)両方確認しましたがこのような主張はありません。更に言うと、この台詞自体がアンフェアです。というよりも、今、「増税反対」という言葉を振りまく政治家全体に言えますが、非常にアンフェアな議論を進めようとしています。(自民党の一部からは「増税反対」とは言うなという意見が出てきている。政権政党としての見識だろう)
 「増税反対」という言葉からは「多分、自分は政権は取らないから責任ある発言をしなくても良い」という態度が透けて見える。

 無駄や公務員の給料を削った程度で、社会保障費の増大に対応できるわけがないじゃないか。桁が違う。さすがは「0.3%の減税」と「5%の増税」を並べて語る神経の太さ(か、認識の浅さ)

 ここで、社会保障の改革をしなければ、どのように増大する社会保障費に対応できるのか。
2025年、高齢者1人を現役何人で支える? : 財務省
 このコンテンツに反論を加えられるなら加えてみよ。

 つまり、これに反論ができないなら、君はきっちり「官僚に取り込まれてしまった」事になるんだろう。

 真剣に、減税日本」のホームページで、この財務省コンテンツに対して、論理的な反論が掲載されるのをお待ちしております。

 記事の残りの部分は、明日にでも続けましょう。




※1:そういえば、この件については、こんな話もありましたね。これどうなるんでしょうね?
http://d.hatena.ne.jp/ichi-nagoyajin/files/%E6%9D%B1%E5%8B%95%E7%94%BB%E9%83%A8%E5%88%86.wmv?d=.wmv

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2012-01-07

第2回 名古屋市政を考える会CommentsAdd Star

第2回 名古屋市政を考える会
 減税条例が可決され、「恒久減税」が来年度から実施されます。しかし、減税で市長の言うように市が活性化するのか、野党が指摘するように、福祉や医療の市民サービス切り捨てや、次世代へツケまわしにならないか、など問題点があります。これらについて議員の話を聞き、疑問を質す機会です。多数の参加をお待ちします。

 とき   平成24年1月25日(水)
      PM2:00~4:00
 ところ  鶴舞中央図書館第一集会室

 テーマ  市民税減税と市民生活の影響
      減税条例を巡る「議会市長」の葛藤
 パネラー 出席予定の市会議員(敬称略)
 自民党  横井利明市議団長(南区
      丹羽ひろし市議名東区
 民主党  斎藤まこと市議千種区
 共産党  山口清明市議港区
 減税日本 交渉中
 コーディネーター 長谷川博さん(元ユニー重役)
 会場整理費 200円

 主催 ファーラム・ムーの会
    代表 駒瀬銑吾 電話番号(※1)
 協力 市政を考える会
    事務局 冨田勝三 電話番号(※1)


※1:原版には記載されていましたが、転載にあたって記述しないこととしました。問い合わせが必要な方は当ブログまでお問い合わせください。

http://ameblo.jp/ichi-nagoyajin/image-11074884431-11560292886.html
あれ?前回「第二回」になっているから、今回は第三回かな?

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2012-01-06 閉塞感の正体

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減税政策, 河村たかしの誤り, 新自由主義

「正しい経済学」が導く減税の意味(補足2)

「正しい経済学」が導く減税の意味(後編) - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0の結論、「河村流減税政策」(減税財源を歳出の削減で賄う)は、その減税規模だけ経済を減速させる。と言う結論に対しては色々と反論をいただいた。中には数式を出してくださった方も居たが、その人も途中で計算式を間違えていらっしゃった。
 「正しい経済学」が導く減税の意味(補足:後編)の補足 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0の条件について、c≠0 ではなくて、c≠1 ではないかという指摘は正しいです。間違えていました、訂正します。

 私自身もすぐに腑に落ちなかった「補足:後編」における「K」の喪失について、メールではお返事を書き切れそうもないのでこちらでお答えします。(TeXを使った方が判り易いと思います)

 問題は、
 式A) Y=c(Y-(T-K))+(G-K)  式が

 式B) Y=-¥frac{c}{(1-c)}T+¥frac{1}{(1-c)}G-K となるのでは、

 (式A)の c(Y-(T-K)) の部分の「K」(「cK」)が消えてしまっているように見えるということだろうと思う。
 これは、実は消えていない。上と下では左辺のYが同じに見えて実は違う。(※1)(式B)においては、左辺の項は全て、係数「¥frac{1}{(1-c)}」がついているのです。つまり。

 式B’)Y=-¥frac{1}{(1-c)}cT+¥frac{1}{(1-c)}G-¥frac{1}{(1-c)}(1-c)K

 式B’)Y=-¥frac{1}{(1-c)}cT+¥frac{1}{(1-c)}G-(¥frac{1}{(1-c)}K-¥frac{1}{(1-c)}cK)

 式B’)Y=-¥frac{1}{(1-c)}cT+¥frac{1}{(1-c)}G-¥frac{1}{(1-c)}K+¥frac{1}{(1-c)}cK

 こうやって全ての項に係数「¥frac{1}{(1-c)}」を付けてやるとカッコの中の「cK」が残っていることが判ります。(※2)

 こういった計算式に「係数」は重要な意味を持つのですよね。
 「係数」と言えば。

 河村市長は自らの「減税政策」を野田政権の「消費税増税」に対抗させて、「減税対増税」と対立軸にしたいようですが。もうよしてください。今まで名古屋の市民は「市民税10%減税」と言う言葉に踊らされすぎました。実際は、「0.6%減税」だったのですから。これが2009年の当初から、「市民税10%減税」と呼ばれずに、実体どおり「市民税0.6%減税」であったなら、あの騒ぎと22年実施時の落胆は無かったと思います。―22年に実際に実施されて、別に何も変わりませんでしたよね。
 世の中は「係数」が重要なのです。実態からかけ離れた騒ぎにならないように。

 河村の主張と、野田総理の主張を比べてみると、単なる「減税対増税」ではありません。
それは「0.3%減税対5%増税」なのです。このインパクトの違いは大きい。文字通り「桁外れ」ですから。(※3)

公共経済学 (Y21)

公共経済学 (Y21)

「だら流しするのは危険だ」


 昨日も市長会見を見て感想を述べたわけです。住基ネットについて、そうですね、ざっと4~5年ほどは認識がズレています。この認識のズレのまま名古屋でも住基ネットから離脱すると騒いだんですよね。けれど、ご覧ください。あれ以降何か動きがありましたでしょうか?確か、検証する筈ではありませんでしたか?その結果報告は?

 結果報告と言えば「リコール署名簿流出事件」の調査報告はまだ正式に出ていませんよね。河村事務所にも電子ファイルが有ったというコメントも出ていますが、それは誰が作ったどのような性質のファイルで、なぜ河村事務所にあったのか。更に、春の報告ではそのようなものはないという事でしたのに、9月になって出てきた理由は?
 この報告書出ていませんよね。
 それより何より、警察に被害届を出すんじゃなかったのでしたか?それどうなりました?私がブログで( リコール署名簿流出問題における三宅県議の判断 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0) 「減税日本リコール署名簿流出事件で、警察にちゃんとした届出もしていない」と書いたら、「嘘つき」呼ばわりされましたが、本当に何もしていないのではないですか?

 河村と彼の周辺者は「75日メソッド」(※4)がお好きな人が多いようだ。

 話がずれましたが。
 メディア関係者が言うところには、河村市長の会見を「だら流しするのは危険だ」と言うことだそうです。最近の河村市長は、記者会見など、カメラが回っているところで平気でつじつまの合わないことを言う。嘘を付く。減税条例の成立でテレビの生番組にも出演させていましたが、現場の記者から見るとドキドキものだったようです。

 減税条例の成立(0.3%ですが)で中央のメディア(テレビキー局や雑誌等の東京発信のメディア)がこれを取り上げないのがご不満のようです。これも、国政への色気としか理解できませんよね。名古屋市長をちゃんと勤め上げる気なら、東京メディアの反応なんぞ関係ないじゃないですか。ただ、記者会見やら在名古屋メディアでの発言を見ていると、キー局の生放送で使おうって人は減るでしょうね。

 「ほかの議員に嫌われ、無視された議員時代のむなしさ」(2009年6月24日発言)というのは、他の人々が意地悪でそうしたわけではなくて、ちゃんと理由があったんでしょうね。そして、名古屋でも皆さん気が付いたと。

 最近、そういう理由か富に元気が無いようです。市長を投げ出したくて仕方がないし、名古屋の市政に対しても、何も情熱を持てずに居るようですね。通常、首長というのはこういう年頭にあれこれ新しい構想を思い描いて、年頭所感でそれをぶち上げるわけです。
 大村知事もやっていましたね。
 それが河村市長はまたぞろ名古屋城本丸の木造再建ですからね。

閉塞感の正体


 河村市長と違って、大阪の橋下市長は元気ですね。私にも「大阪に来て橋下批判を一緒にしませんか」と言う人が居ます。「もう、河村市長は終わったでしょ」との事でした。
 そもそも「地域政党」というのは、自民党民主党という、本来政権を担うために集まった政党が、交代で政権を担ってもマジックの様には社会が良くならない。そのうち、衆参でねじれ現象が発生してしまって、自民党でも民主党でも政権運営が不安定になってしまった。
f:id:ichi-nagoyajin:20120107030307j:image:w220:left 左の写真はネットに転がっていたものですが、米国エジプトムバラク政権は20年続きましたからね)それと日本政権交代の様子を図示したもののようです。
 ここまで政権基盤が脆弱では思い切った政策も打てませんよね。

 こういった閉塞感が、既存政党否定や官僚批判となって「地域政党」への期待へと繋がっているのだろうと思います。この年末もまたぞろ新しい政党ができてきましたが(※5)
 既存政党がダメだから「地域政党」に期待って。「地域政党」ならできると言う期待は、いったいどのような根拠から来るのでしょうかね?
 こういった根拠のない期待を煽っているのはまたメディアなんでしょうが、メディア報道を歪めている間に国民失望はまた深まるのでしょうね。

 こういった人々が提示する公約らしき主張は。
 増税反対」
 「議員定数の削減」
 「公務員給与削減」

 の3点セットでしょうね。この3点だけ言う人が居たらその人は単なる「ポピュリスト」ですから、離れた方がよろしい。そして碌な政策も構想も持っていない。

 結局、この閉塞感は経済が回復しないというところに原因がある。日本経済外需頼みでした。いま騒がしいTPPもこの外需頼みの政策ですよね。ところがその肝心な外需である米国の消費も、サブプライムローン以降落ち込みが酷いわけです。第二次世界大戦復興からこっち、米国の消費が世界経済を支えてきたわけですよね。日本朝鮮特需からこのサイクルに組み込まれて、バブル期などは経常黒字がどんどん積み上がった。やがて、電子機器の(イノベーションによる)価格下落や、東南アジアの安い人件費の発掘が進んで、どんどん物価の下落が起きた。この物価の下落傾向が2つの幻想を生み出します。
 1つ目が「生産性幻想」2つ目が「プライス・レース」です。

 私は河村市政が低劣だと思うのは、彼は結局行政にもこの「プライス・レース」を持ち込んでいるだけだからです。市長給与を安売り、税金も安売り、議員報酬も半額!
 プライス・レースには「適正価格」はありません。まるで喉の渇きを潤すのに、塩水を飲んでしまったかのように飲めば飲むほど乾きは酷くなります。どんどんこの欲求が大きくなるだけです。最初電子機器に起きた機材の低価格化はちゃんと根拠がありました。それまでの電子機器の製造コストが、市場の拡大(各機器への小型マイコンの導入)と生産技術の向上(電子チップの集積化)で低価格化したのです。そしてそれと軌を一にして、東南アジアなど、人件費の安い生産拠点が開発され、電子機器だけでなく様々な工業製品低価格化して行きました。
 しかし、このプライス・レースはついにコスト削減、人件費抑制に至ります。
 これが間違いの元です。
 人件費抑制されたが為に内需が落ち込みます。内需の落ち込みとは売上げの減少です、つまりまた、売り上げが下がり、各メーカーは販売価格を下げて売上げを増やそうとコストを絞り、人件費を下げます。
 完全なる合成の誤謬デフレーションの地獄のサイクルが回ってしまいました。

 公務員給与というのは「国民の総生産の一部」です。(私だって、公務員セクタではないので悔しいですが)この給与を下げてしまうのは、デフレのサイクルを回すだけなのです。
 ですので、公務員給与を下げるよりも、いっそワークシェアリングなどで雇用を確保しつつ、歳出は現状維持か若干増やして、同じ歳出で雇用をより多く吸収できるようにするなどした方が良いということになります。

 先ほどの1つ目の「生産性幻想」も酷い話です。

 生産性も絞り上げれば絞り上げるだけ際限はありません。愛知県には生産性については、某トップ企業が居ますが。ここでも生産性競争で絞り上げられるのは弱者からです。(上級の社員にはまた別の試練があるようですけどね)

 例えば農業段々畑ばかりあるような日本の地方と、オーストラリアやら米国の大地で展開される農業が公正な競争ができるわけが無い。

 某T社の生産性追及理論は、全ての局面で正しくは作用しません!

 企業生産性の追及は、例えば年始休暇で販売拠点を遊ばせるのはもったいない。ショッピング・モールを元旦も営業させよう。というような結論に至るでしょう。こういった競争がショッピング・モールと地元商店街で起これば、地元商店街が「勝てる」わけがない。というよりも、そもそもショッピング・モールというのは資本論理で「勝ち負け」を問題視する存在ですが、ヒトが生まれて育ち、生きていくという商店街と言うコミュニティには「勝ち負け」は関係ないはずです。(※7)

 TPPに代表されるようなグローバル経済は間違っています。グローバル経済に期待すると言うのは、米国の消費に期待するとほとんど同義だと思いますが、それは無理です。米国においても消費は毀損しています。そもそもそのようなアンバランス経済がいつまでも続く方がおかしい。
 また、TPPは経済政策でもないでしょう。政治的闘争です。しかし、米国債すら碌に償還できない日本政府米国政府政治的闘争をして勝てると思いますか?無理無理。

 公正な競争と言うのは同じ条件の者どおしが闘って初めて公正です。最初から弱い日本が、更に目隠しして手を後ろ手に縛られるようなTPP協議で「公正な競争」になるわけないじゃ無いですか。なので、TPPには反対です。横に宇沢先生の運動へのバナーもつけました。

 また、TPP反対の運動は「O.W.S.(ウォールストリートを占拠せよ!)」とも連動しています。TPPが無くそうとしている壁は、日本米国の壁ではないのかもしれないのです。よくよく見ると、日本金融資産米国金融資本の壁を取り払うのがTPPではないのでしょうか?

 この「O.W.S.」で批判されているウォールストリートに集まった米国金融資本というのは、ヒトに幸せをもたらしません。―陰謀論とかではなく―個人や製造業と言うのは安定的な経済を望みます。生産物を作ったり生活するのに、明日や一ヶ月先の物価変動が大きければ生産や生活に支障が生じます。
 しかし、金融資本にとっては「変動こそ飯の種」なんです。ですから、彼等は本質的に変動を求めます、混乱を生じさせます。一国の経済破綻しようと、その騒ぎに乗じて利益を上げるのが金融資本ですから。

 今の世界経済実体経済が相対的に小さくなり、金融取引で生じる仮想の経済取引が大きくなっています。今、日本を苦しめる円高もそういった動きの一つでしょう(※6)
 この金融資本の動きを緩やかに「適正レベル」にまで下げる必要があるでしょう。(実体経済を邪魔しない程度に)金融資本実体経済よりもプレゼンスを持つのはそもそも資本主義の精神、米国の建国の精神とも反する筈です。(ピューリタニズムやら、日本の商道徳とも外れている)

 米国金融資本の「粗野な新自由主義?」に日本蹂躙されないために、TPPに反対し、「O.W.S.」運動にリンクすべきです。

 私たちが必要なのは、生産性ではなくて、生産であり。
 競争ではなくて共存である筈です。



※1:(式A)のカッコの中の「Y」も消えていますよね。これを消すために式を展開したから当たり前ですが。

※2:「c」は限界消費性向ですから、1とcの差は貯蓄性向ということにでもなりますね。貯蓄性向の逆数。つまり、単位貯蓄性向比率(?自分で勝手に名前を付けていますが、なんとなく判っていただけませんかね?または、プロの方のツッコミをお待ちしています)の中では減税政策で歳出抑制した分だけ、総生産が縮小されると言うことなんでしょうかね。

追記(2月8日):1月の末に指摘をいただきましたが、当該箇所を見落としておりました。

¥frac{1}{(1-c)} は「乗数」ですね。


※3:だからと言って私は「消費税増税」に賛成しているわけではありません。

※4:つまり、他人(ひと)の噂も七十五日と言うことだ。これはメディアもいけない。すぐに忘れる。健忘症メディアが最も酷い。当ブログは忘れませんよ!

※5:残念ながら「減税日本」に合流しようという国会議員は出ませんでしたね。このまま1月10日までに政党要件(5人以上の国会議員)を満たせないと、佐藤夕子氏は懐に響く話に成りますね。
 政党要件を満たす政党を、元旦までに作らないと(届出はぎりぎり10日まで)政党助成金が下りない。
 年末に新党ができる理由はこの為。

※6:この作為的な円高の背景に、日本政府が償還したくてもできない米国債の積み残しがあるとすれば、日本は自分で自分の首を絞め続けていることになります。

※7:商店街というのは皆でグランドに集まってフォークダンスでも踊りましょうという集団かな?と思いましたが、今、集団でフォークダンスを踊るような文化はありませんよね。まあ、何でもいいです。集団でリクリエーションを楽しもうというのが商店街だとしましょう。ショッピング・モールはその集団に突然乱入してきて柔道を仕掛けているようなものです。それも身長2m、体重100kgオーバーで。
 商業と言うのは競争であると言うのは、市場原理主義でしょう、しかし、資本主義とは異なりますし、市場原理主義でも寡占化、独占化はさせないようにという注意書きはあったはずです。

始まっている未来 新しい経済学は可能か

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TPP亡国論 (集英社新書)

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グローバル恐慌の真相 (集英社新書)

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2012-01-05 市長年頭会見を見て

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河村たかしの誤り, 減税日本ナゴヤ問題


 4日の仕事始めに伴って、市長、議長及び副議長の記者会見が行われた。たまたまスターキャットチャンネルの放送を、途中から見たのだけれど、インターネット上にコンテンツが掲載された。

”2012年1月4日市長会見(名古屋市政データバンク)”

 主なやり取りは中日新聞も掲載している。

”河村たかし市長4日年頭記者会見、主な一問一答(中日新聞)”

 このネット上のコンテンツと、スターキャットチャンネルの素材ではカメラアングルも異なる上に、スターキャットの素材では話題をキャプションで付けてくれているのでまだ見やすい。
 こうやって河村市長の話を聞いていると、そもそもの論点は何であったか判らなくなりますからね。この中でも「議会報告会」の話が「市会だより」の話になってしまっています。そもそも市長会見で打ち出された話でも、途中で途切れたテーマというのは多すぎて、逆に真に受けて政策議論を取材しても実りがないと思われているのかもしれない。
 そのような例に小学校に設置する待機児童対策のためのプレハブの託児施設であるとか、「児童虐待の根絶に向けた共同アピール」というのもそうなる。( ”参照” )


 この会見でもリニアを契機とする名古屋駅周辺の再開発などについて。まるで小学生が話すようなバカバカしい話ばかり。東日本大震災の社会インフラ整備があるだろう時に「名古屋城の木造再建」?気が狂っているとしか思えない。年頭挨拶なので酒でも飲んでいるのだろうか?

 寄附金制度について語っているが、やはり、認定NPOについての法制度改正の動きについては追従していないようだ。「コミュニティ基金」は一つの財団が受け手となるだけで、それよりは直接NPO関連の条例整備が必要だろう。

 全体について話題が古い。何周も遅れている話題を壊れた蓄音機のように繰り返しているという印象だ。

 この会見でも触れているが「背番号」についての河村市長の話は全然違う。
 この件は”河村たかしの新刊「復興増税の罠」のご紹介”でも触れたように、「住基ネット」から頭が離れないようだ。実際に、市長就任直後に同ネットからの離脱で騒いでいる上に、今に至るも様々な施策でこの「思い違い」のままを振り回している。

 すでに住基ネットの話については最高裁判決によって立法根拠の基盤となっている。この会見で触れられた話題がどのような制度の話かは判らないが、現在は”「社会保障・税に関する番号制度」”についての議論がなされており、各都道府県で住民ヒアリングも為されている。(勿論、名古屋市は入っていないですね。この話でも一周遅れになるんでしょうね)

 そもそも住基ネットの導入については私も反対していたから良く判る。河村はそれ以降の話をトレースしていなかったのだ。
 この基盤システムについては、愛知県の産業界も期待しているだろうから、それらの人々には失望を感じている人も多いだろう。もしも「復興増税の罠」 がたくさん売れたとして、それが2011年刊行でこの話題についての認識が本に書いてあるとおり「牛は10桁、人は11桁」 と言っていては、そりゃ誰も相手をしてくれませんよ。
 「社会保障・税に関する番号制度」については、ネット上に良いコンテンツが転がっていた。
”社会保障・税に関する番号制度の導入に向けて 広瀬真人(野村総研)”

 私はできる限りシンプルなシステム、制度が望ましいと思っている。つい最近もスマートフォンの「spモード」で驚くほど馬鹿馬鹿しいトラブルが起きたばかりで、今回のシステムでも「番号制度」という言葉にアレルギーがあるとみなして「符号」とか言い出しているから心配だ。
 河村の様に良く判りもせずに声だけ大きな老人が、システムをややこしくする。(※1)

 もう一つ必須だろうと思うのは、自分の情報がどのように扱われているか、全て開示されるべきだろう。つまり、自分の個人情報へのアクセス履歴を閲覧できる権利を備え、それらのアクセスの中で腑に落ちないものについては理由も求められるようにするべきだ。
 そもそもコンピューターというのは優れた情報の貯蔵庫だったのだが、このシステムの悪いところは、「参照されるモノにとって、何時誰から参照されたかわからない」という設計に成っていた事で、実体のある物質であれば盗まれれば無くなる事が判るけれども、データは盗まれても判らない。という問題があった。
 けれども、これも現在の様にOSレベルでのファイル管理がデータベース化されていれば参照についての追跡もし易い筈だ。同最高裁判決でも明確になったように、情報はそもそもその当人の物なのであるから、こういた情報の開示が必須となるのは当然だろう。

 まあ、なんにせよ。この件でもわが河村市長は、恥ずかしい間違いをわざわざ本にまで仕立てて全国に配布している事になる。

「当ブログのガイド」更新


 旧アメブロに残しておいたコンテンツ当ブログのガイド|市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を!を更新した。
 「地域委員会」と「富口市議特集」について追記した。

 「地域委員会」については一部の人々から「店じまいのための施策」と言われているらしい。実際、河村市長も急激に情熱を失っていると聞く。中京都構想や大阪都構想、金シャチ横丁やあおなみ線SL計画よりは地味~な政策で、市民のリアクションも薄い。
 しかし、このような政策一つ実現化できないような者が「減税による寄附文化の醸成」などという遠大な政策を実現化できるわけがない。
 まるで飽きっぽい子どものようだ。

 「富口市議特集」については、則竹問題でも同じであるが、今後も減税日本ナゴヤ問題として市民は注視する必要がある。
 先方でも書いたが、私は則竹氏に対して悪い印象は持っていない。

 私は則竹問題というのは河村たかしという政治家の「人材育成能力」(※2)を象徴している事例であろうと思っている。今回誕生した減税日本ナゴヤ市議の中で、この富口市議というのは則竹氏と共通するものを感じ、注意して見て行くべき素材であると感じた。

 これはネガティブな意味ではない。富口市議というキャラクターに、一般的には「良いもの」と捉えられる人格の種を感じたからだ。
 苦境にあっても朗らかに、自らの夢を諦めないで努力を続ける。目上の人を尊重する礼節を心得る。けして自分の損得を出す事を由としない。
 なんとなく、このような「美徳」のようなものを持っていることは否定しない。
 ですから、こういう人がそのまま優れた指導者に出会えれば良い人生を送る事もできるでしょう。則竹氏について、その人柄を悔やむ人は今でも居ます。

 しかし、夢を諦めないで努力する姿勢は、歪んだ指導者の下では事実すら認めない頑なな心となりかねません。目上の人を尊重する礼節は、時に、その目上の人が過ちを起しても批判することができない盲従に繋がります。
 そして、自分の損得を表に出さない自制心は、自身の素直な良心に対してもブレーキがかかる可能性を示唆します。つまり、自身でも間違っていると思っていても、この心の中の良心を押さえ込んでまで行動できてしまう可能性を含むのです。

 歪んだ指導者の下では、これらの美徳は自らを破滅させかねません。
 則竹氏は実際に破滅してしまいました。
 私は富口市議や、幾人かの減税日本ナゴヤ市議たちに、この危惧を感じます。

 今からでも、富口氏が原点に返り、自らの選挙公約に虚心坦懐向き合い、その過ちを認め、訂正すべきは訂正し、是正すべきは是正して、現実に即した市議として活動をし直してくれる事を望みます。”真実に向き合うには、勇気が必要なのではなく、単純に謙虚であれば良い”のですから。



※1:河村たかしは自らのプロフィールの専門分野に「プライバシー法制」(”参照”)を加えている。
 しかし、その見識は「リコール署名簿流用問題、及び流出問題」で明白だろう。

 ところで、この年頭会見でもこのリコール署名簿の流出についての調査報告であるとか警察への届出の動きについて報告が無いようなんだけど、どうなっちゃっているんでしょうかね?

※2:政治家の「人材育成能力」というのは、つまりその人物の持つ政治哲学の強度を指す。

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2012-01-04 「正しい経済学」が導く減税の意味(補足:後編)

済藤実咲市議、間違いです!CommentsAdd Star

減税日本ナゴヤ問題

済藤実咲市議大変な間違いです。
すぐに訂正なさってください。
十二月二十三日|サイトーのブログ

言わずもがな、今生天皇の御生誕日ですね^^

http://ameblo.jp/misakisaitoh/entry-11115394045.html

いや、それを言うのでしたら今上天皇です。(「きんじょうてんのう」と発音します)

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正月の風景が示すコミュニティの現在CommentsAdd Star

地域委員会

 正月ということで、ぼ~っとコタツに入ってみかんを食べながらテレビを見るという時間もあった。相変わらずテレビではジャニーズの男の子たちと、AKBという集団の女の子たち、それに吉本芸人で構成された番組ばかりなんだね。チャンネルを替えようと時間帯を変えようとあまり変化がない。
 面白いのは、ジャニーズの男の子(「嵐」というグループなのかな?)もAKBの女の子も、それぞれの個性というか、キャラクターが「予め」付与されていて、幾つかの番組にわたってそれは継承されているということだ。
 別の放送局の別の番組になっても、「嵐」のメンバーの特定の一人(誰だか私にはわかりません。顔を判別するまでは至りましたが、名前までは判っていません)は同じように「不器用なキャラクター」として定着しているようです。AKBという女の子のグループにも、こういった傾向はあるようですね。例を挙げるほど詳しくないので、漠然としか捉えられませんが。

 以前、NHKの朝の連続ドラマが高視聴率を上げる理由を分析したレポートを読みました。それによると、NHKの朝の連続ドラマは「ご近所のゴシップ代替となっている」ということでした。
 どういうことかと言うと。伝統的な女性の生活習慣から言うと、彼女たちは集まると共通の知人の近況を語り合うことが好きであるとされている。いわゆる「井戸端会議」というものだ。近代の社会では水場が限られていて、女性は井戸や用水の周りに集まり、それぞれの洗濯や食物の準備をし、下ごしらえをしていた。このような場でも会話が交わされ、その題材は主に共通の知人の近況、つまりは「ご近所の噂話」が題材だったのだろう。

 今では日常的にこのような水場に女性が集まる必要はないが、買い物で訪れるショッピングセンター子どもの送り迎え、茶話会などが集まりが代替を勤め、これらの会話が交わされる。

 職域においては共通の知人が職域に限定されるから。このような女性の間では職域の人間関係を題材に「給湯室の会話」というのが形成される。このような女性たちが「お茶を煎れて来ます」と給湯室を訪れ、ついでにタバコの一服も吸って息を抜くという場で話の種にされるのは、職域の人物で陰の人物査定が為されるというわけだ。(名古屋市役所などは、こういった機能はまだ生きているようですね:余計な一言ですが)

 更に、昨今のように職場の生産性が追及されると職域にすら「共通の知人」が居ない状態が形成される。こういう場合に利用されるのが「NHK朝の連続テレビ小説」であるというのだ。

 オフィスの給湯室やランチ休憩の場で女性たちが提示する話題が、こういったドラマの登場人物の行動に対する意見で有ったりするというわけだ。「私ならこうする」「あなたはどう思う?」完全に、「ご近所のゴシップ」の代替を努めている。

 なので、これらのドラマを提供する際には、特定の個人や狭い人間関係の中で、人間の内省を深めるというようなドラマよりも、一定の登場人物数を設けて、それらがある程度の定型的な行動を取りつつ、様々な関連を持つドラマがよい。ということになる。つまり、「良くあるご近所のゴシップ」が形成されるべきだということになる。

 正月特番の「嵐」のメンバー(と、それを見ている事情を知っている視聴者)の間には、すでに擬似的な知人のような関係性が形成されていて、それは放送局や番組の枠を超えて共有されているのだろう。そしてこういった関係が給湯室やランチ休憩などで提示されるのなら、それに備えて「チェックしなければならない」番組になる。
 「嵐」やAKBのメンバーやそのメンバー間の事情に暗いということは、こういった職域や或いは学校などにおいての実体的なコミュニティに参加できなくなる可能性もあるということ何だろう。

 彼等、彼女ら視聴者は職域やクラスの知人ではなく、こういった芸能人の話題を共通化してお互いに話し合う。コミュニティの間では相互の干渉を無くして、その分を「共通の知人である芸能人」の話題で埋めているように見える。

 それなので、テレビでは「嵐」やAKB更に吉本芸人さんといった、自分の身の丈に近い(または、そう思わせる「芸」を持った)人物が繰り返し現れ、その人物に付加されたキャラクター放送局や番組の枠を超えて演じ続けている。

 各個人にとっては、もはやコミュニティは自分の周囲の現実世界にはない。テレビの中の人間関係がよりリアリティを持って各個人を包み込む。

 てな事を感じつつ家の近くを歩いていると、最近できたワンルームマンションのゴミ捨て場が凄いことになっている。正月だというのに大量のゴミが出されたままになっている。年末の収集スケジュールに間に合わなかったけれども大掃除はしようとしたのだろうか。幸いネットに包まれているので散乱もしていないし、マンション自体新しいので見苦しさはないが、彼等にとっては、正月の期間、自分の部屋にゴミが有るよりは、こうやって部屋の外にゴミがあった方が見苦しくないのだろう。実際には玄関のすぐ横がゴミだらけということになるのだけれど。

 名古屋という大都市における地域コミュニティの問題は、こういった人口は多いけれども住民は少ない」という問題なんだろう。これは、昨年の台風の際にも感じた。すでに、「地域コミュニティ」などというものはズタズタに壊されている。(※1)

 この地域コミュニティの再興は小手先の手法ではなんともならない。NPOといった存在は、確かにこういったコミュニティにとって埋めるべき穴を埋める手段になるかもしれないが、その存在がより一層、コミュニティから行政が撤退する動きを加速させる可能性もある。

 その昔は正月三が日などは大抵の商店も企業も休んでいた。昨今ではどのようなショッピングモールも営業をしている。ショッピングモールにしてみれば、投下した設備費を、正月だからといって遊ばせるよりは、営業をさせて稼動させた方が「生産性」が高い。
 しかし、このショッピングモールに働く人たちにとっては正月三が日の家族の時間も、地域の時間も無いという事になるのだろう。このワンルームマンションの住人も、何人かは通常勤務と変わらない生活をしているのかもしれない。

 このように地域に居られる時間が無くて、どのようにコミュニティを再興出来るというのだろうか。

 経済デフレ局面にある際には「生産性」の追及はデフレを深刻化させるという指摘があった。(”デフレ下における経済政策について”)実際に、家族や地域コミュニティリソースまで産業が吸い上げていると感じることがある。そうやって「生産性」を追求して、実は一所懸命デフレを深刻化させ、悪循環を繰り返しているとしたら、我々はアホ以外の何者でもないだろう。



※1:この正月に聞いた話にも、こういった事例があった。ご近所で趣味の集いを作って、月に何度か集まっていた。先のリコール署名運動で、その集まりで署名を収集もしたそうだ。つまり河村市長の言うように(そして、マスコミが伝えたように)議会は解散すべきだと思ったそうだ。
 選挙でも「減税日本」を応援していたが結局生まれた市議県議も何もしてくれない。何もしてくれないどころか顔も見ない。そうした事からこの集まりに亀裂ができて解散してしまったそうだ。
 今後、地域委員会が全市展開され、小学校の学区単位という「きめ細かな単位」で地域委員を選出する選挙が実行される。地域の事は地域にということで、地域政治を持ち込むわけだが、こういった荒っぽい作業がまた地域に亀裂を作っていくだろう。
 地域委員会が実施され、それが選挙を必要とするのなら、必ずこういった亀裂が発生し、地域コミュニティに歪を生む。これだけは予言者じゃなくても予言できる。

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「正しい経済学」が導く減税の意味(補足:後編)の補足CommentsAdd Star

減税政策

 昨日の結論はちょっとショッキングなものだった。(というか、ショッキングと誤認したのは自分だったのだけど)
 自分で書いていて腑に落ちなかったので幾度も見直したり検算してみたり、参考文献を引っ張り出したりしてみたが、どうも間違いはない。幾人かのヒトにも検算をお願いした。どうも、ご依頼した方々、ありがとうございました。
 減税の額は積分定数になるわけだけれど、それを積分を使わずに説明した方が良いと思ったのが昨日のエントリーのアイデアだった。そしてその結論は。

 Y=-¥frac{c}{(1-c)}T+¥frac{1}{(1-c)}G-K

 式が成り立つ条件: c ≠ 0
追記(1月7日):指摘を受けました。
この場合、「式が成り立つ条件: c ≠ 1」です。訂正します。


 これは、一言で言うと。「『河村流減税政策』(※1)においては歳出削減分だけ経済を縮小させる効果を持つ」という結論だったわけだ。この式が腑に落ちなかった理由は、この式の最初の形、

  Y=c(Y-(T-K))+(G-K) 

 の後ろのKだけが残って前のK(税(T)と一緒にカッコの中に入っているK)が丸々消えてしまったように思えたからだ。

 これを理解するのには”「正しい経済学」が導く減税の意味(後編)”を確認すると理解できる。この論考でも例えば c=0.6 の場合「¥frac{1}{0.4}G→2.5G」と「¥frac{0.6}{0.4}T→1.5T」という結果を導いた。政府支出(G)に係る係数「2.5」と税(T)に係る係数「1.5」では「1」だけ異なる。
 つまり、政府支出よりも税に掛けた効果の方が 1 だけ効果が減じて現れるという意味だった。ここで「1」という固定した値が出る理由も欄外の「※4」で説明している。

 この「1」という値が有ったが為に「K」が丸々残る(そして、税に係る分が消えるように見える!)事が腑に落ちなかったが。ここでは「1」は係数の値で、それぞれGとTに係っている。つまり、増減する値「K」は係数1分の差で残るということになる。(※2)


 確かにこれは単純な古典経済学ケインズ経済学マクロ経済モデルで、考慮されている係数も限界消費性向だけなので概念的には理解し易いが、現実の経済モデルとは異なるかもしれない(現実の経済モデルがこの式の枠組みを超えるというわけではなく、ここで示されている限界消費性向の値が様々な要因で変わりうるという意味で)なので、このモデルから言えることは「河村流減税政策」は「経済活性化させる方向には負の影響を持つ」ということだろう。
 名古屋市が実施したコンサルタントシミュレーションについては、人口増加分が予め想定されているということで、その分経済効果がプラスに働いているのではないだろうか。
 おおよそ14兆円の名古屋全体の経済の内、0.6%減税でおよそ200億円(0.14%)、今回の0.3%減税の場合100億円程度の効果額なので0.07%しか効果が無い。完全に誤差の範囲だろう(統計的には「誤差の範囲」だろうが、これで削減され、行政サービスを打切られたり、仕事を奪われた人々にとってはたまったものではないだろう。何にせよこんなくだらない計算ミスであそこまでの大騒ぎをするのは「費用対効果」があまりに小さい。この間この「減税政策」に提灯を付けたマスコミは反省すべきだ。完全に名古屋という地方の経済に毀損をもたらしている

 なので、今後も河村は「減税対増税」だとかといってバカの様に自分の「河村流減税」と国政の増税(または税と社会保障負担の再構築)をごっちゃに語るだろうが、まったくの勘違いかごまかしでしかない。

 さあ、「減税日本」の諸君。君たちは、自ら名乗る党の名前が、すなわち事実誤認。経済政策に対する無理解、または失政を表す事になる。

 つまり、君たちが進める政策自体が名古屋経済を失速させる失政である。

 君たちは「民の竈を暖める」つもりで、その実「竈に水をかけている」事になる。

 そうでないと言うのであれば、絶賛反論募集中だ。この立論を論破してみよ!




※1:「河村流減税政策」の定義は、減税によって納税者に戻す税額は全て行政改革、つまり歳出の削減で賄う。財政規律を守った上での減税政策であること。

※2:税に係るKが「消えてしまうように見える」理由は、この関係式の場合、総生産Yについて、前回の総生産Yが限界消費性向cが係った状態で右辺に居る。限界消費性向分だけ予め減額される為にその分と打ち消してしまっている。

 Y-cY=-cT+G+cK-K  ・・・・Yをまとめ、Kはまとめない。
 Y(1-c)=-cT+G+cK-K  ・・・・両辺を(1-c)で割ります。
 Y=-¥frac{c}{(1-c)}T+¥frac{1}{(1-c)}G+¥frac{c}{(1-c)}K-¥frac{1}{(1-c)}K
 Y=-¥frac{c}{(1-c)}T+¥frac{1}{(1-c)}G-1(¥frac{1}{(1-c)}K-¥frac{c}{(1-c)}K)
 Y=-¥frac{c}{(1-c)}T+¥frac{1}{(1-c)}G-1(¥frac{(1-c)}{(1-c)}K)
 Y=-¥frac{c}{(1-c)}T+¥frac{1}{(1-c)}G-1(1¥times K)
 Y=-¥frac{c}{(1-c)}T+¥frac{1}{(1-c)}G-K





f:id:ichi-nagoyajin:20120104142239j:image:w360:left 河村の場合、この模式図がすべての過ちの元なのかな?
 この図はまるで税金が役所や議会に吸い取られているようにみえる。
 前近代における王や貴族が、荘園領土の財を税として収奪して、自分たちの浪費に費やしていたかのような図だ(前近代の王や貴族も、税をそのように浪費していたわけではない)

参照:”河村たかし「減税論」の誤り(2011-10-04)”

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「正しい経済学」が導く減税の意味(補足:後編)CommentsAdd Star

減税政策


 昨日のポイントは2点。
 1)総生産は総所得と総支出に等しい(三面等価)(総生産をYで表す)
 2)ケインジアンモデル

 Y^*=C_0+c(Y^1-T)+I+G

 総生産量 = 基礎消費 +限界消費性向×(所得-税) +投資 +政府支出

 国や地方の総生産(=総所得=総支出:Y)は、基礎的な消費(C0)に投資金額(I)と政府支出(G)を加えた額。それに市中の可処分所得(総所得Yから税Tを引いたもの)に限界消費性向( c )を掛けたものを加えると得られる。

 国や地方に消費を増やしたり、投資を活発にしたり、政府支出を増やしたり(財政出動)すれば、総生産、総所得が増えて、景気は回復する。
 特に、今のようにデフレ傾向の時期には投資(I)が振るわないから、政府支出か消費を喚起する政策が必要となる。(※1)

 この式の中から、基礎消費部分(C0)と投資(I)については考慮の外においてみる。
 つまり、これらの要素は議論しても変更不能なので、論点から抜いて、とりあえず一定であるとみなす事にする。すると、式はもう少し小さくなって論点が絞れる。

 Y^p=c(Y^1-T)+G

 この式を使って「河村流減税政策」の意味とその効果を考えてみる。
 「河村流減税政策」はこの式の中で言うと、税(T)を減額するという政策であって、つまり式に入れ込んでみるとこういった形になる。

 Y^p=c(Y^1-(T-K))+G

 総生産(Y)を構成する可処分所得を減税分(K)だけ増やす政策だからそれだけ総生産(Y)が増えるだろうということになる。これは結構な事だ。そして、河村や彼の支援者もこれを捉えて「減税によって景気回復」という主張をしている。
 減税が総生産を拡大するという主張には同意する。確かにここで減税(K)を増やせば、増やすほど総生産(Y)は増えていく。

 しかし「河村流減税政策」は非常に特異な性質を持つ。それが「減税財源は全て行政改革で賄う」という性質だ。「河村流減税政策」においては減税される原資(K)は、政府支出(G)の減額で賄われる。これを式に加えるとこういうことになる。

 Y^p=c(Y^1-(T-K))+(G-K)

 ここまでは良いですよね。「河村流減税政策」は歳出を削減して(G-K)、納税者に減税(T-K)という形でお返しして「民の竈を暖める」政策なんですよね。

 では、この式を展開してみます。両辺にYが入っているのでYを寄せてみます。(※2)
 Y=c(Y-(T-K))+(G-K)  ・・・・内側のカッコを展開します。
 Y=c(Y-T+K)+(G-K)  ・・・・外側のカッコを展開します。
 Y=cY-cT+cK+G-K  ・・・・Yを寄せます、右辺も順番を変えます。
 Y-cY=-cT+G+cK-K  ・・・・YとKをまとめてみます。
 Y(1-c)=-cT+G+(c-1)K  ・・・・両辺を(1-c)で割ります。
 Y=-¥frac{c}{(1-c)}T+¥frac{1}{(1-c)}G+¥frac{(c-1)}{(1-c)}K

 この式を見ると、Yは¥frac{(c-1)}{(1-c)}Kの値だけ変わることが判ります。
 係数の形が独特ですね。ちょっと触ってみると。
 ¥frac{(c-1)}{(1-c)}K  ・・・・上辺を-1で掛けてみると
 ¥frac{-1(1-c)}{(1-c)}K  ・・・・上辺と下辺が同じ形になりました。
 -1¥times ¥frac{(1-c)}{(1-c)}K  ・・・・上辺と下辺は?
 -1¥times K  ・・・・つまり?
 -K

 Y=-¥frac{c}{(1-c)}T+¥frac{1}{(1-c)}G-K(※3)

 こうやって整理してみると、「河村流減税政策」においては、為される減税政策規模(K)だけ、経済を「縮小する」結果となる。なので、インフレーション等が加熱している、例えばバブル期に、経済を減速させる為に行うとしたら良い政策なのかも知れません。



※1:投資金利が低いほど活発になる。金利が低いほど「安い経費(=金利)」で資金を調達できる事となるからだ。しかし、デフレ基調の時期には、金利による負担よりも物価安(=貨幣の価値上昇)の方が効果が強く出るために、「今投資するよりも、明日投資した方が得だ」という結論に行き着く。故に金利が低くても金融市場に資金がだぶつく事となる。

※2:この式を見れば、限界消費性向(c)が1よりも大きいか小さいかで、この政策が有効か無効かが判ると思います。限界消費性向は0~1の間を取りますので、減税政策の「負け」になるのですが、この後の式の変形で、この限界消費性向の如何に係らず減税政策がどのような意味を持つかお分かりいただけると思います。

※3:追記(1月4日午前11時)
この計算結果について確認中。

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2012-01-03 「正しい経済学」が導く減税の意味(補足:前編)

「正しい経済学」が導く減税の意味(補足:前編)CommentsAdd Star

減税政策

 明けましておめでとうございます。
 さて、昨年末のどん詰まりの頃に私の書いた「『正しい経済学』が導く減税の意味」(前編)(後編)がまだ難しいというご意見を受けました。
 この数式を咀嚼していただけば、「河村流減税政策」(※1)が経済政策としてどれほど効果が無い物なのか。つまりは、河村の説明が誤っているか。ご理解いただけると思うのですが、逆に「難しい数式を使って煙にまこうとしているんじゃないか」と思われるかもしれないので、そのような誤魔化しが無いという意味も含めて、もう少し噛み砕いてみましょう。
 まず、前提となる事柄を確認しましょう。経済学で「三面等価」という原則があるのですが「総生産と総所得と総支出は等しい」というものです。
 生産者が生産する物は商品として売られます。総生産量は総所得と等しくなります。
 (※2)(※3)
 そして、売り手にとっての所得は、買い手から見ると支出です。つまり、総所得と総支出は等しいということです。(※4)

 「総生産=総所得=総支出

 次に起点となる数式をもう一度ここで確認してみます。
Y = C0 + c(Y-T)  + I + G

 この式で「Y」が「生産量(総産出量、これは国民総所得に等しく、総需要とも等しい) 」としました。つまり、上で言う「総生産=総所得=総支出」が「Y」に当たるわけです。経済を活発にするというのは、国や地方の「総生産=総所得=総支出」が増える事ですから、この「Y」が大きくなれば「経済は活発になった」と言っていいわけです。

 国や地方の経済にお金を支出するのは誰でしょうか?

 個人は衣食住などの消費をするためにお金を出しますね。
 企業も事業のための設備や備品、原料などを調達するために支出します。

 まず、このような止むに止まれぬ支出というのが必ず発生する筈です。これを「基礎消費」(※5)として「C0」で表現しました。

 その他には国や地方の行政機構がお金を出しますね。勿論、これらは税金が原資となっているのですが、その原資については後ほど触れるとして、国や地方が出すお金を「G」としておきます。

 このほかに企業や個人が行う「投資」という活動もあります。
 例えば「土地を担保にお金を借りて生産設備を都合する」と言うような場合。土地を担保に借り出したお金は、この段階では何と交換したわけでもありません。もしもお金を返せなければ、土地を差し上げますと言う約束が生み出したお金です。返済の時期が来れば清算しなければなりませんが、その期限までは借りたヒトの裁量支出できるお金です。これを「I」とします。(※6)

 ここまでを数式にしてみるとこうなります。
Y _1= C0 +  I + G 

 つまり、基礎消費+投資政府支出が総支出(の一部)を構成する。
 ここで、C0もIもGも誰かの裁量で決まります。Gは総理大臣市長か財務官僚か判りませんが、そういった裁量で額が決まりますね。Iも投資をしようという資産家や資産管理者が額を決めます。C0は誰かのと言うよりも、そもそも決まっていると考えましょう。
 つまり、これらの要素は単純に足し合わせれば良いのです。

 さて、国や地方の経済流通するお金、消費はこれだけでしょうか。違いますよね。ヒトは基礎消費以上の消費をしますし、企業も必要最低限の経費を使うだけではありません。(必要なだけの経費で企業運営をするのであれば、全ての企業は何の飾りも無い建物に収まりますか?やはりそれなりに建物に意匠を凝らしたりせめて受付ぐらいきれいに飾るでしょう)
 これらの消費はどのように考えるべきでしょうか。

 まず、これらの消費はその前の段階の売上げ=所得が原資となりますでしょう。つまり、「前回のY」が原資となります。売上げ=所得には税(等)がかかってきます。これが「T」です。つまり「前回の所得から税等を引いた金額」が基礎消費以上の消費を賄う原資となります。この「所得から税等を引いた金額」とは、つまり「可処分所得」ということになりますね。所得を得たヒト(や会社)が自分で処分(つまり、消費)することを許されたお金です。これを式で書いてみると「(Y―T)」ということになります。
 (このTがGの一部に回ります)(※7)

 さて、ヒトや企業は「可処分所得」をすべて消費に回してしまうでしょうか?そうはなりません。必ず一定の率で貯蓄されます。「可処分所得」がどの程度の率で消費されるか、つまり、市中に出回るか。それをあらわしたのが「c」(※8)です。

 「可処分所得」(Y―T)に「限界消費性向」( c ) を掛けた金額が市中に消費として出回り「総生産=総所得=総支出」(Y)を構成します。ここで出回らなかった分は貯蓄として蓄えられます。そして、その一定割合が「投資」(I)として市中に出回るわけです。

 以上の事をまとめて式にすると。
Y = C0 + c(Y-T)  + I + G
 となるわけです。「可処分所得」には「限界消費性向」の係数が係っていますが、その他の要素には係数は係っていません。そして、前回の総所得可処分所得を構成し、全ての支出の総和が総支出(=総生産=総所得)となるわけです。

 この式の持つ意味について、そしてそれが示す「河村流減税政策」については、次回に続きます。

 さて、年の初めの一発目からわざと読む気も失せるようなガチガチの論点を展開してみました。実はこの議論がまだ難しいと言われた人に、同時に「実務的な政治の話は役人の話みたいで面白くない」というような事も言われたのですよ。ちょっと考え込んでしまいました。

 政治とは実務ですからね。そりゃ居酒屋政談、床屋政談の類は実務を離れて好き勝手を言っていれば良いのですけど、そんな事では実務は進みません。そして、子育て教育雇用産業振興、介護、安心、安全と言う行政に求められる機能と言うのは、九割以上が退屈で目立たない、地味~な実務の積み重ねなんですよね。

 実務と言うのは、地味でねちっこい努力が必要なんですよ。
 それは、喩えて言うなら石に滴り落ちる雨だれのようなもので、ポツポツと滴り落ちて石に穴を穿つ様な作業なんでしょうね。

 焦って槌やノミで無理やり石に穴を開けようとすれば、石自体が割れてしまうこともあるんでしょう。

 世間は、こういう派手な行動を好むのかもしれません。というか、耳目を集めるのはこういった派手な行動でしょうね。しかし、行政の実務自体、耳目を集める必要も無ければ派手なパフォーマンスも必要ありません。(※9)

 今日、そのような例をまた一つ目にしました。
 
 児童虐待防止関連対策(名古屋市公式HP)このページの下に平成23年7月14日に行われたと言う「児童虐待の根絶に向けた共同アピール」へのリンクがありますが中身が無くなっています。
 愛知県の当該コンテンツは残っています。(ここ

 ど派手に記者会見し、今でもことある毎に口にしているのでしょう。(元旦大須熱田神宮でも口にした(※10)のかな?)しかし、児童虐待の根絶に、このような派手なパフォーマンスは必要ありません。地道な努力を重ねることが大切です。



※1:一般的な減税政策は、特定の支出とか、投資に対して控除を与えるような形で税を軽くします。こうすれば税を軽くしてもらうために、どうせ支出したり投資するのであれば、この税の軽減措置のある内にしてしまうというきっかけを作ることができ、支出投資が活発化するからです。昨年末に大村知事などが提唱した自動車税の減免措置は、こういった形の減税で、自動車の消費を喚起し、つまりは自動車の売上げ、生産を増やしてもらおうという政策だったわけです。
 また、このような減税の財源は特に考慮されないのが普通です。つまり、財政的には赤字でも実施するか、そもそも財源がある場合に、選択肢の一つとして選ばれるのが「減税政策」なのです。
 「河村流減税政策」の誤りは、その財源を他の歳出カットで賄うとした点にあります。これでは経済学的に見ると。そもそも歳出で経済効果が生まれる分を削って、減税にまわすということになります。つまり、歳出の持つ経済刺激策を抑制してしまうわけです。
 逆に、いっそ公債を発行して(赤字にして)減税をするのであれば通貨流通量は増えます。(赤字でも「今」の通貨流通量は増えます。「将来」の通貨流通量を「今」使おうというのが、公債の発行ですから)
 しかし、公債の発行もせずに、単に減税だけするのであれば、この減税を受け取る一部のヒトや企業にとって可処分所得は増えますが、それと同額だけ、歳出を受け取るヒトや企業の売上げや賃金は落ちるということになります。

 歳出を受け取るヒトや企業が全て名古屋市内の人々だとして考えると、実際に減税財源を賄うために、公園などの清掃事業の予算が削られているわけですが、これだけの売上げや賃金が市内の経済から消えている事になります。

 多分ですが、実際に公園清掃の作業員で幾人かは解雇されたかもしれませんね。公園清掃の作業員賃金を削って、納税出来る程度には所得のある個人や、黒字を出している企業に「減税」という形でお金を回したのが「河村流減税政策」です。

※2:売り上げが立たなかった生産物は、生産物とみなさない。不良在庫として、売上げを構成する原価/歩留まりとしてみれば、総所得を構成する生産物だけが生産量を構成すると考えられます。

※3:生産者が製造原料として買った物品も、つまり誰かの生産物で、誰かの所得となっているわけです。

※4:経済とは交換なのですから、必ず二者以上の関係者がいます。この世にたった一人しか人間が居ないとするならば、経済は成立しません。いいですか、この所は特にしっかりと押さえておいてくださいよ。経済は二者間の関係で成立する。
 二者にとって、同じ事柄でも別の意味を持つ。
 売り手と買い手が居れば、売り手にとっては売上げとなり、所得となるが。
 買い手にとっては支出となる。

 国債を発行する売り手(発行者政府)にとっては国債は借金となり、
 国債を買う個人や企業銀行にとっては国債資産となる。

 同じものでも立場によって当然ながら、別の意味を持つのです。だから「国債は借金じゃない・・・・人も居ます。買う個人や企業にとっては資産です。間違いなく。しかし、国債を発行する政府にとっては、国債は借金であり、その政府債務に対して責任を持つ国民、個人からみても間違いなく借金となる」のです。常に、誰にとっても「国債は借金ではない」という主張は成立しません。

※5:この「基礎消費」という言葉は便宜的に私がここで言っているだけで、経済学の定義からは若干外れているかもしれない。(経済学では個人の消費について言うのであって、企業などは入っていないから)

※6:土地所有者が銀行に、土地を担保に借金も申し込んだとすると、借用書とお金が交換になります。この借用書自身も通貨と同じ働きをします。つまり、場合によっては物品の交換にこの借用書を使う事もできるわけです。通貨と言うのは国や中央銀行が振り出している「借用書」と解釈する事もできます。
 こうやって投資が活発に行われると、どんどん市中に「通貨(とともに、それと等価ののも)」が増えていきます。これを「信用創造」と言います。土地所有者は、所有しているだけでは経済的に何の意味もありませんが、例えばこうやってそれを担保にして借金をすれば(同時に借用書を発行すれば)経済を拡大する「信用創造」をする事になります。

※7:ヒトや企業の売上げからだけ政府収入が得られるわけではない。更に、公債によってGを拡大することもできる。

※8:「限界消費性向」です。所得が増加した分からどの程度の割合で消費に回されるかという比率。上で言った「可処分所得」(Y-T)が全て消費されるのなら、限界消費性向は1となる。式で表すと「(Y-T)×1」となる。一割が貯蓄に回されると限界消費性向は 0.9 となり、式で表すと「(Y-T)×0.9」となる。

※9:「耳目を集める」ことと「情報公開される事」とは違うでしょう。逆に「耳目を集める」ことがへんてこな情報に人々が群がり、結果として非論理的な政治選択をしてしまうと言う例は歴史上幾らでもあるでしょう。

※10:熱田神宮で口からでまかせを言ったのかな?それも元旦に。
 まあ、そんな罰当たりな奴の話はおいておいて、なんでもそのパフォーマンスに済藤市議も参加されたそうで(というネタを最初に持ってくれば人目を引けるんでしょうけどね)済藤市議は急いでいたのか、パフォーマンスが終了後、参拝もせずに戻っていってしまったそうです。愛国心はあるけど、神社とかは尊重しないのかな?まあ、信教の自由ですけど。

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