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・後から参入する者に、場所なんか空いてないのだ。空いているとしても、最悪の場所だけだ。前々からそれをやっている者が、めんどくさいから手を付けてない場所が、少しだ。それが、いつも当たり前のことだ。
新しいなにかが生まれるのは、場所なんかもらえなかった者たちが、苦しまぎれに、「これしかない」とやったことからだ。「少しだけ、空いてる場所を分けてください」と、平身低頭してお願いしているうちに、時間はどんどん過ぎていくし、いい機会も得られないままになる。
鉄道をひけなくても、自動車があった。映画をつくれなくても、テレビがあった。大きな舞台はなくても、小劇場があった。大きな同業者組合ができているようなところに、新しく参入することを歓迎してもらえるのは、「これまでの権利を脅かさないやつ」だけかもしれない。
場所なんか空いてると思わないほうがいいのだ。居心地の悪い、座ればけつの痛くなるような荒地だけが、新しい人びとがスタートを切れる場所だ。おそらく、道具も揃っちゃいないし、誰もが認めるすばらしい人なんか集まることもない。しかし、そこが、場所なのだ。
・若い人に言うことは、じぶんに言うことでもある。あなたにも、ぼくにも、用意された場所はなかったはずだし、周到に計画された図面なんてものもなかったと思うのだ。次の時代は、いつでも、場所なんかなかった者たちの場所からはじまっている。道具がなければ、じぶんでつくる。人手が足りなければ、寝ないでもがんばる。そういう古臭い冒険心みたいなものが、肝心なのだ。
「どこにも場所が空いてない」ということは、いつも、新しいなにかの出発であった。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。歓迎されたかったり認められたかったりは、悪いくせかも。