『ヨーロッパの祝祭典』M・P・コズマンから[19]
○あらゆるお祭りの楽しみを詰め込んだハロウィーン(10月31日の晩)
(1)ハロウィーンにみる異教徒的伝統
A.ハロウィーンの色々な風習は他の祭日にも通じていた。そもそも10月の終わりは、ケルトの暦では1年の締めくくり(夏の終わり=サムヘイン〔Samhain〕の祭り)であった
B.ケルトの民にとって、11月1日(もしくはその前夜)に行われたこの祭りは、メイ・デイ(5月)とミッドサマー・イヴ(6月)に行われる「大かがり火、ご馳走、ゲーム」をもう一度楽しむ最後の時だった。これは同時に、冬の訪れへの幕開けでもあった
C.10月は幽霊・精霊・魔女をはじめ超自然的な存在が最も力強くなり、しかも一番寂しい思いをしていると想像された時期だった。そしてこの日は「先祖の霊に収穫を捧げる『死者の日』」であり、また「精霊なども出現する恐ろしい日」でもあった
D.こうした超自然界からの襲来に備え隠れるために、人々は仮面を付けてかがり火(Bonfire)を燃やしたという。かがり火には魔除けのみならず、豊饒を促進させ祈る意味があった。仮面もやはり魔除けだけでなく、悪魔の方も仮面を付けていたりした
E.また精霊がより身近になるので、ハロウィーンの占いは、他の全ての祭日を一緒にした場合よりもずっと沢山の質問(愛や人生について)を、精霊に問い掛けた
(2)ハロウィーンとキリスト教
A.ハロウィーンは、キリスト教の死者の日=全ての聖人を礼拝する万聖節(All Saints' Day・11月1日、もちろん祝日)の前夜だった
B.翌日の11月2日の万霊節(All Souls Day)は、煉獄と呼ばれる特別の待機場所に魂が未だ残っている、死者全てのために祈りが捧げられた
[煉獄:天国と地獄の中間、天国に受け入れられなかった魂たちが一定期間の修練の後に清められ、高められ、天国への日を待つところだった]
C.中世のハロウィーンのお祭りでは、異教徒のサムヘインの風習と、キリスト教の聖人たちの祭りとが結びついていた。仮面を被った子供たちは、歌いながら、煉獄で彷徨える霊魂のためにソウル・ケーキを乞いながら、戸口から戸口へと訪ね歩いた(ソウリング)。これでご馳走が何も差し出されなければ、物乞いや霊たちはイタズラをする
(3)ジャック・オー・ランタンと広間の大かがり火
A.炎は「良き霊を迎え、悪霊が近づくことを防ぐ」と考えられているから、灯火はハロウィーンの広間の飾りとして最も重要だった
B.どのテーブルにもジャック・オー・ランタンを飾った。2月のラヴ・ランタンのように「カブやスクオッシュ(かぼちゃ全般のことか?)の中をえぐり、皮に両眼・鼻・口の形に穴を開け」て、その中に太いろうそくを立て火を灯すと、穴を通して光を放つ。ランタンの口の多くは、愛想良くにっと笑う形に作られているが、幾つかは険しいしかめ面だった
C.パンプキン製のジャック・オー・ランタンは中世ヨーロッパには無かった
D.主賓席の近くに、大きくて明るい、中心となるような光が置かれた(屋内のかがり火とも言える)。これには装飾付きの大燭台を用いた
(4)クリスピン王と酒盛りをする人たちのブーツの肩帯
A.クリスピン王(=聖クリスピン)は、スペイン産のコルドバ皮でブーツを作る靴職人の守護聖人だった。「聖クリスピンの日」は10月25日だったので、しばしばハロウィーンと一緒にされた
B.クリスピン王に変装した客人が、主賓席を支配した。「王に相応しい長い衣服を堂々と身にまとい、王冠を被り、笏を打ち振るい、首の廻りに重い鎖を巻きつけ」、さらに「大きなブーツの片方のデザインがついた大メダル」を身に付けていた
C.客人たちは、各々が普通の衣裳を身につけてやって来るが、仮面は着けない(死者の霊になる7人だけが、後ほど祝宴で仮面を着けられるよう用意した)
D.しかし「小さな金のブーツ、靴の絵、縫い取りのある深紅色の肩帯」を身につけることで、誰もがクリスピン王の宮廷の一員に扮した
(5)12月のスリッパ捜しと1月の聖ジョージ劇
A.ハロウィーンのゲームの1つに、クリスマスのゲームである「靴(orスリッパ)捜し」があった。これがハロウィーンに行われるのは、クリスピン王と靴との関係による
B.様々な祝宴のご馳走の後に、儀典官がクリスピン王に「ママーの役者たちを迎え入れてよいかどうか」お伺いを立てる。そして、ホビイ・ホースを含め張り切った役者たちが、Twelfth night(1月)やミッドサマー(6月)と同様に、聖ジョージ劇を演じて広間の人々を楽しませた
(6)ソウリングとソウル・ケーキ
A.それから、死者の霊になる7人の客人たちは仮面を着け、それぞれがソウル・ケーキを集めるための小さなバスケットを携えている。広間を元気良く歩きながら、霊たちは唱和した(※その歌詞は省略)
B.絶え間なく歌いながら、霊たちは贈り物を集めに客人たちに近づく。それぞれの客人が、テーブルの上の大皿からソウル・ケーキを取って、霊たちに与えた。もしくは、テーブルを飾っていた果物を差し出す
C.ソウル・ケーキとは「小粒の干しぶどう、シナモン、ナツメグ」が入った、平たい卵形のバタークッキーだった
D.寄付しなかった人々を、霊に扮した人たちが面白おかしい罰で脅すので、皆がソウリングで一層盛り上がった
E.人々からの贈り物が詰まった7つのバスケットは、装飾付き大燭台のかがり火の周りに、輪を作って置かれた
(7)2月のヴァレンタインと6月のミッドサマーの占い
A.ハロウィーンの占いは、祝宴が行われている間も、その後の夜の静けさの中でも大切なものだった
B.よく知られているヴァレンタイン・デイの愛の占い(麻の実、西洋のこぎり草、エリンゴ、ピロウ・フェイスなど)は、ハロウィーンの占いでもあった
C.ミッドサマー・イヴの占い(卵占い、デスティニー・ケーキなど)も同様。薔薇占いは、遅咲きの八重のバラで占った
(8)木の実割りの夜
A.しかし、この夜に行われる「木の実割りの占い」は大層普及しているので、ハロウィーンそのものも、しばしばナットクラック・ナイトと呼ばれる
B.大きなハロウィーンの集まりでは、木の実割りはテーブルのゲームだった。胡桃と胡桃割りを使って「男女の客人のそれぞれの組が、自分たちの未来を予言するために」木の実を割った。実を取り出す間に「殻の半分以上がそのままの形で残れば、その愛は完全で真実なもの」「殻の半分以上が粉々に砕けたならば、その愛情も同じように脆く儚い」というもの
C.暖炉のある家での小さな集まりの場合:
「結婚を間近に控えた若い男性or女性が、真っ赤な残り火の中に、2つの丸いままの胡桃orヘーゼルナッツを入れる」
「2,3分後に熱くなった実の殻が弾ける。もし片方が、あるいは両方の木の実が大きな音で割れた場合には、それは見込みのある愛の証だった」
「もし木の実がただ燃えてしまったなら、その愛は束の間に炎と化して燃え上がり、でもすぐに消え去るという」
「1組の男女が木の実を見守っている間に、1つの詩が吟唱された」(※詩は省略)
(9)リンゴの皮むきとアップル・ボビング
A.「リンゴの皮むき」による愛情占いでは、リンゴ丸ごと1個と小さなナイフを使う。客人はそれぞれ、リンゴの皮を長い渦巻き状のリボンに剥いて、それを左肩越しに投げる。皮は落ちて「愛しい人の頭文字では…」と連想させる
B.アップル・ボビングは、聖スウィズンの日(7月)に行われるのと同じように、陽気な騒ぎだった。しかしハロウィーンでは、占いが加えられた
C.口でくわえようとするリンゴ1つ1つに、想う人の名が刻まれている。
「1回の挑戦で成功すれば、その愛は成就するだろう」
「2回目で成功すれば、その愛はほんの僅かだけ続く」
「3回目のチャンスでの成功は、愛ではなく憎悪を意味する」
「4回もしくはそれ以上の挑戦は、その人にはもはや運がないことを示している。他の方にするのがよい」
(10)「クラウディ」(※乳化香料?濁りのある液体?)は特に楽しいハロウィーンの料理だった
A.6人の客人が1つの大きなボウルを分け合う。香料入りアップル・ソースと混ぜ合わせた甘い生クリームのクラウディの中に、6つの何かが入っている。それは前もって熱湯で丁寧に洗った「指輪、おはじき、硬貨(各2つずつ)」だった
B.参加者たちはスプーンを使って、手掛かりを飲み込まないようにしながらクラウディを楽しみ味わう
「指輪を見つけた人は、間もなく結婚する」
「硬貨の持ち主は富に恵まれる」
「おはじきは寂しい1人暮らしを意味する」
「クラウディだけで他の物をスプーンで掬い上げな場合には、甘い予感に満ちた暮らしを予言している」
(11)アップルろうそくの行列
A.ハロウィーンは8月の収穫祭のやり方で終わる。楽しい別れの前に行列が広間を3回廻るのだが、その度にろうそくを運んでいる(ろうそく立ては艶のある秋のリンゴ)客人たちは、主賓席のクリスピン王にお辞儀をした
B.ろうそくは「悪霊をおどして良き精霊を元気づけるため」に、祝宴のあと数分間は火を灯し続けなくてはならない
テーマ:中世ヨーロッパ史・年間行事
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