終業式がおわりました(ω)
あしたからのちっちゃい連休が
秋休みです(ω)
秋休みといってもふつうの連休です
二学期制の学校の秋休みは名前だけで
ふつうの長い休みは、三学期制とおなじ
ふつうの夏休みの期間です(ω)
でもあれは、夏休みじゃないただの長い休みで
ぼくたち二学期制の学期末の休みは
この三日間のただの連休です(ω)よくわからない…
きのうの深夜
怪奇大作戦・セカンドファイル
「昭和幻燈小路」が再放送されていました
ぼくはいま帰ってきてろくがをみました
いろいろ思い出したことがあるので
かきます(ω)
ぼくが6歳のときの作品です
オーディションを円谷でうけました
オーディションでは
「なにか、見えないものをみて、リアクションしてください」といわれました
結果がその日のうちに出て、
うかりました
どんな演技をしたかは覚えてません
怪奇大作戦セカンドファイルは3作あって
ぼくの回は、実相寺昭雄監督、という監督が
とる予定でした
そのあとニュースで、その実相寺監督が
お亡くなりになったと知りました
「昭和幻燈小路」は、
実相寺監督のお弟子さんの
北浦監督が、
あとをひきついで
とることになりました
「人がこの世からいなくなること」
小さかったぼくには、はじめてのことでした
実相寺監督はこのドラマの
仕上がりをみることができない
衣裳あわせで円谷にいくと
実相寺監督の作品展みたいな感じで
いままで監督がつくった作品の写真がたくさん
かざってありました
ぼくには分からない古い作品ばかりだったけど
くいいるように1枚1枚、
あき時間に写真をみました
そのあと、テレビでも
追悼記念にいろんな作品が
やっていました
監督はもういない
でも、作品は、ずっとのこる
それから撮影がはじまりました
寒い真冬の撮影でした
牧さん役のにしじまさんが
ぼくにたくさん上着をかけてくれたり
おんぶして寒くないように
してくれました
スタッフさんがぼくに
実相寺監督と、むかしのウルトラマンとかの話を
たくさん聞かせてくれました
ひとりの人が
「がんばったね
監督にお芝居見せてあげたいね」と
いいました
たぶん、北浦監督だったとおもう
なんか、なきそうになりました
まってるとき
やさしいおばあちゃんが、ぼくに
お手玉をおしえてくれました
ぼくがへたくそだからカットになったけど
お手玉のシーンがあったので
お手玉ができないぼくに
こんきよくおしえてくれた、
やさしいおばあちゃん
あとで聞いたら、
実相寺監督のおくさんでした
「昭和幻燈小路」には、
旅館のおかみさんの役で、でています
むかしのことだから
記憶がとぎれとぎれです
でも、ぼくにとって、これは
忘れられない作品です
ドラマの中で
牧さんがみた、幻の昭和の思い出
その中に、実相寺監督が
いきているような
気がします
監督
本番みてもらえなかったけれど
いまも、お芝居しています
あれから6年たったけど、
まだ、お仕事しています
いつかぼくが死んで
お会いできたら、
あのとき選んでくれたこと
こんなによい作品に
かかわらせてもらえたこと
それから、北浦監督や、
おくさまをはじめ
円谷のみなさんが、ぼくにしてくれた
たくさんの、
実相寺監督との
たのしかった思い出話を話すので
きいてください
監督ののこした脚本
まだずっと何度も再放送されて、
きょうもまた、
テレビでやってたんですよ
光子、大きくなりました
監督
あしたからのちっちゃい連休が
秋休みです(ω)
秋休みといってもふつうの連休です
二学期制の学校の秋休みは名前だけで
ふつうの長い休みは、三学期制とおなじ
ふつうの夏休みの期間です(ω)
でもあれは、夏休みじゃないただの長い休みで
ぼくたち二学期制の学期末の休みは
この三日間のただの連休です(ω)よくわからない…
きのうの深夜
怪奇大作戦・セカンドファイル
「昭和幻燈小路」が再放送されていました
ぼくはいま帰ってきてろくがをみました
いろいろ思い出したことがあるので
かきます(ω)
ぼくが6歳のときの作品です
オーディションを円谷でうけました
オーディションでは
「なにか、見えないものをみて、リアクションしてください」といわれました
結果がその日のうちに出て、
うかりました
どんな演技をしたかは覚えてません
怪奇大作戦セカンドファイルは3作あって
ぼくの回は、実相寺昭雄監督、という監督が
とる予定でした
そのあとニュースで、その実相寺監督が
お亡くなりになったと知りました
「昭和幻燈小路」は、
実相寺監督のお弟子さんの
北浦監督が、
あとをひきついで
とることになりました
「人がこの世からいなくなること」
小さかったぼくには、はじめてのことでした
実相寺監督はこのドラマの
仕上がりをみることができない
衣裳あわせで円谷にいくと
実相寺監督の作品展みたいな感じで
いままで監督がつくった作品の写真がたくさん
かざってありました
ぼくには分からない古い作品ばかりだったけど
くいいるように1枚1枚、
あき時間に写真をみました
そのあと、テレビでも
追悼記念にいろんな作品が
やっていました
監督はもういない
でも、作品は、ずっとのこる
それから撮影がはじまりました
寒い真冬の撮影でした
牧さん役のにしじまさんが
ぼくにたくさん上着をかけてくれたり
おんぶして寒くないように
してくれました
スタッフさんがぼくに
実相寺監督と、むかしのウルトラマンとかの話を
たくさん聞かせてくれました
ひとりの人が
「がんばったね
監督にお芝居見せてあげたいね」と
いいました
たぶん、北浦監督だったとおもう
なんか、なきそうになりました
まってるとき
やさしいおばあちゃんが、ぼくに
お手玉をおしえてくれました
ぼくがへたくそだからカットになったけど
お手玉のシーンがあったので
お手玉ができないぼくに
こんきよくおしえてくれた、
やさしいおばあちゃん
あとで聞いたら、
実相寺監督のおくさんでした
「昭和幻燈小路」には、
旅館のおかみさんの役で、でています
むかしのことだから
記憶がとぎれとぎれです
でも、ぼくにとって、これは
忘れられない作品です
ドラマの中で
牧さんがみた、幻の昭和の思い出
その中に、実相寺監督が
いきているような
気がします
監督
本番みてもらえなかったけれど
いまも、お芝居しています
あれから6年たったけど、
まだ、お仕事しています
いつかぼくが死んで
お会いできたら、
あのとき選んでくれたこと
こんなによい作品に
かかわらせてもらえたこと
それから、北浦監督や、
おくさまをはじめ
円谷のみなさんが、ぼくにしてくれた
たくさんの、
実相寺監督との
たのしかった思い出話を話すので
きいてください
監督ののこした脚本
まだずっと何度も再放送されて、
きょうもまた、
テレビでやってたんですよ
光子、大きくなりました
監督
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