写真・図版在日1世の語りに耳を傾ける京都市地域・多文化交流ネットワークサロンのメンバーたち(同サロン提供)

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 ■字が書けず悔しい思い・楽しかった夜間中学・・・

 多くの在日韓国・朝鮮人や外国籍の住民が暮らす南区東九条で多文化共生のまちづくりを進める「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」が、在日1世の人生や経験を聞き取り、冊子にまとめた。来日後の厳しい暮らし、読み書きができない悔しさ、勉強の喜びなどが丁寧につづられている。

    東九条 14人聞き取り 冊子に

 在日1世の世代が高齢になり、このままでは戦前、戦後を生き抜いてきた体験が歴史に埋もれてしまうと、同サロンが昨年度に聞き取り部会をつくった。

 冊子は「東九条の語り部たち」と題し、14人が登場する。戦中、北海道の炭坑から逃げ出し、叔父を頼って京都へ来た男性、長男が1歳の時に夫が亡くなり、苦労しながら子育てした女性など様々だ。

 姜正順(カン・ジョン・スン)さん(77)は現在の韓国で終戦を迎え、朝鮮戦争の動乱のなか、勉強がしたいと来日。結婚して東九条に暮らし始めた。鶏を飼ったり畑を作って野菜を売ったりして子どもを育てた。字が書けないことで悔しい思いをし、夜間中学などに通ったという。姜さんは「私らの年代はみんな苦労してきた。苦労話をすることもないし、本で伝わるのはよかった」と話す。

 金三鳳(キム・サン・ボン)さん(86)は「若いころは本当によく仕事をした」と振り返る。楽しかったのは学校で、仕事の合間に内緒で夜間中学に通った。冊子では、18歳の時に来日して大阪などを経て東九条に定住したこと、プラスチック工場を営みながらの子育て、夜間中学のことなどを語っている。

 「貧乏で、小学校を出て上の学校に行きたかったけど行けなかった」と言うのは趙ヨン日(チョ・ヨン・イル)さん(83)。冊子の内容は子どもたちにも話したことはなかった。「食べていかんとと思い、何でもやってきた。恥ずかしいけど、当時のことを知ってもらうのはいい」

 同サロンの前川修センター長(56)は「日本と朝鮮半島の分厚い歴史のなかで1世は生きてきた。様々な人たちがいて日本社会があることを理解していただければ」と話す。新たな聞き取りの計画もあるという。

 冊子は京都市内の図書館に配ったほか、サロン(075・671・0108)で無料配布している。

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