W.思春期・青年期の課題と今日の学校

1.思春期・青年期とは
1) 第2の誕生の時期
「私たちは、いわば、二回この世に生まれる。一回目は存在するために。二回目は生きるために。」
 「---暴風雨に先立って、はやくから海が荒れさわぐように、この危険な変化は、あらわれはじめた情念のつぶやきによって予告される。にぶい音をたてて発酵しているものが危険の近づきつつあることを警告する。気分の変化、たびたびの興奮、絶え間ない精神の動揺が子どもをほとんど手に負えなくする。まえには素直に従っていた人の声も子どもには聞こえなくなる。それは熱病にかかったライオンのようなものだ。子どもは指導者を認めず、指導されることを欲しなくなる----。
 これが私の言う第二の誕生である。ここで人間はほんとうに人生に生まれてきて、人間的何ものもかれにとって無縁のものではなくなる。これまでのわたしたちの心づかいは子どもの遊びごとにすぎなかった。ここではじめて、それはほんとうに重要な意味をもつことになる。普通の教育が終わりになるこの時期こそ、まさにわたしたちの教育をはじめなければならない時期だ。」(―――ルソー「エミール」第4編)

(2) 生涯で最も激動的で実り豊かな時期
「近代社会は、人生に青年期という時期のあることを発見しただけでなく、それが人間の一生においてもっとも激動的で、実り豊かな時期であることを明らかにした。ひとはどのような人間になるかは、青年期が終わるまでわからない。青年はその時期を通じて自己探求をすすめ、人間性の開花をめざすとともに、自他の人間性の開花を可能にする社会とは何かを問うていく。充実した青年期を享受することによってはじめて、青年は人間的成熟をとげ、社会的にも個人的にも自立した歴史的人間になることができるのである。」
         ――――竹内常一「現代青年論」 (『教育のしごと』四巻)

(3)大衆的青年期
※簡単な図式化(竹内常一「現代青年論」1980 『教育の仕事』4巻より)

 昔(近代以前)=青年期が存在しない 子ども→大人 
@生産力に余裕がないので、肉体的に成熟すれば、一人前の労働力として期待された。
A伝統的な通過儀礼(成年式、「若者入り」など)を通して、一人前の大人への移行が社会的に公認された。(a.年齢、b.試練)
B世襲、親(の階層)の姿を真似、踏襲すればよい。
→悩み、葛藤はない。
 
 近代社会=エリート的青年期    子ども→青年期→大人
@ 生産技術の発展、資本主義の展開、民主主義の実現、生活文化の激変によって、社会と人間は神話的世界の外に投げ出され、歴史的変動にさらされる。→子どもは、既存の伝統的な社会秩序や文化をモデルに大人になっていくことができなくなる。→古い社会と来るべき未知の社会との狭間で、理想的な社会像・自己像を求めて遍歴の旅に。→子どもから大人への移行期としての青年期。子どもにも大人にも属さない青年の登場。
A ルソーの予言(自己探求と社会変革を求める遍歴を通じて、自立と共存を可能にする新しい人間として誕生)、フランス革命の推進者、「疾風怒濤(シュトルムウントドランク)」時代の19c前半の青年。19c後半の青年期ニヒリズム(資本主義的市民生活への絶望)。19c20c青年運動の発展。
B このような「青年期」がすべての若者に保障されていたわけではない。知識人学生→白樺派、教養主義、女性解放運動、学生運動
労働者・農民・兵士→擬似的青年期・国家主義的強化の場としての「青年団」
   →未来は青年のもの、未来を拓く青年、ただし少数エリートのもの
 
 現代日本=大衆的青年期   子ども→青年期→大人
@ 戦後、義務教育9年(教育基本法)、高校進学率も70年代に90%超。兵役・労働を免れて、ほとんどの若者が中等教育機関(高等教育機関も1/3)に在学。青年期が社会的に保障されるようになった。
A 「青年らしさ」の衰退。a.自我・アイデンティティを確立できず、大人になることを延引したり青年であることを忌避する傾向。b.自己本位傾向が強く、他者との共存や連帯を築き出せないまま、私的生活に埋没する傾向、c.社会に不信を、社会の前途に不安ををもち、社会と歴史の発展に主体的、積極的に参加しない傾向。→「無気力・無関心・無感動」、「生きがいの喪失」、非行、精神病理、自殺など、反社会的・非社会的傾向。よりよく生きることから逃避して、人間の生命を破滅させる方向へ。
B 子ども・青年は家庭・教育の保護の下に育ち、やがてそれへの依存から脱け出し、精神的・物質的に自立するが、この自立の過程が不適切。 
a.家庭の変貌。生産の場から消費の場に、信仰の場から余暇と休息の場に、地域に結びついていた家庭から地域と関係を持たない家庭に、また核家族化。→教育力を弱め役割を保護に集中(過保護傾向)。両親への依存を強め、いつまでも甘えを引きずり、自立の要請から逃避。過干渉から必要以上の反抗や自閉へ。他方家庭崩壊による保護・教育・愛情の不足が自立を困難にするケースも。
b.地域の変貌。地域に「一人前」と「実力」の世界が存在しなくなり、それをモデルに若者に確たる教育要求をつきつけることができなくなっている。
c.学校は、全面的に教育を委託されながら、自立に向けた教育をできないでいる。選別差別、受験学力の偏重、職業的教養の軽視。
d.既存の文化も破壊され、それに対抗すべき青年文化も、マスコミ文化・商業文化、支配的文化の流す擬似青年文化に取り込まれている。
e.現代社会が青年に社会的・政治的参加を訴える魅力を欠いている。
→みんなが青年期を享受できる条件の成熟、しかし、それなりの未曾有の困難が。


(4)現代の思春期の「しんどさ」に共感することが大切
      (――――「不登校をプラス思考で乗り越える」原田正文)
  昔  心が先に大人になり、しばらくしてから体が大人になる。(「おしん」の例)
現代 20歳を過ぎても本人も自立する気がないし、親や周囲も自立を要求しない。
   @日本において思春期が急激に長くなったこと。(思春期の坂は長く険しく、ふもとからは とても目標が見えない。)
   A思春期に到達した段階での子どもたちの精神的体力の脆弱さ。
   Bモデルである「大人たちの実像」が子どもには見えにくくなってきていること。
   
【参考】人間の成長・発達の節目(故八木原藤義氏のまとめから)
(1)四・五歳の節
・集団の一員としての自分を自覚できる。
・話し言葉が一応完成し、自己主張ができる。
・友達関係は、持続した1対1の関係はまだ作れない。

(2)九・十歳の節(ギャング.エイジ=徒党時代)
・集団の中での自分の位置づけを気にし、自分を律することができるようになる。
・親の言うことより、友達との約束を大事にするようになる。
・抽象的な考え方ができるようになり、過去現在未来がわかるようになる。
・「書き言葉」が使えるようになり、作文能力が大きく伸びる。→学力の「落ちこぼれ」から、非行・問題行動に走る子どもが出てくる。

 
(3)中学2年の節(前思春期)
・社会意識が芽生え、将来を見通して現在を考えることができる。(大人としての第一歩の時期)
・性機能が発達し、異性への関心が高まる{思春期:pubertus(発毛する・ギリシア語)、うずく(日本語)}
・想い・煩い、悩みなど心理的に不安定な時期
・進学問題、家族との人間関係のトラブルから、非行・問題行動も多くなる。
・1人〜2人の同性・同年輩の親密な友達(chum、チャム)をつくり、ギャング集団は、徐々にピアグループ(peer group)=特定の価値や理想を追求する文化・イデオロギー集団へ発展していく。
 
(4)高校2年の節(「中2の節」と類似)
・生殖機能がほぼ完成
・「自我」への目覚めと対人恐怖症によって、一生の中でもっとも悩みや迷いの多い時期(必要以上の劣等感・孤独感から自暴自棄やノイローゼになる子どもも)
・「四・五歳と九・十歳の節」が乗り越えられていない子どもに「ひずみ」が出てくる。
・愛と呼んでもよいような親友関係と、より質の高い価値や理想を追求するピアグループがつくられる。
 
 [ギャング集団]-----外的な目標を規則に従って共同して追求する。このような少年期的な正義を追求するギャング集団を介して、子どもたちは、個々の大人(親や教師)を原像とする「内なる他者」を、集団を原像とする「一般的他者」へと組み替えて、親からの自立をはかっていく
[チャム(chum)---前思春期になると、ギャング集団のなかに、思春期のゆれを共有しあう親密な友達(ひとりないし二人)ができる。このチャムは、ばか騒ぎやふざけを共有しながら、行動的に心情を交流する仲間である。ばか騒ぎやふざけの中で、現実から少し退行して、自分くずしを演ずる。
 友達は自分を映す鏡となる=親密な友達は、現実の生活と価値とをつなぐ橋である。子どもは、親密な友達を手がかりにして、親や教師から自立しはじめる。 
[ピアグループ(peer group)]---外的な目標を行動的に追求していたギャング集団は、チャムができることによって、徐々に、内的な理想や価値を追求するピアグループ(文化・イデオロギー的集団)へと変質していく。