おひさまを感じながら by半農半保健師

化学物質過敏症、アレルギー、発達障害を併せ持つ子供を通して
知ったこと、考えたこと、感じたことを綴ります

 

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夫は、私の強制入院の中心人物ではありません。ただ私を入院させることができたのは親でも兄弟でも、学校でもなく、配偶者の夫だけ。それが医療保護入院制度です。

入院によって失ったものは大きいです。
でも、得たものもありました。

主治医には「仮に病気でないにしろ、ここに来たからには問題があったでしょう?そこをなんとかしないと同じことの繰り返しになる」と言われました。外来で夫の話を聞き、私の処遇を決定した医師と、主治医とは別の方。思い当たることは幾つかあります。

最も厄介だったのは、学校との交渉です。
次に厄介なのは、夫の強い思い込み。

就学前、初めて校長先生と話をした時には、信頼関係を築ける手ごたえがありました。今でも校長先生個人は好きです。でも対学校となると、うまくいきませんでした。


長期休暇中にと、推奨されているワックスがけは、学期中に2度、しかも換気に消極的になる2月にありました。時期を変えてもらうことはできず。

弁当、水筒持参ですが、保護者に事前確認ない食品が与えられ調子が悪化。

挙げるとキリがないので このくらいにします。
教育委員会、県、文部省にも改善を訴えました。最終的には文部省から「安心して登校できるようにしますから」と回答があったのが、今年の春です。
別居中だった夫は、学校関係者に呼ばれました。「母親が学校に行かせていない」と。

結果的に入院となった精神病院の外来診察で、診察医が言った「「入院しても・・・」に対して、夫は「入院じゃなくて、認知行動療法とか どうですか?」と、入院させるつもりは当初ありませんでした。
しかし、入院後、時間が経つにつれて夫の態度はシビアになりました。面会の度に口論になりました。
でも一貫して夫を嫌いにはなりませんでした。苦手意識はあります。
突然の入院で、私は何も準備しないまま入院。足りない物があって夫同伴で一度買い物に出かけています。女の服選びは時間がかかるもの。その間文句も言わずに付き合ってくれたことには驚きました。
大事な子供を授かったのも夫あってのこと。
最後の面会では親権については持ち出さず、離婚に合意。そして今までの感謝を込めてハグして別れました。

私達親子を最も理解し、支援してくれた実家の母も 私の入院の連絡に涙ながらに驚き、最初は面会にも来て、助けてくれていたのですが、夫同様に態度は冷たくなります。
退院したその日に母と会いました。予想通り強固な態度でしたが、今ではあれこれ気にかけてくれます。ただ、すっかりCSアレルギーに変貌し、CSの話はタブーです。
母曰く「夏休みに息子は宿題もなく、好きなことをしていた。他の児童にはたくさんある宿題なので、担任に確認すると、母親がお金がないので夏休み帖は買えませんと言ったからと」。事実じゃないと否定してもダメでした。

「物事は事実かどうかではなく、言ったもん勝ち」とある方が言います。
私の強制入院もそうでした。

些細なことですが、多分そんなことの積み重ねが問題を大きくしていると思います。
おかげで、私はすっかり子供を育てるには問題の多い母親になりました。
子供と近い所にいる実家の母から更にあちこちに広がります。しかも悪い尾ひれが付いて伝わる傾向があるようです。

実家の母には、退院したその日に会い、これが最後と思って「いろいろあったけど、結婚して、子供も授かり母となりました。生んでくれて有難う」と言って家を出た経緯もあります。

私が強制入院の関係者に感謝の気持ちを持つことができたのは、入院中に私自身が心しみる経験をしたからです。
入院前は忙しくて、プライベートでは理解されることも少なく、全く余暇はありませんでした。
でも入院して、患者同士で仲良くなり、音楽を聴いて心洗われることもありました。
頭では分かっていても行動に移せないことは少なくありません。
私を変えたのは、人の情や歌でした。
北風よりも太陽です。

夫、実家の母、学校には太陽より北風をあてることが多かった私。

このブログは、名ばかりでした。




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いろいろブログに書いてきましたが、春になり暖かくなってからCSの子供は学校に行き始め、初夏にはフルに授業に出ていました。運動能力も思考力も充分でコミュニケーションにも問題はありませんでした。化学物質とアレルギーをコントロールし、暴露すれば初期の段階で回避してきたからです。

そんなある日、2年間別居していた夫が、私を強制的に精神病院に入院させました。夫は診断書も出ている子供の病気を受容していません。CSという病気の存在自体にも否定的。
精神病院外来では、医師は「これは病院が介入することではない」と言っていましたが、私が診察室を出て、夫と話をしている間に医師は「治療が必要」と見解を変えました。
結局閉鎖病棟に入れ、2か月間いました。「医療保護入院」です。
医師が退院できると判断しても 保護者である夫が許可しないと退院できない制度。

退院してすぐ、私は復職しました。あえて精神病院を選択しました。
精神病院にはCSやアレルギーの人が少なからずいて、薬で治療されています。
当然状態はなかなか改善せず、入院が長引いたり、入退院を繰り返します。それを目の前で見てきたからです。私が介入しなければ、子供も目の前の患者と同じ道をたどると思いました。

私が入院している間に、夫は子供を連れて行きました。今どこにいるのかわかりません。

夫と接触することも怖くて退院後も連絡を控えていましたが、さきほど夫からのメールで子供が入院していることを知りました。精神的な問題と処理されています。
CSやアレルギーが原因だと思いますし、私と会えないことも原因だと思う。それを理解してくれる人は今の子供の周囲にはいないし、子供が必死にSOSを出しても、逆の治療ばかりされているだろうと思います。遠く離れて別居していた夫は、私達親子の生活を自分の目や耳で確認していません。誤解が多いのです。どんなに夫に話をしても 誤解を解くことはできません。以下夫からのメールを引用します。○○は私です。



 集団経験もなく、人とのかかわり方もわからない。このことが、子供の将来にどういう意味があるのか理解してほしい。私は、どうしても○○サイドに立ちがちで、○○に同情的になるので、まわりを不安にさせてきた。状況の厳しさを認識しなければならないのは、○○だけじゃなく、私自身もだ。
今は「手遅れ」ともいわれる子供をなんとか立ち直らせるべく、全力をあげている毎日。
だから、子供たちを、少なくとも今の状態の○○に会わすわけにはいかないのだ。
子供に会えないことは、○○にはとてもつらいことだと思う。実は、私もそのことに心を痛めている。しかし、子供を再び○○の倒錯した世界に引き込ませることは、なんとか立ち直って社会人になってほしいみんなの願いを踏みにじることになるし、子供の将来のために、どうしても拒否せざるを得ないのだ。
子供たちは悲惨な状態」と言われている。こういう現実をしっかり受け止めてほしい。
未来永劫会わさないということではない。○○の状態がよくなれば、むしろすぐにでも会わせたいくらいだ。一緒に生活したいくらいだ。ただ、リハビリのため、いろいろやって子供にも新しい体験ばかりで生活がまだ安定していない。落ち着かない状態で○○と会えば混乱することは必至だ。中略・・・
押しかけてくることを心配されていて、警察からの要請もあって、○○が来たら通報することになっている。会社に来れば業務妨害として刑法犯になるから注意してほしい。各地の警察には相談済みになっている。だから、むちゃなことはしないでほしい。私もお母さんもそこまでは・・・と言っているが、まわりはそうみていない。

以上引用終わり。
7歳の子供が置かれている状態を想像して、胸が張り裂けそうです。どなたか知恵を授けてください。


化学物質やアレルギーによって精神症状が起こること事をまとめた表が、千葉県の市川市民診療所HPに紹介されています。ランドルフ、ミラーの表です。多くの方に知ってい頂きたい↓

http://www15.ocn.ne.jp/~siminsin/t_tbl.html

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