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今週の記事1本

こちらでは、カトリック新聞に掲載されている記事を、毎号につき1本お読みいただけます。


教皇インタビュー (上)
倫理に重点置きすぎると
福音のメッセージ曖昧に
【バチカン9月19日CNS】

 

  教皇フランシスコは自身の出身修道会のイエズス会司祭との長時間、広範囲にわたる独占インタビューに応じ、持ち前の率直な口調で語った。教皇は特に、(1)性倫理や医療倫理についてのカトリック教会の教えを強調し過ぎることの危険性(2)自らの裁治スタイルで議論と諮問を重んじる理由(3)今日の教会のための最優先事項などについて説明した。

  教皇にインタビューしたのは、イタリアのイエズス会誌「ラ・チビルタ・カットリカ」(カトリック文明)で編集長を務める同会のアントニオ・スパダロ神父。8月に行われたインタビューは、同誌のイタリア語版の他、米国のイエズス会誌「アメリカ」でも9月19日、長文の英語版が掲載され、他言語のイエズス会誌にも同日付で掲載された。
  「アメリカ」誌の編集長マット・マローン神父によると、教皇フランシスコ自身がインタビュー記事の内容を確認し掲載を承認したという。本紙では、その一部を抜粋したCNSの記事から2回に分けて掲載する。

 裁きよりもいつくしみを

 「私たちは、中絶や同性婚、避妊法の使用についての問題ばかりを強調することはできません」と教皇はインタビューで語り、そうした話題について頻繁に語らないことで自身が「非難」を受けてきたことも指摘した。「ひっきりなしに、こうした問題について話す必要はないのです」
  「教会の教義上の教えと道徳上の教えは、全てが同等なわけではありません」と教皇は付け加えた。「教会の司牧奉仕は、まとまりもなく多数の教義をしつこく強要するばかりになってはいけません」
  「宣教の姿勢で福音を告げ知らせる際には、本質的なこと、必要なことに集中します」と教皇は強調する。「私たちは新しいバランスを見いだす必要があります。さもなければ、教会の道徳的体系は、トランプのカードでできた城のように崩れてしまい、新鮮さと福音の香りを失ってしまう恐れさえあります」
  「福音の提示は、もっと素朴でもっと深く、光り輝いていなければなりません。こうした提示の仕方によってこそ、その後に道徳的結果がもたらされてくるのです」と教皇は語った。
  教皇は自身が掲げている主要なテーマの一つを再確認した。罪に対するときには裁きよりもむしろ、いつくしみが必要という考え方だ。
  「今日の教会に最も必要なことは、傷を癒やす力、そして信者の心を和ませることです。それには、身近さ、寄り添うことが必要です」と教皇は語った。
  「教会は時として、小さなことに、狭量な規則の中に、自ら閉じこもってきました。最も大切なことは、最初に次のように告げ知らせることです。イエス・キリストがあなたを救われました!」と教皇は続けた。
  「告白場の一室は拷問部屋ではありません」と教皇は語り、「その場所で、主がいつくしみによって、私たちにより良く生きる意欲を与えてくださるのです」と付け加えた。

 公会議の改革元に戻せない

 「今日、いつも懲罰による解決を求めようとする人たち、極端な教義上の“保安”を求める人たち、かたくななまでに、もはや存在しない過去を取り戻そうとする人たち。そうした人たちは停滞した内向きの物の見方にとらわれています」と教皇フランシスコは指摘した。「このようにして、信仰は他のイデオロギーと同じように、一つのイデオロギーと化してしまいます」
  現教皇は、素朴なミサのささげ方によって伝統主義のカトリック信者たちからの批判を招いているが、論議を呼んでいる典礼の件についても質問に応じ
た。
  名誉教皇ベネディクト16世が2007年にトリエント公会議ミサ(第2バチカン公会議前のラテン語ミサ)についての規制を緩和した決断は、「慎重なもので、このミサに慣れ親しんでいた人々を助けたいという願いからでした」と教皇フランシスコは語った。「ただ心配なのは、その(古いミサの)イデオロギー化の危険です。それは乱用です」
  教皇はさらに、1962年から65年までの第2バチカン公会議後に続いた典礼の改革は、「絶対に元に戻せません」と強調した。
  (次号に続く)

 

教会は母のように


教皇フランシスコ(CNS)



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